カルマの塔:新旧交わる夜明け前
アルフレッドは世界最大の建造物、ただそれだけのために建造された塔を登る。この無意味なモニュメントは白の王が手掛けた負の遺産として長く残ることになる。何しろ無意味にでかいのだ、世界最大なので当然のことだが。
「大きく見せるための虚構、虚像、笑えと、貴方なら言うのでしょうね」
きっと、これは民に仕事を与えるための公共事業と言うだけではなく、白の王の墓標でありながら白の王、ウィリアム・リウィウス自身を表しているのだ。分に見合わぬ高さまで上り詰め、背負った者の重さに降りることも出来ない。
彼の歪さが塔に色濃く映っていた。
「でも、俺は笑わない」
険しき旅の果て、父を超えたと思っていた。だが、この一夜でアルフレッドは痛いほど刻み込まれたのだ。白の王が、白騎士が積み上げてきたモノの一端を、彼を大きく見せていた本当の力を。
片時も休むことなく、何も持たぬ少年は一から積み上げた。文字も、学も持たぬ子が、廃れつつある異文化の言葉を操り、異国の文章を翻訳する知を得た。やせっぽっちの小さな少年は、一流の武を身に着け国を代表する騎士となった。
さらに彼は己だけではなく周りすら変えた。他国と比べて戦が古いと謗られていたアルカディア軍をガリアスも驚嘆する最新の軍に生まれ変わらせた。どれほどの時間と苦難があっただろうか。何しろ彼は王子どころか一兵卒であり、一部隊の隊長であった頃から、変革を始めていたのだ。
遠大な計画、それを着実に積み重ねてきた。
休むことなく、ただひたすらに前へ。
「笑えないよ、父上」
それを息子であるアルフレッドは心の底から誇らしいと思った。同時にもっとそばにいて彼から学びたいと切に願う。
それでも時は有限で、おそらく時間はそれほど残されていない。
ならば――
「ようこそ挑戦者よ。覚悟は良いかな?」
「ええ、もちろん」
自分が終わらせる。そうしなければならない。
扉の前に立つエアハルトは「私は君たちを尊敬しよう」とつぶやき外側に備えられた閂を外す。ぎい、と小さく開く『その先』を指し示し、恭しく頭を下げる。
「王がお待ちです」
アルフレッドは大きく一歩を踏み出した。エアハルトの憐憫を超えて、己が為すべきことを成さんがために。誰もが羨み、誰もが望む王冠。絶対の権力とおよそほぼすべての物的欲求を満たすことが叶う代わりに、王は幻想を失う。
世界を幸福で満たす。自分ならそんな世界に変えられる、と。
そんな夢が、砕け散る。王の高さから見える景色は、そんな夢を見ることも叶わぬほどボロボロの世界なのだから。そしていずれは諦める。妥協する。
それが人であり、普遍的な人の王であった。
「……これは」
彼は違う。世界に確信を与えた男も違った。真の王は世界の真実を目の当たりにしても、自らが歩む先にどれほどの苦難が広がっていようとも、決してあきらめず夢を抱えて歩める者なのだと。目の前の、この地獄を前にしてもなお。
背後で扉が閉まる。これでこの場は二人きり。
「ようこそ我が息子よ。欲深き子よ。父から簒奪してでも玉座が、王冠が欲しいと見える」
そう、この大広間にたった二人しかいない。
「……貴方は最後まで、どうして」
目の前に広がるは大貴族たちの躯。すでに時間が経過しているためか嫌な臭いを発し始めている。無造作に散らばった臓物は揺らめく燭台の明かりに照らされ、テラテラと赤黒く艶めかしい陰影を映す。良く見れば女性も子供も、容赦なく、区別なく斬り捨てられ、この場は一個の地獄と化していた。
「最後と言うたか? 相も変わらず傲慢な小僧よ。今宵、実戦での力の差を見せつけたばかりと言うに、己が勝つことを露とも疑っておらんとは」
王はゆらりと立ち上がる。血濡れの王、凄まじい量の返り血を浴びたのだろう。もはやそれらが誰の血なのか判別することなど出来ない。
「余を誰と心得る? 数々の奇跡を成し、多くの伝説を残した稀代の英雄ウィリアム・フォン・アルカディアであるぞ! 我が身から王冠を奪うだと? 頂点に手を伸ばす不届き者めが。他の全ては戯れで済ましても、我が身に手を伸ばすは万死に値する」
ウィリアムは剣を引き抜いた。
「刻み込め、これが、王の剣である!」
アルフレッドもまた呼応するように剣を抜いた。
「……参ります」
全ての想いを胸に、今、最後の演目が幕を開ける。
○
白龍と黒星の拳が中空で爆ぜる。
一瞬の空白、その間隙に二人が取った行動はあの塔に視線を向けることであった。巨大な力が渦巻く下とは別に、上でも何かが動き出した。
ならば、出会ったのだろう。
二人の主が。
「始まったな」
「そのようだ」
すでに終わりは見えた。脚本通りになったのだ、今宵は。
「あんたはこの先どうするんだ?」
空白は途絶え、双方拳技が流れ出す。一人はより柔らかく、一人はより硬く、正解などない。あの老師ですら夢幻の内に虹を見てこう漏らしていたのだ。
『若き日は遥か東方の我が目すら染め上げた蒼に見惚れ、今はあの蒼を破った虹の可能性に拘泥す、まこと、武とは奥深きか』
そう言って数日のうちに師は消えた。とけるように、いなくなった。
武に全てを捧げた男ですら答えにたどり着けなかった。きっと、自分たちだってそうだろう。それは武に限ったことではない。惑い、寄り道し、多くを見てきた彼らだからこそわかるのだ。
「今日のこと以外考えにない」
迷いながらも前に進む者たちの偉大さが。
「じゃあ、俺が勝つぜ。今日こそな」
「……それは、業腹だ」
その道に秘められた凄まじいバックボーンを、彼らは知る。
〇
ヴォルフは酒を片手に西方を眺める。
いつだって初めに思い出すのは最初の戦い。
今までの価値観が打ち崩され、それが同世代の男によって為されたと知り、嫉妬と羨望を覚えた。その後も幾度となく刃を交え、運命が交錯する中で、会うたびに成長している彼に刺激を受け、今の自分がある。
始まりに戦い、終わりに戦えなかった好敵手。
願うは再戦。今生では叶わぬと知りながら、それでも思わずにはいられない。
いつか、どこかで戦おう。何物にも縛られることなく、心行くまで。
〇
アポロニアは静かに東方を見つめていた。
彼らが生み出した紅蓮の空に自らの戦場を見た。半世紀前ならば、否、四半世紀、せめて十年前ならば己は巨大な炎をローレンシアに撒き散らすことが出来ただろう。古き時代の英雄像そのままに、戦いの女神として名を馳せたはず。
だが、彼と出会い。彼らが変えた戦場に自分の介在する余地はなかった。武力とカリスマは知略の前に屈し、英雄らしい戦いをついぞさせてもらえなかった。特に、あの男と戦う時は思う通りにならない。
それが悔しく、ほんの少し嬉しかった。
自分の予感は正しかったと思えたから。
思い描いた英雄の戦いには成らなかったが、あの炎は間違いなく彼の生み出したもので、時代すら焼き尽くす炎であったから。
この世界からいずれ英雄と言う概念は消えるだろう。すでに本来そうなるはずであった者たちは皆、彼の前に敗れている。
そして今、時代を焼いた炎は、新たなる時代の到来と共に消え失せようとしている。
風前の灯火。だからこそ最後は大きく煌く。
最後を見届けよう。
このはるか遠きガルニアの地で。自らがほれ込んだ空が堕ちる様を。
〇
今までの時代を担った者、これからの時代を担う者、世界中の傑物、その卵たちが皆変調を感じアルカディアの方角へ眼を向けていた。今日、何かが変わる。その確信が彼らの視線を絡め取るのだ。すでに日を跨ぎ、若干空が白み始めた。
もう少しで新しい一日がやってくる。もうあと少しで――
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