カルマの塔:信頼に値する者たち
オリュンピアが開かれる前、王の招集により古参の面々が集められていた。
「ヒルダが招集に応えるなど珍しいな」
グレゴールの疑問にヒルダは青筋を浮かべながら――
「あたしにだけ王命寄越しやがったんだよ、あのカス」
「カス? 今陛下のことをカスと言ったか? この売女が!」
「売ったことねえわ、この腐れホモ野郎!」
いがみ合うヒルダとアンゼルム。あたふたするグレゴールをよそに我関せずとばかりに無表情なギルベルトと何故かハルベルトを磨くシュルヴィア。
そして――
(なんで自分がこんなところに御呼ばれしてるんすかねえ?)
隅っこで震えているイグナーツの姿があった。
「すまぬな、急に呼び立てて」
「隙あり!」
「こらこら」
ウィリアムが現れた瞬間、とびかかるシュルヴィアをグレゴールが抑える。集まればギスギス、長年経ってもちっとも変わらない、むしろ悪化している惨状に隅っこのイグナーツはお腹を押さえて「帰りたい」とこぼす。
「何の用だ? 俺たちに陛下が望むことなど考えつかぬが?」
「ん、まあ、ギルベルトの言うとおりだ。もう全員一線を退いた身、いまだ役割のあるアンゼルムやイグナーツはともかく、俺たちまで呼ぶ理由がわからない」
いきなり名前が出たことにびくりとするイグナーツだが、誰も触れずにそのまま会話が進行したため割愛。
「皆の力を借りたい」
「ハァ? だから今のあたしらに何が……まさかあんた」
「戦争を起こす気か?」
全員の眼がギラリと光る。アンゼルムだけは歓喜の色であったが、それでも懸念はあるのだろう、話しの続きを待っていた。
「敵は我が息子、時期は数年の内に、と言ったところか」
アンゼルムとイグナーツを除く全員が得物を引き抜き構えた。
さすがは乱世を潜り抜けた武人。並大抵の圧ではない。
「何故帯剣を禁じなかった?」
その中で誰よりも先んじ、アンゼルムが制止する間もなく王の喉元に剣を添えるギルベルト。あまりにも早く、躊躇いのないそれにウィリアムは微笑む。
「ここには俺の信頼する者たちだけを集めた。ゆえに必要がなかった、それだけだ。ギルベルト・フォン・オスヴァルト」
立場とは真逆、睥睨するギルベルトの眼に情はない。
「俺は病だ。数年の内に、死ぬ。今も化粧をして健在であると見せているだけ」
ヒルダは無言で近づき、ウィリアムの頬を撫でる。指についた付着物を見て、その下にあった青白い生気のない肌を見て、顔をしかめる。
「王権をなるべく意味のある形で移したい。その協力を願うために君たちを呼んだ。あくまで願い、だ。命令ではないのがミソ、だな」
いつもの語り口、しかし化粧による仮面が崩れた今、それはなお痛々しさを増していた。アンゼルムなど今にも崩れ落ちそうな気配を見せている。
「王権を誰に移すつもりだ?」
「我が息子、アルフレッドだ」
「先ほど敵と言いながら?」
「しかり、敵として俺は息子に殺される。それが筋書きだ。俺という存在を一片の欠片すら残さずに利用し尽くして、次に繋げるための、な」
ウィリアム・リウィウスの凄絶なる覚悟。
「ウィリアムさんの含まれていない次って、何のためにやるんすか? 息子さんのためっすか? それともほかに何か――」
我慢しきれずに口を出してしまったイグナーツだったが、錚々たる面々に気圧されて最後の方はささやくような口調となってしまう。
「誰のためでもない。俺のためだ、イグナーツ」
ウィリアムは最初期、共に戦を潜り抜けた戦友に微笑む。
「お前たちも知るように俺は多くを利用し、蹴落とし、ここまで来た。人道に背いた手も多数指し、お前たちが知らぬ悪も多く、成した」
何かを察したのかヒルダは剣を握る手を強める。
「凄まじい高さにまで積みあがった罪、それを雪がんと苦心してきたが、どうにも俺の体は脆くてな。若い頃に無茶をし過ぎたツケだな」
「それを息子に擦り付けようっての?」
「ああ、情けない話だがな。背負える分は背負っていくつもりだ。あれに残すのは、王として、導き手としての業になるだろう。覇国には大きな責務が付きまとう。王にも守り手にも。何よりも力が、要る」
「今ならばラファエル様の方が適役かと思われますが」
「オリュンピアでの出来次第だ。いい成績を残すだけなら拍子抜け、何か別の土産があって合格点、優勝は、まあ、無理だろうが。俺とあれの息子だからな」
「なるほど、流動的なものだと。ならば不肖、このアンゼルムが見定めましょう。皆も次代の王にふさわしいか、その眼で定めればいい」
「「必要ない」」
グレゴールとシュルヴィアの声が重なった。イグナーツも小さく「必要ないっす」とつぶやいていたが、誰の耳にも届いていなかった。
「王を見定めるなど俺の、武将の範疇を超えている。そこはいい。ラファエル様でもアルフレッド様でも、構わん。重要なのは王権を移す際、何故戦争を起こす必要があるのか、何故次代の王と敵対するのか、何故俺たちなのか、だ」
グレゴールの問いにウィリアムは笑みを深める。
「第一は先に述べたように力が要るからだ。他国に比べてうちは主戦力であるお前たちが早々に現役を退いたせいで実戦経験に乏しい者たちが早晩、中核を担うことになるだろう。実戦経験を積ませたい。なるべく濃密なやつをだ」
「練兵ってわけね」
「そうだ。そして残りの二つは同じ理由となる。非道なる旧き王は民衆の味方である正義の王子に敗れ王冠を失う。それに付き従った者たちも、中核にいた者はそしりを受ける可能性が高い。次の時代への撒き餌、ゆえに君たちへ声をかけたのだ」
「撒き餌になれっすかあ。いやー、白仮面時代でもなかなか聞けなかった豪快な命令っすなあ。まあ、自分は別に構わないっすけど」
「嫌われ役を買って出る、か。必要ならばやはり、構わないが」
イグナーツとグレゴールは特に否定する気もない。シュルヴィアなどそもそも大衆にどう思われようと気にも留めないのでやはり否定しない。アンゼルムは問うまでもないので割愛する。
ヒルダは家のこともあり逡巡しているが――
「何故そこまでする? 俺たちも名に傷を負う可能性はあるが、一番は貴様だ。長き歴史に悪王としての名を刻む、そこまでして何故貴様は自分の存在しない次に尽くそうとする? 戦場での貴様を知る俺たちだからこそ、そこに裏がないとは思えない。教えろ、今度こそ、嘘はなしだ」
ギルベルトは真っ直ぐにウィリアムを見つめる。
最初の邂逅から変わらぬ構図。あの時は嘘ではぐらかしたが――
「そのつもりだよ、ギルベルト。建設中の塔、仮設の一室。周辺は完全に掃除済み。俺が掌握した最初の力、闇の住人の手によって。ここには君たちしかいない。好き嫌いを超えて、信頼に値する君たちだけ、だ」
もう自分には手札が残っていない。頭を下げるしかないのだ。
「全部話そう。ああ、まずはそうだな。俺がルシタニアのウィリアム・リウィウスではない、というところからになるかな」
全部さらけ出して助力を乞う。彼らにはそれだけの価値があるのだ。
「俺はアルカスで生まれた。ただのアル、奴隷の生まれだ」
淡々と語られる想像を絶する真実。
唖然と、茫然と、立ち尽くすしかない嘘で塗り固められた男の物語。
長く、夜が白むほどに語られた一人の人生。
罪の歴史。贖罪の、道。
「――協力してほしい。俺にはもう何も残ってない」
「時が来たら教えろ」
静かに彼らは席を立った。各々覚悟を宿した目で。
想像よりもずっと弱かった、頂点に立った男の物語を刻みながら。
〇
クロードたちと同じタイミングでカイルとギルベルトもまた剣を止めていた。白み始めた空に噴煙が漂い、その出元から赤い何かがちろちろと顔を出す。
「アルッ!」
青ざめたカイルは一人階段を駆け上がる。その『アル』がどちらを指しているのか、それを知るのは叫んだ当人のみ。そして、それを止めるはずの男もまた――
「ふざけるな! 貴様、この期に及んで業に呑まれるというのか!? 貴様を信じた、俺たちの想いを踏み躙ると、最後まで貴様はァ!」
憤怒の中、己の役割を見失う。古き戦友たち、その中心である彼らはいくつかの真実を与えられ、それぞれの思惑の下、この招集に応じたのだ。全ては脚本ありきの話、それが覆るのであれば何もかもが崩壊する。
ただの一度、自らの剣を捧げると誓った。本来、捧げるべき相手を失った際に、その仇を彼が追い落としたから。
その借りを返すという建前、そして彼の道が最後まで国家のためにあり、きっと『彼』も同じ選択を取ったと思えたから、再び剣を握ったというのに。
王権に呑まれ、業に呑まれ、息子への継承を拒むかのような炎を見てギルベルトは顔を歪める。
「アル、私も」
ミラもまた階段を駆け上がる。
『上』の異変に気付き塔へ足を向ける者も出始める。
一度流れが生まれたならばそれを止めるのは至難。そもそも止めるべき男がその役目を放棄しているのだ。これでは止まるはずもない。
「ギル! 冷静になりなッ!」
階下から声で彼を打つかのようなキレのある発声。ヒルダの眼がギルベルトに注がれていた。万の言葉を尽くすよりも、その眼は強く意図を伝える。
(奴は嘘つきさ。でも、信じるって決めただろ? 私たちは。だからこそもう一度剣を握ったんじゃないのかい? あれがどっちの策で、どんな意図があるかなんてわからない。それでも――)
ギルベルトを素通りしようとするミラ。それを――
「それでも、信じると、決めた、か」
剣聖は弾き返した。再び守護者として動き出した剣聖ギルベルト。
「本当に俺は弱いな。すぐに揺らいでしまう」
ミラは体勢を立て直し、もう一度、塔の守護者たる怪物にアタックする。それと並んで二人、パロミデスとランベルトもまた同時に突貫。
三点の同時攻撃を――
「役目を果たそう」
すべて『点』で捉えて弾き飛ばした。
信じ難き技量、隔絶した剣技に唖然とする三人。
「例外は二つ。我が未熟故に二つ、だ。だが、三つめは無い」
流れが――止まった。
「戦士長!」
「商人かと思っていましたが、いける口でしたか」
それでもこじ開けんとイヴァンとロゼッタが突っ込む。
無数の白刃、遠間を制する自在の刃を唯一振りの剣ですべて撃墜する妙技。やはりこの男は人の範疇にいない。されどそれは二人の想定内。
ロゼッタが壁となり視界を奪う。彼女の近接攻撃が敗れるのもまた想定内。しかし彼が唯一振りの剣しか使わぬ以上、その刹那だけは無手となる。
「これでッ!」
千載一遇、ロゼッタのマント越しから槍のネーデルクスでも指折りであった男の突きが走る。それはまさに雷の如し閃光と異音をまとい――
「無いと、言ったぞ」
その上に、槍の上に、剣聖は悠然と立つ。信じ難い光景であった。攻めていた二人が唖然と、手を止めてしまうほどに。
その間隙を見逃す男ではなく、ふわりと二人の間めがけて跳躍、手刀一閃ロゼッタの意識を刈り取り、イヴァンもまた腹部を断ち切られた。
「稽古不足だ。出直してこい」
石段から転げ落ちる二人。手練手管を用いてなお、剣聖に揺らぎなし。
ギルベルトと言う男が剣を握りしめただけで、分厚い壁が立ち塞がっている幻を見てしまう。前がない。進むべき道が閉ざされた。
「退ッけェェ!」
それでも若き三人が入れ替わりで突き進まんと己が武をもって突貫する。
(本来なら追うべきなのだろうがな)
それらをあっさりと弾き返しながらギルベルトは己に比肩する怪物の姿を眼で追う。すでに姿は無く、塔に入り込んだのだろう。彼ほどの実力ならば容易く状況を捻じ曲げることが出来るはず。
しかし、そうはならないのではないかと、ギルベルトは思う。
(全てを利用してきた男が、唯一利用しなかった男。先ほどの打ち合いで朧気だが理解した。貴様の剣の源流は、あの男にあったのだな。どんな因縁があるのか知らんが、悪い方には転ぶまい。何となく、そう思うだけだが)
三人を圧倒しながらギルベルトは場を征圧していく。一度綻んだ戦場を強引に結び直し、締め付け、元通りの行き止まりとする。この場は誰も通さない。我こそはと思う者は来るがいい。求める資格はただ一つ。
己よりも強き者、である。
(……ふ、近づいてきているか)
心当たりは無くも――無い。
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