08. 増幅
自然現象の雷とは異なり、導雷は必ずしも上から下に落ちるものではない。
エネルギーの溜まり場は、上空に出来やすいのは確かだが、地表近くに雷源が生まれることもあり、そうなると真横や逆向けに稲妻が走る。
青光がフラッシュライトのように闇を払う度、セイジは身構えそうになりつつも、二本目のピンを地面に突き立てた。この瞬間が最も危ない。
数秒の掘削で設置を済ませ、岩の近くまで進むと、最後の一本をコートを被せたまま砂利に刺した。
手探りでドリルを起動し、固定されたのを確認して、来た道に目を向ける。
ミサキは彼の様子を窺いつつ、外縁でゴーサインを待っていた。
粉雪を思わせる動きで形成光が漂い始め、刻限が着々と迫るのを教える。
「岩まで走れ!」
荷物を抱えた彼女が、掛け声を合図に蛍火の中へ駆け出した。セイジも大岩に向かうため、ピンを覆っていたコートを剥いで、袖に手を通す。
だが導雷は、そう何度も見逃してはくれなかった。
目の前のピンに雷撃が走り、耳を聾する轟音が鳴り響く。
音速を超える電気の流れが衝撃波を生み、至近にいた彼はミサキの方へ吹き飛ばされた。
彼女の口がパクパクと動くが、何を叫んでいるかは聞こえない。
強打した左の肩甲骨辺りを庇いつつ、立ち上がった彼は大丈夫だと手を挙げる。
「…………!」
「感電したわけじゃない。急ごう」
大岩に着くには走って数十秒、転移の初期段階の内に到達するべく、二人は猛然と足を動かした。
何度か間近を掠める雷に冷や汗を流しながらも、一直線に岩へ向かう。
周囲より幾許か形成光が濃い岩の前の窪地、セイジは勢いをつけてそこへ滑り込んだ。
耳鳴りはやや治まり、雷鳴の轟きが復活する。
「どれが避雷針だ?」
人の背丈ほどはある大岩の陰は、摺り鉢状に凹んでおり、周囲よりやや大きな丸石がゴロゴロと転がっていた。
どうせなら、ピッタリと避雷針同士を固めようと考えて、彼は転移の中心を探るが、それらしき石が見当たらない。
「見分けがつかないわ! この辺りに避雷針を撒きましょう」
「いや、埋めよう。後で転がり出てしまう」
彼の傍らにボックスを下ろし、ミサキが蓋を開けた時、周りの色が失われた。
白色化――残された時間は少なく、膝を突いたセイジは、がむしゃらに穴を掘り始める。
その手を彼女が掴み、大岩の底部を指で差した。
「顔がある」
「えっ、何だって!」
「この岩、彫った跡があるのよ。ほら、顔みたいに目が付いてる」
全体はゴロンとした自然の巨石だったが、確かに地面近くに人の手が加わっている。大きく盛り上がった背中を持つ甲虫、或は亀といったところか。
白色化のおかげで、石の陰影だけが浮かび、逆に形は理解しやすくなった。
甲羅の縁を思わせる切り込みの下に、三角の二つの眼が覗く。口や顎に当たる部分は欠落しており、本当に顔を彫ったものかは分からない。
「妙な形だけど、人工物には違いない。こいつが避雷針……」
「中心は巨石の顔よ」
勘ではあろうが、説得力は十分だ。セイジたちは巨石の顔の下に空いた隙間へ、運んで来た避雷針を順番に押し込む。
トンボ玉、リース、そして各種鉱物が岩に接した瞬間、仄かに光を帯びるのが分かる。肉眼では、よくよく注意しなければ気付かない、避雷針相互の干渉――そして力の増幅。
手近な石を拾い、蓋代わりに並べ終わると、彼らは車へと取って返す。
黒熊に積んだ石版は、この時点では転移円の外に在った。重過ぎて、迅速に運べそうになかったからだ。
細かな避雷針の集合体は、最初はゆっくりと、徐々に加速しながら転移エネルギーを引き出していく。転移範囲はすぐに車を停めた場所にまで拡大し、石版が干渉に加わった。
複数の避雷針の存在は、転移陣を歪ませてしまうだろうが、円が大きくなるにつれ、少々の位置のズレは問題にならなくなる。黒熊は、もう転移の
大岩から黒熊へ、そこから更に川跡の周囲の森へと、形成光が全てを青く染める。
セイジたちが成した結果は、彼らより先に、遠くから観察していた追跡屋たちが察知した。
◇
暗い旧国道に、最初はニキシマの歓声が木魂する。太さを増し行く光の柱を見て、皆が計画の成功を喜んだ。
「やりやがった! よし、ピンを仕舞え。転移が発動したら車を出す」
観測を続けるシェールチームを尻目に、ニキシマのチームはさっさと突入準備を開始する。
機材を片付け、車に乗り込んだチームリーダーが、光に目を向けたままテダに電圧変位の様子を尋ねた。
「拡大スピードは変わらないか?」
「はい……いえ、少し加速しています」
「加速?」
当初、針葉樹の黒い影から伸びていた光の細い筋は、今では夜空を照らすほどに太くなり、確かに拡大スピードは増しているように感じられる。
昨日の大型クラスが来ても大丈夫なように、彼らは余裕を持って中心から離れた位置に駐車した。
しかし、この勢いは突入を待つ者たちの顔を
「変位範囲が谷を越えて、山の中腹に到達します!」
「見えてるよ。ここで止まりゃ、待望の大型なんだが……」
ニキシマたちの車に搭載した通信器から、シェールの声が流れた。
『予測じゃ数分でここまで広がる。後退するよ!』
「ここまでって、都市クラスじゃねえか」
『それで済めばいいけどねえ』
いざ撤退となると、シェールたちの動きの方が素早い。
クラネガワに退避を命じると、彼女は車をバックさせ、Uターンして来た道を戻る。
タイヤの軋む音を聞きながら、ニキシマも決断を迫られた。
「くそ……拡大スピードは?」
「また早くなりました。昨夜の規模を超しそうです」
「意地を張ってもしかたねえか。俺たちも退こ――」
大気がぼんやりと青みを帯びる。
「急拡大です!」
「戻るぞ!」
クラクションで仲間に撤退を合図したニキシマは、シフトレバーを弾いて車を発進させた。
白色化の波が押し寄せる中、仲間がターンするのを待って反転し、先行したシェールたちを追う。
避雷針の群れは遂に同調して、一つの大きな中心を作ろうとしていた。
昨夜放出できなかったエネルギーを、計画通り引き出すことに成功する。そこまでは良かったが、それを呼び水として、近年溜め込んだ転移ベルトの歪みも解放された。
群発性転移は、都市規模程度のエネルギーでは発生しない。タイザの東に生まれつつあるのは地域規模、首都直下型の再現である。
「文様形成中、迫ってきます!」
首を回して後ろを見ていたテダが、転移陣が構成されていくのを報告した。
中心から外側へ、複雑な転移文様が形作られ、何層も重なる光の円盤を構築する。円盤はそれぞれが異なる向きと速度で回転しつつ、ニキシマの車を追い掛けるように拡大を続けた。
「やり過ぎだぞ、キササギ……」
転移陣を振り切ろうと、アクセルを床まで踏み込む。国道の微妙な凹凸のせいで、車体が上下に跳ね、テダは慌ててシートに身を縮こめた。
文様が拡大する速度は、僅かに車速を上回り、陣の端が車の後部を範囲に収める。その瞬間、巨大な力で殴られたように、後輪が右へ大きく滑った。
「し、
「この野郎っ」
ニキシマが咄嗟に逆ハンドルを切ったおかげで、車はスピンを免れて、スライドしたまま道を進む。
タイヤが悲鳴を上げ、テダも思わずヒイヒイと息を漏らした。
「ちょっと地面が傾いただけだ。どこか掴んどけ」
「このままじゃ、発動に巻き込まれます!」
「拡大はいつか止まる!」
タイザに近付けば、直線の下り坂になり、スピードは上乗せできよう。陣が街に届く規模の時は、運を天に任せるだけだ。
車内に漂う光の文様を振り切るため、ニキシマはひたすら前を目指した。
◇
セイジたちが白色化した川底を走り戻り、黒熊のドアに手を掛けたタイミングで、重力変動が二人を襲った。
中心を向いた車体は、左方向に大きく重心がズレるが、深く食い込んだパイルのおかげで、滑りはしない。
運転席に潜り入ったセイジは、助手席に移動して体を乗り出す。
ミサキは足を滑らせ、開いたドアにしがみついて藻掻いていた。
「手を伸ばせ!」
彼女が突き出した右手を掴み、斜面を登るのを助けてやる。傾斜は四十五度くらいか。
足が浮くほどの変動ではなく、ミサキも無事車内に入った――そう二人が一息つきそうになった瞬間、今度は逆方向へ重力が捩曲がる。
開いていた左のドアは、勢いをつけて勝手に閉じた。
「くっ、傾きがキツい」
「セイジ、シートベルトを!」
どんどんと垂直に近くなる傾きに、二人はベルトを締めて対抗する。
仮に車が九十度傾いてもパイルは抜けなかっただろうが、今回は場所が悪かった。
川底の砂利、その下の層はさらに柔らかい砂泥が堆積しており、地面そのものがズルズルと滑り始めてしまう。
土砂が丸ごと崩れ出しては耐え切れないと見たセイジは、レバーを引きパイルを収納した。
「転がるつもり!?」
「流砂に乗る、前輪を任せるぞ!」
転移嵐の中を移動すれば、重力方向は目まぐるしく変わる。大波に翻弄される木葉よろしく、黒熊は土砂の上を跳ね回った。
右に、左に振り回される車を、彼らはタイヤの力を発動させてバランスを取ろうと格闘する。
転移が発動するまでの刹那が長い。
努力も虚しく、結局はゴロゴロと横転を始めた車内で、二人はこれでもかとシェイクされた。
黒熊に、エアバッグなどという安全装置は付いていない。肩を、胸を強打して呻きつつ、セイジは必死で隣のミサキへ目を遣る。
歯を食いしばる彼女の首元が、白色化に逆らって真っ青に輝いていた。ペンダントとして首に掛ける形代だ。
激しい衝撃が、間断無く轟音を撒き散らす中、彼は確かに聞いた。
ガラスがヒビ割れる、
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