カルマの塔:剣聖

 信じ難い光景であった。オリュンピアでの激闘を知る者であれば、より理解に苦しむ景色であろう。

 あの狼の子を打ち破った英雄が、手も足も出ずに膝をついているのだ。

『国守様ッ!』

 割って入ったロゼッタも相当の手練れ、であるにもかかわらず――

「温い」

 鎧袖一触、埃でも掃うかのようにあっさりと階下へ落とされる。あまりにも手応え無く、相手の足元すら見えぬ差にロゼッタは呆然とするしかない。敗れて悔しいという感情すら浮かばないのだ。差が、大き過ぎて。

(……究極の集中状態、国綱は全の彼岸って言っていたか。ギルベルト様も同じだ。俺たちと同じ領域に、俺たちとは比較にならないほど深く入り込んでいる)

 だが、全の彼岸はアルフレッドや国綱など雰囲気に蒼が混じる。それが普通なのだ。行き過ぎた者は頭髪や網膜など蒼色に染まるという伝説もあるほど。彼もまたアルフレッドらとは比較にならぬほど深い領域に足を踏み込んでいるが――

(それなのに自我が残っているのは何故だ? それにあの無機質さは世界に反発しているかのような。……いや、その真偽などどうでも良い。問題は、今の俺では勝てない、ということ。攻略法が見出せない)

 今のギルベルトは砂粒でさえ両断してみせるだろう。超集中状態、元々備わる技量が拡張された感覚によって神域に至っていた。アルフレッドも自信があった得意分野だったが、ここまで振り切れているある意味で人間をやめてしまった剣の怪物には勝てる要素がなかった。

 アルフレッドは何処までいってもジェネラリストで、極めたスペシャリストには勝てない。加えて、アルフレッドの身体は完治していなかった。否、完治しないのだ。無理を重ねて奇跡を成したが、その代償として二度とあの時ほどの力を出すことは出来ない。

 決死の覚悟で近づくことくらいは出来るが――

(近づいたところで今の彼に届くのか? 万全でさえ確信が持てないというのに)

 ここに来て最大の計算違い。

 アルフレッドの背に冷汗が伝う。

「それでも俺がやるしかないんだ」

 今出せる最大戦力を。オリュンピアで見せた虹には程遠いが、それでも此処まで出来る限り休めてきた力を解放する。そして、その隣には――

「あたしを忘れんなへなちょこアル」

「……ありがとう、ミラ」

 同じくオリュンピアで輝きを見せた新星、ミラがいた。母が残した捉え難き風猫の動きと、父に似た理不尽なまでの身体能力。

 二つが合わさった彼女は間違いなく大陸屈指の実力者になっていた。あのゼナ・シド・カンペアドールと比するほどに。

「……なるほど。それが全力か」

 ギルベルトは微笑みかけた己を自制した。

「往くぞッ!」

「あいよ!」

 この二人は間違いなく天才で、年齢を考えたならローレンシア史に名を刻むほどの完成度を誇るだろう。彼らの世代は粒ぞろいで、世が世であれば大陸は凄まじい戦乱の時代と化していたかもしれない。もし同世代だったらとギルベルトは夢想し、微笑みかけたのが先ほどのこと。

 だが、己と彼らはズレてしまった。自分が早過ぎたのか、彼らが遅過ぎたのか、その両方か。とにかくズレがあった。それに、一人はすでに終わった戦士。王道を往くために自らの身体を擦り減らした結果、終わってしまった。

 上手く誤魔化しているつもりであろうが――

「残念だ」

 剣聖の眼は誤魔化せない。


     ○


「ふう、此処の連中は酒つええな」

「娯楽が無いからのお。楽しみと言ったら飲むことくらいじゃ」

「……テメエが一番つえーんだよタヌキじじい」

「かっかっか」

 さんざん酒を飲んだ砂塵の長は、まるで本日初めて酒を飲むかのようにぺろりと飲み干す。酒に付き合うヴォルフはげんなりとした表情でやはり酒を飲む。

 この男たちには飲まないという選択肢はないらしい。

「先ほどから西方を気にしておられるようだが、よほど未練があるようじゃな」

「ああ、未練しかねえ。でも、やることもねえのさ。時代が移ろう。つい最近時代を引っ繰り返したばっかだと思えば、もう追いやられる側さ。俺たちの時代の覇者が敗れりゃいよいよってな」

「いつの世も若きは短く老いは早いからの」

「蘊蓄だねえ。まあ、生きている以上、何もしねえわけにはいかねえからな。だから旅立つって話で。それでも最後に、遠目でも感じておきたいんだ。俺に勝った男の最後を」

 ヴォルフは西方に向けて酒を掲げる。

(ただ、最後に行き着くにはちっと高い壁だな。剣聖、俺の登る山とは違うとこを踏破した到達者。将としての強さは皆無だが、ただの戦士、いや、剣としてなら天下一品だろうよ。まあ、あそこまで行くと俺にとっては興味の外なんだがなぁ)

 最終戦争で見た彼の姿はまさに剣聖であった。面どころか線ですらなく、点で受け攻めをこなす極めっぷり。打ち込む場所としての点、打ち込むタイミングとしての点、針の穴を通すかの技。どちらも通したのなら――

(自我すら飛ばして戦う。何のためってもんがないから、そういう境地に達することが出来るわけで。抜き身の剣を納める鞘があれば、また違ったんだろうなあ)

 鞘、カールを失った彼は戦う目的を失った。残ったのはカールと共にあるはずだった磨き抜いた剣のみ。単純な戦力と見ればヴォルフらにも比肩するが、その強さはひどく偏っており、大人数の戦場であればそれほど影響はない。

(もし、アルカディアで剣聖を倒せるとしたら、あの坊主が万全かもう一人、あの男が出てくるしかない。さて、どういった心境なのかねえ。まあなんにせよ、動かないって選択肢はねえよな。だってよ、これが最後だぜ? あいつの)

 すべてが今宵決着する。

 最終局面、何がどう動きどこに到達するのだろうか。

 ヴォルフは酒を片手に西方を眺めていた。


     ○


 アポロニアは何も見えぬはずの東方に眼を向けていた。父の墓と共に一つの時代の終わりを見届けようと静かに立つ。彼女もまたこれが最後であることを感じ取り、東から昇って来るであろう新時代を待っていた。

 其処に己が居場所はないが――それでも待ち望む。

 

     ○


 未だ正式な名を冠することなき業の塔。そのふもとではただ一筋の道である石段を巡り、大勢が入り乱れ奪い合いの様相を呈していた。アテナが、コルセアが、ロゼッタが、必死の形相でオスヴァルトの剣士たちと死闘を繰り広げながらも、数で勝る反乱軍は石段の狭さに利を生かすことなく個の実力で封殺されていた。

 そう、先ほどまでは大将同士の一騎打ち、大将とその親友を含んだ一対二の構図であった。問題は――その構図が長続きしそうになかったこと。

「そ、んな」

「……くそ」

 アルフレッドとミラ、二人の実力者、しかも息の合った二人が全戦力を投入してなお、二代目剣聖ギルベルト・フォン・オスヴァルトが勝っていた。

 フェンリスのような突出した身体能力を保持しているわけではない。リオネルのような傑出した超反応を所持しているわけでもない。ミラのような柔軟性も、ゼナのようなリーチも、彼は持っていない。それでもなお、この男は強過ぎる。

 攻防における究極のタイミングと位置。剣聖の眼はそれを見切り、剣聖の剣は其処を突く。同じふり幅、力の入れ具合、全てが上回っているように感じても、アルフレッドにすら見えない深度のスポットを見出すことで上回ってくる。

 もはやそれは技の領域ではない。

(冗談じゃないっての。強いのは知ってた。でも、ここまでなんて、稽古でも、オリュンピアでも見せなかった、見せる必要すらなかった、本気。くそ、ゼナ、あたしたち、まだまだ遠いよ)

 倍、いや、三倍の破壊力と速力をぶつけなければ揺らぐ気配すら見えぬ剣の怪物。同じ呼吸を知るがゆえに、アルフレッドは戦慄を禁じ得ない。今の己が領域でさえ気を抜けば意識が飛ぶというのに、ギルベルトと言う男は比較にならぬほどの深みへ至り、なお己を失っていない。自我や意識はほとんどないのだろうが――

「退いてください!」

「やめておいた方が良い」

 主の下へ助太刀に行こうとするアテナをオスヴァルトの剣士が止める。

「邪魔じゃア!」

「君たちの実力では間合いに入った瞬間、断たれるだけ」

 コルセアの剛力を悠々と受けるオスヴァルト高弟たちの実力。

『国守様ッ!』

「うぉ!? さすがに強い」

「大国の十指に女だてら入るだけはある」

 ロゼッタはさすがに一人では止めきれないと判断したのか、二人がかりで封殺する。実力が勝りトリッキーな戦闘が持ち味のロゼッタを二人がかりとは言え止めてみせる彼らもまた歴戦の勇士であり、剣の高みを目指す怪物たちである。

「グレゴールが来たぞ!?」

「あっちはシュルヴィアだ!」

 アルフレッドの本隊は精強な軍勢に背後を突かれる形となった。石段が詰まっている以上、階下にいる者たちの敵は追いついてきた彼らとなる。反転し、交戦を開始するも状況は芳しくない。何よりも上が攻略のめどすら立たないのだ。

 士気など上がるはずも無し。

 だが、全てが悪要素だけではない。

「よーし、どんぴしゃ!」

「ウォォォォオオッ!」

 クレス率いる遊撃隊が援軍として到達しシュルヴィア率いる精強なる北方兵と交戦を開始する。オストベルグが誇る重装騎兵と北方の荒くれ者がぶつかった音で大地が揺れたような錯覚に陥るほど、彼らの破壊力は突出していた。

「へえ、若いのにも骨太なのがいるか」

「負けんッ!」

 力でシュルヴィアと張り合うパロミデス。此処までの戦歴とアンゼルムを断った経験が彼を成長させていた。足りぬ力は技と気力で補う。連戦の中でも衰えぬ気力と根性でアルカディア屈指の破壊力を持つシュルヴィアと張り合って見せる。

 加えて――

「ぬ?」

「シィィィイッ!」

 血みどろのランベルトが敗残兵をまとめて援軍に駆けつけてきた。自身が駆っていた馬の血で隠れているが、己の身体も相当大きなダメージを負っている。しかも片腕はグレゴールとの遭遇時、もしくは家屋に突っ込んだ際に折れたのか、無理やり縛って動かないようにしていた。

「ほお、その身体で俺とやり合う気か?」

「俺の剣は突きだ。片腕で充分なんだよおっさん!」

 高みを目指すと決めた。負けたままでは終われない。きっと、彼らの世代が本気を見せてくれるのは今宵だけ。練習では駄目なのだ。

 本番の彼らに勝ってこそ道が拓けると言うモノ。痛みで意識が飛びそうになりながらも、ここまでやってきたのは――

「あんたを超えて俺は先へ往くッ!」

「ハハ、やってみろ青二才!」

 グレゴールは彼の泥臭さにかつての己を見る。自身の成長は其処から始まったのだ。自分が今いる場所を直視し、自分より才溢れる者たちが跋扈する世界を理解し、その上で何が何でも進んでやろうという覚悟。彼はきっと強くなる。

 あの自分ですらそれなりに成れたのだから。

 だからこそ、手抜きは無い。

 階下は混沌とした様相を呈していた。双方の援軍が入り混じり、死闘を繰り広げる。それでも優勢なのは白の王の軍勢。オスヴァルトを、ギルベルトを攻略出来ぬ以上、ゴールに辿り着くことが出来ないから。

 狭い石段は難攻不落の城塞と化していた。

 どんな手を使っても倒すしか道はない。だが、アルフレッドの貌に浮かぶ渋面からは光明すら見出せなかった。手がない。思いつかない。こと此処に至ってアルフレッドは歯噛みする。今宵の己には何一つ良い所がなかった。

 揺さぶられ、読み切られ、最善は尽くすもすべて相手が上を行った。持ち駒の差、力、速さ、柔軟性、兵法の理解度。

 白騎士の強みを嫌と言うほど叩き込まれた夜。十年、二十年とかけて作り上げた手足の力は優秀な者を引き抜くだけでは到底届かない。

 そして最後の最後で最強の切り札、ギルベルトが立ちはだかる。

 ヴォルフらがどういう意図を持っていたのか知らないが、彼はカール没後傑出した実力者とはまともに交戦していない。最終決戦では数百人を切り伏せた、だの『眉唾』なおとぎ話がある程度。

 本人も武功について語らぬ以上、若い世代が知る由もない。

 聞いていたとしても信じられなかっただろう。

 最強の一角が全盛期のままに一線を退いた、など。

「……勝てない」

 アルフレッドは生まれて初めてどうしようもない壁にぶち当たっていた。今までは最善を尽くせばどうにでもなった。思考の果てに解があった。今は解が導けない。自分の持ち駒では詰み切れない。それが見えてしまったから――

「俺はあの男の命でここにいる。だが、世間の噂通り俺は反白騎士、だ。全てが奴の思うが儘、と言うのは気に食わんから此処にいる。それに、俺は今度こそテイラーを守るつもりだ。お前を救おう。お前を挫くことで」

 アルフレッドの中にあるテイラーの血を守るためにその剣は彼の道を阻むと言った。その道の先に幸せがないことくらい彼は理解しているのだろう。世界のことなどギルベルトにとってはどうでも良い。

 親の業を子が背負う必要も無く、そもそも其処に悪意があろうと無かろうと、戦い抗う中での犠牲をギルベルトは業などと考えない。

 彼は戦士であり、剣で成したことは正義だろうが悪であろうが関係なく、それによって思い煩うことも幸せを放棄する必要も無いと考えていた。

 死者のために戦うなど生者の傲慢。

「さあ、そろそろ終わりにしよう」

 ギルベルトの貌から、また感情が抜け落ちた。ただ一つの剣と成り、言葉を発することも無く目の前にいるアルフレッドたちを斬り捨てんと動き始めた。

「アル、あたしが何とか止めるからあんたは」

「無理だよミラ。それが出来るなら、出来るのであれば迷いながらも君に提案していた。俺は嫌な男だからね。気持ちを利用してでも、そうした。でも無理なんだ」

 一部の隙も無いこの状態のギルベルト。二人でようやく戦いが形になる中で、一人に戻ればおそらく瞬殺されてしまう。

 一対一を一瞬のうちに二度繰り返し決着をつけるだけ。

「……ちょっち、ピンチ、かな」

「肉体の神秘に、賭けるしかない、ね」

 もう出せぬはずだが、もう一度奇跡を起こして虹の、自身の到達点に至る。今は上にいる父との戦いを考えず、ここで燃え尽きても構わないと言う想いで――

「アル!」

「……え?」

 一瞬の思考。その隙間に一振りの剣が――

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