猫又の尾の先に

まめつぶ

猫又の尾の先に

 吾輩は猫である。……などと、偉そうなことを言う猫と思ってくれるな。私はただの茶トラの飼い猫、だった。

 私はある男に飼われていた。主人は私の倍ほどの歳を取っていたが、人の中ではまだ若い方だっただろう。

「お前とずっと、一緒にいたかったなあ」

 老いた私が息を引取るその時の、ぼうと見上げた主人の顔の全く情けないことといったら。ともかく、私の世界は一旦そこで幕を閉じた。

 

 

 一度、死んだのだろう。それから目が覚めて、暗い場所からなんとか這い出ることができた。体は猫にしてもやけに軽く、今なら空も飛べるはず、とまで思えるほどだ。面白い、面白い、と思ってゆらゆらと尾の先を振っていると「生前」の具合とは少し違う気がして、どうしただろうかと振り返った。

 ……なるほど、猫又とはよく言ったものだ。しなやかに伸びる茶色の尾は、二つに分かれていたのである。その気になれば人の言葉すらも話せる気がするが、そこはそれ、私はもともと猫であるから黙って喉を鳴らしておくことにする。

 そうして猫又になった私がまず何をしたか、想像できるだろうか。

「お前は……」

 そう、私は私の主人に会いに行ってやったのだ。幸いにも這い出た先は生前の私の縄張りの中だった。歩き慣れた道を、急ぐでもなく家へ向かい、塀の向こうに見慣れたそれよりもまた少し頼りなくなった主人の顔を見つけた。

 それにしても全く無粋な主人だ。可愛がっていた猫が戻ってきたのなら、まずはうるさく名前を呼んで、鬱陶しいほど抱き締めて、目が回るほど頭を撫でる、そういうものじゃあないだろうか。あろうことか主人は私を「お前」などと呼び、その場に突っ立ったまま、しばらくは呆けていたのである。私はぶん、ぶん、と尾を振った。

 

 

 とにかく、それからはずっとずっと、主人は猫又の私と暮らした。春は縁側で主人と並び、夏には涼しい沢に一人散歩に出た。秋には主人が焼いた秋刀魚を少しばかり失敬し、冬には硬く大きな膝に乗ってやった。単なる猫であれば、もう何度の命を廻っただろう。

 しかし、猫又になったとはいえ私は阿呆だった。生前から、人生というものは果てのないくらい長いものだと思っていた。私が猫又になったというだけで、主人とずっと一緒に過ごしていかれるのだと思っていた。いや、いや、気付いていた。主人の髪は白くなり、肉は萎びて、床に就いていることが多くなってきた。そしてそれがやがて何をもたらすのかということに、もうずっと気付いていたのだ。

 近頃は乾いた餌ばかりが皿に入っている。それに今朝はなかなか起きてこない。昨夜酷く咳をしていたから、あまり眠れなかったのだろうか。寝坊助め。仕方がない、私が直々に起こしてやろう。

 にゃあん。枕元で一声鳴いてみると、主人はうっすら目を開けてぼうと私を見た。

「ああ、あの時、お前もこんな気持ちだっただろうか」

主人の掠れた声が私の心を撫ぜた。きっと今、主人の目には私の凛々しく美しい顔がぼんやりと映っていることだろう。……ああ、主人もこんな気持ちだっただろうか。

 一緒にいたかったと、お前がそう言ったんじゃあないか。なんだ、お前、死んでしまうのか。つまらない。

「……にゃあ、缶詰をおくれよ」

熱い喉の奥から言葉を捻り出し、二股に分かれた尾を主人の手に擦り付けると、主人はそれは幸せそうにふうわりと笑った。

「はは、お前……やっと話せるようになったか」

 ぽろぽろと、大粒の雨が数滴、畳を濡らしていた。

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猫又の尾の先に まめつぶ @mameneko

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