終わりに
300キロ以上にも渡るソ連軍の進撃によって、東部戦線に展開するドイツ軍の各軍集団はなぎ倒されてしまった。1944年6月1日から11月30日までのドイツ軍の全戦線における損失は合計で145万7000人に上り、東部戦線での損失は90万3000人を占めた。野戦軍にとって重要な馬匹その他の牽引用家畜も25万4000頭が失われた。各地で撤退を強いられたドイツ軍は結果として、ソ連軍をドイツ本国国境まで導くことになった。
ドイツ軍の南翼に対する戦闘では、ソ連軍に大きな収穫があった。ルーマニアとブルガリアを枢軸陣営から離脱させ、多数の枢軸国軍が赤軍の序列に加わった。これはまた、ドイツ経済に対する大きな打撃を意味した。ルーマニアとハンガリーの貴重な油田と穀物を失い、ドイツは今後の戦争遂行に支障をきたすことになってしまった。
1944年末までに、ドイツの同盟国として残ったのはハンガリーだけとなった。ソ連軍によるハンガリー攻略作戦は軍事的に、ドイツ軍にとって重要な装甲部隊をこの方面に呼び寄せる結果となった。最も危険に晒されているワルシャワ=ベルリンの攻勢軸から装甲部隊がいなくなってしまい、このことが第三帝国の破滅を意味することをまもなく実証されようとしていた。
ドイツ本国では1944年7月の総統暗殺未遂事件を受けて、ヒトラーの秘書長兼個人副官ボルマン、宣伝相ゲッペルス、親衛隊全国指導者ヒムラーの影響が拡大していた。国防軍に対してもナチ式イデオロギーの注入が図られ、政治将校に当たる「国家社会主義指導将校(NSFO)」が増員された。国防軍の欠員を埋めるため、新たな措置も取られることになった。
10月18日、ヒムラーは「
ゲッペルスはニュース映画用のカメラを用意し、ベルリンで挙行された国民突撃隊のパレードを撮影した。東部戦線の兵士たちはこの映像を見せられ、笑っていいのか泣いていいのか分からなかった。
ソ連軍は大きな損害を被りながらも、ポーランドの非制圧地域とハンガリー、オーストリアを攻略できる戦略上の位置を確保していた。しかし、かつては無限と思われた人的資源はほとんど底を尽きかけていた。ソ連軍は兵員の疲労と損耗を軽減するため、砲兵・戦車部隊・航空機を絶え間なく増加させる方法を採用した。
東欧諸国にはソ連軍とともに、クレムリンの支配下にある共産主義者たちによる「影の政府」が入ってきていた。1945年2月に開かれたヤルタ会談で、スターリンはこのような体制を暗黙のうちに合法化しようとしていた。このような手法に対して、英首相チャーチルは特に反発していた。
ソ連軍に残された唯一の問題は、最後の突進で部隊をベルリンまで駆り立てるかどうかという点だった。1945年に西側連合軍がどこで軍事作戦を終結するかが、戦後政治の様相を決定づける最も大きな要素になる。そのことを認識していた西側連合国とソ連の間で「ベルリン一番乗り競争」として、対立が表面化していくのである。
巨人たちの戦争 第7部:蹂躙編 伊藤 薫 @tayki
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