カルマの塔:不器用なる者たち

 男は戦災孤児で、物心ついたころにはガリアスの頭脳、サロモンが擁した組織『蛇』の構成員として教育を受けていた。

 善悪はない。命令を遂行するだけの人形。

 誰よりも優秀で、忠実で、だからこそ自負があった。

 同じように拾われてきたアダン、アドンなど当時は眼中になく、たびたび命令を忠実に遂行しない彼らにいら立ったこともあった。

 しかし、己どころか『蛇』のトップに据えられたのは組織の一員ではなく、外部から、しかも野盗出身の男であった。アダンたちに輪をかけてふざけた言動、態度。サロモンからの命令も独断で解釈し、『蛇』の規範もどこ吹く風。

 それでもサロモンが彼を認めているのは明らかで――

 だからこそ己は力をつけ、誰にもなしえなかったアルカディアの闇、そこに君臨する男を打破してみせたのだ。

 これで自分が、一番になれる。

 だが――

「面倒やわー。僕、そういうの興味ないんやって」

「人には誰しも役割がある。これは命令だ」

「いいぞーザマーミロ、ディエース」

「なんや喧嘩売られとるなぁ。はぁ、せっかくもろた権限やし、まずはアダン、アドンをこき使うところから始めよか」

「おいおいアドン。ディエース様に逆らうなよ。あ、僕は忠実なしもべですよ。上司の言うことは絶対! 『蛇』の基本だぜ?」

「裏切ったなアダン!?」

 自分は選ばれなかった。なぜ自分がこれほど揺らいだのかもわからない。わからないまま赴任地に戻り、普段なら絶対にしない命令外の行動の結果――

「……何故こうなった?」

 赤子を抱いていた。

 育て方など何もわからない。やけくそになったどの行為によってこの子が生まれ、こうして抱くことになったのかもわからなかった。

「……」

 あまり泣かぬ子だった。手を煩わせるようなことはほとんどなかった。子供を殺したことはあっても育てたことなどないし、教えられるのは暗殺の技術と戦い方ぐらいのもの。だが、何故だろうか。何故、私はこの子を『蛇』としたくなかったのだろうか。技は教えても『蛇』を強いることをしなかったのは何故か。

「なんや、牙も人の子やったんやねぇ」

「……ああ」

「まあ、『蛇』の規範に子供を作ったらあかん、なんて項目はないもんねえ。自分らにとっては規範を作る必要もなかったって話やろうけど」

「……そうだな」

「ほんでも何で子供に首輪してリードしとるん?」

「ん? しないのか? 道ではぐれる可能性がある。夜道でも安全だ」

「……はー、純正の『蛇』はこうなるんやねえ」

 自分と同じ赴任地に、密命を帯びてやってきた男。いつの間にかあのいら立ちは消えていた。この男を前にしても何も感じない。

 それよりも――

「名前とはどう決める?」

「名前まだつけとらんかったん!? もうそこそこの年やん!」

「……」

 日に日にこの子に対する揺れの方が大きかった。

 ディエース指導の下、普通とは何かを学び、首輪も外した。ディエースの部下として与えられたネーデルクスの兵を捕まえてこの国の常識を覚えさせた。

「ちょい厳しすぎるんとちゃう?」

「そうなのか?」

 自分にとっては当たり前だったことが人にとって当たり前でないことも知った。知れば知るほど、普通とは奥深く、難しいことだと学んだ。

 そして気づけば――

「ディエース、頼みがある」

「改まってどないしたん?」

「もし、俺が――」

 怖くなった。心底、死ぬのが怖くなった。自分ひとりであれば恐れたことなどない死というもの。ただ一人背負うだけでこれほど恐ろしいものか、と。

 アルカスに至るのを怖いと思ったことなどなかった。敵の腹の中、深い闇を前にしても恐怖などみじんも感じなかった。

「……『蛇の牙』だな」

 東方の武人を前にしても、かつての自分なら何も思うことなく――

 死んでいただろう。

 殺されかけて、頭の中によぎった子供の顔。無表情で、何も映さない無機質な瞳。あの静けさが、共にある居心地の良さが――

 生きることを選択させた。

 意識を失い、幸運に幸運が重なって、ネーデルクスに戻ることができたのは一年以上経ってから。一度命令系統から離れた以上、『蛇』に戻ることは許されない。『蛇』でない自分に価値はない。わかっている。

 それでも一目――

「なんやねん」

「なんやねん」

「真似しなや。ほんま面倒くさいわあ」

「真似しなや。ほんま面倒くさいわあ」

 見たことのない顔で、ディエースと共にあった我が子を見て、己に親の資格はないと知った。もう、自分といた時の彼とは違った。彼ならきっとうまくやるだろう。部下の娘にもなついている。

 自分では出せなかった、出してやれなかった普通。

 普通の笑顔。

「……くく、くくく、あっはっはっはっは! そりゃあそうだ、なれるはずがない。たった一人すら背負えない人間が人の上に立つなど、人を育てようなど、あまりにもおこがましいことだった!」

 諦めた。会うこともせずに私は姿を消した。

 その時点で、嗚呼、そこでの選択こそ本当の意味で親失格だったのだと後で知った。ひょんなことから再会したアダンに言われたのだ。

「息子、三年近く朝、玄関の前で君の帰りを待っていたらしいぜ。まあ、僕にはどうでもいいことだけど、ってか隠し子まみれの僕が言えた性質じゃないか。それでもさ、たまに会ってやるくらい親の務めなんじゃねえの?」

 信じがたい思いであった。未練がましく、普通を模索した結果、暗殺者としてはあまりにも普通を逸脱した格好になった頃、私は本当に後悔したのだ。

 自分はあの子に求められていたのだと。

 一緒にいてもよかったのだと。

 すべては遅すぎた。

 今更どんな顔をして会いに行ける。

 あの子は立派に育った。

 よき名を得て、立場を得て、とっくの昔に手の届かぬ場所へ。

 自分より強くなったあの子を見て、申し訳ない気持ちと、強く育ってくれた安堵があった。もう、あの日の望みは、自分が抱いていた本当の感情は届かない。でも願いは届いたのだ。我が手で成せなかったことだけは悔いているが。

 それ以外は悪くない。自分の息子にしては出来過ぎている。

 だからもう、思い残すことなどなかった。

 でも、すべてを失ったこの地でもう一度家族に触れて、普通に触れて、いつか、どこかで、もう一度、という愚かな考えが浮かんだから――

 私はこれでよかったのだと嗤う。

 そして願う。あの子の道行きを――


     〇


 黒星が足取りを掴み追いついた時にはすでに――

「……ひでーなこりゃ」

 血の池地獄が形成されていた。その中心には白龍ともう一人、燕尾服の男が立つ。彼の部下はすでに全員事切れ、彼自体も片腕を喪失し足の一部も肉が削がれ機能を停止している。

 多少手こずったのか白龍も手負いではあるが、勝敗は明確であった。

「……ああ、殿下の。これは完全に詰みましたね」

「良い仕事だったと思うけどな」

「ええ、本当に。自分が何者なのか忘れるほど、彼女たちの護衛は、ええ、いい仕事でした。だからこそ、私たちは傍にいるべきでないッ!」

 片腕でナイフを投擲。

 鋭い軌道であるが白龍は軽くいなし距離を詰め、貫手で臓腑ごと腹を貫いた。まさに致命傷、血を吐きながら笑う男は静かに戦意を喪失した。

「光には光の、闇には闇の生き方が、ある。交わるべきでは、ないのです、よ」

 彼は仕事柄断片的にではあるが知っていた。あの家は先代が一度闇と交わり狂気の海に沈んだ歴史を持つことを。対極が交わることで良い結果を生むこともある。逆もある。それは一種の賭けで、今あるバランスを一度崩した結果なのだ。彼女たちが必死で手に入れたバランス、それを乱す気にはなれなかった。

 何となく、彼はそう思ったのだ。

「俺もそう思うぜ。あんたは、どうだ?」

「同じだ。交わるべきではない」

 手を引き抜き、事切れた躯に一瞥もせず、白龍は黒星の方へ向き直った。

「お前は少し肩入れが過ぎるな。表舞台に干渉し過ぎだ」

「あんたも白の王の命令で似たようなことやってたろうが。俺も、な。あの人は交わって、ぶっ壊れて、そして両方の側面を手に入れた怪物だ」

「お前の主はどうだ?」

「ふっ、あいつは、闇すら塗り潰す。今はまだ、其処まで達していないが」

 睨み合う両者。

「それで、お前はどうする?」

「依頼されたのはそいつらの排除だ。あとは好きにして良いと、言われている」

「そうか、ならば好きにしろ」

 白龍は興味を失いその場から去ろうと――

「じゃあ好きにするぜ。白の王の首でも取りに行くかなっと」

 白龍の眼の色が変わった。ぎろりと、黒星を睨みつける。

「挑発にしてはセンスに欠けているな」

「挑発のつもりはねえぜ。俺の主が到達して一騎打ちでもしてりゃあ嫌でも隙は出来る。そこを突いて仕留めれば良い」

「お前の主が許すか?」

「その時は命令が悪いって言い切るまでよ。好きにしろって言い方が悪いってな」

「……そうか」

 白龍は目を伏せ、そして――

「ならば貴様も排除する」

 音も無く距離を詰め、強烈無比の貫手を黒星に見舞う。彼もまたそれを予期していたのか、円運動でいなし、その勢いを利用して肩をぶつける。

 だが――

「んなっ!?」

 発勁を通さぬほど強固な壁。

 力が通り切ることなく、ぶつかった衝撃がそのまま跳ね返ってきた。彼の体得した剛拳の一種、未熟な発勁使いを技ごと押し潰す拳であった。

「稚拙な挑発が死を招くこともある」

「……にゃろう」

「王には暇をもらっている。これは、あくまで暇つぶし、だ」

「へ、あの夜の俺が全部じゃねえことを教えてやるよ!」

 幾度衝突しただろうか、今宵もまた彼らは戦う。すでに互いに戦う意味を喪失した身、ゆえにこそ何の束縛も無く彼らは拳を交えることが出来る。

 揺らめくは静かなる闘志。暗殺者ではなく唯の武人として、拳士として二人はようやく同じ地平に立った。

 深く、遠く、彼らの息吹が蒼く染まる。

 白龍対黒星、始め。


     ○


 ごそごそと一人の女性が火の手を避けつつ北へ向かっていた。北側だけメインストリートが潰されなかったため、比較的どの路地も空いていた。その上で『彼』の思考を推察し、この辺りかなと待ち伏せる。

「ふう、スーパースタァはつらいね」

 カラフルなドレスを身にまといマリアンネ・フォン・ベルンバッハは仁王立ちで待ち人が来るのを待っていた。だが――

「……ちょっと座ろ」

 五分としない内にその辺の段差に腰掛ける。

 彼女は飽き性でこらえ性がなかったのだ。


     ○


 ラファエルはアンゼルムが率いる軍の指揮下として十二分な働きを見せていた。流動的に動き、敵の弱点を間断なく攻めたて、こちら側の欠点である手駒の、手数の少なさを見事に誤魔化し切った働きぶり。

 彼もまたウィリアムのフォロワーなれば当然のことである。

「北門に動きあり、か」

「どうされましたか?」

「いや、良い。気にするな」

 頭の隅に浮かぶ影。ずっと下に見ていた言葉の汚い分不相応な同期は、気づけば自らを遥かに超える高みへと到達した。ベアトリクスに負けるのは納得できた。家柄も、努力も、環境も、美しさも、全てを彼女は兼ね備えていたから。

 だが、彼は違う。

 どん底から這い上がり、全てを捲って今の地位に立つ。

「今更君に何が出来る」

「何かおっしゃられましたか?」

「……何も」

 意識せずつぶやいた言葉をかき消して、ラファエルは戦場を見つめる。そもそも絶対的に足りていない頭数を、何とか都市と仕掛け、流動する部隊で誤魔化しているのが現状。必ずどこかにほころびが出る。

 そこを埋めるのが彼らのように自由裁量を与えられた部隊。

「やはり君がキーに成るか。であれば、止めるのは私しかいないだろう」

 この舞台に『彼』はいない。参加を許されなかった。

 それで少し満たされてしまう己は、やはり歪んでいるのかもしれない。


     ○


 シュルヴィアは幾度も騎馬隊による一撃離脱を繰り返し、敵を分断、攪乱することに成功していた。

 この時点で一番脅威となっている部隊は彼女であったことは明白で、だからこそ場違いと理解しつつも舞台へ上がった『女性』は戦局を左右し得る。

「……これは」

 道を遮るは鈍重なる部隊。

「へえ」

 明らかに『受け』に特化した編隊。シュルヴィアには当たらず避けるという選択肢も有った。一瞬、それを本気で検討する程度には脅威に映ったのだ。目の前の、女が指揮する部隊に。

 おそらく初陣であろう女に、退こうと思ってしまった。

「面白いマッチアップじゃない」

「総員構え! 対敵用意ッ!」

 一糸乱れぬ動き。練度の高さは折り紙付き。

 何しろ――

「白熊対不動、時代を超えて、か。叩き上げなめんじゃねえぞお嬢様ァ!」

 不動、バルディアスが鍛え抜いた精鋭たちなのだから。すでに後期の兵でさえ高齢化が進んでいたが、それでも研鑽を欠かすことなくこの日を迎えることが出来た。主、テレーザ・フォン・アルカディアの手によって再び戦場に甦る不動の軍。

 ただし、相手が暴に優れた白熊の、シュルヴィアの軍勢ともなれば受け切れるかどうかはわからない。あらゆる戦局を個人の、集団の破壊力で突破してきた群れである。並大抵の軍では受けなど成立しない。

「押し通るぞッ!」

「応よ!」

「不動たれッ!」

「御意ッ!」

 将の力量はさておき、おそらく群れとしての機能であればアルカディア最凶の攻撃力が白熊の軍勢。対する不動の軍勢は特筆して強くも無く硬くもない。されど強固な信念と粘り強い戦いが持ち味、泥臭い戦いを信条とする。

 かつてネーデルクスが隆盛を誇った時代、当代最強と謳われた三貴士、天下の大将軍を輩出しその後継者として燦然と輝きを見せつけたストラクレスらと同じ星の下に生まれた不遇の将。勝ち星は特別多いわけでもない。負け戦も重ねている。

 それでもなおバルディアスがアルカディアの顔であった。

 その血筋は途絶えていない。

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