4・トオコ
4-1話 森でハハジカとはぐれたのか、何やらシカの鳴き声がする
「そんなにおれ、似てるかな、トオコに」と、少し照れくさそうにその女装男子、トオルは言った。
「そうだよ、あの雪の降る朝、陸橋から飛び降り自殺したあたしの友だち、トオコにそっくりだよ! 目がちょっと釣り上がりっぽいところが偽者くさいけど」と、小泉クルミ(9)は力強く言った。
「ほらほらほらほら、また違う話混ぜてる!」と、クルミの幼馴染で、教室(仮)の右斜め前の席にいる内田フタバ(2)は指摘した。
なんの話を混ぜてるかというと、萩尾望都『トーマの心臓』だね。え、知らないのあなた。ふーんふーん、そうなんだー、そうなのかー、それは残念だね、いやー、実に残念だ。
トオルは濃い茶褐色の髪で闇色の瞳を持った男子で、全校集会でもらった「みちびきのたて」(という名前のダンボールの団扇)で胸元に風を送り込んでいた。
1学期のはじめの日にクルミたちと友だちになったトオコは濃い茶褐色の髪で夜明け前の闇色の瞳を持った女子だった。
トオルとトオコは、アニメの登場人物にはありがちな、目と目の間の前髪の垂れ具合が気になって話に集中できない髪型も含めて、実によく似ていた。
「それはともかく、ちゃんとおれが渡した帽子かぶってきてくれたんだな。どうもありがとう」と、トオルは言った。
「それに合わせる服選ぶのに30分ぐらい余計に時間かかったよ! まったくもう、どこで見つけてきたんだよこんな帽子。ハウ・ファー・ディド・ユー・ハフトゥ・チェイスだよ!」と、クルミは英語交じりで怒った。おまけにローマ帝国時代風サンダルは履き脱ぎするのに時間がかかるうえ、教室では指定の上履きなのでおしゃれコーデも台無しである。
なお、全校集会のときは生徒会副会長のコスプレでかかとのある靴を履いていた江戸川ミナト(3)も、教室(仮)では指定の上履きを履いていた。ちなみにフチの色はその学年は赤だったので、ミナトの髪の色には合っていたが、ノーネクタイの女性用スーツには全然似合っていなかった。余談だけれど、21世紀でも全然変わらない、あのカッコ悪い、出来損ないの小学生の運動靴のような上履きが似合う服というのは存在するんだろうか。ジャージぐらいかな。
「その帽子にはちょっとした仕掛けがあるんだ。両耳の下あたりに、ちょっと引っ張れそうな紐が垂れてるだろ。それを引っ張ってみな」と、トオルは言ったので、クルミが言われたとおりにすると、帽子の両端がサーバルキャットの耳のように大きくなって上に広がった。
「あれ、さっきまでクルミがいたはずなのに…なんか隣に動物がいる! どこへ消えたのだ、クルミ?」と、クルミの右隣の席のミナトが言ったので、クルミはあせった。
「何言いはじめてるんだよ、ミナトちゃん。あたしはここにいるじゃんよ、しっかりしてよ」と、クルミは言った。
「隠れていても獣は匂いでわかるでおじゃるよ」と、クルミの左斜め前の席の源氏イハチ(8)は、『柳生一族の陰謀』に出てくる烏丸少将文麿(演:成田三樹夫)の物まねをして、檜扇で顔を隠した。
「だから、あたしはクルミだって言ってんだろ! 獣臭いわけないだろ」
「確かに、これはコジカだな。森でハハジカとはぐれたのか、何やらシカの鳴き声がする」と、フタバは言った。
「ほう、面白いね」と、クルミは言い返した。
「シカの鳴き声ってどんな声よ? 特にコジカ」
む、とフタバは言葉に詰まった。ここでやり返されるとは、と、フタバは思った。あー、ちゃんといきものがかり(仮)の菊村ムツキ(6)に聞いておけばよかった。ムツキなら絶対知ってるはずなんだけどな。
「ブヒブヒ……はイノシシだろうから………キョンキョン?」
「あのなあ」と、クルミは苦笑しながら、フタバの肩をとんとん、と叩いた。
「何かアドリブで言うなら、もうちょい考えてからにしろよ、フタバ」
もちろん作者はオスメスのシカおよびコジカの鳴き声は知っている。トナカイの鳴き声だって知っている。さっきネットで調べたからね。作者が知っていることを、登場人物が知らないということぐらい、作者にとって楽しいことってないよ。
「うるさい! お前なんか今日の狩りの獲物にしてやる」と、フタバはバッグから猟銃を取りだしたので、クルミはあわてた。
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