第85話「いえ、なに、恩を売ろうと思いましてね」


 時間にして一瞬のことだ。

 スケットンは視界を覆うほどの氷の槍に肋骨を貫かれた。

 咄嗟にナナシが魔法を使おうとしたのを、スケットンは手で制した。

 そして空いた手を肋骨にあてる。


 スケットンの肋骨は氷の槍で貫かれ、切り裂かれた服と一緒に、ボロボロと地面に落ちて行く。

 ふと、砕けた骨の欠片から紫色のモヤのようなものが上がった。ダムデュラクが不死者の杖イービルワンドを折った時に出てきたものと同じである。

 当たっていたか、とスケットンは安堵しながら膝をつく。そこへナナシが駆け寄った。


「スケットンさん、体が」

「平気だ」


 スケットンはそう言うと、ナナシに支えられながら、目の前の司祭に話しかける。

 司祭は相変わらず微動だにしないが、どこか雰囲気が変わったように思えたからだ。


「司祭サマよ、聖職者サマにしちゃあ、ちっと乱暴じゃあねぇかい」

「……破戒僧などという言葉があるくらいですからな。ですがまぁ、そうであるからこそ、人でありましょう?」


 すると司祭の骨の口から、そんな言葉が返ってきた。声は苦しげではあるが、その言葉はどこかユーモラスで、おどけた調子である。

 理性がはっきりとしてきたようだ。ナナシの【レベルドレイン体質】の影響を受けたのだろう、先ほどまでのおぼろげな様子は薄れている。

 司祭はスケットンに向けていた杖をすい、と下ろすともう片方の手を懐に入れ、中から魔力回復薬マジックポーションを取り出した。

 出てきた魔力回復薬マジックポーションのビンは幾分ひび割れてはいるが、中身の方はまだ半分くらいは残っている。

 司祭はそれ、、をスケットンに向かって投げた。

 割れもの――実際に割れてもいる――を扱うにはぞんざいだが、スケットンは割るようなヘマもせず、それをキャッチする。

 投げ渡された衝撃で中の液体が揺れる。

 波打つ液体越しに司祭の顔を見て、スケットンは軽く首を傾げた。


「いいのかよ?」

「私にはもう、必要ありませんので」


 そう司祭が言い終えるのとほぼ同時に、今しがた投げてよこした方の腕が、ボトリと地面に落ちた。

 司祭の骨の腕は地面に触れたとたんにサラサラと砂に変わって行く。 

 その反応はアンデッドが滅びる時におこるものだ。司祭の体は滅びかけている。それはアンデッドにとって、二度目の死を意味するものだった。

 しかし司祭からは死に対する恐怖を感じられない。

 スケットンは魔力回復薬マジックポーションを掴んだ手を少し下ろし、空洞の目を細めた。


「この間まで馬鹿やってた奴にしちゃ、一体どういう風の吹き回しだ?」

「いえ、なに、恩を売ろうと思いましてね」


 スケットンの問い掛けに、司祭はおどけた様子で肩をすくめてみせる。

 恩、と聞いてスケットンはボロボロになった肋骨に目を落とした。


魔移りスペラードって奴か」

「おや、ご存知でしたか」


 意外そうな司祭に、スケットンはフンと鼻を鳴らした。


「でなきゃ、こんなクソッタレなことやらねぇだろ。……まぁ、外れてたらただの間抜けなんだけどよ」


 魔移りスペラードというのは、名前の通り、魔法が移る、というものだ。

 魔法や呪に長時間触れたものは、その魔法に染まって、その効果を持つようになるのである。

 魔法使いであれば学ぶ過程で教わる事もあるが、魔法使いではないスケットンが何故知っているのか――というと、単純にスケットンは文官であった父親がそんな話をしていた事を聞いたことがあったからである。

 まぁスケットンもそんな事はつい最近まで綺麗サッパリ忘れていたのだが、ナナシの姿が両親と重なることが多くて、たまにふっと浮かぶようになったのだ。自分も大概影響を受けているな、などとスケットンは思った。


 さて、そんな魔移りスペラードだが、実際に発生するには年単位での接触が必要なため、滅多には起きることはない。

 けれどスケットンは三十年以上も死霊魔法ネクロマンシーの触媒である不死者の杖イービルワンドに接触し続けていたのだ。

 ゆえに魔移りスペラードが起こっていても不思議ではない。もちろん、起こっているという確証もなかったが。


「なるほど、だからスケットンさんの身体を……でも、何故」

「先ほども言ったでしょう? 恩を売るためだと。まぁ単純に、一個人の戦力が化け物レベルの勇者様方が、奴に操られたら迷惑だというのもありますが」


 納得半分、疑問半分といったナナシの言葉に、司祭は骨の顔で笑顔を作る。


「……スケットン様の仰る通り、私は馬鹿をやった。けれど、それが間違っていると、死んでも言いたくない」


 司祭は杖を握ったまま、自身の胸を叩く。


「ですので、私が、私だけが納得して、知っていて、それをやったのである――という事にして貰いたいのです」


 司祭の言葉にスケットンは小さく息を吐く。どこかで聞いたような言葉であったからだ。

 スケットンは皮肉を込めて、


「とんだオヤクソクだな」


 と言うと司祭は、


「ええ。ですから、魔移りスペラードです」


 スケットンの肋骨を杖で指し、作り笑顔を元に戻す。


魔移りそれがあるから不死者の杖イービルワンドが破壊されても平気だと、朽ちかけた耳で聞きました。ブラフでなければざまぁみろ、、、、、という奴ですな」

「お前そんな感じだったか?」

「聖職者だって賭博もしますし、花だって買いますよ」


 聖職者らしからぬことを口にする司祭からは、先日見たような狂気は消えていた。

 ひょうきんさすら感じるそれが、司祭の素なのだろう。

 ただ高潔なだけではない、ありふれた気安さ。これが本来の司祭であれば、なるほど確かにルーベンスやダイクは慕うだろう、とスケットンは思った。

 司祭はそのままの調子で話しながら、


「だが駒ではない」


 と、力強く言い放つ。

 それから空洞の目を僅かに伏せた。


「……奴の口車に乗ったのは私です。そして死んだのも私。けれど私はサウザンドスター教会の司祭であり、目的は今も昔も何一つ変わりません。ですから、スケットン様、ナナシ様」


 そこまで言って、司祭はおもむろに膝を突き、その骨の額を地面にこすり付ける。


「どうか――――助けてください」


 何を、と言うのは言葉にせずとも伝わった。

 司祭の頼みは今さらで、都合の良い言葉であるとスケットンは思う。

 だが司祭が口にした言葉はこれ以上にないくらい的確なものだ。

 スケットンは隣にいるナナシの背がスッと伸びたのが分かった。


「聞き耳とはずいぶんだな」

「まさか。あんな状況でのうのうと、その場に残っているはずがないでしょう?」


 司祭は頭を上げない。

 そうしている間にも司祭の体は砂となりサラサラと崩れて行く。

 だんだんとへこんでいく衣服から見ても、もう半分も残っていないだろう。

 スケットンはそれを見ながら、 


「……助けを求められたら」


 と小さく呟いた。

 スケットンの声に、ナナシの目は少しだけ大きく開くと、どこか嬉しそうな様子で、


「助けるのが勇者です」


 と、スケットンの言葉を引き継いで、しっかりと頷いた。

 スケットンは悪者顔で笑うと、受け取った魔力回復薬マジックポーションを頭からかぶる。

 破けた服の隙間から、魔力回復薬マジックポーションによって、肋骨が元の形を取り戻していくのが見える。

 それが治りきる前に魔力回復薬マジックポーションの瓶を、音を立てて地面に置いた。


「――――感謝を」


 ごくごく軽い音だ。

 だがその音を契約の証拠としたのか、司祭は礼を口にする。

 どこか安堵の響きも持ったそれを最後に、司祭の身体は全て砂となり、地面に崩れ落ちた。

 残ったのは服と、杖だけだ。

 スケットンは立ち上がると、司祭であったものの上に転がった、星の紋章が刻まれた杖を拾い上げる。

 

「最期までらしく、、、しろよなぁ」


 スケットンは司祭を哀れだとは思わない。

 司祭のこれ、、は彼自身の自業自得であるし、同情の余地はない。

 だが恩を売られたままというのも面白くはなかった。

 

 という建前で。


「仕方ねぇから、きっちり悪人に仕上げといてやるよ。回復薬ポーションの半分くらいはな」


 司祭であったものに向かってスケットンはそう言うと、杖を強く握りしめた。

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