第2話

 暫くすると、美和が帰ってきた。

「ただいま、どこ行こうか」

「コンビニ。アイス食べたい」

「いいね」

 そのまま二人で図書館を出た。やっぱり日中は暑い。これはアイス買ってもすぐに溶けるかも知れない。

「あっつー…これはすぐ溶けるわアイス」

 美和が同じことを言った。

「日陰入れば何とかなるかも」

「頑張ろっか」

 コンビニの隣に、座れるところがある。後ろにあるアパートのお陰でいつも日陰になるそこなら、いけるかもしれない。

 コンビニへ行く百メートルくらいの道でも、茹だってしまいそうに暑い。そういえば朝はサッカー部が部活してたなと思いだした。朝でも普通に暑いのに、よくやる。

 アイスコーナーには、大量にアイスが収められていた。カリカリくんを取り出し、美和は味の付いたブロックアイスを取った。

「…あっついコンビニ出たくない」

 そんな愚痴が、つい口をついて飛び出した。

「それ」

 何とか日陰まで移動して、そこに座って食べ始めた。

「あーつめてーうまー」

 空を見上げながら、美和がそう言った。

「アイス最高」

 ソーダ味のカリカリくんは、こんな暑さによく似合う。でもちょっと暑すぎて、日陰でも油断すればすぐ溶けてしまいそうだ。

暫く、無言でアイスを食べた。コンビニの駐車場に車を止め、出てきた人にちらりと見られた。

 溶けて手を汚す前に食べ切れた。美和もちょうど同じ頃に食べ終えたらしく、ゴミを捨てる準備をしていた。

「…ねぇ」

 ふと手を止めた美和がぽつりとそう声を掛けた。

「ん?」

「…現実なんて、見たくないよね」

「どうした」

「…何となく」

 唐突にそんな話をした美和の目は少し暗い。美和はたまにそんな目をすることがある。何故かは知らない。

「…見たく、ないよね」

「…うん」

 それきり黙ったかと思うと、いきなり立ち上がりゴミ捨ててくると言った。真衣のも捨ててくるよ、と手を差し出された。素直に甘えてその手に袋を乗せると、心なしかわざとらしく歩いているように見えた。わざと弾みながら歩いているような。

 戻ってきた美和に、心を決めて聞いた。

「…何か、あった?」

「何も」

 それ以上は何も言わなかった。私も、それ以上言えるわけが無かった。

「ねぇ、海行こ」

「海?」

海に近いこの街は、確かに行けない距離では無い。でも、そんな急に。

「今から行って暫くしたら、多分夕日が見られるよ」

「暫くって、日が暮れるまでまだ結構あるじゃん」

「いいじゃん、それまで待てば」

「…まぁ、そうだけど」

 行こ、と催促する美和に、まぁいっかと思った。海も、暫く行けてない。海は眺めるだけでもきっと楽しい。

「いいよ、行こ」

「やった」

 そして、海に向かって歩き始めた。

 道中かなりあったはずだけど、何も言わなかった。ただ、歩くだけ。

そんな沈黙を破って、不意に美和が話し始めた。

「親がさ、離婚しそうなんだ」

「え」

 あまりにも唐突だった。さっきの暗い目はそういうことだったのかと腑に落ちたが、そんなこと全く聞いたことが無かった。あっても言わないのが普通だろうけど。

「…そうなの」

「…まぁ、前からそんな雰囲気はあったんだけどね。詳しくは知らないけど、そういう話してるの聞いちゃったんだ」

「…」

 普段から美和は明るいから、その分もしかしたら溜め込みやすいタイプなのかも知れない。相当悩んでるんだろうな、と思った。

「遊んでたい…現実なんて見たくない」

 半ば呟きのようなその言葉が、耳を打つ。

 さっきとは違う沈黙が出来た。何も言わない、むしろ言えない。そんな沈黙。

 海が見えた。光が波に浮かんでは消えている。遊んでいる小学生だか中学生だかのグループや、少しの観光客らしい塊しか見えない海は、市街地に近いところにしては静かだった。

「海ー!」

 日陰にあるベンチにかばんを置くと、美和がそう叫んだ。その顔は、さっきより少し明るい。

「海ーっ!」

 私も続いた。勉強してない罪悪感まで吐き出すように。

 どさりとベンチに体を降ろすと、美和も座った。

「海ってやっぱだだっ広いね」

「そうだね」

「こんな広いと何か気持ちいいわ」

「ね」

 海の日陰は、風のお陰で大分涼しい。穏やかな海は、何だか気持ちまで落ち着かせる。

「やっば、ずっとこうしてたい」

 美和が呟いた。

「今日も塾行かないでおこうかな」

「お、真面目ちゃん卒業し始めてる」

「でしょ」

 それきり、また何も喋らなかった。

「本当に夕暮れまでいるつもり?」

 一時間くらい経った頃、美和にそう聞いた。本当に何もしなかったから、ほっといても美和はずっとここにいそうだと思った。

「いるよ」

「日が暮れたら」

「まだいるかもね」

 ふふ、と少し笑った。

「流石に夜の海は怖くない?」

「うーん…それもそれでいいかも」

「…帰らないの?」

「帰りたくないなぁ」

 そういう美和は、少し自嘲的に笑っていた。どこか子供っぽくも思える。美和は、目を逸らしたいんだ。現実から。

 子供でいたいんだ。

「…なら、私も付き合ってようかなぁ」

「夜まで?」

「うん」

 やったー、と呟いて、美和はまた笑った。さっきより嬉しそうには見える。

「このままいられたらいいのにな」

 そう言うと、海を眺めだした。

 本当にこのままいられたらいいのに。

 そしたら、私も受験勉強から逃げられるのに。


 日が暮れ始めて、空も海も眩しいオレンジ色に染まった。

 何枚か写真を撮る以外、何もしなかった。

 オレンジ色がだんだん弱まると、次は紺色が海を染めた。この後来るのは真っ暗な黒だ。

「ほんとに日暮れまでいたね」

 美和が笑った。途中で退屈だって言いそうなのに、一言も言わずにずっと座ってた自分に少し驚いているらしい。

 辺りが急速に見えにくくなっていく。夜になる準備が進んでいる。

「ねぇ、美和。帰ろう」

 ぼんやりと美和の肌が白く見える頃合いになって、そう言った。

「…夜までいるって言ったじゃん」

「ここ、治安悪くなるよ。飲み屋街近いし」

「…そうだね」

「帰ろ。駅まで送るから」

 渋々と言った様子で、美和は立ち上がった。

「…帰る」

「帰ろう」

 かばんを持ち、元来た道を歩いた。明かりが眩しい夜の街は、昨日の祭りを思い出させた。あんな風にどんちゃんしてるの、実は昨日だけじゃ無かったかも知れない。そう思うと少し興ざめした。

「…帰りたくない」

 とぼとぼ歩きながら、隣で呟いた。

「…そうだね」

「ずっと、何も気にしないままでいたかった」

「…」

 美和には、いつもの明るい表情は無かった。

 そして、私はバスに乗り、美和は駅前の道を家に向かって歩いた。


 そのまま週末に入った。

 大人しく塾へ行って勉強しようとしたけど、頭に入らない。嫌だ、大人になんかなりたくない。そう思うと、やっぱり美和のことが頭に浮かぶ。

 美和、大丈夫かな。

 あんな辛そうな表情を、私は見たことが無かった。

 私は受験勉強なんて現実から目を逸らしたいし、美和は家のことから目を逸らしたい。

 苦しい。

 子供でいたい。

 そう思えば思うほど、出来ないのが現実なんだろう。

 シャーペンを置いて、窓の外を眺める。

 高校最後の夏休み、こんな苦しみ見たくなかった。



 月曜日、図書館へ行くと美和が既にいた。

 泣き腫らした目をしている。

「…美和」

「…真衣…」

 外へ出て、何があったのか聞いた。

「…真衣、やっぱり現実から目を逸らすなんて出来ないよ」

「…」

「私、一人で生きなきゃ」

「…え」

「お母さん、再婚するんだって。離婚したら。それで、家族を持つから、私、自立して欲しいって言われた。私、要らなかったんだ」

「…美和」

「…だから、私、来年から一人で生きなきゃいけないんだって。私…大人にならなきゃ」

 真っ赤な目で、無理やり笑いながら美和はそう言った。

「子供みたいに、何も気にしないなんて…やっぱり無理だった」

「…」

「…もう、素直に大人になるね」

 そう言って笑う美和は、今まで一番綺麗に笑っていた。


 それから美和は、志望理由書や願書をきちんと仕上げてしーちゃんに褒められるようになっていった。夏休み明けには、きちんと全て揃えて出願できた。

 私も、ちゃんと勉強するようになった。成り行きにも親の言い分にも負けた進路に向けて、勉強した。

 二人で遊んだりもしたけど、もう塾の時間までには解散するようになった。美和も早めに家に帰るようになった。何も気にせず笑うなんて出来なくなっていた。

 大人になるんだ、私達。子供と大人が共存する夏休みが終わっちゃったから。

 夏祭りも海も、随分遠い出来事のように感じる。


 もう少し大人になれたら、きっと今のことを笑えるのかな。

 もう、何も分からない。

 ただ、やるべき事をやって大人になるだけだ。

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ある夏の終わりのこと 四夏 @shinatsukai

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