episode4:prelude

 壮美な純白を誇る翼と神々しさのある白銀の髪が闇に溶け込む艶やかしい漆黒に塗り潰され、宝石のような煌めきを放っていた青い瞳は闇夜に映える深紅に染まった元天使の少女達。つい数分前まで自分達の上司だったサラサラのショートヘアを風に靡かせた女の捨て駒にされ、目に涙を溜めて何処へと消えた。


 強風に煽られて薄い雲が流れゆく。滝のように降っていた雨はカラリと上がり、太陽が嫌というほど存在を主張している。


 白銀の短い髪が風にさらわれて目元が隠れた。それを鬱陶しそうに耳にかけた彼女は、己を囲むように現れた壮大な虹にも去っていった元自分の部下達にも目をくれず、塵と化した仲間にも興味が失せ、白軍本部へ戻ろうと踵を返す。


 そのとき、見慣れないにせよ見覚えのないわけではないある民家が視界に入る。


 淡い光に包まれた魔法陣の上に建つ、豪邸と呼べるほどではないがやや大きめの白い一軒家。玄関扉の前に在る表札には先日の会議をすっぽかした女の名が綴られていた。


 氷よりも冷たい眼差しでそれを一瞥し、まるで何も見ていないかのように横を通り過ぎた彼女。


 複数の部下と白軍の重役を一度に失った直後だとは思えぬ冷酷さをその瞳に乗せて、白軍本部へと帰還した。



「……やっと行ったかァ」


 玄関の扉の覗き穴から様子を見ていたフクシアは、光の宿っていない深紅の瞳をきょろりと動かし、彼女が去ったことを確認する。


「何やらかしたか知らねぇけど、ジジィもバッカだなァ。お綺麗な戯れ言なんかドブに捨ててヘコヘコ言うこと聞いてりゃ死なずに済んだのによォ」


 老人が命を散らした虚空を一瞥し、亡き者への暴言と共にクッと嘲笑混じりに口角を上げた。


「ま、私は御免だがな。傀儡になるぐれぇなら死んだ方がマシだァ」


 瞬時に関心が失せたのか覗き穴から目を離した。自分には関係ないとでも言うように。


「今のはお前の知り合いか」


 フクシアの背後からぬっと現れたスターチスに「だーからァ、いきなり後ろに立つなってぇの。心臓に悪ぃなァ」と彼の足を蹴った。


 蹴られた脛を擦り、目で痛いと訴えるも無視された。


「白軍の参謀と大将ォ。ジジィがくたばったから幹部が一人欠けるなァ。ふはっ!こりゃ天界荒れるぞーォ」


 面白そうに口元を歪めたフクシア。何か大変なことが起こるのを確信しているその目を見てスターチスは内心首を傾げた。


 ひとつの組織の幹部が一人欠けたことは確かに大事だ。将軍自ら手を下したといえど、白軍にとってはかなりの痛手であろう。だが遅かれ早かれ黒軍にその情報が流れたとしても何ら変わりない。


 白軍の幹部は戦場に現れても実力を発揮していなかった。つまりそれは実力を出さずとも悪魔を制圧できるということ。幹部ひとり消えたところで力の拮抗が崩れることは万に一つもないのだ。白軍にとっては痛手でも、天界全体で考えれば些末なこと。


 なのに、彼女はまるで天変地異の前触れを予知したかのような確信めいた目をしているのだ。不思議でならない。


 ローブを翻し、玄関近くの部屋をがちゃりと開けた。中へと入りながら彼の疑問を見透かしたように言葉を続けるフクシア。彼も後に続いていく。


「お前みてぇな下っぱは知らねぇだろォけど、あのジジィ色んなとこにパイプ持ってんだよ。そのせいであらゆることの抑止力になってた訳だァ。けどそれがなくなった今、天界は無法地帯と化した。本物の戦争の幕開けだァ」


 誰も使っていないこの部屋は、しかし物が散乱していて物置となっていた。かつて使っていたであろう数々の家具は埃が被っている。窓枠に腰掛けたフクシアはローブに埃がついても構わずに、閉めきっていたカーテンの隙間から外を盗み見た。


 白い翼を広げて、慌てた様子で新聞らしき紙をばら蒔いている天使が数人窺える。白軍の幹部が殺された事実が知れ渡りつつあるのだろう。情報が廻るのがなんとも早い。


 そしてその先には、右目を包帯で覆ったポニーテールの女が鋭い刃のような瞳をギラリと光らせて辺りを見回していた。


「ちっ、あのクソアマァチクりやがったな」


 会議をしょっちゅうサボった罰だとでも言うのか。よりにもよって、自分が一番関わりたくない者を寄越すとは。


 今下手に動けば見つかるだろう。そしたらまた仕事漬けの日々だ。いや、あいつがいるなら更に面倒なことになる。あの様子だと自分を見つけるまでテコでも動かなそうだ。さてどうするか……と思案していると。


「今までの戦争は何だったんだ」


 腸が煮え繰り返る思いがじわじわとせり上がり、なんとも言えぬ虚無感に襲われたスターチスの問い掛けがフクシアの耳に浸透した。


 何かを堪えるような声色に眉をぴくりと動かしたフクシアだが、窓の外から視線を逸らすことなくそれに答えた。


「私からして見りゃゴッコ遊びだァ。だってそうだろォ?悪魔は平気で天使を殺すのに、天使は悪魔を殺さねェ。殺したら悪魔になる。それが枷になって天使は減る一方だしよォ。いいか?戦争っつーのはな、殺し合いなんだよォ。どっちかが殺すだけならそれは戦争じゃねぇ。戦争ゴッコだァ」


 腕を組んで指をトントンと叩き「けど」と続ける。


「悪魔を必要以上に傷付けんなーって厳しく取り締まってた奴が死んだんだから殺し合いは必須。うちの馬鹿どもは狂ったやつが多いからなァ」


 不意に深紅の瞳をスターチスへと向ける。


 怒気混じりに何かを訴える目と視線が絡み、初めて見る生き物らしい表情に微かに目を見開き、そして口元を緩めて胸ぐらを掴み引き寄せる。


「やぁっと鉄仮面が剥がれたなァ」


 ふわり……と、あどけない笑顔で嬉しそうに目を細めたフクシアの言葉にハッとして自分の顔に手を当てる。


 今、自分はどんな顔をしていた?


「命懸けで戦場を駆けたのにゴッコ遊びィって一言で片付けられたら、そりゃ怒りたくもなるわなァ」


 そこでようやく腑に落ちた。


 そうか。自分は彼女の発言に対して憤っていたのか。


 今まで感じたことのない激情に戸惑いつつも、自分のことをひとつ知れて微かに気分が高揚した。そしてそれ以上に、いつもの狂った笑顔ではなく年相応のあどけない笑顔になった彼女をもっと見たいと思った。


 無意識に手が彼女へとのびる。手の甲を彼女の頬に当て、するりと撫でた。


 くすぐったそうに顔を離して「何してんだお前ェ」と眉をしかめる。つい先程の光の宿った瞳はどこにもない。


 それに少しだけ落胆した、刹那。



 鼓膜が破れるほどの轟音が二人を襲った。



 がっしゃーーん!!と、フクシアの背後の窓が叩き割られた音だと理解するのにそう時間はかからなかった。


 割られた窓の硝子の破片が勢いよく飛散する。スターチスは反射的に飛び退き、飛んでくる硝子の破片を寸でのとこでかわしたが、すぐそばにいたフクシアはどういう訳か一歩も動かなかった。


 スターチスの方まで飛散した硝子の破片は何故かぴたりと動きを止め、次の瞬間フクシア目掛けて攻撃的に宙を舞った。


「フクシア……っ」


 咄嗟に彼女を守ろうと手を伸ばしかけたスターチス。だが彼女は四方八方から吸い寄せられるように彼女の身体を穿たんとするそれらを見もせずに、懐の剣を抜いた。


 そして自身の周りを覆い尽くす硝子の破片を目にも留まらぬ速さで薙ぎ払い、床へ叩き落とした。だが全部避けることは叶わず、何ヵ所か傷を負ってしまう。


 左肩に刺さった大きめの硝子の破片が傷口から溢れる液体の色に染められていく。じわじわゆっくり、紅く染まる。


 痛みに顔を歪めることなく、むしろ傷を負ったことに気付いてないように何の反応も見せずに割れた窓の先へすいっと視線を向けた。


 紅い瞳に映るのは、ポニーテールに結ばれた白銀の長髪を揺らし、目尻をまるで殺人鬼の如く吊り上げて鋭い刃を思わせる眼光を放ちながらこちらを見据える青い光を放つ左目。


 茶色のローブの中、フクシアの着ているものと同じ白い軍服を身に纏う彼女。その背には純白の翼が生えている。ダークブラウンのロングブーツがやけに黒光りして見えた。


 窓からこっそり見たときは目視できるか否かという距離があったのに、今や彼女との距離は僅か数メートル。


 フクシアは心底面倒くさそうに眉を顰めるもどこか楽しんでるような目で彼女を一瞥した。その瞳の奥で、どろどろとした狂気が垣間見えた。


 にたり、と寒気がするほど気味の悪い笑みをうっすら浮かべる。


「あーあ、見つかったァ」


 残念そうに、つまらなそうに。でも微かに気分が高揚したような声色で呟いた。


 鋭利な目を細め、フクシアの後ろにいるスターチスを一瞥する。視線を感じた彼も数メートル先で浮遊している彼女に目を向ける。赤と青の目が合うこと数秒。


 途端にフクシアの視界からポニーテールの彼女がふっと消える。と、一瞬のうちに紅い瞳を持つ彼女の背後、すなわち彼の目の前に回り込まれていた。


 スターチスは悪魔である自分を倒しに来たのだと気構える。懐の剣を抜いて攻撃に備えようとした……が、しかし。


 予想に反してポニーテールの彼女は倒すべき敵ではなく、同じ種族であるはずの彼女に牙を剥いた。


 フクシアへと翳した掌に光の粒子が集束する。攻撃対象が自身でないことに微かに驚いた彼は剣を仕舞って無防備な背中を晒している彼女を守ろうと一歩踏み出した。


 ポニーテールの彼女が瞬間的に魔法陣を構築する。そこから現れた光の矢が彼女を襲わんとし、彼はフクシアを守るべく詠唱した。


「おいおい、邪魔すんなよォ。私の遊び相手だぞォ」


 だが詠唱の途中でフクシアが振り返り、不愉快そうに眉を寄せて抗議した。そのせいで詠唱はぴたりと止まる。


 その間にも彼女へと迫る魔の手。



 彼女は魔法を放たなかった。一切抵抗しなかった。


 光の矢が彼女の全てを飲み込んだ。



 ――――かのように、見えた。



「まだまだ詰めが甘いなァ包帯女ァ。そーんなちっぽけな魔法じゃ私の心臓は止まんねェよ」


 二人は声のしたほうに顔を向ける。


 今は使われていないクローゼットの上に胡座をかいて座り頬杖をついているフクシアがそこにいた。ポニーテールの彼女よりもずっとずっと綺麗な光沢を放っている純白の翼を広げ、不敵な笑みを称えてこちらを見下ろしていた。


 つい今しがたフクシアがいた場所に彼女を襲うはずだった光の矢が虚しく輝きを放っていた。ポニーテールの彼女は役割を果たさず無意味に存在しているその魔法を掻き消す。


 と、そこで初めてポニーテールの彼女が声を発した。


「……自分を本気で殺しにかかる奴を“遊び相手”と称し、挙げ句、決まれば確実に息の根を止める魔法を“ちっぽけ”だと言うか。ふざけた女だ」


 心底不快だと言わんばかりに眉間にシワを寄せ、怒りの籠った声色で吐き捨てた。


 フクシアは嘲るようにハッと短く息を吐く。


「お前が弱っちぃせいだろォ。ルドベキア」


「名を呼ぶな」


「無ー理ィ。その歪みきった顔が見てェもーん。あ、それともあれかァ?ルドちゃんって呼んだ方が嫌かァ?」


「その口切り刻むぞ」


「おっかねェ~!」


 けらけらと笑うフクシアにポニーテールの彼女基ルドベキアは忌々しげに舌打ちし、どこまでもふざけた女だと悪態を吐く。



 射るようにフクシアを睨みつけていた視線が不意に外れ、傍観者を決め込んでいたスターチスへと注がれる。


「奴がくたばった途端に手の裏返しか」


 “奴”とは、先刻白軍の将軍が命を刈り取った老人のことだ。


「手の裏返し、ねぇ……最初っから仲間でもなんでもねェ奴に使う台詞じゃねぇなァ」


 そもそも、彼と行動を共にしだしたのは白軍の参謀が殺されるよりも前であるが、わざわざ説明するのも億劫なため閉口した。


 頬杖をついていた腕を下ろし、クローゼットの上から飛び降りる。


 風圧で舞い上がった白い羽根がひらり、踊った。



「私が誰といようがどこで何をしてようが私の勝手だろォ。なァ、ル・ド・ちゃん」


 瞬間移動でもしたかのように一瞬の瞬きの間にルドベキアの背後に回ったフクシア。直ぐ様反応したルドベキアだったが僅かに遅かった。


 フクシアの持つ剣が容赦なく彼女の腹部へ突き刺さる。情けなど不要とばかりに、深く。


 夥しい量の赤い液体が床に落ち、血の池を作り出す。白い軍服は赤く染まり、その背から生えた純白の翼にも付着した。どろりと生温かいものが己の意思に反して体外に吹き出される。


 ぐっと苦痛に表情を歪めた彼女の顔を見て、フクシアは喜ばしげにうっとりと目を蕩けさせた。


「ん~~!イイ顔ォ!そーいうの待ってたァ!ひゅーぅ!ゾクゾクするゥ!」


 興奮混じりにイカれた発言をかますフクシア。


 苦痛に歪んだルドベキアの顔を見て油断していたのか、瞬時に伸ばされた魔の手に気付くのが遅れた。


 肩に刺さったままのガラスの破片が深く押し込まれた。ルドベキアがフクシアの肩を突き飛ばす勢いで押したのだ。


 血が止めどなく溢れていたフクシアの肩から更に鮮血が舞う。


「フクシア……!」


 スターチスが咄嗟に伸ばした手を、彼女は掴むことはなかった。


 スローモーションのようにゆっくり身体が傾く。


 ルドベキアの口元が微かに歪んだ。









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天使と悪魔の境界線 深園 彩月 @LOVE69

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