カルマの塔:最後の一歩

「何故、剣を止めた」

「…………」

 喉元で止まる剣。俯くラファエルの表情は見えない。

「一度止まってしまえば、この状況でさえ私は引っ繰り返せるぞ」

「……君を愛していた」

「……ん?」

「強く気高く美しく、理想だったんだ、私の求める全てを君は持っていた。私も、君に並んでも恥じないよう研鑽を積んだよ。でも、届かなかった」

「んん?」

「ピンとこないだろう? それほどに君は私に興味がなかったのさ」

「いや、お前が私を好きなのは知っているぞ。わからんのはそれがこの状況に何の繋がりがあるのか、だ。戦場でロマンスがしたいのなら劇団員になるべきだろう」

「……そ、そうか。知っていたんだね、うん」

「それで、何故剣を止めた?」

 ラファエルの想いよりも剣を止めた理由に興味があるベアトリクス。とても彼女らしい残酷な反応である。お前に脈は万に一つも無いと告げられたようなもの。

「君が、ほっとしたように見えたからだ。最後の一瞬、君は笑った。もう、誤魔化す必要がなくなるから、比べられることが無くなるから、君は笑ったんだ。私の、僕の憧れた人の、そんな無様な姿を見て、自然と手が止まった」

「……違う、私はただ」

「違わない。あいつは強くなった。ずっと下に見ていたあいつがレノーの首を取った時、僕は嫌な予感がしたんだ。あいつは何か持っている、と。イグナーツ先生やヒルダ先生、陛下も、思い返せばどこかあいつを特別扱いしていた節がある。分かっていたんだ、あいつが伸びることを。ネーデルクスから帰って来た時、命を救われたのに僕は、あいつに対して絶望感と劣等感で押し潰されそうだった。その時点で君は、笑っていたけれど」

 クロード・リウィウス。学校を卒業する前に特別枠で戦場に出た三人の内の一人。その中で彼は一番評価が低かった。オスヴァルトの天才とアルカディアの麒麟児、その下でぴーぴー喚くオマケ。それが彼であった。

 だが、彼は必死に努力した。生きるために、報いるために、ただ生きることの幸福を知るがゆえに、死に物狂いで這い上がった。

 初めから頂点にいる者たちとは違う、ギラギラした生命力が躍進の源であり、残りの二人には少しだけ欠けていたモノ。

「戦争の時代が終わっても、あいつの成長は止まるところを知らなかった。僕や君の想定を超えて、あいつは頂点に手をかけるところまでいった。本当に凄い、君が焦がれるあいつでなければ僕だって手放しに称賛するほどさ。あの野良犬が、ね」

「……くだらん! さっさと首を刎ねろ! 出来ぬのなら剣を引け。そして口を噤め!」

 ラファエルは乾いた笑みを浮かべたまま、剣をそっと引いた。

 ベアトリクスは彼の眼に浮かぶ色を見て――

「理想じゃなくなった君に興味はない。アンゼルム様が討たれる少し前から、一部の軍が妙な動きを取り始めた。僕は知らされていない動きだ。アルフレッド様以外に対する展開、他を止めて孤立させるためか、それとも……どちらにせよ、僕も脇役だったと言うこと。君と同じく、ね。つまり、ありていに言えば、やる気がなくなった。それだけさ」

 其処に浮かぶ失望の色を見て――

「ふざけるなッ!」

 ベアトリクスの蹴りがラファエルの頬を捉える。

「ラファエル様!」

「がは、いい、お前たちは他の軍と同様、本隊以外の足止めに着手せよ。命令だ」

「……しょ、承知致しました」

 転がるラファエルは依然として空虚な笑みを浮かべていた。

「これだけの血が流れているんだぞ。なんだその無気力は」

「王権が移行するんだ。何をしたって血は流れる。規模の割にそれほど多くないよ。この茶番は仕組まれたモノだから。ずっと引っ掛かっていた。おそらく、クラウディア様は半ば気づいておられたんだろう。く、くく、終演間際で勘付くなんて、僕も間が悪いな」

「何を、言って」

「僕は当て馬。クラウディア様は王すら御し切れない貴族をまとめて選別するための人柱。全ては王権をスムーズに移行するための、茶番だ。そう考えればすべて辻褄が合う。そしてそう考えた時、僕と言う存在の滑稽さにね、死にたくなってしまうんだよ」

 王権の移行先はあらかじめ決められていた。後継者だと思っていたのは自分と部外者だけ。そんな滑稽な話があるだろうか。そんな惨めな話があるだろうか。

「僕も君も哀れな端役だ。それでも最後は君と踊ってみようと思ったけど、肝心の君は負け犬根性が染み付いた理想とは遠い存在にまで堕ちていた。なら、もうやる気なんて出るわけないだろ? あとはそつなくこなして見守るとするよ、主役たちの結末を」

 おそらくラファエルはかなり前から引っ掛かりを覚えていたのだろう。それでも、一番欲しいものを諦めた以上、もう一つの望みすら手放す覚悟が出来なかった。だから、眼を背けていたのだ。

 とっくにその手から離れていたモノを直視しないために。

「私が負け犬、か。良いだろう、立て、へなちょこその二」

 全部失って、最後の最後で彼が望んだものは――

「私の強さを再確認させてやる」

「……ふっ」

 せめて焦がれた背中がきちんと立つように背を押してやることであった。


     ○


 シュルヴィアはボロボロになった敵軍を睨みつけていた。手を抜いてなどいない。全力で攻め潰さんと暴力を行使した。だが、彼女はまだ剣を支えとしながらも立っている。彼女の軍もまた盾を、槍を支えとしながら迎え撃つ準備をしていた。

 あと一押しで吹き飛ばせるかもしれない。そう思ってからどれだけの時間が経っただろうか。ここまで苦戦するとは思わなかった。これだけ時間を潰されたなら此処を抜いたとしてもあまり意味はないだろう。

「……お嬢! 戦場の様子が変だぜ。指示も来なかった」

「あの男が落ちたってことか。くく、この私が、初陣の女にしてやられるとはね。もう潮時ってことか。私の熱量も落ちた。何も選べなかった私じゃ、ここまでか」

 シュルヴィアは自らの手を覗き見た。無骨なごつごつした手。研鑽を欠かしてはいないが、血の臭いは大分薄れてしまった。戦士を、復讐者を選んだつもりが、結局最後までもう一つの想いが邪魔をしてどちらにも振り切ることはなかった。

 もし、勇気と覚悟を持って踏み出せていたならば――

(あの二人や目の前のこいつと争えって? はは、分が悪過ぎて笑えるよ)

 シュルヴィアは踵を返してテレーザらに背を向けた。

「迂回して塔を目指す。急ぎな」

「お、おうよ」

 結局自分はどちらにも振り切ることが出来ない。

「結構強かった。もし気が向いたら、稽古でもしようぜ」

 背後のテレーザに向けて、彼女にとっては最大限の賛辞を贈る。颯爽と去って行くシュルヴィアらの姿が消えた後、静かにテレーザは倒れ込んだ。

「……女だてらにこの強さ、私は貴女を尊敬します。女傑、シュルヴィア」

 テレーザは天を仰ぐ。

「私も貴女のようにあの人と戦場を駆けたかった」

 叶わぬ願い。届かぬ愛なのは理解していた。あの二人でさえ届かぬモノを何故三番手でしかない己が届くというのか。それであれば、せめて戦場で共にありたかった。憧れの白騎士と共に命を燃やして、そんな夢想ばかり頭に浮かべてしまう。

 あの日、偉大なる祖父の影から見下ろした英雄の姿を思い描きながら――


     ○


 アルフレッドたちはとうとう目的地に到着した。取捨選択の果てに少数なれど彼らは辿り着いたのだ。あとは塔にいるであろう王と貴族たちを捕らえるだけ。もしくは、此処で仕留めるだけで終わる。

 あと一歩、あと一歩なのだが――

「……ギルベルト・フォン・オスヴァルト」

 塔の入り口に伸びる石段。

 唯一の出入り口手前に鎮座する男こそ、アルカディア最強の武力として二代剣聖の名で呼ばれる男、ギルベルト・フォン・オスヴァルト。

 そして彼の側近であるオスヴァルトの高弟たちが脇を固めていた。

 加えて別ルートからグレゴールらもこちらへ合流せんと向かっているのだろう。戦いの音がこちらへ近づいてきていた。

「俺が行くよ」

 時間はない。相手の数も少ないが、到達したこちらの本隊も少なく練度の高い部隊がいくつか到着するだけで殲滅されかねない。

 だからこそ、最後の局面で出し惜しみはない。

「ミラは皆と。他の人たちも強いからね」

「知ってるって」

 アルフレッドがアルカスからいなくなってから、ミラはオスヴァルト家に出入りし修行を付けてもらっていた。

 彼らとは旧知の仲である。性格も腕前も理解していた。

「そうだったね」

 ゆっくりと階段を上がるアルフレッド。ギルベルトもまた立ち上がりゆったりとした流れで剣を引き抜いた。アルフレッドはまだ抜かない。

 初見では攻略が難しい超速の居合い、それもルシタニア流であるレイが為すとなれば、それは神の速度に達する。

「お久しぶりですね、ギルベルト様」

「ああ、息災で何よりだ」

「退いてくれませんか?」

「聞けんな」

「残念です。貴方相手では加減など出来そうもありませんから」

「殺してしまう、と」

「……はい」

 アルフレッドとギルベルト、高低差はあれど互いの間合いが詰まった。どちらの刃も届く距離。小さくアルフレッドは呼吸をした。金と蒼が入り混じった炎が巻き起こる。幻想的な雰囲気を醸し出しながら、アルフレッドは哀しげに微笑み――

「さような――」

「欠陥技だ」

 出足を、ただ一歩間合いを詰められただけで潰されてしまう。身体を差し込み、剣が軌跡を描け無くしてしまえば、技の出しようがない。

「――らッ!」

 ならばとアルフレッドは後方に跳躍しながら居合いを敢行する。この潰され方をここまで見事にやられたのは初めてだが、居合いの対策としては珍しい類ではない。対策の対策として引き打ちもルシタニアの技にはあった。

「ゆえに滅びた。そんなものを墓から掘り出して未熟者相手に振りかざす」

 その引き打ちに対してギルベルトは、受けと言うにはあまりにも繊細で薄く、刃の先端で居合いを受けてみせる。完全に軌道を読み切った上で、それでもこんな受け方常人には出来ない。する意味もない。

「くだらん」

 無機質な眼がアルフレッドを見つめていた。

「……居合いだけが俺の技では、ありません!」

 ずっと悪寒があった。今宵、ずっと噛み合わない気持ち悪さがあった。夜襲に始まり、アンゼルムの妙策に苦しめられ、ようやく辿り着いた此処でも、思う通りに行かない。まるで彼ら全員が壁となってこう言っているかのようであった。

「「「世界は甘くない」」」

 アルフレッドは剣を握りしめ頭の中で思考をフル回転させる。あらゆる手の中から最善手を選び取り、組み合わせ、相手を揺らし崩していく。

 まずは初手――


     ○


 バルドヴィーノは悪寒と共に目を覚ました。

 深い傷であったが内臓は綺麗に避けており、まるで生かすためにそう斬ったかのような切り口に、改めて彼我の戦力差を知る。

「バルドヴィーノ様、お気づきで」

「……ああ、まさか生きていようとは」

 凄まじい技量。だが、その技量の凄まじさに対面するまで気づけなかったことの方が恐ろしい。おそらくはアルフレッドも勘違いをしている。隠している戦力などと言う可愛いものではない。人が到達してはならぬ領域に足を踏み込んでいるような、そんな感覚を覚えてしまった。理解を超えた技。アルフレッドの奥の手でさえ既存の技をベースとして体系化した先の技術なのは見て取れるが、あれは――

「抜き身の、剣。そうとしか形容できない」

 剣そのもの。人の延長線ではない。

「お気を付けを。二代目剣聖、もはや人では……ない」

 良く見るとバルドヴィーノの部下はほとんど死んでいなかった。明らかに致死に見えた剣、だと言うのに誰も死んでいない。アルフレッドの剣に似た効果だが、彼のように医療の知識を剣聖が修めているとは到底思えない。

 ならば、きっと彼は別のルートから、剣を極めた先で其処に至ったのだ。

 その絶技は人の技にあらず。

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