第57話「あんたがあんたのままでいられるように」


 トビアスは魔族領に近い村の出身だった。

 その村は魔族に対して友好的だった。場所が場所だけに、友好的であることが、村にとっての処世術でもあったのだろう。何故そんな場所に村を作ったのと子供達が聞くと、大人は「領土が広がったり狭まったりしたんだよ」なんて答えていた。魔族領に近いだけではなく、野党や魔獣の問題もあって、何とか生き延びねばという部分から考え抜いた結果が、それであった。

 けれど別に、だからと言って、その村にやって来る魔族は、人間に対して高圧的でも横暴な振る舞いをする事もなかった。

 むしろ人間との交流に慣れない様子でおどおどしていたという印象が、トビアスの中では強い。

 トビアス達が困っていれば手を差し伸べてくれて、逆に魔族が困っていれば手を差し伸べた。そういう関係だった。

 外見こそ違うが、彼らは良き隣人であったと、トビアスは覚えている。


 そういう交流があれば必然的に、人間と魔族が恋に落ちる、という事もあった。

 この時代、両者の混血ハーフは疎まれる事が多い。けれどこの村と、それに関わる人間や魔族にとっては、そういう事はなかった。

 命が生まれれば喜び、祝福し、皆で育て、守る。それが当たり前であった。

 トビアスも、村から出た事がなかったので、それが普通だと思っていたのだ。


「おにーちゃん、あたしね! 魔族のおにーちゃんのお嫁さんになるの!」


 トビアスの妹も、よく村に遊びに来てくれた魔族の青年を慕って、そんな事を言っていた。歳は大分離れていたが、そんな事は気にしない様子で。

 魔族の寿命はまちまちで、エルフのように長命の者もいれば、人間とさして変わらない者もいる。

 トビアスの妹が慕っていた相手を例に挙げると、あちらはエルフの寿命に近い魔族だった。と言っても、まだまだその中ではかなり若い部類に入るのだが。


「じゃあ、もっと料理上手にならないとね」

「お料理?」

「うん。男は胃袋を掴んで落とすんだよって、母さんが言っていたよ。父さんをそれで落としたんだって。イチコロだったって」

「イチコロ? チョロイの?」

「待って! 父さんに色々誤解が発生するから待って! 母さんのご飯は今も昔も美味しいけど!」

「あらやだー父さんったらー」


 そんな家族の会話を、タイミング良く家を訪れた魔族の青年が聞いて、真っ赤になったり。

 世間が思っているギスギスとした両者の関係など何もなく、本当に穏やかで楽しい時間を、過ごしていたのだ。


――――あの時までは。


 その時間が終わりを告げたのは、今から十年ほど前。

 オルビド平原で起こった、過去最大の人間と魔族の衝突だった。

 戦火は広がり、あらゆるところに飛び火し、トビアス達の村も魔族を襲撃するための拠点として明け渡せ、という命令が国から届いていた。

 トビアスの村は、どちらにつくか悩んだ。

 自分達は確かに人間で、この国ラバロンソの国民だ。だが、彼らにとって魔族達は、大切な隣人であり、かけがえのない友だった。


 そして。

 トビアスの村が選んだのは魔族だった。

 自分達が助けを求めても、何もしてくれなかった、何もしようとしなかった国よりも、傍にいてくれた隣人たちの力になりたいと願ったのだ。

 国からの命令をはねのけ、怪我をした魔族を手当てし、食事を届け。戦う力こそ低かったが、それに匹敵するくらい、彼らは戦った。

 戦って、戦って、そうして――――その最中に命を落とし、捕まり、ほとんどが処刑された。

 トビアスの父と母は、子供達を逃がそうとして剣で斬られ。

 妹が慕っていた魔族の青年は、トビアスと妹を助けようとして、矢の雨を浴び。

 そして妹は村に放たれた火で焼かれた。

 生き残ったのはトビアスと、数人の子供だけだった。


「なんで、なんで、こんな事……」

「なんで? ふざけるなよ、お前らが国を裏切ったからだろうが!」


 呆然と呟いた言葉に浴びせられたのは、怒りと憎しみだった。

 裏切るって何だ。

 最初に見捨てたのは誰だ。

 言いたい言葉が喉に押し寄せてきて、言葉にならず、トビアスは何も言えなかった。 


 だが、命は助かったとは言えど、風当たりは冷たいものだった。

 裏切り者、反逆者の子供と呼ばれ、酷い扱いを受けた。子供達は、預けられた先で冷たく厳しく当たられ続け、ほとんどが自ら命を絶つか、満足に食事を与えられずに死んだ。

 また、ある程度、成長していれば戦いの最前線に送られる事もあった。

 トビアスもその一人だった。

 

 碌な戦闘訓練も受けておらず、まともな食事も与えられていない子供が、ただ戦場に放り出されたらどうなるか。

 結果は、火を見るよりも明らかである。




 誰が味方なのか、誰が敵なのか。もはや判別すらつかない戦場を、ボロボロになりながら死にもの狂いで逃げ出せたトビアスは、気が付いたら森の中にいた。

 枝葉の隙間から差し込む日差しを受けながら、トビアスは長い事、ふらふらと森の中を彷徨い歩く。鼓膜が割れそうなほどの怒声も、戦いの音もない森の中は静かで、思いのほか平和であった。

 そんな中をトビアスはふらふらと歩いた。

 腹が減れば、落ちて腐った果実を食べ。

 喉が渇けば、雨で溜まった泥水を啜り。

 そうして何とか生き延びた。

 生と死の境目と言うのだろうか。その頃の自分が、生きたかったのか、それとも死にたかったのか、今もトビアスには分からない。ただ生き物の生存本能が、彼を生かしていた。

 一つ覚えているのは、ただ生きているだけに、何の意味があるのか、常に疑問を抱いていた事だった。

 だが、どれほどに生存本能が彼を生かそうとしていても限界は来る。

 何日か彷徨ったあと、疲労と空腹によって、トビアスはそこで死んだ。


「――――やだ、死にかけてるじゃない! 大丈夫!?」


 その時、天からそんな声が降って来た。

 目だけ動かし、そちらを見れば、獣の耳を生やした女性がトビアスを見下ろしていた。

 顔は、逆光になって見えない。けれど、人間ではない事は分かって、トビアスは少しほっとしたのを覚えている。


「……じゃ、ないわね。これはもう、無理かしら」


 その女性は、困ったようにそう言った。

 彼女の言葉でトビアスは、直ぐそこまでやって来ている自分の死を理解する。

 ああ、死ぬのか。そう理解した直後、唐突に、とある感情が胸の奥から噴き出した。


「――――たくない」

「え?」

「しに、たくない。――――死にたくない」


 力のない、掠れた声だ。それでもトビアスは言わずにはいられなかった。


「僕が死んだんだら、誰も、覚えてない」


 頭の中に浮かぶのは、家族や村の人達、そして、魔族の顔だ。


「魔族が良い人だったって、優しい人だったんだよって。僕が、僕が死んだら、誰も」


 誰も、覚えていてくれない。

 目の奥が熱い。枯れ果てた涙が、熱だけを以って目から零れる。

 優しい人だった。優しくしてくれた。

 冷たい人間達よりもよほど、彼らは温かい人達だった。

 それだけは事実だ。

 それを忘れたまま、誰にも覚えていられないまま。

 魔族が悪だと、言われたくない。


「…………そっか」


 女性は静かに呟いた。その声は、最初のそれよりもずっと、優しくトビアスの耳に届く。

 

「いいわ。あんたを生かしてあげる。本当の意味での生きるじゃないかもしれないけれど――――あんたがあんたのままでいられるように、生かしてあげる!」




 そしてアンデッドとして蘇ったトビアスは、自分を生かして、、、、くれた女性に連れられて、オルパスへとやって来たのだ。

 彼女曰く、ここならばアンデッドも受け入れてくれるはずだ、と。

 竜が守る村だ、その竜から「害意や悪意が無い」と判断されれば、何も問題ないのよ、と。

 女性は、自分は行かなければならな場所があるから、ついていてあげれない。そしてアンデッドになりたてのトビアスを連れて行くわけにもいかないと言っていた。


(大丈夫だろうか……)


 元々、疎まれていたトビアスだ。しかも、さらに今はアンデッドである。何も問題が無い、なんて楽観視するような心の余裕は、トビアスにはなかった。

 けれど、トビアスの心配した通りにはならず、彼女に頼まれたトビアスは村長夫妻は、快諾してくれたのだ。

 トビアスはとても驚いたし、感謝より先に不信感も抱いた。今までが今までだったのである。見ず知らずの怪しい子供を、しかもアンデッドになった者の面倒を見ると言うのだ。夫妻がただのお人好しなのだと思う事は、トビアスには出来なかった。

 だからトビアスは、信用出来ずに距離を置いた。弱みをみせないように、気を抜かないように。緊張で張りつめた毎日を過ごしていた。

 そんなトビアスの心情を夫妻は理解していたようで、それでも変わらず心を砕いてくれた。夫妻の一人娘のティエリは、トビアスがどんな態度を取っても、


「これ、美味しいのよ!」


 なんて言いながら、何とか笑わせようとしてくれた。

 その笑顔が、優しさが、トビアスにはただただ、辛かった。

 家族や村の人や、魔族達を思い出すからだ。だから戸惑ったし、どうして良いのかも分からなかった。

 だからその気持ちにフタをして、気付かないフリをしながら、トビアスは過ごしていた。


 そんなトビアスの感情が動いたのは、ティエリが木から落ちた時だった。

 木になっていた林檎をトビアスにあげるのだと、ティエリは木に登っていた。トビアスが知る限りでは、ティエリは結構なお転婆である。男の子と一緒になって、川で遊んだり、虫を捕まえては転んで擦り傷を作るなど、日常茶飯事であった。

 だからティエリが木に登ると言っても、トビアスは最初「またか」くらいの印象だった。だが、今回は違ったのだ。

 前日に降った雨で滑りやすくなっていたせいか、ティエリは林檎をもいだ直後に、ずるりと身体を滑らせた。


「危ない!」


 それを見てトビアスは、咄嗟に助けた。

 ティエリが地面に落ちる直前、滑り込むように彼女の身体を受け止める。

 その時トビアスは、自分の身体が驚くほどに軽く動く事に気が付いた。恐らく、吸血鬼になった事で、身体機能も変化したのだろう。


「あぶ、あぶな……」


 ぶわり、と汗が噴き出た。

 そして腕に感じる重さと暖かさに、何とか落ちる前にティエリを受け止める事が出来た事に、ほっとした。


「あっあのね、こ、ここ、こんな所で死んだら、めめめ目も当てられないっていうか……!」


 ガチガチと震える口で、精一杯に強がって、トビアスは言う。


「きっ君が死んだら、旦那様と奥様が悲しむだろう? 僕なんか放っておいても良いんだから、もっと、自分を大事に……」


 その時、ぽたり、とトビアスの目から涙が一粒、零れ落ちた。

 いつかのように熱だけではないそれは、ぽたり、ぽたりと次々落ちて行く。

 これは何だ、と考えるより先に、嗚咽が出て来る。

 そうなって初めて、トビアスは自分が泣いている事に気が付いた。

 泣き出したトビアスを見て、驚いたティエリがあわあわと手をばたつかせる。


「ごごごごめんなさい! どうしよう、痛い? 痛いのトビアス!?」

「ちが、びっくりして……もう、本当、何なの君……」


 自分だって驚いただろうに。

 自分だって怖かっただろうに。

 なのにティエリは自分を心配してくれている。思えば、トビアスがこの村にやってきてから、いつもそうだった。

 僅かな思い出が、強烈な光と色を放って、トビアスの頭の中に浮かぶ。

 ずっと抱いていた悲しみを、憎しみを、怒りを、寂しさを、光が照らし、温める。

 押し込めていた苦しい感情と、信じられなかった罪悪感が浮き彫りになって、トビアスはしばらく泣いた。

 そうしていたら、その声に、夫妻も驚いてやってきた。


 そこからだ。

 そこからトビアスは、ゆっくりと彼らの家族になった。

 ティエリも夫妻も、村人達も、トビアスがアンデッドでも彼らは気にしなかった。トビアスの事情を知っても、誰も何も言わなかった。

 何一つ、変わらなかった。

 それがトビアスには何よりも嬉しかったのだ。




――――だから。




「壊されてたまるか……!」


 あの優しい人達を。あのかけがえのない平穏を。

 生かしてもらった身体で、渡された剣を手に、今、トビアスは大事な人達の元へと走る。

 空は濃い赤色に染まり始めていた。

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