カルマの塔:悪し騎士

「ラファエルか。邪魔をするな」

「そうもいかない。君の部隊だけ突出し過ぎている。出る杭は打たれる。古今、どの国でも同じようなことわざはあるものだ」

「ふん、本物は叩かれようと出るまでだ」

「あはは、君が、本物、か」

 主の命令を待つことも無くオストベルグの剣士たちがラファエルに突貫する。

 対するラファエルはそれらに一瞥することも無く、彼の用意した兵士たちが剣士を阻んだ。

「お?」

「……これは」

 剣士たちが感嘆するほどの技量。長柄と剣での違いはあれど、打ち合って伝わる力量に違いなど関係ない。彼らが剣を芸術にまで高めた集団であるならば、彼らはハルベルトと言う武器を扱う技術を高めた集団である。強くなることを目指していることには変わりないが、双方相容れぬ戦士観があった。

「先ほどは頭数を揃えるために未熟者も多く混ぜていた。今は違う。君たちだけのために用意した精鋭だ。それでも技量は敵うまい。だが、そこは剣とハルベルト、武器としての性能差で埋めるよ。君たちのこだわりは、枷となる」

 優れている武器だからハルベルトを極めた。美しい武器だから剣を極めた。

「そう言うお前は、何故剣を使う?」

「……ふ、君には分かるまいさ」

 彼女の美しさに魅かれた。彼女の美しさの神髄である剣に魅かれた。クロードも同じだったのだろう。だからこそ彼は剣を捨てた。剣では勝てないと悟ったから。逆に言えば他ならば勝負になると彼は心のどこかで分かっていたのだ。

 自分は――そんなこと一度として思えたことはないというのに。

「……馬上の利を捨てるのか?」

 自ら馬を降りるラファエル。

「君とは一度、本気でやり合って見たかった。今の君になら勝てるかもしれない」

 ベアトリクスは鼻で笑う。

「お前が一度でも私に勝ったことがあったか?」

「いいや、ないよ。でも――」

 ラファエルは歪んだ笑みを浮かべる。

「君だってもう、クロードには勝てないと思っているんだろう?」

「……今それは関係――」

「そんな君になら、勝てると思ったんだ」

 かすかな揺れ。ラファエルはそれを見逃さない。

「ッ!?」

 彼の剣はもう一人の憧れと同じ合理の剣。徹底的に合理化を突き詰め、最短最速ですべての戦局に応じる剣である。それでも足りない場合は、ウィリアムやアルフレッドのような人体理解による先読みを持たない彼ならではの方法で埋める。

 それが揺れを生み出すことであった。あえて最善手ではなく相手の思考の範疇を逸脱した手を打ち込み、惑わせ、その揺れを突く戦型。無論、それはリスクを背負うことにも繋がる。最善手ではない手なのだ。相手が揺れねば凡手と化し、相手が読んでいたら途端に悪手と化けるハイリスクな戦い方。だが、凡人であるラファエルがその先へ向かおうと思えばリスクを背負うしかない。人をさばいて中身を知り、それを剣に落とし込むなどの狂気を彼は持っていないし、思いつきもしない。

 だから彼は普段リスクを背負う。格上相手であれば。そもそも格上とは戦いたがらないし、そうならないように根回しする方が得意であった。

 だが、ベアトリクス相手であれば格上であっても勝算はあった。彼女を良く知るからこそ、彼女が何に揺れるか、何を想うかなど一目瞭然。剣で揺らす必要などない。言葉で揺らせばいい。ここは戦場、どうせ好かれる見込みもない。

 ならば――

「いつからだろう、顔を合わせばいつも戦っていた君たちが戦わなくなったのは」

「だから、それは今関係ないッ!」

 面白いほど荒れる剣。本人は気合を込めて放ったつもりだが、噛み合っていない力みはただの余剰動作。

 美しく、緻密で、完成された美しさ程、ほんの少しの染みで崩壊する。

「君から? それともあいつから?」

「関係ないと言っている!」

 揺らして互角。武人としてこれほど差が広がっていた事実にラファエルは内心歯噛みする。彼女とでこの差、ならば彼との差はどれだけ広がっているというのだろうか。考えるのも億劫になる。本物と偽物、本物を超えた本物。昔は対等だった三人は、今は歪なトライアングルに、崩壊寸前のそれに縋っている。

「嗚呼、お互い、か」

「黙れッ!」

 さらに荒れる剣。揺らぎは、大きくなる。あと一揺れで――

「君は傷つかないために。あいつは傷つけないために」

「違う! 私は、ただ――」

「違わないさ。でも、仕方がない。だって私たちは友達だろう? ライバルではなく。気遣うのも仕方がないさ。だって、ただの友達だもの!」

「黙れェ!」

 最大の力み。その揺れに、ラファエルはカウンターを放った。

 美しき剣の女王は『皮』を剥ぎ取られ、剥き出しの表情で呆然と立ち尽くす。それほどにラファエルのカウンターは完璧であったのだ。

 もう、どうしようもないほどに。

「ベアトリクス様ァ!」

 死を前にして剥き出しの彼女は哀しげに綻んだ。


     ○


 アルフレッドはあらゆる情報をかき集め全体を俯瞰していた。あえて剣を振るわず、時折弓を打つばかりにしているのは、ほんの僅かな機微すら逃さぬため。目を皿のようにして街並みを見る。音を逃さず、僅かな匂いも嗅ぎ分ける。

 部下の報告を全体の絵図に落とし込み、何かを探っていた。

 そして――

「さすがだ! よし、これより俺たちも進軍に加わる。一気呵成に決めるぞ!」

 わずかな機微を逃さなかった。

 ほんのわずかな、流動の淀み。それは――頭の機能が制限された証。

 つまり、クレスが仕事を果たしつつあるという証左であった。


     ○


「……場所を移す」

「しかし、まだ伝令が戻ってきておりませんが」

「待っていては間に合わん」

 そう言ってアンゼルムは本陣たる己が部隊を移動させた。これで味方の一割、下手をすると二割は本陣との連絡が絶えることとなるだろう。アンゼルムの流動を支える最大のキーにして、最も原始的な伝達手段に齟齬が生まれるのだから。

 伝令による一方的な命令。伝令が本陣から伝えられているのは、命令を伝える先と戻ってくる際の地点。絶えず動いているように見えるが、その実戻ってきた伝令を回収しながらまた放ち、そして移動して別地点で回収する。その繰り返しをして全体に命令を伝えていた。

 バックアップも含めれば相当数を伝令に回すことで、実数よりも虚像を大きく見せることに成功し、さらに本陣も捕捉不可能となっていた。

 これには命令を受け取る側にも相応の練度と経験値が必要であった。命令を受け取る際、戦闘状態では伝令を捕捉される可能性がある。戦闘状態を解き、一時的にセーフティな状態を作り命令を受け取る。それを自然に行わなければならない。

 この流動は入念な下調べの上での山岳戦、特殊だがこの戦場のような都市での攻防で大きな力を発揮する。頭が優秀かつ手足も優秀で従順でなければ構築できないが、一度組み上げて回すことが出来たなら破ることは至難の業であろう。

 まさに机上の空論を現実にしたアンゼルム渾身の策。

 だが、たった一つの駒が、全てを狂わせた。


     ○


「よし、近いな」

 先ほど捕らえた伝令には目もくれず、此処にそれが居たという点のみでクレスは答えに至った。閃きと理論構築。以前までの彼なら閃きだけで動いていた。其処に付け入る隙があったが、今の彼は閃きが先立ち理論を後構築、閃きの肉付けをすることで限りなくブレを押さえていた。

 理合いこそバルドヴィーノらの領域には達していないが――

 実戦で二つがフル稼働している状態ならば、今の彼は限りなく頂点に近い所にいるだろう。今となってはそれを比較する手段も場所も存在しないが。

「そいつは放っておけ。何か知ってる気もしねえし、知ってるやつを残すようなへまはしないだろ。締め上げてる時間が無駄だ。もっと、もっと、切り詰めて――」

 手を振る所作一つで全員が動き出す。疑問も懸念も、この男を放っておくリスクも、何もかもがクレスの命令一つで掻き消えた。

 彼がそう言うならばそうなのだ。

(嗚呼、この背中に預けるのは、心地良い)

 だが、彼はそれが危険であると言った。上に立つ者であればそれでも疑問は持つべきなのだと。全てを預けてはいけない。

 それは後悔を生むと、言った。

(簡単ではない。この引力に抗うのは、それこそ大きな力が、意志が要る)

 走り出す群れ。

 驚異的な直感で敵の策を看破し、最小限の損害で最短を駆け抜けていく。まるで全てが透けているかのように、全体が見えているかのように、彼は指示を出す。

 ストラクレスが、キモンが、次代を託すに足る器と判断した。脂が乗った時期の白騎士とぶつかり歴史上敗北者として名を刻んだが、もし、歴史に『もし』など重々承知した上で、もし、彼がもう少し早く生まれていたなら。

 本当の意味でウィリアムらと同世代であったなら、四つ目の巨星が天に瞬いていたのかもしれない。意味のない仮定であるし、今の彼がそう在るのはあの敗戦とその後の後悔があってこそなのだが――

「足止めに数騎。潜れば、ケツだ!」

 曲がり角を曲がった瞬間、陰に隠れていた騎兵による攻撃をスウェーしながらクレスは回避、後ろに詰めていた黒き鋼、重装騎兵が兜ごと壁に叩きつけ敵兵を粉砕、道を作る。

「ようやく会えたな」

 そして――

「見事だ。エィヴィング・ダー・オストベルグ」

 とうとうクレスらはアンゼルムを視認するところまで来た。無論、アンゼルムとて無策で迎え撃つわけではないだろう。後ろに控えている兵は精鋭で、比較的弱そうな兵もクロスボウなどの習熟度は並大抵ではない。

 それでも――見つけた。

「俺はただのクレスだ。お前さんたちに恨みつらみをぶちまける資格はとっくに失せているさ。俺もお前も亡霊、新しい時代には不要だ」

 此処までクレスは運んだ。

 ただ、彼が勝負にこだわっていた場合、ここまで辿り着けたかは分からない。何しろ彼は、最後の最後で使わなかったのだ。黒羊のキモンを破った毒を、それに類する倫理に反した術を。不条理なまでのそれらを用いなかった。

 ゆえにクレスは理解していた。これは限りなく実戦に近い状態であるが、国同士が雌雄を決するあの極限状態ではないのだと。戦争に近い何か、戦争を経験し失った彼が得るモノはそう多くない。

 だからこそ、クレスは――

「見つけたぞアンゼルム・フォン・クルーガー!」

 振り向くとそこには、馬を奔らせ誰よりも先に、命令よりも先に駆け出していく一人の若者がいた。無謀、無茶、愚行、蛮行、一通り思い浮かべた全ての言葉はあとで思う存分ぶちまけるとして、嗚呼、と、クレスは感嘆の念を覚えていた。

「あの馬鹿を援護してやれ。死なすな」

「承知ッ!」

 敵の弓手を散らすために進路をずらして突貫する重装騎兵。その後ろには弓も使える騎兵が致命打を潰さんと狙いを定めている。

「……其の懸命さが本物かどうか。見極めよう。射れ」

 アンゼルムの命令で矢が降り注ぐ。

「くっ」

 盾で受けながら、馬も重装備の隙間に弓を受け、自身もまた同じように傷を負う。何故命令を待たずに突貫してしまったのか。何故自分はこれほどに怒りを覚えているのだろうか。

(ギュンターだからか? だが、俺はキモン様を話の上でしか知らない。それなりに憤る話ではあるが、それでもこんな無茶をするほどだったろうか。嗚呼、それにしても痛い。これが実戦の痛み、これが戦場の――)

 致命傷にはなり得ないが、どこであろうと鉄の塊が突き立てば痛い。今にも投げ出しそうなほど、戦場で負う本当の痛みは辛かった。戦場への憧れが掻き消えるほどに、この痛みはロマンの欠片もない。一兵卒の痛みである。

「ウォォォォォォオオッ!」

 それでもパロミデスは駆けた。騎馬もまた呼応して嘶く。彼の覚悟が伝播したのだろう。良い騎士に騎馬は忠を尽くす。彼の覚悟は騎馬に決死の覚悟を与えた。

 それでも矢は無情にも降り注ぎ、とうとう馬は崩れ落ちた。

 だが、パロミデス・フォン・ギュンターは止まらない。

(そうだ。俺はこの景色が、何よりも許せないのだ。どんな理由があるにせよ、祖国の民に悲しみを、痛みを与えるこの景色が、許せないッ!)

 アルカスの日常を破壊する噴煙、鮮血、悲鳴。

「俺はパロミデス・フォン・ギュンター」

 大事な人の顔が浮かぶ。それらを取り巻く世界が浮かぶ。そう、ここは祖国アルカディアの王都アルカス。守るべきモノは此処にある。

「アルカディアの騎士だッ!」

 痛みも何もかも置き去りにして、パロミデスは駆けた。アルカディアと言う国家に呑まれたオストベルグの地に生まれ、大人たちから様々な知識を植え付けられ、ギュンターと言う家にも縛られ、彼は生きてきた。

 そう言う虚飾をすべて捨て去った時、残ったのは小さな小さな世界。それを守るためになら命すら惜しくない。それに仇名すものには一切容赦しない。

 その背後から煌く一筋の光。アンゼルムの騎馬に突き立つそれはクレスの剣。投擲したクレスは笑みを浮かべていた。騎馬を失い地に降り立つ彼もまた同じ笑みを浮かべ、しかし、剣を構えた時にはそれは失せていた。

「貴様如き若輩が国を担えるかッ!?」

 アンゼルムは居合いの構えから剣を放つ。パロミデスは上段からの袈裟切り。

「問答無用ッ!」

 国などどうでも良い。お前は、守るべき世界を燃やした。だから断つ。シンプルな想いを乗せた豪の一撃がアンゼルムの剣を砕いた。

「……まったく、この手に残る痺れは、嫌なものですね」

 そのままアンゼルムを、悪意の騎士を、断ち切った。

「……因果は、巡る、か」

 すでにアンゼルムは武人として死んでいた。レノーに敗れた際の後遺症で戦うことどころか当時は日常生活でさえ誰かの支えなくばこなせなかった。ここ数年調子が良く日常生活も一人でこなせるようになったが、それでも武人として戦場に立てるほどではない。

 それでも最後の居合いには、少しだけ手応えがあった。

 あっさりと打ち砕かれたその残滓を握りしめ、アンゼルムは微笑む。

(もし、私が万全であれば勝てただろうか? 嗚呼、私にもこんな心が存在していたのか。もう少し早く、そうだ、あの時、あの男と思いっきりぶつかっていれば、くく、本当に私は醜い。そんな言い訳、業を背負うモノがして良いはずも無し)

 崩れ落ちる最中、最後に彼からこぼれた言葉は――

「……これにて失礼を。だが、私が滅びようとも、悪意は、滅びぬ」

 与えられた役割を果たすセリフであった。

「……ならば、その度に俺が討ち果たすまで」

 新たな時代への忠告とエールを述べて悪意の獣は世界を去った。


     ○


 グレゴールは一瞬、とある方向へ視線を向けた。ほんの一瞬の機微であったが、共に戦場を駆け抜けた部下たちは目敏くそれを見つけてしまう。

 しばしの無言。察しつつ問わない彼らの思いやりで逆に居た堪れなくなったのかグレゴールは口を開く。

「……何から何まで対照的だったが、ああ、そうだな、たぶん、親友だったと、俺は思っている。あいつがどう思っていたのかは知らんがな」

「……アンゼルム様が落ちましたか」

「優秀な男だった。意外と不器用なギルベルトよりもあいつの方が凄いと思っていたもんだ。一度、本気半分軽口半分でぶつけてみたことがある。優秀なお前が羨ましいって、な。その時あいつは苦笑しながらこう言っていた。私は君たちが羨ましい、と」

「……どういう意味だったのでしょうか」

「俺にもわからん。わからんが、時折そう言う影を感じる男だった。そう言うところをクールだと思っていたが、たぶん、少しだけ、人と違ったんだろう。ほんの少しだけ。だが、ある日を境に影は消えたよ。あの男と出会ってから」

 グレゴールは遠くを見つめていた。

「人生が変わるほどの出会い、憧れの人に出会い、仕える。俺には出来なかったことだ。あいつも本望だったろうさ。影を務め切ったんだ、なあ、アンゼルムよ」

 散った戦友への想いを胸に。

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