カルマの塔:宿命の剣

 ウィリアムは嗤っていた。燃え盛る紅蓮の中心で立つ男、自らの血を継ぎ、自らが育み、世界が完成させた怪物。彼もまた紅蓮の中で柔和な笑みを浮かべていた。まるで此処が楽園とでもいうかのように。そんなはずはない。ここは間違いなく地獄で、彼がそれを美しいと思うはずがないから。

 彼は美しいものが好きだった。理路整然としたモノもそう、自然を、温かな穢れのない空間を愛していた。そんな幼少期であった。人の性根は容易く変わらない。どれほど大きな絶望を前にしても、狂気と言う皮を被っても、その下には本当の己がいるものだ。

 己を捻じ曲げ、騙し、彼は笑顔の仮面を被っている。其処に映っている景色は太陽と月ほどにも違うだろうが、それでも二人の仮面は同じモノ。自分を、世界を騙すための道具。

「この光景を見て笑うか」

「父上がそうであるように」

 同じモノを共有する二人であるからこそ、その下にあるモノが手に取るように分かる。ここまでの死闘は親子の語らいで、これより先は死別が待ち受けている。存分に語り合った。両者にとってこれ以上ない至福のひと時であった。

 だからこそ、終わらせなければならない。

「視界は得ました。次で、終わらせます」

 アルフレッドは居合いの体勢を取った。次で終わらせる。一撃必殺と心に決めたことを暗示する構え。覚悟を決めたのだろう。心を鬼にして、世界に愛する者を捧げてでも成し遂げたい願いが出来たのだろう。

 自分と違う道を往き、自分と同じ結論に辿り着いた。


 この世は平等ではない。

 グラスになみなみと満ちたぶどう酒を呷る者がいれば、幾度も足踏みされた泥水をすする者もいる。暖かな毛皮に身を包む者もおれば、薄っぺらな襤褸を纏う者もいる。

 この世は幸福ではない。

 生まれた瞬間、人は格差の海に落ちる。金持ちの子、貧乏な子、貴族の子、農夫の子、奴隷の子。奴隷に生れ落ちたが最後、這い上がることを上は良しとしない。

 この世は残酷である。

 誰かの幸せは誰かの不幸せ。一定量の資源≪リソース≫をめぐり、人は争い、奪い、殺す。生きるとは屍の上で踊ることである。狂え、喰らえ、犯せ、殺せ。

 この世は、地獄である。


 世界は全てを幸せにするには貧し過ぎ、足りぬモノが多過ぎる。ならばリソースを拡張するしかない。王侯貴族すら欲望を満たせず争い合う世界、多くを満たしてなお足りぬのが人間だというのなら、さらに満たそう。人と言う器が溢れるまで、世界という巨大な器がはちきれるまで。何処までも突き進む。それが人である。


 この世が平等ではないのなら、この世が幸福ではないのなら、残酷で、地獄であるのなら、悪意すら塗り潰すほどの光を、全てが溢れた先にある真の平等を目指そう。

 それこそが真のアルカディア。


 そのためならこの手がどれほど汚れていても構わない。どれほど傷つこうとも構わない。だって許せないではないか。完璧ではない世界など。これほど美しく、雄々しく、壮大な世界を創った神が、何故このような未完成の世界を創ったのか、人を創造されたのか、どう考えたところで納得できる答えは無い。神のいたずらで流れる涙が、血潮がある。

 それだけでも許し難いではないか。

 ゆえに我らが導き手として神を超える。神が与えぬというのなら、自らの手で完璧を掴み取る。そのために流れる涙を、血潮を、屍を踏み越えてアルカディアへ至るために。

 二人は今日、世界を導く王を継承する。


 アルフレッドの手によって燭台の火が死体に燃え広がり、ウィリアムが用意した暗闇と障害物の策が看破された。代わりに彼は噴煙によって深い呼吸を封じたことになる。何かを手に入れるために何かを捨てる。視界の代わりに呼吸を捨てた。

「今更言葉を重ねても無意味、か。よかろう、決着の時だ」

 それもまた王道。勝つためならば何でもするべき。王が負けることなどあってはならないのだ。王が負けるということは国が負けるということ。国が負けるということは人民が寄る辺を失うということ。

 覇者が新たな導き手となるならそれも致し方ないが――そうでないならどんな手を使ってでも間違った存在を正さねばならない。

 時には自らの手を汚してでも。

「私が王と成ります」

 悠然とウィリアムは歩を進めた。王とはこう言う者であると、全身で語りながら。真っ白な服は血にまみれどす黒く変色している。はためくマントの真紅とは全く異なる色合い。これが修羅の道を乗り越えてきた王の姿。

 屍の上で一人立つ男の姿。

 アルフレッドは涙をこらえながら腰を落とした。

 ただ一振り、其処に全てを込める。

「簒奪者が。余を誰と心得る!? 覇国アルカディアの王にして蛮人共の時代を終わらせた英雄ぞ。その俺に勝つだと? 百年早いわ小僧ッ!」

 今、アルフレッドの目の前には途方も無く積み上げた巨大な躯の塔があった。その頂点に立つ一個の王。目眩がするほど、吐き気を催すほど、その光景は常軌を逸していた。これが彼の積み上げた業なのだ。

 そしてそれこそが彼の原動力なのだ。

 だが、それに尻込みする程度ならばこの場所に立っていない。震える心を、怯える魂を抑えつけ、アルフレッドは王者の仮面を被る。オリュンピアの決勝以降、ここまで休ませた全てをここに投入する。

 すべては今までの旅路にあった。良いも悪いも、多くを見てきた。このローレンシアを、ローレンシアを飛び越えた先も、多くを見てきた。美しい世界があった。感動する光景があった。そして、それ以上に悲しい現実があった。

「余は絶対にして不滅。心せよ、今の俺は、世界で最も強いぞ」

 あんな悲しい笑顔は否定されなければならない。笑顔とは美しく、それゆえに人は笑うのだ。辛く苦しい現実を誤魔化すために渇いた笑みを浮かべる、そんな悲しい光景を消し去るために自分は立つ。

 世界は美しくあるべき、それが次なる王の信念。

「……超えます」

 そのために自らが美しさとはかけ離れる覚悟もある。

 王の黄金。全てを圧倒する煌きが彼の身体から立ち上る。呼吸無くとも、集中など無くとも、体に染み付いた動きは澱みなく放つことが出来る。『点』、極限のタイミングを逃すことはあっても、スペック差で押し切る。

 今の自分ならそれが適う。

 黄金の王道が其処に在った。

(これがお前か。凄まじいモノだ。呼吸を、技を縛ってなお、この強さ。武のみに注力する怪物どもには届くまいが、王としては破格極まる力だ。よく、ここまで磨き上げた。だからこそ、俺も手抜きはせん。これまでの全てを賭した俺を超えねば意味がないからだ)

 アルフレッドがウィリアムの王道に臆したのと同様に、ウィリアムもまた黄金の王道を前に足がすくむ思いであった。それほどに息子は強大になった。あらゆる策を利用し、相手の強さを縛ってなお互角。

 死を目前にして限界を超えた己で互角。

 器が耐えきれずとも武を極めんとする怪物たちと渡り合える。彼らと戦うことを諦め別の道を徹底し頂点を取った己とは違う。本物の才能。王の器として間違いはなかったとウィリアムは改めて思う。

 それが自分の想いと相反するとしても――

 ウィリアムはマントをはためかせ、悠然と互いの間合いに入った。双方、使用する剣の長さがまったく等しく、背丈も似通っている以上、間合いは同じ。居合いの構えを取り、相居合いと相成る。同じ構えのように見えるが、互いの辿った道筋がほんの少しの差異を生む。同じ結果にはならない。

 しばしの静寂。揺らめく炎の中、二人の間だけ時が止まっていた。

 幻想的な炎。その中でウィリアムの横目に何かが過る。躯として自らの足元に横たわる彼らが、自らの最後を見届けに来たのだろうと内心自嘲するも、二人、手を繋いだ人物の影を見て揺れる心。

 自らが名を奪った男とそれによって最愛を奪われた女。

 憎むべきである。どんな道の先であろうと、彼らには憎む権利が、義務がある。それなのになぜ彼らは、皆一様にあのような貌をしているのだろうか。まるで、もう十分だ、といたわるようなあの眼を見て――ウィリアムは自らを鼓舞する。

 許されようと思う心が産んだ幻影。あれに呑まれてはいけない。自分の犯した罪は死してなお消えることはない。永劫、償い続ける義務があるのだ。

(俺は……ウィリアム・リウィウス。全てを奪い頂点に立った男だ!)

 自らを断罪する一撃。あらゆる武を喰らい尽くし、自らにとって最善を突き詰めた先で到達した剣技。その代表である居合いが奔る。最善最速、これ以上なく器の限界まで高めた剣。その至高を発揮した。自らすら驚くほどの完成度。

 王として、親として恥ずかしくない剣が其処に在った。

 アルフレッドは後の先、相手の動き出しに合わせて居合いを放つ。ルシタニアの本場でかの国が積み上げた歴史を乗せた一撃。普段であれば届きようがない完成度。そもそもアルフレッドはウィリアムの居合いをほぼ完全に模倣していた。それを超えた本物を手に入れたレイの剣である。

 本来であれば重なるはずもない剣。しかし、ウィリアムは土壇場で、蝋燭の炎が消え入る瞬間、一瞬の輝きをここで見せた。ほぼ同着。ただし、それはアルフレッドにとっても想定の範囲内であった。互角で打ち合うならば力で勝る己が勝つ。

(そう、思っているな!? 俺を、舐めるなッ!)

 その想定を覆す。刹那の中、さらにウィリアムは燃え盛った。自らを燃やし、自らの業を燃やし、自らの人生を乗せた最後で最高の一撃を。

 接触の瞬間、アルフレッドの眼が見開かれた。それは想定を超えた、ウィリアム・リウィウスがこの天才をさらに上回った確かな証左。

(ふ、ここに来て、俺は、王座よりも、積み上げてきたこの武を――)

 アルフレッドもまた土壇場でさらに開放する。もう、明日は必要ない。腕がもげてでも勝利をつかむとばかりに、全力全開の紅が放たれる。

 刹那の押し合い。互いの意地と意地とがぶつかり合う。

 勝利への執念。彼らはやはり、親子であった。

 だが、宿命が――彼らの舞台を終幕へと導く。

「……因果応報、か」

 折れた剣が舞う。今まで酷使し続けてきてなお刃こぼれ一つなかった名剣が、まるで天命を迎えたかのようにぽっきりと折れたのだ。

 残った方の剣は健在。それを打ち直した男の執念が今、ここで明暗を分けた。

 炎の中で『ウィリアム』が悲しげに微笑む。彼の声はこちらに届かないが、それでも口の形で何となく意味は受け取れた。

『お疲れ様、もう一人の僕』

 ウィリアムは嗤った。度し難い幻を見た己に、嗤った。

 血潮が舞う。赤き血が、眼に入る。やはり人の血は紅い。自分も、他者も、血の色に違いはなかった。同じ生き物であることを再認識し、やはり嗤う。

 最後まで度し難い執着。ここまで辿り着いてなお消え入ることの無かった暗い感情。あの日、人ではないと言われた。違う生き物だと言われた。そう考えると、自らはあの言葉を否定するために戦っていたのかもしれない。

 もう、言った当人の貌すら忘れてしまったが。

 ウィリアムは静かに膝を屈した。自らから流れ出る血を見つめながら。

「父、上ぇ」

 我慢の限界を迎え、それでも必死に泣くまいと耐える息子を見て、ようやく自覚に至る。

「終わり、か」

 自らの死を。病でもなく、寿命でもなく、意義のある死を迎えることが出来た。

 ここに継承は成ったのだ。

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