第84話『サウザンドスター教会のために』


 その魔法には見覚えがあった。


 スケットンは身体を低く構え、水の刃に向けて、自身の魔剣を大きく凪いだ。

 剣風と共に、魔剣の魔力が衝撃波となり、水の刃へと疾風となって向かっていく。

 音と共に水の刃は相殺され、弾けた水の刃は細かい粒となり、スケットンたちの頭上から降り注ぐ。

 雨のようなそれが、体を、地面を叩きつけ、霧のように周囲を曇らせた。


「ただの水か……」


 雨のようなそれを浴びながらスケットンは小さく呟いた。

 そう、ただの水だ。

 スケットンが覚えのある以前のそれ、、には聖水が混ぜられていた。だが今は、どれほど水が身体に触れても、焼けるようなあの痛みはない。

 本当にただの水の刃、、、、、、なのだ。

 もちろんただの水であっても魔法で作られた刃である、その鋭利さは研がれた剣と違いはない。触れた途端に体はずたずたとなるだろう。


 だが、違う。

 使うべきものが使われていない事にスケットンは空洞の目を細め、魔剣を構え直した。

 その視線の先。

 水が落ち切った先で、ゆらり、と現れたのは、スケットンの予想通り、サウザンドスター教会の司祭であった。

 その装いは世界樹で相見えた時と同じだ。

 取り逃がしてしまったので、どこかしらでまた会うだろうとはスケットンも思っていたが、まさかここで仕掛けてくるとは思っていなかった。

 シャフリヤールのアンデッドが襲ってくるタイミングに合わせてだ。魔剣【魂食い】の事といい、やはり司祭はシャフリヤールと繋がっていたのだろう。


――――しかし。


 しかしその司祭だが、どうにも様子がおかしかった。

 姿を現してからずっと司祭の顔は地面を向いたままだ。右手に杖は持っているものの、もう片方はだらりと垂れている。

 全体的に力がない――いや、魂が抜けていると言った方が正しいだろうか。ふらふらとおぼつかない足取りで、司祭はスケットンたちに近づいて来る。

 それはまるで死者のようであった。


「――臭ぇ」


 バルトロメオが呟き、鼻をこする。

 何の事かとスケットンが目だけ向けると、バルトロメオの表情に苦みが走っていた。

 それが憐みであるとスケットンは僅かな間で気がつく。

 その対象が司祭であると分かった時、スケットンは司祭に何が起きたのかを理解した。


 スケットンが司祭に目を戻す。

 司祭はスケットンたちまであと十ほどの歩みのところで足を止め、そしてようやっと、顔を上げた。

 そこに在ったのはスケットンと同様の骸骨の顔だった。


「――――リッチ」


 ナナシが小さく呟いた。

 リッチとは魔法に特化したスケルトンより高レベルのアンデッドだ。

 死霊術師ネクロマンサーや魔法使いたちが永遠の命を得るために、自らの意志でそうなったものであるのが大半だ。

 リッチは、死者が自然になるものではない。だがスケットンには目の前の司祭に理性があるように思えなかった。


 司祭はスケットンたちに杖を向ける。

 不安定に揺れるその杖には、サウザンドスター教会の印である、星の紋章が刻まれていた。


「――――のために」


 その時、司祭の口から掠れた声が零れた。

 スケットンにはそれに良く似た言葉を最近聞いた事がある。

 フランデレンたちのいた屋敷から逃げ出して、そしてスケットンが倒したデュラハンの言葉だ。

 全部は聞き取ることが出来なかったが、何のためにかスケットンには直ぐに分かった。


『サウザンドスター教会のために』


 彼はきっとそう言ったのだ。

 スケットンは自分の中で、とうに失われたはずの血が沸騰するような錯覚を覚えた。

 司祭のした事は決して許される事ではない。

 自らの目的のために、周りを巻き込み、大事を引き起こした。

 その事は決して許される事ではない。


――――だが。


 だが、それでも司祭は、誰かのために生きていた。

 それをシャフリヤールは利用したのだ。死んだあとも――もしかしたら、殺されたのかもしれない。

 どういう経緯で司祭が命を落としたかはスケットンは知る由もないが、そうなった後で司祭はアンデッドにされたのだ。

 死霊魔法ネクロマンシーで蘇ったアンデッドは、基本的に術者の命令には逆らえない。もし逆らったのならば、相当の激痛に襲われる。


 今の司祭の姿は、スケットンが倒したあのデュラハンと酷似していた。

 ラバロンソのためにと術者の命令に逆らって、逆らって――――そして僅かな理性で魔王の器ナナシを殺そうとしたデュラハン。

 スケットンには司祭とデュラハンが重なって見えた。この様子から察するに、恐らく司祭も術者の命令に従う事を拒んだのだろう。


(狙いはナナシか、それとも……)


 激痛に苛まれ、残った理性で掴もうとしたものが何であるか、スケットンには分からない。

 だが司祭がスケットンたちの前に現れたのは偶然ではないだろう。

 僅かでも理性が残っているのならば、まだ生きていたいのならば、攻撃せずに身を潜めていれば良いだけの話なのだ。

 それを司祭はせず、こうして姿を現した。そこには何か意味があるのだ。


 スケットンは一歩前に出た。


「おい傭兵さんよ。こっちは俺様がやるからよ、あっちは任せていいか」

「そりゃ構わねぇが……」


 スケットンは承諾の部分だけ聞くと、司祭を見据える。

 司祭の口は細かく動き、ぼそぼそと詠唱らしき言葉を発していた。


「ナナシ、気をつけてろよ」

「はい」


 短くそう言うと、スケットンは地を蹴り、司祭に向かって突進する。

 十歩の距離を一気に詰めてくるスケットンに、司祭は避ける素振りすら見せない。

 動じない、だが動けないというわけではない。

 司祭は躱さない。眼前で振り下ろされる魔剣を昏い目で見つめながら、完成させた魔法を放つ。


「“氷柱の槌トリアイナ”」


 掠れた呪文スペルが、スケットンと司祭の間に巨大な氷の柱を作り出す。

 スケットンの魔剣が弾かれる。

 その衝撃で柱に亀裂が生まれた。そこから氷柱は割れ、三つの氷の槍へと姿を変える。

 氷の槍はくるくると空中で回転し、その矛先をスケットンに向ける。

 

 一瞬の間、それは風を切り、スケットンに襲い掛かる。


 鋭い音が辺りに響く。スケットンは後ろに跳びながら氷の槍を躱して行く。

 氷の槍は刺さった傍から抜け、再び空中に浮かび上がると、再度スケットンを狙う。

 動く度、突き刺さる度に、氷の槍は解け、砕け、細くなっていく。威力も殺傷力もどんどん落ちて行く。

 だが司祭はそれを止めない。

 現れる直前に見せたような無差別な攻撃ではない。

 明確な意志を以ってそれを操り、スケットンに向けている。


(――――俺か)


 司祭の狙いがナナシではなく自分である事をスケットンは理解した。

 サウザンドスター教会のためにと言った司祭がスケットンを狙う理由はまだ分からない。

 だが、そのために必要だと、なけなしの理性で司祭が判断したのがスケットンを攻撃する事なのだ。


 スケットンを倒そうというのならば、頭を狙って攻撃すれば良い。

 だが、違う。何度も何度も放たれた氷の槍は、一度としてスケットンの頭部を狙わない。

 スケットンは空洞の目で氷の槍の動きを追う。

 足――ではない。腕、でもない。

 氷の槍が狙うのは、もっと体の中心部で―――。

 

 そこまで考えて、スケットンはハッとした顔で、手で肋骨付近を押さえた。


「――――そうか、そういう事か、、、、、、


 そこは不死者の杖イービルワンドが引っ掛かっていた箇所だ。 

 司祭がそこを狙っているとすれば、もしかしたら。

 スケットンはそこまで考えて、覚悟を決めた。


 これは賭けだ。

 頭を吹き飛ばされればスケットンは二度目の死を迎える。司祭の狙いがスケットンの読み通りでなければ、スケットンは滅びるだろう。

 司祭はシャフリヤールに操られて、おかしなフリをしているだけかもしれない。


 だがそれでも、スケットンは賭ける事した。

 敵に賭けるなんて、いよいよ自分もおかしくなったもんだ、とスケットンは思った。

 でも「サウザンドスター教会のために」という言葉を発した司祭の行動を、ただ『おかしい』だけで済ますなと、スケットンの勘が言っている。


 誰かのために。

 スケットンはずっと、その言葉が嫌いだった。

 嫌いであるからこそ――その言葉に込められた想いが愚直なまでに一途である事を知っている。


「やってみやがれ、御同輩!」


 無数の氷の槍がスケットンの目の前に浮かぶ。

 細く、細く――すでに矢よりも細くなったそれらを前に、スケットンは凶悪な笑みを浮かべる。

 スケットンは避けない、身を守る素振りすらしない。

 

「スケットンさん!?」


 ナナシの悲鳴染みた声が響く。

 その声を掻き消すように、空を切る耳障りな音を立てて、その全ての氷の槍がスケットンに降り注いだ。

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