短編小説集 宿無しのサンタクロース

@matsukawa

【宿無しのサンタクロース】 【ある老人の戦争体験】

 【宿無しのサンタクロース】


「よお。どうだい、あんちゃん。上々かよ」


吐く息は白く、体を刺すような寒さの冬の日。雪の降りしきる新宿のとある公園で、間の抜けた中年の声が響いた。


 「どんなもんか。最近じゃあ東京も雪が降るようになって、やりきれねえよ。今じゃあ、缶を拾う手もかじかんできやがる。商売にならないね」


 私がそう言うと、やつはこちらへずかずかと歩いて、私の居城であるブルーシートハウスに、何の遠慮もなくもぐりこんできた。


 「何が商売だよ。職なし、家なし、家族なし、の俺らが缶拾いするぐらいで商売を語ろうってのは、ちとふざけすぎじゃないか……それにしても今日は寒い。ちょっと暖をとらせてくれ」


 「馬鹿いえ。缶拾いだって立派な職業だよ。それに……家ならあるさ。ここが、俺の家だよ」


 そこで、やつは急に大真面目な顔を作ってみせた。

そして少し間をおいてから、酒と不養生のせいで黄ばんで幾本も残ってない歯をむき出しにして笑った。


 「こいつは可笑しい。ここが家なのかい。あはは、馬鹿いうのもいい加減にしな。1LDK風呂なし、ブルーシート付ってか。こりゃ傑作だ」


 やつは、腹を抱えて笑い出した。やつは私のホームレス仲間だ。日中は会わないが、寂しい夜などに酒を抱えてやってきては、あつかましくも私の家にもぐりこみ、一緒に飲もうと勧めてくる。顔には幾筋もの皺がはいった、白ひげの小さな男である。

 私はこのとき、やつに無性に腹が立っていた。それは、この小生意気な中年が私の唯一の財産を馬鹿し、僅かばかり残った尊厳を踏みにじったためである。なんなら、有無を言わさずやつの身包みをはいで寒空の下に蹴りだしてやろうかと思ったぐらいだ。

 しかし、怒りの裏腹に、どこか私のこころをえぐり、センチメンタルにさせるような情念がわきあがってきた。というのも、同じホームレス仲間のやつに馬鹿にされて笑われているというのが、なんだか社会の底辺のさらに底辺へと落とされてしまったように思われたのである。

 私が押し黙って、彼の顔をにらみつけるように眺めていると、やつは私が怒っていると感じたのか、


 「おっと、なにもそうおこっちゃいけねえ。怒っても、夜はあけねえぜ。ほら、これで一杯やろうや」


 そう言って差し出された酒の誘惑にはかなわないのがホームレスの悲しい性だった。




「まったく、おくにはどうしてるんかねぇ。なんたら助成金だのなんとかタイムだのいってるけど、暇があればこっちにも金をまわしてほしいね」


 「そんなこといって。お前、自分が生活保護受けられること知らないのか」


「知ってるよ。そんなことわかりきってる。だけど、一回申請しようと思って役所に出向いたら、あちこちたらいまわしされてよ。その職員の一人は大学出たての風体のネイちゃんだった。そいつがよお、‘‘こちらではなく、ご誕生なさった市町村で申請されたほうが良いと思います‘‘なんて、人をごみみたいな目で見ていいやがるんだよ。こちとらいやになっちゃった」


 と、やつははるか昔に作られた寓話を語るような、遠い目をさせていった。だけど、その目とは対照的に頬はこわごわと、悔しさに駆られた震えをもっていた。不意に、すっとやつの頬をひとすじの雫がたれた。やつはごまかすように、あわてて酒瓶を持った右腕で目を擦った。

 

 「そいつは災難だったね。ところで、お前、故郷はどこだい」


 ここまで来れば、やつにお涙頂戴の話をさせて、彼の溜まった『毒素』を吐き出させる外なかろうと私は決め込んだ。さきほどの怒りと虚しさはまだ忘れられぬが、同じ世捨て人同士、けなしあわずに仲良くやっていくのがよかろう。それに、こんな寒い冬の夜に、酒の肴に一人の中年の昔話を聞くのも悪くあるまい。


 「こちとら、長野だよ」


 「へえ、長野か。いいな」


 おそらくこいつは、東京の生活に夢見て、まだ腰も定まってないのに、周囲の反対を押しのけてやってきた『うちゃらけた』奴だろう、と考えた。すると、それが言葉にも伝播したのか、やつは、


 「おっと、勘違いするなよ。俺は郷里にはちゃんと母ちゃんとデキのいい息子二人がいるんだ。一人は大企業に就職しててよ。もう一人は今時分、どっかの外国に留学してるはずだ」


 「なんだって。じゃあなんで」


 そこで、やつは私の口に人差し指を押し当てて発言をさえぎった。


 「みなまで言うな。おまえの言いたいことはよくわかるぜ。……おれはな、それこそ十年何年も前になるが、東京で一旗あげる気で喜び勇んでこの地に来たのよ。一人の幼子と妻とその腹に宿る小さな命をおいてな。最初は順調だった。だが、この前の不況のあおりを受けて、俺が営んでいた中小企業は潰れちまった。それきり、俺はこの地に骨をうずめる覚悟よ」


 「帰ってやらないのかい」


 私はやつの悲壮な覚悟に一言返すのがやっとだった。


 「こっちにも面子というものがある。本当は嫁さんから、会社設立の軍資金にするっていって家の貯金全部持っていってしまったんだ。それを食いつぶして、おめおめ帰って養ってくれって、調子がいいにもほどがある」


 私はうなずくしかなかった。だけど、先ほど彼に感じた怒りはすっかり胸のうちから排出されていた。


 「なあ。立花さんよ。おめえにも本当は帰るところはあろうが。あんた、うすうす感づいてはいたが、前はそれなりの職業についていたんだろう」


 やつは私を見透かすように鋭い眼光で私をにらみつけた。


 「どうしてそういいきれる?」


 「手だよ。手だ、手を見りゃあ分かるのよ。お前さんの手は綺麗だ。無職になる前はあまり苦労なさらなかったろうし、『家なし』になったのも、そう昔のことじゃなかろう」


 「なるほど、手か」


 私は、やつから思わぬ着想を得て、すこしやつに感心した。なるほど、確かに私の手は、若い時に比べていささか茶色くなっているものの、昔と変わらず、まだほっそりとしている。それに比べて、やつの手はごわごわとしていて、厚く、グローブのようだった。それがやつの路上生活の長さを表していた。


 「お前は俺と違って、幸福になれる。まだやり直せる。な、そうだろ?」


やつが汚い歯をむき出しにして、剣呑な表情で言うものだから、私は耐え切れず吹き出してしまった。だが、この時のやつの真面目さはいつものやつの素行からは、とても考えられるものではなかったので、笑いを咳でごまかしてやつの次の発言を待った。


 「実は、ここに……」


 といって、二重に着込んだ外套から、黒く変色して、ぐちゃぐちゃになった厚い茶封筒を取り出した。


 「五十万ある。しっ。大きな声出すな。実は、この前、変な野郎に絡まれたのよ。酔っていたらしくゆでだこみたいな顔だった。そいつが俺を罵倒した後、いきなり蹴りかかってきた。だが、奴もあさはかよ、俺はこう見えても昔は空手の黒帯で、地元ではそこそこ知られた腕っ節だった。だから、あっという間にそいつを畳んじまってよ」


 と、そこでいったん言葉を切ってから、酒瓶を口にぐっと押し当てて、酒を飲み干した。どうやら、酔わねば話せぬような重大な話らしい。


「だけど、どうやら、そいつはヤーさんだったみたいでな。あんまりに腹がたったから、喧嘩の駄賃とばかりに懐をまさぐったら、シャツが透けてやつの立派な彫り物が顔をみせてるじゃねえか。さすがに俺もびびった。だけど、ここまで来てやめられるわけねえや。そのまま、物色していたら背広からこの茶封筒がでてきてな。そいつを後生大事に抱えてその場から立ち去ったというわけよ」


「で、それでこれからどうするんだい」


 私は話の壮大さに幾分か圧倒されつつも、大金を目前にして、抑えきれない興奮で、肩を上下させていった。


「おめえに全部やる。好きに使いな」


「え。なんだって」


「だから、おめえに全部やるといってるのよ」


 信じられなかった。やつの顔をみた。やつはさっきの剣呑な表情のままだったので、よほど悪酔いしたか、大金を目の前にして思考がとんでもない方向にいってしまったのかと私は狼狽した。


「ば、馬鹿いうなよ」


何度もの逡巡の後、やっと搾り出した私の言葉は、小さな子供のように見栄っ張りで、やつが私をからかっていると決め込む矮小なものだった。


 「俺をからかおうったってむだだよ。おれはこれまでどおりに清貧に生きて路上生活を全うするさ」


 それにかまわず、やつは撥ね付けるように、


 「ほら。持て、もうお前のもんだよ」


 と私に強引に茶封筒を押し付けた。

 

 「え、いいのかよ」


 私は驚いて茶封筒とやつの顔を交互に見た。


 「俺がいいっていってんだ。もう、悪いもクソもねえ。今日は何日か知ってるかい。十二月の二十五日だ。サンタの落し物と思えばいい。ほら、俺の気が変わらないうちに早いとこ懐にいれちまえ」


 奴はそういって笑った。もう汚い歯も気にならなかった。奴が聖人君子に思われて仕方なかった。おそらくやつは大変なお人よしだから、馬鹿正直にいろいろと人の面倒ごとまで背負い込んで、挙句の果てにはホームレスに身をやつすようになったのだろう。自分の人生を見限って、私という赤の他人に、ぽんと金を差し出すその心意気が、どうもやつが神仏の類で、気まぐれにも霊験を授けてくれたようにしか思えなかった。


 「な、お前は俺と違って幸せになれる。お前が暇なときはいつも、かわいい嫁さんと赤ん坊の写真に目を落としているのを、気づかなかったろうが、俺はちゃあんと知ってるのよ」


 やつは全て分かっていたのだ。私が前の生活に思いをはせて、夜は布団にくるまってしきりに妻の名前を呼んでいたことを。懐には常に家族の写真を携えていたことを。わたしは今までの苦労を思い起こし、とめどなく涙が頬を伝った。


 「泣くな。もう、路上生活のことは忘れろ。お前は長い間、悪夢をみていたんだよ。さあ、もう行け。その金がありゃあ面目つくだろ。今まで死ぬ気で働いて貯めましたって、侘びと同時に差し出しな。なんで、おまえがこんな生活をしていたか、皆目検討もつかねえ。が、どうせ、博打ですりまくったか、酒に溺れるかしたんだろう。もうそんな悪癖も、この生活ですっかり抜けちまったはずだ。さあ、早く家族の元にいってやんな」


 もう一度やつの顔をまじまじと見た。やつは変わらず笑っていた。私はその笑顔に吸い込まれるようにして、再び童心に返ったように声をからして泣いた。


 やつが私の背中をしきりにさすってくれて、ようやく落ち着きを取り戻しかけたとき、殺風景な夜の公園には場違いな車の排気音が響いた。

 ブルーシートの切れ目から、外をうかがうと、公園の前には黒いベンツが二台停まっている。


 「いけねえ。奴ら、もうここだと勘付きやがったか」


 「どういうことだい」


 私は、やつの表情から多くを察したが、焦りと不安に駆られてやつに何が起きているのか聞かずにはいられなかった。


 「さっき、ヤーさんから金を奪ったといったな」


 「うん」


 「実は、それもつい先ほどのことよ」


 「なんだって」


 私がそういい終わらないうちに、あたりに怒髪天をつくような凄まじい怒声が響いた。


 「てめえ。組の金うばって逃げられると思ったか。ここにいるのは分かってる。早く出て来い。八つ裂きにされたいか。クソじじい」


 「違いねえ。奴だ」


 やつはこの状況を楽しんでいるかのように、相も変わらず笑みを顔に貼り付けたままだった。


 「おい、早く逃げよう」


 私がそういって腰を上げると、やつは部屋の中をちろりと見渡して、


 「おい、おめえ、もう金はあるんだから、缶カンなんかはいらねえよな」


 「は?なにいってる。そんなことどうでもいいから、逃げるぞ」


 「じゃあ、これはもらっていくからな」


 とつぶした缶が大量に入った袋を抱えて、私がとめるのもかまわず外へ飛び出した。

私はあわててその後を追う。

 やつの周りには五人もの腕っ節の強そうな人間が徒党を組んで、今にも襲いかかろうとしている。


 「こんなアル中のホームレスに五人がかりとは、お兄さん方、ちょっとおおげさじゃないかい」


 と、やつは肩から缶カンの袋をまるでバットでも持つように構えながら、啖呵でも切るような口調で言った。しかし、男たちは聞く耳をもたないようだった。やつの話はまったく聞こえないふうに、しずしずと歩を進め、袋を閉じるように、やつに近づいていく。数人の手には白い鈍い光がきらめいていた。ナイフで武装しているようだった。


 「きそぉーのーナー、なかのりさんーきそぉのーおんたけさんはぁよーなんじゃらほい、なつでぇもーさむいー」


 やつは、郷里の民謡だろうか、耳慣れぬ節の歌をうたいながら、目前の男たちに向けて、おじけることなく、近づいていく。

 私がびくびくしながら、様子をうかがった。と、男たちの中の一人が、刃物を振りかざしてやつに襲いかかった。


 「待て」


 男たちをどやしつけ、私は茶封筒を手に部屋からはいでた。


 「金ならここだ。返すから、命ばかりは助けてくれ」


 もう、金などよかった。この俺のためにここまでしてくれるやつが何よりも、ありがたく、そして親しみを覚えていた。五十万円。確かに、これがあれば面目は立つ。だが、そんな金と引き換えに、朋輩を売ってしまうような悪魔の所業が、どうしてもできなかった。


 そこで男たちは固まって、今度は私に向けてどぎつい視線を送った。


 「てめえ。何してやがる」


 驚いたことに、ヤクザの怒声かと勘違いするほどの迫力で、やつは私を叱った。


 「それもって逃げろといったじゃねえか。え、お前には待ってくれてる家族がいるんだろう。まだやり直せるんだろう。俺の最後の晴れ舞台ぐらい、格好つけさせておくれ」


 やつの口調はだんだんと懇願するように、やんわりと弱々しく変わって言った。

しかし、非情である。男たちは私たちの会話にもお構いなしで、やつに切りかかった。

 やつは、額に刃物のかすり傷を受けながら、叫んだ。


 「さあいけッ。もう二度と戻ってくるんじゃねえぞ。おれのぶんも幸せになってくれ」


 「すまねえ。恩は一生忘れねえからな」


 私はそう言って駆け出した。やつは私のことばが聞こえないふうに、さきほどの民謡らしき歌を口ずさんでいた。


 「あわしょナーなかのりさん、あわしょやりたや、なんじゃらほい……」


 駆けてかけて、随分とやつとの距離が開いたころ、後ろを見やれば、公園の電灯に照らされて、缶カンの白い袋を振り回し、刀を受けて頭から肩にかけて朱に染まりながらも男たちと対峙する、サンタクロースのような恰好のやつの姿があった。

 それは、ある寒い冬の夜の日。俺がまっとうな第二の人生を歩み始めた、クリスマスのことだった。






  【ある老人の戦争体験談】


その頃は、人が死ぬのは当たり前の時代でした。


 私が招集されたのは、十九年の一月になってからです。それから内地で数か月訓練を受けた後、すぐにフィリッピンに送られましてね。輸送船で行ったのですが、内心、海で死ぬのではないかとびくびくしとりましたよ。裸の輸送船二隻で私を含めた数百という将兵が送られるんです。そん時は海軍も回せる船はまともに残っておりませんでしたから。航海中に釣り床でこうして揺られながら―昔は今みたいにベッドなんてなかったからね―寝ておりましたところ、急に騒がしくなってね。おいどうした?なんて戦友に聞いたら、敵の潜水艦が出たっちゅうんです。そしたらいきなり、ボカーンっと大きな音がしてね、船がすごく揺れるんです。ああ、こらあかん、魚雷があたりおった。船が沈んじまう。と思って急いで甲板に上がると、一緒に居った輸送船が赤い炎を上げながら、舳先を上に向けて沈没しかかっとるんです。自分の船が助かったとはいえ、よかったとは思えませんでしたよ。何せ、同胞の船が沈んでるんですから。それから次は俺たちの番かと思って何時間も甲板で身を固くしとると、つい、うとうととなってしまって、寝てしまいました。気づいたら朝ですよ。同僚に起こされてね。敵潜どうしたあーって聞くともういなくなったというのです。


 心底安堵して、ふうっと肩の力が抜けました。沈んだ連中のことがふと気になって、どうなったと聞いたら、拾うことができなかったと。そりゃそうですよね。敵潜が近くにおるのに、海面を漂う連中なんて、拾い上げるはずがない。しかしそれを聞いて私は無性に悲しみや口惜しさがこみあげてきてね。ぽろぽろと涙がでたんです。


 そうしてやっとこさフィリピンにつきました。フィリピンは内地に比べて食べ物がたくさんあってね。おいしいもんばかりでした。


 P屋に行ったら、チップとしてバナナの一本やってね。配置された直後はとにかく楽しいことばかりであったと思います。それから、段々雲行きが怪しくなって、六月になったら、サイパンが陥落したっていうんです。サイパンと言ったら、日本の箱庭のようなところだったからね。本土から近いんです。そこが落ちたとなると、次はやっぱりここに来るでしょう。みんな殺気立って、訓練にも力が入るわけです。上官も、お前らみんな死んで日本を守れと、こう言うわけです。それから気づいたらもう十月になってね。そっからです。敵の侵攻が始まりました。ものすごい空襲でした。沖のほうからはでっかい戦艦が大砲をぶち込んできてね。私は比較的、島の中央のほうにいたんですが、それでも時たま遠雷のように砲声が聞こえてきてね。敵のグラマンやなんかも私んとこまでくるわけです。上官が、フィリピン戦はいざとこの戦争の天王山だから、いざとなったら天下無敵の連合艦隊が助けに来てくれると言ってたんですが、敵の攻撃は全然やまなくてね。逆に日増しに勢いが激しくなっているようでした。だから、もう自分たちで何とかするしかないなと感じました。


夜になってもずっと砲声が続きました。どうやら沖のほうで海戦もやっていたようで、次の日には敵艦隊は全滅したと聞くんですが、敵の砲声はまだまだ聞こえています。グラマンもどんどんやってきます。天下の連合艦隊も敗北したのではないかと思ってね。すると、で味方のどでかい戦艦が沈んだなんて噂を聞きました。空母もやられたというじゃありませんか。こりゃあいかんなと思いました。


 私らは丘の中腹に陣地を築いていてね。敵が来るのを今か今かと待ち続けていたわけです。ずっと待っててもなかなか来なかったですね。私は連日の空襲で頭がおかしくなりそうになってね。早く敵が来てくれんかなと期待していました。いままでずっと撃たれっぱなしだったもんね。早く憂さ晴らしがしたい、そん時は不思議と死ぬのは怖くなくて、輸送船の時以来の口惜しさをずっと抱えていました。


 数日が経った時に、敵戦車を発見しました。きゅるきゅると自転車のタイヤの音みたいなのが遠くから鳴るわけです。部隊は騒然となりました。敵戦車は五、六両いてね、後ろには歩兵が金魚のふんよろしくぞろぞろとついてきている。こっちは戦車なんてたいそうな代物持っていません。対戦車砲しかない。それも三十七ミリとちょっとの貧相な砲でね。私は普通の歩兵でしたから、あたりに展開して敵の歩兵を迎え撃つ、砲は隠れて、敵が近づいて来るのを、ぎりぎりまで待ってから撃つ。そんなみっともない戦いしかできんかったですよ。私は初めての戦でしたから、緊張で足がぶるぶる震えました。敵がだんだん近づいてきて、それとともに、あの、油の切れた自転車みたいな音が大きくなってきて、だんだん発動機の音もでかくなって聞こえてくる。だいぶ近づいたのですが、砲はまだ撃てない。敵の装甲は分厚いですから、よほど近くなければ貫通しない。砲の攻撃開始とともに、私らの射撃も始まるわけですから、ずうっと地べたに伏せて、小銃をにぎりしめながら敵をうかがっている。そうしていると、敵がこちらに気づいたのか、戦車の砲塔がぐぐぐっと動いてね。どおんとぶっぱなしました。それで味方の砲がもろに直撃を食らって吹っ飛びました。


 味方の残っていた砲はそれにはっぱをかけられたように、急に撃ちだしました。かなり焦っていたようですから、照準もめちゃくちゃで、数十メートルも後方にぼがんと落ちる。しょうがないから私たちも撃ち始めました。敵は味方の砲の位置を特定して、的確に当ててくる。そのたびに二、三人が吹っ飛びます。一発味方の砲が敵にあてたのですが、こおんとさぶいぼが出るような金属音がして、跳ね返されました。それで終わりでした。そこから私ら歩兵はがんばって敵の歩兵を撃ちまくってね。しかし、とうとう敵に私がいた小隊の位置がばれました。一台の戦車の砲塔が、こっちを向く。ああ、逃げなきゃ。そう思った時には敵の砲が火を噴いて、急に鉄の壁が押し寄せてきたような衝撃がして、空を飛んでいるような感覚がした後、気絶しました。気が付いた時には、どれほど時間がたったのか、敵のトラックの荷台に乗せられて、寝っ転がっている。横には鷲鼻のほりの深い敵兵がくたびれた顔で座っています。私が起きたのを見ると、眼光を鋭くして、銃口を向けてくる。私は急に恐ろしくなりました。当時は噂では、敵につかまれば、女性は問答無用で犯され、男子は睾丸や目玉をくりぬかれて殺されると聞いていましたから。私は急いでトラックから飛び降りました。その時、トラックは走っていましたが、そのようなことにかまってる暇はありません。すると、足の痛みを感じて、走れない。倒れこんでしまった。足を見ると、ちょうど右膝のあたりからすっかり無くなって、包帯がまかれ、包帯からは血が滲み、滴っていました。もう足がもつれて動けなかったですね。そのまま倒れていると、敵兵が寄ってきて、憐れんだ目で私を見つめてトラックに乗せるわけです。そのままトラックはまた走り始める。今考えると馬鹿ですが、しかし当時の私は噂話を信じ切っていましたから、残酷に殺されるのは嫌だと思い、走っているトラックからまた転がり落ちる。そうするとまたさっきみたいに、憐れんだ目の米兵が出てきて私をトラックまで運ぶわけです。そんなことを繰り返しやっているうちに、米兵が私の手足を縛り付けました。これじゃあどうにもならなかったので、私は今度は戦陣訓の戒めに倣って舌を噛んで自決しようと決めました。しかし、どうにも力が入らない。そして段々顎が疲れてくる。それに気づいた米兵が、今度は布を私の口に押し入れて、縛り、さるぐつわをしました。もう駄目だと思いました。それから何時間もトラックの荷台で揺られて米軍の野戦病院につきました。そこで、きれいな寝台に寝かされましてね。てっきり解剖されるのかと思って、じたばたするのだけど、体中縛られていて、まともな動きが取れない。そのうち、右膝に注射しようとして、注射器を向けてくるものだから、毒薬で殺されると思ってじたばたするけど、ごつい黒人兵が出てきて、私の足をがっちりつかんで動かせない。万力で足を挟まれているようなものすごい力でした。


 そうして、ひざに注射をうたれると、だんだんと膝の痛覚が無くなってきてね。ああ、そこから腐って死んでいくのかなんて、天井を見つめながら無情にもそう思いました。すると、米兵の軍服を着た日本人みたいな顔をしたやつがやってきて、もう大丈夫だと片言の日本語で言うわけです。


 彼が言うには、今、私を治療している。お前たちが考えているように、残酷に殺しはしないと。私は自分の治療のことよりも、そいつのことが気になって、お前は米兵に投降したのかと聞きました。すると彼は、少し悲しそうな顔をして、私は日系アメリカ人だとこれまた片言の日本語で言いました。今度は私以外に、捕まった日本兵はいるかと聞いたら、少し笑顔になって、大勢いる。お前のように気絶していたところを助けた奴がごまんといると言います。そのころには私ももう死ぬ気が失せていました。戦闘は本当に恐ろしくて、もうあんな思いをしたくない。捕虜になってからは、なんだか、ふわふわした気分でね。まるで、本当の人生は気絶した時点で終わっていて、余生が始まったような感じでした。そこで食う飯は、本当においしかったですよ。パンやら缶詰の肉、あと卵なんかも毎日出てきてね。こんな大変な物量では日本は戦闘に負けるはずだと思いました。で、私の後からも、続々と日本軍の負傷兵が運ばれてきました。そいつらと仲良くなって、いろいろ話していたら、味方の戦局は著しく悪いと聞く。そうこうしているうちに、足の傷もだんだん良くなってきました。ある時、米兵がやってきて、上官の命令でお前を連行するなんて言うんです。とうとう銃殺されるのかなと思って身構えていると、私が前に着ておった軍服をぽいと出されて、お前の仲間が投降するのを手助けしろと言われました。私としても、味方の兵を救いたいという気持ちがありましたから。わかりましたと言って軍服を着てね。すると、帝国陸軍の気概がむくむくとわいてきて、それとともに、自分が投降してしまったことに対する自己嫌悪の念が強くなりました。


 戦友たちは次々と死んでいったのに、私だけがおめおめと生きながらえている。部隊に行っても自決しろと罵倒されるだけではないかと。びくびくしながら、トラックに載せられ、米戦車がならんでいる平原に出される。米兵が、ここら辺にお前の仲間がいるから、説得しろと言ってきました。私は意を決して、のどが張り裂けんばかりの大声で、自分の所属と階級を名乗ってから、投降したものはみんな元気で暮らしていて、薬や食料も豊富にある。米軍は強いから、抵抗したらみんな死ぬ。どうか投降してください。そう叫びました。


 すると、この裏切り者めという図太い声がして、擲弾筒を撃ってきた。おそらく、一人の兵の仕業だと思います。弾が、私の目の前に落ちましたが、私の身は事なきを得ました。しかし、アメリカ軍はそれに反応して、攻撃を開始しました。私は米兵に抱えられて、後方の岩の後ろに運ばれて、岩陰に身を隠しました。そこから覗いてると、私の目の前で戦闘が繰り広げられているわけです。私は初めて傍観者となって、戦闘を見ました。いや、私が傍観者としていられたのは、圧倒的な力を持つアメリカ軍に守られていたからで、アメリカ軍の眼から戦闘を見ていたといった方がよかったかもしれません。


 日本兵はもうまとも砲も残っていませんから、やけくそになって裸で飛び出してきます。ばんざーいと両手を投げ出して。米兵はそれをまるで射的の的のように機関銃で薙ぎ払ってね。気づいたら、死体があたりに転がっていました。百名はいたと思います。私が投降を呼びかけたことでみんな死んでしまった。それを考えると気が狂いそうになって、思わずバカヤローと叫びました。二時間ちょっとの間に人が百人も死んだんです。ふつうは何十年もかかって、年食ってから、はいさよなら、とこうなるわけですから。それが二時間の間にみんな死んじゃった。

その夜、夢を見ました。私はあの野原にいて、もう一度投降を呼びかける。あたりは昼間と違って真っ暗でした。ただ月も出てないのに、私の周りはなぜか明るくてね。すると、草の影から、手のないのや、足のない連中がうーんうーんとうめきながら私の足元にすり寄ってくるわけです。そいつらの顔見たら、顔の半分ないのとか眼球が取れて眼孔がむき出しになったのが私に顔を向けている。その時、裏切り者と私に叫んだ奴と同じ声が聞こえて、なんで俺たちは苦しみながら死んだのに、お前はのうのうと生きているんだよと叫び声が聞こえました。ごめんなさい。と叫んだら、今度はもっと憎々しい、怒った大声で、お前も死んでしまえ。呪ってやる、と返ってきた。そいつの姿を探したら、私のすぐ足元で、眼球が両方取れて、眼孔が中まで丸見えの奴が叫んでいるわけです。

 私は、ごめんなさいごめんなさいとずっと繰り返していて、はっと目が覚めました。汗でびっしょりでね。よかった夢かと思ったら、兵舎の外から、呪ってやるとさっきの奴の大声が聞こえてきて、本当に恐ろしくなって、毛布をかぶって朝までじっとしていました。後から米軍の医者に診断されたのですが、どうやら気を病んでようでした。戦闘のショックで頭がどこかおかしくなっていたわけです。おそらく、あの日の夜の叫び声もそのためだと思います。そのうち、フィリピン戦も日本軍が玉砕して、もう終わってしまいました。


 八月になってから、ある時、戦争が終わったと米兵に聞かされました。ある程度予期していたのですが、いざその時を迎えると、どうしようもなく悲しかったですね。米兵のお偉いさんが私たちを中庭に集めて、もう戦争が終わったから、お前たちは故郷に帰れる。と言いました。ほっとしたような気持ち、また、戦死した同胞たちへの思いが体を突き抜けました。


 私は戦後、復員して、故郷に帰るわけですが、東京の下町に住んでいて、輸送船に乗って帰ると、あたりが焼け野原でね。家族は何とか無事でした。ただ、大阪に住んでいた父母は空襲で焼け死んだそうです。妻に、何があったか聞くと、アメリカのでかい飛行機が日に何機も飛んできて、そこら中に爆弾を撒いていったといわれました。


 また、広島にもでかい爆弾が落ちて、何十万人も死んだそうだと聞かされました。


 今でもたまにあん時の戦場の夢を見ます。戦友たちはいつも恨めしそうに、私を睨んでおるのです。靖国に墓参りのつもりでよく行きます。すまん貴様らが死んでしまったけど、俺はこうして生きている。すまないといつも謝罪してきます。やっぱり戦争は嫌ですな。人がどんどんと死ぬ。そりゃあいとも簡単にね。まるで、蟻のようでしたよ。今でもあの時のことを思い出して恐ろしく思うのです。戦争では、なんでみんなこんな簡単に死んでしまえるのかなあと。もうあんな思いはしたくありません。私の話は以上です。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編小説集 宿無しのサンタクロース @matsukawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る