第56話「アンデッドには少々、縁がありましてね」
スケットン達が世界樹に向かう少し前のこと。
オルパス村からそこそこ離れた森の中で、トビアスは目を覚ました。
どうやらティエリの魔法で飛ばされた時の衝撃で、気を失っていたようだ。
その時に負った擦り傷か、それともどこかにぶつけたのか、身体がずきずきと痛む。
痛みに小さく呻きながら、トビアスは体を起こした。そこで、身体の上にマントが毛布のように掛けられいた事に気が付いた。
「これは……」
落ち着いた色合いだが、触り心地が良く、高級そうなマントである。トビアスの持ち物ではない。
気絶していたトビアスを、誰かが介抱してくれた時に掛けてくれたものだろう。
トビアスはその『誰か』を探して、周囲を見回した。すると少し離れた場所に、白髪の男が立っている事に気が付いた。
背を向けて立っている男の向こう側には、屋敷の残骸がある。火事か何かで燃え落ちたようで、残った柱は黒く焼けていた。
その屋敷跡の前には、錆びた剣が一本、まるで墓標のように突き刺さっている。
男は屋敷を見上げながら、その件の柄頭に手を置いている様だ。
表情は見えないが、どこか悲しげな雰囲気を纏っているように、トビアスは思った。
もしかしたらこの屋敷に、男の知り合いか誰かがいたのかもしれない。
そんな事を考えながら、トビアスは立ち上がって、男に声を掛けた。
「あ、あの、すみません」
声量は控えめだ。
邪魔をしたら悪いな、とは悩んだ気持ちが声に現れたようである。
男がこちらに気付くまで待った方が良いか悩んだが、それはそれで盗み見ているようで居心地が悪い。なのでトビアスは自分から声を掛けた。
「……ああ、気が付いたのですね。身体の調子は如何ですか?」
トビアスの声が聞こえると、男はくるりと振り返り、人好きのする笑みを浮かべた。
外見は三十代後半くらいだろうか。白髪に、月の色の目をした、穏やかそうな顔立ちの男だ。
身に着けているのはモノクルに、魔法使いや学者の着るようなゆったりとした服である。服装を含めて、こんな所に仲間もなく一人でいる所を考えれば、恐らくは魔法使い辺りの何かなのだろう。
「あ、だ、大丈夫です」
トビアスは、ほっとして頷いた。
助けてくれた相手だと言うのが分かった事と、男の笑顔に親しみやすさを感じたからである。
「そうですか、それは何より。吸血鬼は、身体の破損具合でゾンビへ変化しますから、くれぐれも大事にされた方が良い」
だが、次に聞こえてきた男の言葉に、トビアスの表情は強張った。
男はトビアスの事を吸血鬼だと言った。
吸血鬼としての性質を出してはいない――はず――なのに、即座に見抜かれたのだ。
トビアスは警戒して、思わず一歩後ずさった。頭の中に
アンデッドは生者の敵だ。ティエリ達や、スケットン達が例外だっただけで、基本的には忌み嫌われる存在である。
殺される。
すでに死んでいるのに、そんな予感を抱くなど矛盾しているだろうとトビアスは思う。
だが、まだ。ここで殺されるわけにはいかないのだ。トビアスは男からじりじりと距離を取る。
そんなトビアスを見て、男は目を瞬くと、苦笑した。
「そう身構えずとも。別に倒そうってわけじゃありませんから」
ひらひらと手を振って、男は笑う。そこからは、殺気らしきものも、敵意らしきものも感じられない。
トビアスは警戒を解いて、バツが悪そうな顔で、男に尋ねた。
「……どうして僕が吸血鬼だと分かったんですか?」
「アンデッドには少々、縁がありましてね」
男は剣の柄頭を撫でながら、そう言った。
アンデッドに縁とは奇妙な話だ。トビアスが言うのも何だが、アンデッドは普通ならば、縁が出来る存在ではない。
それを縁という言葉で表現したのならば、もしかしたら
そんな事をトビアスが考えていると、
「それよりも何かあったのですか? 魔法で大分飛ばされてきたようですが……」
と、男が逆に聞いてきた。トビアスはハッとなって顔色を変える。
「あっお嬢様……! すみません、僕、行きます! 助けて下さって、ありがとうございます!」
「いえいえ。――――ああ、そうだ、君。よければ、
男はそう言うと、地面に突き刺さっていた剣を、力任せに引き抜いた。
すらり、と土に汚れた剣身は、そこそこ錆びてはいるものの、全く使えない、という事はなさそうである。
男は剣をくるりと回転させ、手を斬らないように剣身を持つ。そして柄をトビアスに向けた。
その時、炎を纏った狼の紋章が見えた。
「剣、ですか」
「ええ。墓標のようにここに立つよりは、誰かに使って貰えた方が、
「いえ、でも……その、僕は剣を使えないんです」
「え?」
トビアスの言葉に、男は目を瞬く。
そして顎に手をあてて考えた後、すう、と僅かに目を細めた。
「……ああ、なるほど。そのまま蘇らせたのか、中途半端な事を」
「え?」
「いえ、何でもありませんよ。君、お名前は?」
「と、トビアスです」
「では、トビアス君。これを持って下さい」
男はトビアスに、有無を言わさず剣を持たせる。
トビアスは困惑しながらも、落とさないように握った。
剣はずしりと重く、冷たい。墓標のようにと男は言ったしトビアスも一度はそう思ったが、何故か今はそれが骸のようにも思えた。
「あの、持って、何を」
「――――“
トビアスの質問に答えず、男は剣身に触れ、
するとぶわり、と剣から青白い光が噴き出す。
そしてそれはトビアスの身体に
『――――よくも』
地の底から響くような怨嗟の声と一緒に、トビアスの頭の中に、
本当に一瞬で、はっきりとは分からなかったが、どこかの戦場のようだ。
空も、地も、人も。べっとりと赤く染まったその中に、誰かが立っていた。
「――――!?」
ガラン、と剣が手から落ちた音に、トビアスはハッとした。ぶわり、と嫌な汗が噴き出る。
吸血鬼は人の身体に近いとは言え、アンデッドはアンデッドだ。汗や涙などの、身体機能が働くときは、よほど強いそれを感じた時だけである。
(今のは、何だ)
トビアスの記憶にはない場所のはずだ。記憶にはない人のはずだ。
だがその声が、酷く頭の中にこびり付く。
「さて、これで、この剣はあなたの手足同然に扱えますよ」
男は何事もなかったかのように、落ちた剣を拾い上げてトビアスに持たせる。
「い、今、何をしたんですか?」
「とある魔法の応用です。武器に込められた魔力を身体に馴染ませる事で、元の持ち主の戦い方を覚える事が出来ます」
「覚えるって……でも、あれは……」
「戦う力は、欲しいでしょう?」
にこりと笑う男の言葉に、トビアスは言葉に詰まった。
確かに、戦う力は欲しい。アンデッドであるトビアスは、
トビアスは剣を投げ捨てたくなる衝動を飲み込んで、その柄を力強く握りしめた。
「あなたは一体……」
「ただの通りすがりです。それよりも、そろそろ行かなくて良いのですか?」
男はそう答えると、オルパス村の方を見た。
つられてそちらを向くトビアス。その空に、世界樹を覆っていた結界の光が、霧散するのが微かに見えた。
トビアスの目に力が籠る。
「あの、ありがとうございます! えっと」
「シャフリヤールですよ。では、どうかお気をつけて」
「はい!」
トビアスはシャフリヤールと名乗った男に、短く礼を言って駆け出した。
疑問はあるし、不可解な事もある。男を信用するのかと言われれば、二つ返事では頷けない。
だが今は。
それよりも、ティエリ達の方がトビアスは心配だった。
「無事でいて下さい、お嬢様……!」
トビアスの姿が見えなくなると、シャフリヤールは小さく息を吐いた。
そして腕を組んで、軽く首を傾ける。
「――――まぁ、覚えるというよりは、
そして口の端を上げ、楽しげに、そう呟いた。
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