カルマの塔:戦う者たち

 白熊と不動の戦いはまさに死闘と化していた。圧倒的暴力で敵陣を蹂躙し、敵の心を折ることで防御を形骸化させる攻めが持ち味だが、バルディアスが鍛えた継戦能力、不屈の闘志で粘り強く戦う彼らにはいまいち有効に働いていない。

「隊列を組みかえよ!」

「御意ッ!」

 消耗した前線を下げずに入れ替える戦法。これだけの死闘を繰り広げながら冷静にかつ迅速に入れ替える様は、無骨ながら美しさすら感じられた。

「ぶっ潰せッ!」

「応よ!」

 動かぬ戦局。だが、攻め手である彼らは知っている。ここで手を止めたなら不動は完遂される。辛いのは相手も同じ。ここを抜けば進軍しつつあるアルフレッドの本隊の背を突ける、ゆえに攻め続けて抜き去れば大きな見返りがあるのだ。

「ウッラァ!」

 この場で誰よりも強く、破壊力を持つ女傑がかすかなほつれを見逃さず、一気に攻め込んでくる。陣が割れ、そして――

「シィ!」

 シュルヴィアも驚くほどの鋭い一撃で彼女の進撃を止めてみせた。実戦経験皆無の女性の剣としては破格の一撃。バルディアスが王にあてがった番が、ただモノであるはずはなかった。武人の、戦う者の剣。

「押し返せッ!」

「御意ィィ!」

 しかも、その中でも冷静さを欠くことなく指示を飛ばす度量もある。

「……あんたには本物の戦場で会いたかったよ」

「……それは敵としてですか、味方としてですか」

「さあね!」

「そうですか」

 恐ろしいほどの攻めにすら揺るがぬ不動。この粘り強さは他の軍に無い。

 戦場の片隅で彼女たちは戦う。

 一人は戦いの場を求めて、もう一人は愛する人の舞台を守るために。察しながらも何も言わず、誰も見ていない誰も知らぬ場所で内助の功を行う。

 それは武人としてなのか、それとも妻としてなのか、彼女が語らぬ以上誰もそれを知ることはない。

 それで良いのだと、テレーザはほんの少し、はにかんだ。


     ○


 アルフレッドが前進の指示を出した瞬間、コルセアらは何が変化したのか理解できなかった。だが、進むにつれて見えてくる。明らかな潮目の変化。あれほど見事な動きで彼女たちを翻弄してきた軍勢が、ここに来て上手く機能していない。

「何でじゃ?」

「クレスさんがやってくれたんだよ。頭がか細い糸で繋いでいた利きが消え、浮き駒が増えた。自らの裁量で動いて良い軍は、まだかすかに息をしているけれど、それ以外は指示が無いから動けない」

「勝手にやらんのか?」

「それを皆に許していたらあの策は成り立っていないよ」

 誰よりも早く其処に気づき、即座に軍を進め本隊を街の半ばまで移動させた。塔は目前、さすがにここまでくれば守り手もいるが――

「ミラ、付き合ってくれるかい?」

「はっ、高くつくわよ」

 アイコンタクト一つ、二人は駆け出した。あえて馬は使わない。騎馬の速度よりも小回りを優先したのだ。その判断の是非は、雨あられと降ってくる矢が示す。

 阿吽の呼吸で二人はかわし、自らを守り、時には相手を守った。踊るように彼らは剣を使い矢をさばく。互いの位置、動き方、何もかもが見ずともわかると言わんばかりに、全てを預け切っていた。

 アルフレッドとミラ。オリュンピアで名を上げたアルカディアが誇る若き傑物。

「ミラッ!」

「ったく、人使い荒いんだって」

 アルフレッドは自らが持つ剣を投擲し、盾の隙間から様子を窺おうとした兵を仕留める。ぐらりと倒れ込む兵は、堅牢な陣のひびと成り、風の如し動きで距離を詰めたミラがその楔から敵陣に侵入してのけた。

 アルフレッドの剣と自身の剣で即席の双剣使いとして暴れ回るミラ。全員の視線が其処に向かい、取り囲み数の利で勝とうと動き出した横で――

「破ァ」

 緩んだ盾ごとアルフレッドが無手で突貫し、発勁を用いた拳打で重装備の兵士たちを破壊していく。双剣に飽きたのかミラが見もせず剣を投げ、渡してきた頃には十数人が無力化されていた。そして――

「「はい、終わり」」

 ペアダンスのように華麗に将を斬り捨て、たった二人で敵陣を突破してみせる。

「う、うぉぉぉぉぉおおおお!」

 嫌でも高まる士気を背に、アルフレッドは強い輝きを放っていた。

「さあ、勝利は目前だ!」

 勝利に向かって掲げる剣。その背に不安はない。


     ○


 クロード・フォン・リウィウスは此処にいるはずの無い女を見つめていた。

 槍を突きつけ、其処を退けとその眼は言っている。

 マリアンネ・フォン・ベルンバッハは読み通りやってきた男を見つめている。

 突き付けられた槍を握りしめ、絶対に動かないとその眼は言っていた。

 互いに譲れぬ想いがあるから、此処にいる。


     ○


 少し時間は遡り――

「クロード様。前方に人影が」

「ん、敵にしろ味方にしろこっち側にいるはずが――」

 北門を抜け可能な限り人の少ないルートを選び、塔へ向かっていたがその途上にて人影を目視。

 道の真ん中で、こちらの騎影も見えているはずなのに、動く気配もない。

「どうしましょうか?」

「……何でだ」

「クロード様?」

 騎馬が歩を進めるたびにあらわになっていく人影。陰影が薄まり、ディティールが見えてくるにつれ、クロードの表情が陰っていく。

「何故お前が此処にいる!? 家族と避難してたんじゃねえのか! マリアンネ!」

「おっそーい。待ちくたびれちゃった。よ、クロード。来ちゃった」

 明らかな待ち伏せ。今宵の戦場には似合わない華美なドレスに身を包み、『いつも』通りの笑みを浮かべる少女にクロードは嫌な予感を覚えていた。ゆえに、自らは近づきつつも部下は手で合図し距離を置いて待機させる。

 それに、何か嫌な匂いも――

「警戒してる?」

「そりゃあな。やる気さえあったらお前が一番やばい奴なのは、俺が一番理解してるつもりだ」

「買い被りだって」

「だったら良いんだけどな」

 すっと、クロードは馬上からマリアンネへ槍を向けた。

「お前と遊んでいる暇はねえんだ。其処を退け」

「退くと思う?」

「退かねえなら痛い目見るってだけの話だ」

「そっかー、マリアンネ的には痛いの嫌いなんだよね。でもさ――」

 その瞬間、彼女の瞳に宿った色をクロードは知らなかった。比較的付き合いが長く、友人の中では間違いなく多くの側面を知るクロードが、見たことのない貌。

「今日は私も本気、だから」

 マリアンネは背後にある燭台に向かって握っていた石を投げた。足の固定を外されていたのか、簡単な衝撃で大きく傾くモノ。

「何のつもり、だ」

 倒れ込む燭台。それだけならば大した被害になどならないだろう。だが――

 小さな灯は、地面に接地した瞬間、まるで何かの導でもあるかのように燃え広がり、瞬く間に道を潰した。だけに止まらず、家屋に火がつき、そのまたさらに奥の家屋にも火が移って、一気に収拾がつかなくなる。

 着火源に敷かれていたモノは――おそらく油。

「お、お前馬鹿か! 自分が何をやってるのか理解して――」

「このルート、進み易かったでしょ」

「何で落ち着いて」

「答えはね、各所で劇団員の皆に誘導を頼んでいるから。だから、この火災付近に人が近づくことはないし、人的被害を出さないよう最善を尽くしている」

「……クロード様、この女」

「建物はね、この一帯全部買った。お小遣いじゃちょっと足りなかったから、テレージアお姉さまにおねだりしたのは内緒、ね」

 天真爛漫、普段見せている顔とは真逆の、冷たい計算式で埋め尽くされた貌。薄っすら浮かべている笑顔の冷たさに、それなりの修羅場をくぐってきた戦士でさえ怖気が走った。

「いつ、こんな算段を立てた」

「この半年、全てが決着する半年で、私に出来ることを考えたんだ。あの人は、私に何一つ望んでいないのは知っているけど。でも、何も出来ないのは癪だから、ごめんね、クロード。私に出来る最大の影響力は、貴方を拘束して、武人クロードを戦場から消すこと」

「最初から、か」

「貴方が北方に行ったときある程度声掛けはしておいたんだ。念のためにね。移住者が多いこの区画だからそれほど苦労はなかった。ケヴィンさんがあっちに向かうって聞いて、行程を考えたら貴方なら絶対に戻ってくるって確信があった」

「それを確信とお前は言うのか」

「まあ、ね。何よりもさ、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ嫉妬しちゃったんだ。私には何の誘いも無いのに、貴方にはケヴィンさんって招待状が届いたんだもん。じゃあ邪魔してやる! って乙女心、鈍感なクロードにわっかるっかなあ」

 おちゃらけながらも、完全に進路を潰したマリアンネの読みと行動力に舌を巻くクロード。

 もし、これが戦場であって、敵国との交戦であっても自分ではこういう大胆かつ効果的な策は思いつかないし、思いついても実行することは出来ないだろう。

 下調べ、根回し、資金力、全部張り巡らせて初めて成る策。

「お前らは迂回して向かえ」

「クロード様は?」

「あいつをはっ倒してそのまま突っ切る」

「無茶です」

「無茶でもやる。お前らは迂回して向かったが、間に合いませんでしたって結果で良い。何なら避難誘導を手伝ってやれ。色々収まってしばらくすりゃあ、無事な北門に色々と押し寄せてくるだろうからな」

「……承知」

 部下たちを散開させ、クロードは馬から降りて炎を睨む。この炎に馬を突っ込ませるわけにはいかない。そもそも突っ込んでくれないだろう。

「俺は往くぜ」

「往かせないって」

 クロードは立ちはだかる敵に槍を向け脅す。

「俺はあの人に救われた。あの人が仇を取ってくれたから、俺は復讐者にならずに済んだ。その後もこっちで面倒見てくれて、だから、俺は恩を返さなきゃいけねえんだよ。まだまだ足りない。何一つ返せていない。だから!」

 その槍を握りしめ心臓の前、胸にそっと先端を据える。

「私もあの人に救われた。あの人が私を見捨てないでいてくれたから、私は今生きている。二番目でも、三番目でも良いの。ただの兄と妹でも良い。ウソでも、良い。私を見て欲しかった。あの人の好きだった人に似た私を。そう思っていた」

 クロードとマリアンネは睨み合う。

「俺は最後まであの人の味方だ! 世界が何と言おうとも!」

「もう時間が無いから、だから、お姉ちゃんとは違うやり方で、私のやり方で役に立つ!」

 二人とも心のどこかでは理解していたのだ。愛する恩人が、とっくに限界を迎えていたことを。もう時間がないのだと、どこかで理解していた。だが、破局の時を迎えて二人が出した答えは真逆で、相容れないものであった。

「そこを退け!」

「貴方は通さない!」

 マリアンネのドレスに血がにじむ。双方とも揺らぐ様子は――ない。

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