公園の中の夢

緑風渚

公園の中の夢

 夜はいつもの世界が違ってみえる。パラレルワールドのようだ。いつもの世界とは同じようで同じじゃない。いつもの自分は寝静まっているころ起きている自分は一人この世界にいるようだ。

 気づくと家を出ていた。足は自然と公園に向かっていた。

 父さんや弟とサッカーをした、中学受験が終わってから友達と馬鹿みたいに遊んだ、初めて好きになった女の子に告白して振られた、思い出の多い公園に。

 夜風が寒い。いまさらパジャマのままであることに気づいた。自分はどうしてしまったのだろう。

「どうしたんだい? 少年」

 いきなり誰かに話しかけられて、ビクッとしてしまった。そこにはフードを被った二十代前半ぐらいの男の人が立っていた。黒いパーカーに黒いズボン。かなり怪しい人だ。

 無視しようと思った時フワッといいにおいがした。

「無視しないでよ。話しかけてるんだよ」

 男を見るとベンチの隣に座ってこちらを向いて微笑んでいた。そこまでされたら。しぶしぶ答えようとしたが、さて何と答えればいいのだろう。明確な理由はなく気づいたらここにいたのだが、そんな風に答えたら根掘り葉掘り聞かれそうだ。いっそ嘘をつくか。しかし自分はうまく嘘がつけない。どうしようか。

「あなたは何をしているのですか?」

 質問返しだ。

「何って、難しい質問だね」

 男はまた不敵な笑みを浮かべて僕をみた。

「まぁ、ホームレス、かな」

 え、思わず声が出てしまった。この男が、ホームレス? 僕の思っているホームレスとはいくぶん違った。

「君、今この人が本当にホームレスって思ってるでしょ?」

 僕は曖昧にうなずく。

「まあホームレスでもないんだけどホームレスでいいや」

 この男はよく見ると端正な顔立ちだった。目は大きく、鼻筋もきれいで、イケメンだった。

 なんでこの男がホームレスなんてやっているのだろうか。何か事情があったのか。

「それで、少年はなんでここに来たの?」

「いや、何となく。というか、自分でもよくわからない、です」

 男は不思議そうな顔をした。

「ふーん。そんなことあるんだ。とりあえず今日は帰りな。寒そうだよ。風邪引いちゃうから」

 気遣ってもらった。

「じゃあね」

 僕は男にペコリと頭を下げて家に戻った。なんだか夢の中みたいだった。


 次の日、僕はあの男の人についてずっと考えていた。白い肌。整った顔立ち。あのいいにおい。その事が頭からまったく離れなかった。

 なぜ自分は公園に向かったのか?そしてあの人は何者なのだろうか?。

 やはりもう一度会いに行くしかない。あの公園に。昨日は何時ぐらいだったのだろうか。寝ぼけていたから覚えていない。

 とりあえず今日はパーカーを着て行こうと思い、まだ街が寝静まっていない二十三時頃、僕は一人で公園に向かった。

 昨日はなんともなかったが、今日は同じ夜道が怖く感じる。

 公園に着くと昨日のベンチにあの人がいた。

 声をかけようとしたが、その人はなにか考え事をしているようで、虚空を見つめていた。

「あの、こんばんは」

 話しかけると、その人は驚きながらこっちを見てやがて嬉しそうに笑った。

「こんばんは、昨日の少年。いや今日の少年かな」

 なんだか不思議な言い回しだ。

「どうしたんだい。まさか僕に会いに来たのかな?」

 そんなところです、と答えるとその人はパッと明るくなり

「本当かい。それは嬉しいね」

 僕は一番気になっていたことを聞いた。

「なんでお兄さんはホームレス、なんですか?」

 その人は一瞬顔が曇った。やっぱり聞かない方が良かったか。しかしすぐに明るくなり

「なんで、って言われても難しいね。気になるのかい?」

 僕は頷く。

「じゃあ少しだけ話そうか。おいで」

 僕はベンチに招かれたので隣に座る。

「君は人を好きになったことはあるかな?」

 僕は首を横に振った。

「そうだな、じゃあ分かりにくいかもしれないけど、僕は中学三年生のときある人を好きになったんだ。でもその相手は男の子だった。」

 頭が混乱する。相手が男?

「簡単に言えば僕はゲイだったんだよ。ホモといった方がわかりやすいかな?」

 信じられない。この人がホモ?

「なんだか深刻そうな顔をしてるね。まぁそうだよね。いきなりカミングアウトしちゃったからね。ごめん。この話は忘れていいよ。そうだ、学校の話でもしようか?学校は楽しい?」

「まぁ、それなりには」

 夜の時間はゆったりと流れていた。僕は中学校のクラスの話や部活の話、気になっている女の子の話など気づいたらいろいろなことを話していた。その人は黙って僕の話を聞いてくれた。

 一通り話終えてのんびりとした沈黙が流れた。

「そういえば、君名前は?」

「野崎賢人です」

「ケント君か。いい名前だ」

「あの、あなたは?」

「ん、僕?僕は有島カイト。カイトでいいよ。じゃあ今日はこの辺で。じゃあね」

 一方的に話を切り上げられてしまい、じゃあね、と言いかけたが声が出なかった。代わりに手を振ると、カイトさんも手を振り返してくれた。

 白い街灯が薄暗く照らす住宅街の夜道を歩きながら、僕はカイトさんについていろいろと考えてしまった。ホモ、ゲイ、男の子を好きになる。忘れてと言われたが忘れられる訳もなく、僕は一人で今日の話を反芻した。


 次の日も僕はあの人、カイトさんについて考えていた。昨日はホームレスになった理由を聞きに行ったはずなのに気づいたら自分が話をしていた。

 また今日も会いに行かなければ。

 学校から帰るなり仮眠をとり、夜になるのを待った。

 薄暗い道を歩いていても何故か怖くない。それより早くカイトさんに会いたかった。

「こんばんは」

 カイトさんはニコッと笑ってこっちを見た。

「こんばんは。ケントくん」

 僕は今日も事前に考えていたことを言う。

「昨日結局いろいろ考えたんですよ。恋とか人を好きになるとか。でもよくわからなくて」

 そう言うとカイトさんは少し悲しそうな顔をした。

「そうだよね。いいんだよ。いきなりわかってもらおうなんて思ってないから。昨日の話の続きをしようか」

 僕は頷いた。

「僕は中三のときにある男の子に恋をしたんだ。最初は普通の友達だった。でも仲良くなっていくうちに違う感情が沸き上がってきた。この子とずっと二人きりでいたい。自分のものだけにしたい。この子と一緒になりたい、って。そのときわかったんだ。あぁこの子のことを好きになったんだな。でもこれはおかしなことだと思っていた。友達と話していて、男が男のことを好きになるなんてありえない、と。でも僕は気持ちを抑えられなかった。僕は彼に告白したんだ。君のことが好きだ、って」

 僕は話を聞きながら、好きという感情がはっきりとわからなかった。

「あの、好きになる、の定義がわからないんですけど、好きになるってどういうことなんですか」

 と聞いた。

「じゃあなんで僕に会いに来てくれたの?」

 それは、会いたかったから……?

「そう、それが好きという感情のひとつだよ」

 そう言われて僕のこころはストンと音をたてて一つの穴にはまった。

「これは友愛に近いと思うけど。好きに定義なんてないんだよ。人それぞれ違う感情のことを、好き、と呼んでいるんだよ。でも誰かに会いたいと強く思う気持ちは好きと呼んでいいんじゃないかな。」

 僕らは星を眺めながら語り合った

「話を戻そうか。告白したんだけど彼にはわかってもらえなかった。さらに告白した噂は広がり僕はホモと馬鹿にされるようになった。僕は深く傷ついたよ。それが原因って訳じゃないけど、周りは信じられなくなったし、親も同性愛をわかってくれなかったのが辛かったよ。だからここにいるんだよ」

 なんだかこの人の気持ちがわかってくるような気がした。

「みんなと違うことは駄目なことなんだよ。でもどうせみんなと違うんだったら、みんなと同じことをする必要はないのかな、って思ったんだよ」

 みんなと違うことは駄目なこと。

 僕はその言葉を反芻した。

「人はどんどん変わっていける。毎日変わっている。昨日の君と今日の君が違うように、僕も毎日自分の中でいろんなことを考えて生きていった。そのあと彼ともう一度話してみた。受け入れてはもらえなかったけど、理解はしてくれた」

「なんだか、大変だったんですね」

「でも言葉にして整理するのは大事なことだよ。君も昨日いろいろな話をしてくれたけど、何か大きな悩みを抱えているんじゃないか」

「何かって?」

「それは自分で見つけるんだ。そして自分の言葉にするんだ」

 カイトさんに言われて僕は真剣に考えた。しかし、なかなか答えは見つからなかった。

「君に話したから少し僕も整理がついたよ。君ももっと誰かと話したり、自問自答するといいよ」


 次の日は雨だった。どうやら東京では梅雨入りが発表されたらしい。

 カイトさんはどうしているだろうか。僕は気になったので傘をさして公園に向かってみた。

 そこにカイトさんの姿はなかった。

 なんだか僕は自分が夢を見ていた気がしてきた。鮮明な白昼夢(いや正確には夜だから黒夜夢だろうか)を見ていたのではないかと。

 カイトさんは実はホームレスなどではなく、高校生ぐらいの僕に似たような人なのではないか。僕はそんな気がしてきた。もしかしたらカイトさんも悩みを抱えていたのではないかと。

 僕も悩みが見つかったのだ、なぜ生きているのか。それがわからないでいたのだ。だから中学校生活も物足りなく感じていたし、毎日がもやもやしていた。

 その後も雨の日にカイトさんは現れず、もうそれ以来会うことはなかった。


 カイトさんに会えなくなっても、僕は公園に行っていた。心が落ち着くし、いろいろなことが考えられるからだ。自問自答ってやつだ。

 ある日、いつものように夜の公園のベンチで星を眺めていると、人の気配がした。

「こんなところで何してるんですか?」

 中学生ぐらいの男の子に話しかけられた。

 僕はこの時初めてカイトさんがホームレスを名乗った理由がよくわかった。

「まあ、ホームレス、かな」

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