カルマの塔:白騎士の『強さ』

 ウィリアムの動きに乱れや揺らぎの類は一切なかった。今日が全盛期とでも言うような迫力と動き出しの鋭さ、何よりもその眼光が語る。

 己こそが英雄だ、と。

 だが、今のアルフレッドはそれに臆するほど軟ではない。カイルたちのおかげで余力を残した状態でここに辿り着けた。

 出来る限りの処置を施し、辛抱強く治療を続け、あれ以来、無理をさせなかった身体は上等な継ぎ接ぎ程度には回復している。

 剣聖相手には後れを取ったが――

(……強い。だが、負ける気はしない)

 アルフレッドはゆったりとした構えから、かすかに発勁の残滓を帯びた剣を放つ。このわずかな差が相手の目測を誤らせる。其処から生まれた小さなズレ、数合かわせば大きなギャップと成り打ち崩すことが出来る。

 だが――

「ん?」

 その手応えは、拮抗。むしろ自身の想定とのズレを修正する必要に駆られた。刹那の間に脳内での修正は完了するが、其処から弾き出した結論にアルフレッドは称賛の念を覚える。王が実戦を離れてどれだけの月日が経ったのだろうか。もはや研鑽が必要な地位でも年齢でもない。

 それなのに彼は、新たに発勁と言う技術を会得していたのだ。おそらくはオリュンピアで己の戦いを見て、自身の腹心である白龍をゆすって体得した。

「……勤勉ですね」

「くは、何のことだ?」

 哂うウィリアム。攻撃の回転数を上げるにつれ、試行回数が増すにつれ明らかになっていく習熟度。相当練度を上げてきている。驚くほどに滑らかな剣は発勁を織り交ぜているとは思えない。

 とは言え――

(さすがに巧さは俺、だ)

 こと発勁と言う技術に関してはアルフレッドに一日の長がある。使い込んだ年月が身体にしみわたり、全ての動作に発勁が、操作し収束した力が乗っていた。同じ技を使ってもこれに関してはウィリアムが大きく劣化したコピーを使っており、徐々にその差はあらわに成るはずであった。そうなるはずだったのだ。

「……そう言うことか」

 そうはなっていない現実にアルフレッドは苦い笑みを浮かべていた。

 ウィリアムは新たな技を用意していた。そして、さらに用意を重ねていたのだ。二重三重に、全力を出した際の力、本来大きいはずの差を埋めるために。

 貴族たちの躯、無造作に飛び散っている臓物、乾き始めているどろりとした血液。足元を埋め尽くさんばかりに配置されているそれは、ただの雰囲気づくりではなかったのだ。いくつかの明かりに照らされただけの空間は薄暗く、それらを把握するには些か視界が欠けていた。

 足場の悪い戦場である。そしてそれらは見え辛いと来た。

(出来る限り把握に努めているけど……この暗さでは)

 アルフレッドがウィリアムの作った空間に苦戦する中、当たり前であるがこの空間を作った張本人はよどみなく動き回っていた。この暗さで互いに足元はほとんど見えない状況、それなのに動きに不自然な点が無いということは――

(躯の、臓腑の、血溜りの配置をすべて記憶しているんだ。記憶した後、足元が見えない程度に明かりを絞って俺を待っていた。最後の試練として君臨するために)

 足場が悪ければ発勁もキレが落ちる。

(あとはこの空気、か。吐きそうになるほどの異臭、これの中ではまともに呼吸が出来ない。深く呼吸をしなければ、集中の質が上がらない)

 国綱曰く、全の彼岸。超集中状態に至るには呼吸など何らかの切り替えが必要とされる。それは複数の思考を同時に展開し、広く深い思考力を持つアルフレッドでさえ例外ではなかった。

 そのルーティンが、この空間に立ち込める悪臭によって潰されていたのだ。

「随分と、入念に準備成されたんですね」

「己惚れるな。貴様如きのために余が手を煩わせることなどない。ここに匿ってやったにも関わらず、王を、国を操れると思った愚か者ども、これらの処分こそが大事。貴様などあくまで小事。副産物に苦戦していると知れ」

 幾度も剣をかわす二人の親子。誰も見ていない大広間で死闘を繰り広げている二人の貌には、どこか温かなものが流れていた。それが何かは二人にしか分からない。殺し合いをしている最中でのこと。それでも、これが最後の機会だから――

「ぬるいな」

「ぐっ」

 躯の腸を巧みに操りアルフレッドの足をすくったウィリアム。

「こいつらはすでに人ではない。モノと化したことを忘れているな」

「……勉強になります」

 人間社会を円滑に回すために生まれた思想、倫理観や社会道徳などを人々に授ける立場でありながら、王は、王だけはそうではないのだと彼の戦いは言っている。

「モノを操ってこその王よ」

「勝った気になるのは、いささか早いのでは?」

「ならば相応の力を示せ。拍子抜けするほど弱いぞ、貴様の剣は」

「なんの、ここからですとも」

 まずは主導権を取り戻さないことには始まらない。このまま王のペースで進めば敗北は必至。それでも勝敗を曲げるには、矜持をも曲げる必要性があるのだ。

 勝利を拾うために、アルフレッドはどういう選択肢を取るのだろうか――


     ○


 ラファエルはぼうっと月を眺めていた。ずっと考え通しの日々を送っていた彼にとって、久方ぶりに頭を空にして意味も無く夜空を見上げるという無意味な行為に浸る。全て届かなかった。せめてと思ったモノにも当て馬にされ、何者にも成れず空を見上げる様は敗北者と呼ぶにふさわしいだろう。

 空虚で、自嘲気味な笑みが自然と零れる。

「良い月夜ですね」

「……メアリー、さん。どうしたんですか? ここは下火ですがまだ非戦闘地域とは言い切れませんよ」

 ラファエルの同期でありクロードと共にガリアスからやってきた少女、メアリー・テイラー。生まれつきの盲目であるが、テイラー商会では商人として辣腕を振るい凄まじい額の利益を叩き出す若手期待の星である。

「貴方のそばなら安全かと思いまして」

「……保証できかねます」

 アルカスの状況など意に返さず、メアリーはいつも通りの笑みを浮かべていた。ラファエルが保証できないと言った後にも、その笑みは全く変わらなかった。

「先ほどベアトリクスさんとすれ違いました」

 びくりとするラファエルの雰囲気にメアリーは初めて表情を変じた。

 笑みから、苦笑いへと。

「ちょっとした案内を。貴方には、酷なことをしたでしょうか?」

「何の……いえ、待ってください。案内? ベアトリクスを?」

「ベアトリクスを、クロードのところへ。状況をかみ砕いて説明したので、おそらく真っ直ぐに向かったと思います。もう、戦いも終わりでしょうし」

「ク、ロード? 何故、彼が。だって、彼は今北方にいるはず」

「増員で向かったケヴィンさんが背中を押せばクロードなら……それを見越してマリアンネちゃんは色々動いていたみたいだし、うん、彼女が来ると思ったなら、私は何も考えずに賭けることが出来ます。同期で一番優秀でしたから、彼女は」

「……マリアンネ君が。確かに彼女であれば。でも、君はどこまで――」

 ラファエルとてマリアンネの優秀さは理解している。彼女が『本気』を出せばそれこそ分野次第で頂点を目指すことも可能だろう。だが、彼女の動きを把握し、そこから両名の動きを算出している様子のメアリーもまた一つの分野における怪物。

 彼女の閉じられた眼に映るモノは何か――

「今ある情報から出せる解、それだけです。知らないことは知らないですし、見えないモノは見えないまま。誰だって同じでしょう?」

 あっけらかんとするメアリーを見てラファエルは自分には無いモノを見た。一つの分野で他者を圧倒する結果を残し続けている存在特有の、ナニカが。

「……少し、僕に聞かせてくれないか? 君の解を」

「隣に座っても?」

「もちろん」

 何もすることが無いから、出来ることが無いから、だから知的欲求に従ったまでの事。特に他意はなかったのだが――

(……近い)

 隣と言うのが思った以上に密着した状態であったので少し面食らうラファエル。

「私たちはまず、物事の裏側を見ろと教えられます。何か引っかかりがあるならば、必ず裏がある。相手が優秀であればあるほど、巨大であればあるほど、そう言う引っ掛かりを捉えて裏を探るのが大事なんです。今回のケースでは、白の王の動きに引っ掛かりがありました」

「陛下の? 特におかしなところは」

「数年前から、陛下は民衆に好かれぬ振る舞いを取ることが多くなっています。内実は国家のためになっていることでも、それを説明せぬがためにマイナスになっている。国家を運営する上で王は人気職ですから、それは悪手なんです。良いことをしたなら盛って喧伝するくらいが好手でしょう。過ぎれば逆に反感を買いますが」

「……そんなに前から君は引っ掛かりを?」

「ラファエル君も持っていたはずですよ。見て見ぬ振りしただけで」

 確かに、とラファエルは思う。ウィリアムのやることゆえ盲目的に従っていたが、こうした方が良いのでは、と考えたことは幾度もある。その頻度は、ここ数年、アルフレッドを追い出してから明らかに増していたような――

「其処に裏があるとすれば、逆転の発想です。好かれない必要があった。もっと言えば嫌われる必要があった。それは何故か、今、ラファエル君が出しているであろう解と同じだと思うのですが、どうでしょう?」

「王権をスムーズに移行するため。アルフレッド殿下に」

「私もそう考えます。解がそうあるのならば、其処から逆算するだけで大抵の物事は片が付きます。一連の事件で王へのカウンター、障害はほとんどなくなった。加えて今宵、少なくない血を流したこの内戦も、裏がある」

「僕は練兵のためと考えているんだけどね。民衆からの反感を決定づけながら、引退した古参の兵たちと若手を競わせ、実際の戦争を雰囲気だけでも味わってもらおうと、なんて回りくどいかな」

「……なるほど。私にはその発想はありませんでした。練兵、一理あります」

「であれば君はどう思うんだい?」

「私は打ち壊された建物群を調べて一点、仮説ですが……これはスクラップアンドビルド、ええ、都市の再開発、その一端なのではないかと思って――」

 その言葉を聞いて、ラファエルは目を輝かせた。自分でも気づいていなかった引っ掛かり。その点が見つかり、彼女の言葉で何かが繋がったような感覚。

「く、此処に地図があれば」

「用意してますよ」

 驚くラファエルをよそにメアリーはアルカスの地図を広げた。其処にはいくつもの点が描き込まれており、アンゼルムの作戦によって打ち壊された建物、破壊された道、多くの情報が書き連ねてあった。

「これを、君が?」

「そうです、と言いたいですが。これは商会の有志で集めた情報をまとめたモノです。商魂たくましい方々は、この朝を商機と捉えていますので。すでに準備をしていたんです。私は全部頭に入っているので、どうぞ参考までに」

「……大した連中だねまったく」

 地図を食い入るように見つめるラファエル。王の権力は絶大であるが、中には無理を通せぬ事案もある。様々な要因から平時では手を出しづらかった、出せなかった部分がものの見事に潰されていた。

 再開発の邪魔であった建物、道など。おそらくは人も。

 アンゼルムの悪意に充ちた戦術が後の国家運営に大きな意味を与えていたのだ。

 当然これは偶然ではないだろう。多少カモフラージュのために無意味なところも破壊されているが、ほとんどがアンタッチャブルであったところばかり。国家の騒乱を機に一斉大掃除といったところか。

 何と言う――

「あ、あはは、やっぱり、白騎士は凄いや」

 何と言うスケールであろうか。策の深さ、緻密さ、ラファエルは感動していた。全てが遥か前に用意されていた。その上で――

「そして僕は、期待に応えられなかったんだろうね」

 メアリーは静かに頷く。そう、とてつもなく遠大で緻密な策であっても、遊びはあった。遊びと言うよりもゆとりと言ったところか。例えば王が移行のために嫌われる手を打ち始めた際、それをラファエルが気付き止めていれば一つの要素を潰すことが出来る。

 それはそのままラファエルが王の領域に近づくことを意味し、全てを止めることが出来たなら、全てを解したとみなされ移行者がラファエルに移っていたかもしれない。チャンスは与えられていたのだ。

 それを妄信ゆえふいにしたのは己の不徳。

「それほど白騎士、ウィリアム様は貴方にとって大きかったんでしょうね。クロードと同じように。私は、あの御方にはとても感謝しているし、命じられたなら何でもする覚悟はあるけれど、二人ほど深いところで求めていないから。貴方は王として、クロードは父として、あの御方に幻想を持った。疑問を持てないほどに」

「……何でもお見通しだね、君は」

「見えないのに、変ですね」

「そんなつもりで言ったわけじゃないよ。本当に、凄いと思ったんだ。再開発の一環、僕は其処に大きく関わっていたはずなのに、君に言われるまで気づかなかった。アンゼルム殿のやり方、悪意に満ちた、あまり好ましくないやり方だと決めつけていたから」

「裏の裏を、そのまた裏を読んでこその商人。私なんて可愛いものです。海千山千の怪物がうようよしていますよ、この世界は。ウィリアム様もその一人です。私は戦士ウィリアム・リウィウスのことは良く知りませんが、商人ウィリアム・リウィウスは知っているつもりです。もちろん先輩たちからの人づてですが――」

「……商人、ウィリアム・リウィウスか。それは盲点だったなあ」

「沢山ありますよ。全部話せばそれこそどれだけかかるかわかりません」

「なら今度、食事でもどうだい? 良い店があるんだ。静かで、品が良くて、ゆったり話すにはぴったりのお店が」

「わ、私と、ですか?」

「もちろん嫌なら断ってくれて――」

「是非! 是非、連れて行ってください!」

「う、うん。むしろ僕からのお願いだったんだけど」

 ラファエルが面食らうほどの勢いでメアリーは食いついてきた。彼はまだピンと来ていないし、きっと傷心で本当の意味ではメアリーを見ていない。それでも彼女は今宵、踏み出すことを決めたのだ。

 大勢が踏み出すこの日を、置いていかれないために。

「約束、ですよ?」

「ああ、約束、だね」

 自分は目が見えないけれど、それを言い訳に逃げるのはやめよう。

「そう言えばさっきから僕って」

「ん? ああ、力が抜けちゃってね。格好をつける意味も、肩ひじ張る理由も無くなったから、僕、で良いかなって。子供っぽいけど、慣れてるから」

「私は、僕の方が優しくて好きです」

「ありがとう。さて、これからどうしようか? まだ街は安全じゃないけれど」

「も、もう少し、ここでお話をするのは、どうでしょうか?」

「……お茶も何もないよ」

「月がありますから」

「それももう少しで見えなくなる……まあ、良いか。僕も誰かと話したい気分なんだ。それが君なら、とてもいい。何しろ賢くて学ぶところばかりだから」

「私も、同じです。自分の知らないモノを貴方は知っているから」

「じゃあ、もう少し話そうか。君の知らないことを」

「はい、貴方の知らないことを」

 一人の敗北者は静かに微笑む。全てを失い己に価値がなくなったと思った。そんな自分に、どんな想いか分からないが、隣にいてくれる人がいる。

 それはとても大きな救いで、彼の心に出来た傷を少しずつ、ほんの少しずつ、癒していくのだろう。

 それはまだまだ先の話。この物語は始まったばかりなのだから。

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