虹色ダーティ・コンフィデンス(NDCまたは物語部員の掟とその細則)

るきのるき

1・出会い

1話 新学期早々遅刻かよ!

 さてここで作者は疑問に思うのだった。第1章が「出会い」というタイトルの物語はいったい世の中でどれぐらいあるのだろうか。思ったより多いかもしれないし、すくないかもしれない。

     *

 小泉クルミ(9)は蒼玉色の髪と、同系色の瞳を持ったごく普通の女の子で、物語の作者だった。

 夏休みの間、毎日夜遅くまでくだらない(かどうかは作者にはわからないものですが。甘エビが自分が甘いかどうかわからないのと同じ。えっ、おれって甘かったの? みたいな)物語を書いていたクルミは、寝牛の形をした目覚まし時計の、クラシカルなベル音で目を覚まし、あー面倒くさい、と思いながら「8:00」という表示を見てびっくりして飛び起きた。

「新学期早々遅刻かよ!」

 しかし困ったことにそれは、急げば間に合うという微妙な時間なのだった。身じたくと朝食と持ち物チェックをして、下り坂を5分、上り坂を10分で行けばなんとかなるかも、と、クルミは計算をした。

 なに今日はずいぶん早いのね、と、母はどたばたしていたクルミに声をかけた。母はキッチンでぼんやりと父と娘のお昼の弁当を作っていた。

 クルミは自宅の近くの、名前を言えば誰でも知っているがここで名前を出すわけにはいかない、ごく普通の私立高校に通っている高校一年生だ。容姿も学業成績もよく言って普通、悪く言えば無難という、物語の作者というよりは日常系物語の主人公にふさわしいレベルなので、たとえばこの話は「わたし」という一人称にしてもかまわない。

 曽祖父の父の時代から住んでいて、20世紀末に建て替えられたクルミの家は3階建てというか2階半建てで、半地下のガレージには父親と母親のための2台の車、それにこの春からクルミが通学に使うようになった自転車が置かれていた。自転車はもともと姉のもので、姉はクルミと同じ高校を卒業して、その高校の卒業生ならほぼ誰でも入れる親大学よりちょっといいけどかなり遠いところにある大学をそこそこの成績で卒業して、今は京都の大学院で建築学を勉強している。

 クルミが通っている高校は、昔から私服でも問題がない(制服はあることはあるけどあまり着てくる生徒はいない)ので、セミロングの髪を雑にサイドポニーにして、きのうのうちに選んでおいた雑な服、というとあまりにも描写が雑だから、適当なポロシャツとほどほどの長さのスカートで、玄関の階段を降りてガレージに向かった。

 夏休みの間あまり使われていなかった紺色の通勤・通学&買い物用自転車を引き出して、クルミは駅までのゆるやかな坂を降りた。クルミの住んでいたあたりは、昔は雑木林と田んぼが広がり、近くの小川にはメダカが泳いでいて水車小屋もあったというが、今は高層ビルと駅前の安い服と安い酒を売ったり飲ませたりしている店が広がっているだけで、昔の名残はゆるやかな坂だけだった。クルミの曽祖父が物語を作り、祖父が再開発して、父が働いている設計事務所が再再開発している町を通って学校まで行く道は109通りあるが(嘘です)、クルミは夜が明けてから間もない、人があまり通っていなそうな路地を選んで大急ぎで自転車を飛ばした。

 クルミの部屋の目覚まし時計は、姉が中学の修学旅行で京都に行ったとき買ってきてくれたものだった。

 その時計は、クルミが坂道を下りはじめたときに正しい時刻を表示した。

 それは「6:20」。

 つまり、デジタルの「6」の縦棒が1本、壊れて余計に表示されていた。

 クルミがいつもの時間にいつもの道を、姉からもらった目覚まし時計で起きずに、姉が使っていた自転車を使わずに通っていたら、物語の展開はすこし違っていたかもしれない。

 ブレーキのワイヤーが切れそうな自転車で、急いでいる人間が坂道を下ればどうなるかというと、当然ワイヤーは切れる。

 でもって…………トラックにぶつかって異世界に転生する(いわゆるトラ転である)。

     *

 もちろんこの話は、そんな展開はしないのである。

 ワイヤーは切れるけどね。

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