10. 第三特殊ゾーン
ゾーンの中心から離れるにつれ、次第に自然物以外の建築も増えてくる。
小さな家屋がパラパラと建っていたのが、やがて軒を連ねて街を作り始めた。有人ゾーン、巨大転移ならではの特異現象だ。
広ければ人がいるわけではなく、一面の海や森林、中には氷に覆われた大地が出現することもある。
ただ、有人の確率が上がることは確かで、得られる貴重な遺物も膨大な量となることが多い。
この国でも、大きな街を含むゾーンが過去に二度現れた。
一度目は首都直下型の際に、ビルが乱立する近代都市が、二度目は三十年ほど前に、木造家屋が密集する田舎街が転移している。
どちらも大災害には違いないが、回収された遺物は、国の技術発展と研究の進展に寄与した。
二つの転移地は特殊ゾーンとして、国により堅牢な防壁で囲われ、今も厳重な管理下に置かれている。
石造りの建物が並び、モダンな車輌まであちこちに駐車する街路は、ここが三例目の特殊ゾーンであると告げていた。
目立つのは家や車だけではない。道路脇の歩道に倒れる
形代を持たずに転移した者は、およそエネルギーに脳を焼かれてこうなる。
向こうからこちらへ来る場合でも、身を守る手段を無くしては血を吐き、命を絶つだけだ。
「くそっ、ひでえ」
「生き残りもいるはずよ!」
「助けて回る暇は無いぞ」
「……分かってる」
思うところはあっても、ミサキはそれ以上、被害者について話しはしなかった。
ただ、惨状に口許を固く締めるだけで、それはセイジも同様である。
有人ゾーンに国が神経質になる理由は、大量の遺物と未知の技術に加えて、この別世界の住人が存在するからだ。
彼らとて、いきなりの災厄に襲われた被害者ではあったが、そう考えない者もいる。
転移について、何か知っているのではないか。
この現象は、彼らの世界が招いたことではないのか。
尋問と調査を繰り返すため、住人たちは一箇所に集められて、外界と隔絶される。
噂では、収容者の待遇は決して悪くないとも言われる。それでも徹底して自由を奪われるのだから、身の上は囚人と変わりはしない。
車はゾーンを抜けるずっと手前で、直角にターンしながら急停止した。
炎上する家屋に照らされた装甲車の群れを、道路の先に見たからだ。
「まさか火を付けたの!?」
「いや、そこまではしてないだろう。転移の結果、火災が発生するのはよく聞く」
「でも、火を消してるようには――」
「軍は消防じゃない。救出くらいは、やってるみたいだけどな」
装甲車の奥に、兵に挟まれて連れられて行く人影が窺えた。
サイドウインドウ越しに、二人は軍の行動を観察する。
燃えているのは右手の平屋、兵の多くは左側に展開しているように思われた。左には背の高い尖った屋根の建物が、他を
「あれが街の中央施設か?」
「教会、かしらね。大聖堂に見えるわ」
装甲車の上部から、強烈なライトが黒熊へ向かって照射された。
眩しい光を手で遮りつつ、セイジは車を発進させる。
「気づかれた。ここまでだ」
「一台追って来るわ!」
バックミラーを一瞥した彼は、六輪の斥候車が向かって来るのを確認した。
装甲車よりも機動性が高く、荒れ地で偵察や警戒任務に付くために使われる軽車両だ。馬力はあり、加速力も上々で、一気に距離を詰めてくる。
しかし、平坦な街路なら、黒熊が振り切れない相手ではない。
アクセルをベタ踏みし、引き離しに掛かった黒い不審車へ、斥候車は強行手段を取った。
エンジンの唸りを掻き消すように、連続した破裂音が暗い街に反響する。
「撃ってきやがった!」
「機関銃!?」
後ろを見るために首を回したミサキへ、セイジが怒鳴りつけた。
「バカッ! 頭を引っ込めろ」
渇いた着弾の音と共に、リアウインドウに弾痕の丸穴が空く。威嚇ではなく、当てる気の攻撃だ。
転移嵐を想定して、相当頑健に補強した黒熊ではあったものの、弾を跳ね返すような装甲は施していない。
彼が右へ急ハンドルを切ると、一瞬さらけ出された車の側面に、ガンガンと穴が穿たれた。
――中途半端な攻撃をしやがって!
殺す気なら、重砲すら持つ部隊である。斥候車を向かわせたということは、捕縛するつもりなのだろうが、適当に弾をばら撒いているようで鬱陶しい。
後輪を滑らせて細い街路を曲がり、さらに逆に折れてクランクを描いて走り抜ける。
射線を防いでいる隙に、ミサキへ煙幕を張るように指示が飛んだ。発炎筒を探し、彼女は助手席の足元へ手を伸ばす。
「そっちじゃない、ケースに入ってる遺物を使え!」
「一本しかない貴重品よ!」
「しゃーねえだろっ」
見た目はよく似ていても、ゾーンで回収された発炎筒は威力が違う。
ミサキの手の内で発動した遺物の筒は、オレンジ色の光を発した。路地を抜け、再び広い直線に出たところで、彼女が外へ筒を投げる。
「ありがたく
最初は煙も遠慮がちに、焚火ほどしか広がらない。追い縋る斥候車は、特に減速することもなく突っ込んで来た。
それが合図とばかりに煙は爆発的に
街全域を覆い尽くすかの如き濃霧は、脱出しようとするセイジの前方にまで広がった。
「ああっ、勘頼りかよっ!」
障害物の無い一直線、そう信じて、全速力で街からの離脱を図る。
銃撃の響きはまだ聞こえるが、もう近くに当たる気配はしない。
草原地帯を北上する道へと復帰した頃、ミサキが振り返ると、ゾーンの街は雲に沈み込んだように霞んでいた。
◇
北の合流ポイントに向かう途上、ニキシマからより詳しく現状の報告を受ける。
第三特殊ゾーンの全てを把握出来たわけではないが、人口が集中するのは南東の街で間違いないようだ。
北西には小さな村が在り、南西、つまりは劇場の近くにも民家が点在しているらしい。他は環状列石の周辺のような丘陵と草原で、特に変わった建造物などは見つかっていない。
国防軍は南から出現し、現在は劇場近くから、南東の街まで封鎖ラインを敷こうとしている。
何れは広大なゾーンを囲む、円形の防壁が築かれるだろう。
第一と第二の特殊ゾーンは、トーチカにも似た無骨なコンクリ壁が建造され、要塞染みた外見を持つ。
流石にそうなるまでには数年を要するため、今の第三特殊ゾーンなら侵入は容易い。追跡屋や掃除屋が、ゾーンを荒らさないようにタイザを占領したのだろうと言うのが、ニキシマの推測だった。
『有人なら国がムキになるのも分かるが……お前ら、他に何か見なかったか?』
「中央近くに、巨石で出来た遺跡らしきものが在った。降下部隊が早々に占領してたよ」
『そりゃ大層だな。遺物があるのか?』
「巨石群そのものが、巨大な
クラネガワは、ニキシマと同行しており、軍の通信を傍受するのに没頭している。
掃除屋チームは、サトウを含む半分がゾーン境界で捕まり、劇場に連れ戻された。セイジたちが寝泊まりした部屋を、そのまま軟禁施設に援用したらしい。
劇場横の立体駐車場には国防軍の発令所が設けられ、タイザの住民は、街から出ることを禁じられた。
「シェールはどうしてる?」
『スカベンジャーの残りと合流して、もうすぐこっちに来る』
セイジたちも、あと十分少々で到着する。再結集、それは結構だが、その後どうするかが難問であった。
ニキシマと話し終えたセイジへ、ミサキが彼の考えを問い質した。
「選択肢は三つ、いや四つかしら」
「挙げてみてくれ」
「一つはこのまま北へ逃げる。一度戻って、ゾーンの遺物を回収してから脱出するのが二つ目」
穏当な方針だと思う。ゾーン北部にはまだ軍の姿も見えず、少しは遺物も拾えるだろう。
しかし、ハンドルを握る彼は険しい表情のまま、首を横に振った。
「巨大ゾーンを前に、ただ逃げるのは面白くない。遺物も、こう草原ばかりじゃなあ」
北東の村は、多少期待できるものの、そちらへは軍も急行すると思われる。
草地にも有用な遺物はあるだろうが、巨石や街を見た後では、出涸らしのようで色褪せて感じられた。
「三つ目は、劇場にいる仲間を救出する」
「国防軍相手にか。無茶な上に、メリットが少ない。敵と認識されたら、拘束では済まないぞ」
「四つ目、南東の街に突入する」
「逆戻りかよ。遺物探しか? それとも、転移して来た住民を助けるのか?」
彼女の返答が無いため、セイジはチラリと助手席へ顔を向けた。ミサキの睨むような厳しい眼差しに、また直ぐに前方へ視線を戻す。
別世界から来た住民は、転移人とも呼ばれる。中には貴重な知識や技術を持つ者もおり、そういった転移人は特殊ゾーンの外で活動しているとも噂された。
彼らの実態こそトップレベルの機密事項で、一体何人が存在するのかも知られていない。
同じ人間である、確証を持って言えるのは、それくらいだ。
「助けたいんだな?」
「ええ……」
「しかし、対策部隊とやり合うのは――」
「分かってる。希望を言っただけ」
国防軍より数は少なくても、最新鋭の装備で固めた対策部隊は、さらに強敵だった。
第一、“助ける”とは、何を指すのかを定義しなくては始まらない。軍の移送を阻止して、どこかの廃棄都市へ逃がせばいいのか。
この世界を知らない転移人は、酷く脆弱な存在だ。生活もままならず、やがて一人ずつ捕まっていくだろう。かと言って、皆の面倒を見てやる訳にもいくまい。
ミサキの思いは理解できても、救出は無謀と言うより、不可能が正しかった。
「もう一つ、気になることがあるだろ」
「……巨石ね」
「あの力と形は、どうも引っ掛かる」
あれこれ二人で推察を重ねつつ、黒熊は北へひた走る。
道路脇に立つ標識は、どれも判読不明の異界の文字で記されており、方角だけが頼りだ。
転移人の使う言語は一定ではなく、今回の文字は大陸系の言語に似ていた。
ゾーンの外に辿り着いたセイジたちは、舗装路を探して山中を走り、旧国道に出るまで山の斜面を跳ね回るハメになる。
平坦な道に出てしまえば目的地は近く、すぐにニキシマたちの車が集まる古いサービスエリア跡を発見した。
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