2話 ご通行中の愚民のみなさん!

 江戸川ミナト(3)は赤尖晶石色の短い髪と、ややつり目の中に琥珀色の瞳を持った女子で、野心的な政治家だった。

 9月の早朝、夏休みだったときと同じようにミナトは、自宅近くの駅よりすこし離れた駅前に立ち、ノート型の携帯端末を見ながら、これからはじめる街頭スピーチのイメージ・トレーニングをした。

 安物のスーツを着ていても高級そうに見えてしまう凛としたスタイルで、薄灰色の高級なレディーススーツを着たミナトは、配下の者にBMW-F03のトランクから黄色の業務用ビールケースを出させ、まだシャッターが降りている銀行の前に置かせた。正確には、置いてもらった、である。配下とは言っても国会議員である父親の秘書兼ボディガードで、ミナトの手伝いはその父の依頼によるものだし、運転手も父親の金で雇われている。さらに車は運転手の趣味で選ばれたものだ。

 お嬢さまの服が汚れないように、と、秘書の男は配慮してくれているのだが、街頭スピーチが終われば埃と汗でぐしゃぐしゃになるので、後かたづけは一緒にやることになっていた。

 さて今日は、学校の仲間の応援、要するにサクラというものがいない、はじめてのスピーチになるが、うまくいくだろうか。夏休みの間は、幼馴染の小林クルミ(9)や学校の図書室の仲間が「どうせ暇だし」とか言って、終わったあとの反省会にもつきあってくれた。しかしこれで本当にうまくいくだろうか、と、ミナトは、内田フタバ(2)が案を出して、源氏イハチ(8)がざっくり仕上げ、寝る前におさらいをした原稿をもう一度見直してみた。

 ビールケースの上に乗ったミナトの背の高さは、ほぼ秘書の男と同じぐらいになった。朝の通勤の人はまだそんなに多くない。その中にはここひと月の間にミナトが顔を覚えた男女も何人かいた。そしてミナトは息を軽く吸って第一声を発した。

「ご通行中の愚民のみなさん! 今日も一日のお勤めご苦労さまです! わたしたちの税金で養われている公僕のおまわりさん、今日もよろしくお願いします! スピーカー使ったりしないで、とりあえずでっかい声で話します! はーいみんな、ちゃんと聞いてるかなぁ? 今朝はぁ、近代世界史上最初の大虐殺と言われてる、オスマン帝国によるアルメニア人虐殺の話をします。みなさんはアルバニアってどこにあるか知ってますかぁ?」

 こんな、ひな壇芸人にニュース解説者が説明するようなスピーチでいいのだろうか、と、ミナトは思ったが、けっこう人は立ち止まったり、あれ、という感じで話を聞いてくれたりしている。今回は「○」かなあ、と、ミナトは考え直した。

「……というわけで、人種差別、レイシズムやヘイトスピーチはいけないのです。ヘイト憎むべし! ヘイトスピーチ滅すべし! であります。みんな、ヘイトスピーチ野郎をぶっ殺せ! キル、キル、キルな、な、なので……」

 そこまで話したら、駅前の交番から警察官がひとりやって来て、苦笑いしながらミナトの肩を叩いてこう言った。

「先生、そこまでにしていただけませんか」

 その「先生」という言い方は、お嬢さん、とか、子猫ちゃん、とかいった言い方よりきつくミナトの胸に響いた。

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