第80話「だがよ、俺は全然、楽じゃねぇ」
「スケットン、さん?」
「何ボケッとしてやがる!」
呆然と名を呼ぶナナシに、スケットンは怒鳴る。
何の抵抗も見せずに殺されるところだったのだ。何をしているのか、とスケットンは思った。
「ああ、骨の勇者サマね。お、ついでにオルパス村の村長サンも来たのか、さっきぶりだな」
一撃を受け止められたバルトロメオは飄々とした様子でそう言う。
挨拶のようにヘラリと笑って言われて、フランは若干戸惑う様子を見せた。
いけすかねェ奴だ、とスケットンが思っていると、背後から強張ったナナシの声が聞こえた。
「……邪魔をしないでください。私が良しとしたことです」
「はあ!?」
思わずスケットンは怒鳴るように聞き返す。
視線だけちらりと向けると、ナナシは表情の消えた顔でスケットンを見ていた。
何だ、この顔は。スケットンは困惑して、ナナシに聞き返す。
「お前、何言って」
「スケットンさん。私、人間じゃないんだそうです。魔王の模倣品なんですって」
「―――――お前」
その言葉に、スケットンは思わずバルトロメオを見た。バルトロメオは小さく笑って見せる。
ナナシがホムンクルスである事は、スケットンもつい先ほど知ったばかりだ。だが、それ以上のものが出てきた。
魔王の模倣品と聞き、驚くスケットンを他所に、ナナシは淡々と呟くように言葉を紡ぐ。
「私……勇者として生きて来たんですよ。それ以外の事は知りません。けれど、記憶がないので。それ以外の何かがあるんじゃないかって思っていたんですよ」
でも、とナナシは続ける。
「でもありませんでした」
ナナシはふっと笑った。諦めの色が滲んだ笑顔だ。
何でそんな綺麗な顔で笑うんだと、ないはずのスケットンの心臓が、ギリ、と痛む。
否、締め付けられているのは心の方だ。
「なかったんですよ、スケットンさん」
ナナシの口から乾いた笑いが零れる。消化しきれない感情が、彼女の赤い目の端から一筋流れた。
「いつか私が消えて魔王になるのなら。私が私でなくなるのならば……私なんていらない」
その瞬間、スケットンの内の感情が爆ぜた。
「――――ッラァ!」
スケットンは怒りに任せ魔剣を振るい、受け止めていた戦斧を、バルトメオごと吹き飛ばす。
魔剣の魔力が風のように、周囲の木々を揺らす。
それはスリジエの枝まで届いた。薄桃色の花弁がはらはらと、二人の上から降りそそぐ。
「お前」
スケットンは魔剣を肩に担ぐと振り返り、ナナシを見下ろした。
逆光がスケットンの体に陰影を落とす。
「死にてぇのか」
静かな言葉だ。
スケットンの空洞の目は真っ直ぐにナナシを見下ろしている。ナナシはその視線から逃げるように目を伏せた。
「…………」
返って来るのは沈黙だけだ。肯定なのか、否定なのかはスケットンには分からない。
だからスケットンは構わずに言葉を続ける。
「お前がいねぇと、俺様は死ぬ。弱っちぃからな。スケルトンレベル1だぜ、冗談じゃねぇ」
スケットンの言葉はあくまで静かだ。だがそこには、微かに怒りが滲んでいた。混ざりけのない純粋で――恐らく本人にとっては不本意な――優しい怒りだ。
「いいかナナシ。お前は死んで楽かもしれねぇ。死んだらあとは何も考えなくて良いからな。アンデッドになったら話は別だろうが、死んだらそこまでだ。それ以上でも以下でもねぇ。死ぬ前に後悔はするだろうが、全部を手放して死ぬのは、すげぇ楽さ」
ナナシは顔を上げない。そして微動だにしない。スケットンもまたナナシから視線を放さなかった。
それは周囲も同じだ。フランも、バルトロメオもアルも傭兵も、誰一人として動かず、スケットンの言葉を見守っている。
だがそんな集まった視線すらスケットンは気にならなかった。骨の顔の空洞の目に映っているのはたった一人、ナナシだけだ。
ずっと孤独で、そして必死で生きて来た、一人の女の子だ。
「だがよ、俺は全然、楽じゃねぇ」
けれどスケットンは手加減はしない。優しい言葉なんて投げかけてやるつもりもない。
だってスケットンは怒っているのだ。
「お前がいねぇと、俺が駄目だ。俺が困る。こんな所で、こんなどうでも良い奴らの前で、適当に死のうとしてんじゃねぇ」
「――――何が」
掠れる声でナナシが反論する。
相変わらず、顔は下を向いたままだ。だがその拳は、色が変わるほどに握りしめられていた。
「何が適当なんです。何が駄目なんです。あなたは勇者でしょう。あなたは一人だって強くて、一人だって生きていける」
ナナシの声は震えていた。足下の地面に、ぽたぽたと涙の粒が落ちるのが見えた。
「でも、でも……私は駄目です。駄目なんですよ。一人も、独りも嫌なんです。寂しいんです。平気だと思っていたのに、全然平気じゃない。こんなの、全然大丈夫なんかじゃない。こんなの、いらない。こんなの、知らなかった。知りたくなんてなかった。一人じゃなくなって気付くなら、一人のままでいれば良かった。そうすれば…………そうすれば、こんな思いなんて、しなくてすんだのに」
ナナシの言葉はだんだんと早くなる。感情が思考よりも早く、彼女の喉から流れ出す。
「嫌です。嫌なんですよ。スケットンさん、私、嫌なんです。私が消えて、魔王が出てきて――――スケットンさんや、ルーベンスさんや、シェヘラザードさんに迷惑をかけるのが、嫌で、嫌で……私でなくなっても……スケットンさんたちに嫌われるのが、とても、とても………………嫌、で、それなら、もう」
最後の方は消え入るような声だった。
スケットンは『ああ』と思った。ナナシの中で、自分たちの存在が、自分が思っている以上に大きくなっていた事に驚いたのだ。
きっと出会って間もない頃のナナシであったなら、そんな事は気にしていなかっただろう。
スケットンは最初に会った頃のナナシを『薄い』と思っていた。それが、内に溜め込んだ感情が爆発するくらいになったのだ。
だからもっと言えば良いとスケットンは思った。
造られただの、魔王の模倣品だの、外野が好き勝手に言っている、
スケットンの目の前で、溜めこんだ激情を吐露しているのは、ちゃんとナナシなのだ。
「お前がお前のままでいてぇなら、俺が協力してやる」
そんなナナシに向かってスケットンは言う。びくり、とナナシの肩が跳ねた。
ちゃんと聞こえている。聞こうとしている。その事に少しだけホッとして、スケットンは続ける。
「……そもそもな。ルーベンスもシェヘラザードも、お前が魔王になった程度で嫌うようなタマかよ。あいつらすげぇお人好しなんだぞ。そうなったらなったで、元に戻そうとするだけだろうさ」
「…………」
「で、だ。あいつらがお前を嫌う事があるのなら、それはお前が勝手に死んだ時だろうよ」
今みたいにな、とスケットンは言う。
「なぁ、ナナシよ。もう一度言うぜ。お前がいねぇと、俺が駄目だ。俺が困る。だから、適当に死のうとしてんじゃねぇ」
スケットンは左手をナナシの方へ差し出す。
「俺が協力してやる。俺が何とかしてやる。だからよ、もっと遊ぼうぜ」
そうしてニッと笑って見せた。
ナナシはその言葉に恐る恐る顔を上げる。泣きはらした目だ。ナナシもこんな顔をするんだな、とスケットンは思った。
ナナシはスケットンの顔と、差し出された手を交互に見比べる。そして躊躇いがちに手を伸ばすと、両手で握った。
微かな震えがナナシの手からスケットンに伝わってくる。
ナナシはスケットンの手を握ったまま、それを少し自分の方へと引き寄せると、
「…………遊ぶ、ですか」
と聞いた。いつか聞いたやり取りだ。スケットンは頷く。
「ああ、そうだ」
「遊んで、いいんですか?」
「遊ぶのに誰の許可がいるんだよ」
ナナシの顔が再び、泣きそうなものに変わる。
だがそれは先ほどのように、悲しいとか、諦めとか、そんな感情のものではなかった。
スケットンにはそう見えた。
スケットンの手を握る、ナナシの力が強くなる。気が付けば震えは消えていた。
そして、
「…………はい」
と、小さな声で答え、頷いた。
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