カルマの塔:月の似合う女

 アルフレッドたちはアルカス郊外の町に拠点を構えていた。冬に入る前からイヴァンやアテナに用意させていた場所で、破局を迎えた際には準備を整えたこの場から、一気に攻め入るつもりであったのだ。

 アルカスにいたままでは危険が及ぶと縁者たちもこちらへ避難させ終わり、さあ、明日にも戦いを始めようとした矢先――

「敵襲! 夜闇で見え辛いがあの巨体はおそらく、グレゴール・フォン・トゥンダーだ!」

「何ッ!?」

 この戦いの構図を理解する者であればあるほどに、このタイミングでの夜襲はあり得ないと踏んでいた。この場で最も実戦経験が豊富なバルドヴィーノとクレスが声を上げたのだから相当である。

「……こちらに主導権を握らせないつもりか」

 長期戦になればなるほどに有利なはずの側から仕掛けられた。実戦経験が少ない自分たちは、予想外の事態に慌てふためく。

 そうさせるためだけの一手。

「アインハルトさん。住民と非戦闘員の避難を任せます」

「ああ。ニコラ、商会の皆を動かす。手伝いなさい」

「はい御父様。アルも、死なないでね」

「もちろんだニコラ。明日の朝にはゆっくり朝餉を囲めるよう善処するよ」

 だが、焦る必要はない。やるべきことが早まっただけ。

「狼煙は見えないな。この屋敷を燃やして『合図』とする。各員、速やかに所定の位置につけ。なに、半日早まっただけだ。一気にケリをつけるとしよう!」

 戦う準備は出来ている。夜戦も、このタイミングでは考えていなかったが、考慮していなかったわけではない。こちらが見えないと言うことはあちらも見え辛いと言うこと。双方が抱えるデメリットなれば――生かさぬ手はない。

「策が不発に終わった場合、君たち二人の力にかかっている。この攻めは、悔しいが妙手だ。机上ではありえない話だが、経験の足りない俺たちにはとても有効だろう。俺としたことが相手に甘えてしまったね」

 クレスとバルドヴィーノは頷いた。ただでさえ実戦経験が足りない軍、其処に加えて歴戦の戦士であっても難しいとされる夜戦では、充分な実力を出し切れるとは考えない方が良いだろう。緒戦から苦しい戦いになるはず。

「まずは両翼に散ってグレゴールをいなす」

「受ける気はなし、か」

「下手に受けたら、その時点で壊滅だ。ヤン・フォン・ゼークトの槍、グスタフの破壊力を受け継ぐ彼を侮れば、一気に持っていかれるさ」

「そんなのわかり切ってるだろ。嫌な匂いだぜ、あれは、やばい」

 すでに現役を退いたグレゴールだが、衰えがその理由でないことはアルカディアの武人なら誰もが知っている。

 そして、その彼の破壊力は――

「返しの柵を展開。弓を射かけて時間を稼げ!」

 戦う準備は出来ている。

 しかし、皆の心までがそうとは限らない。

(……さすがは父上。本当に、貴方は深いところで人を理解している)

 いきなり主導権を奪われてから始まる戦争。

 多い少ないはあれど、血の無い闘争はない。王冠を巡る戦いであればなおさら。

 アルフレッドの背中にはうっすらと冷たい汗が流れる。


     ○


 ウィリアムは一人自室で鼻歌交じりに作業をしていた。いつもやっていることであるが、今宵は特に入念に行わねばならない。弱さは見せない、強さだけを、君臨する者として、引き継ぐ引き継がないにかかわらず、示す必要があるのだ。

 暗闇の一部、かすかに燃ゆる炎の色が浮かぶ。

「ふむ、始まったか。さすがだな、俺でもそうする」

 ウィリアムは笑った。用意した壁は決して容易くはない。容易い継承に意味はないから。例え茶番であっても、血が流れる以上、それは全力を、死力を尽くしたモノであるべき。それを超えてこそ明日がある。超えられる程度であれば、その程度であったと言うこと。

「さて、俺もそろそろ舞台へ上がるとするか」

 立ち上がるは王。進むべき道は孤高なる覇道。それは最後まで変わらない。変わってはならない。許しはない。許しを乞うこともしない。ただ邁進するのみ。

 己が滅びるその時まで。


     ○


 ウィリアムは支度を済ませ自室を出る。結局、最後まで肌に合わない部屋であった。名残惜しむ気にも成れない。

 己にとっての家とは、テイラーの屋敷であり、ヴィクトーリアと過ごした家であり、家族と過ごした北方の屋敷であり、そして――

「夜分遅くに王がどこへ向かう気か」

「クラウディアか。貴様こそ、随分めかしこんでいるな」

 王宮における最大の敵。自分が駆け上がるために内に秘めることとなった毒。それが彼女、クラウディア・フォン・アルカディア。こと容姿の美しさに関して言えば掛け値なしにアルカディア、否、ローレンシアでも頂点に君臨していただろう。

 昨今は多少の陰りも見えたが――今はその陰りの欠片も見受けられない。

「久方ぶりに妾を抱かせてやろうと思うてな。光栄に思え」

「……悪いが所用がある。愚息が反旗を翻したと聞いてな。そろそろ仕置きをせねばならん。塔の前に陣を敷いた。今宵は其処で余自らが指揮を執る」

 ウィリアムの言葉を聞き、クラウディアは美しい顔を歪ませた。

「妾よりもくだらぬ茶番が優先か」

「……そうだ」

「く、くっく、くははははははははッ! 世界中から求婚され、アルトハウザーをも毒牙にかけ、実父すら虜にし、王宮を毒に沈めた、この妾の美貌すら、目に入らぬと言うのか」

「火急の事態だ。普段は余の眼にも魅力的に映っている」

「ほざけ! 貴様は、一度として妾を見ておらぬ。品性の欠けたあの女に向けていた目、あの小僧を見つめる目ェ。気づいておらぬと思うたか、其処まで愚かと思うたか!?」

 クラウディアがこれほど取り乱すのは珍しいことである。

 だが、ウィリアムには分からない。今更、何故彼女がこのようなわかり切ったことを言い放っているのかが。

「気づいていると思っていた。愚かだと思ったことはない。だが、今のお前は愚かだぞクラウディア。すでにお前の手は尽きた。あれに負けた。ならば、お前は次の敵に備えるべきだろう。余の前に姿を見せず、地に伏し、力を蓄えるべきだった。それがお前であろう? 魔女よ。今のお前は、余の政敵であった女には見えんぞ」

 ウィリアムの言葉に、クラウディアは嗤い転げそうになる。嗚呼、本当に、この男の眼には何一つ、自分は映っていなかったのだと。幾度身体を重ねようと、どれほどこの美貌に磨きをかけようと、目に映らぬのでは意味がない。

「この期に及んで、妾を見ようともせず、小僧の餌として妾を残さんとする。敵ですらなく、ただ一つの駒、有象無象の一人か、妾は」

 クラウディアの目じりにかすかな煌きが浮かぶ。

「化粧、巧いものよな。上手く誤魔化して見せておったが、病であろう? 随分前から、玉座に座る頃には、すでに死期が見えておったか?」

 ウィリアムは驚いた。今まで誰にもバレたことのなかった術である。化粧をする男などいない。その先入観と長年培ってきた技術が此処まで取り繕えていた理由。それが、敵であった彼女にバレていた。

 使い方は、強請り方は、いくらでもあったはず。

「死期など見えんさ。其処まで俺は万能ではないよ」

「そうさな、貴様は見えていない。本当に、何もかもッ!」

 それをせず、そして今になって刃を向ける。

 今の彼女に理屈はなかった。

「……武装した俺に、そんな小さな刃を向けて何が出来る?」

「こうでもせねば、貴様は妾を見ようとも思うまい?」

 ウィリアムに向けられた小さな刃。無手であってもそれなりの使い手でなければ大きな危険はないモノを、握るは戦場にも出たことがないお嬢様。如何に彼女が魔女であり、毒牙を持った蛇であっても、それは女の戦場での話。

「妾を見よッ! あの女と同じ目で、それ以上の目で! そうでなくば理屈に合わぬ! 妾の美貌と地位、何があの女に劣る!? 見よ、此処に流れる王の血を!」

 クラウディアは自らの腕を切り、その血をウィリアムに見せつけた。赤き血、同じ人間である何よりもの証左。青くも無く、黄金でもないその血を見て、ウィリアムは初めてその顔を歪めた。

「これが妾を縛った。妾の世界を狭めた。だが、特別なのであろう? 貴様も言うておったよな? この血が欲しいと。ならば、くれてやる。いくらでも飲むがよい。その代わりに妾を見よ。あの眼で、もっと、それ以上に!」

「何がお前を突き動かす? クラウディア・フォン・アルカディア」

「知らぬ。『あの日』から妾は壊れておるのやもしれぬな。異人の、下賤の血ゆえ、欲することすら矜持が許さなんだが……嗚呼、そうよな、そこか、妾の過ちは。ようやくわかった。もうよい、『次』は間違えぬ」

「何の得心を得たのか知らんが、わかったなら――」

「ぬしの考える『次』ではないわ、このたわけが」

 クラウディアは一息つき、そして、その刃をウィリアムに向けて駆け出した。美しいドレスが月下にて煌く。美しくも狂気に充ちた笑み。

「……何故だッ!?」

 ほぼ反射的に、ウィリアムはクラウディアを斬った。

「二度目、いや、三度目か? とかくぬしは愚かな女に弱いのだろう? くっく、ほれ、好みに合わせてやったぞ。光栄に思え、この妾が、クラウディア・フォン・アルカディアがなァ」

 噴き出す血にまみれ、刃をこぼし、立ち尽くす鮮血の乙女。ふわりと笑う彼女は、まるで生娘のような雰囲気でウィリアムに寄り掛かった。

「何故かと聞いているッ!?」

「ようやっと、妾を見たな。くっく、いい気味よ。此度はこれで許してやる。『次』は、妾の一人勝ちよ。誰よりも美しい妾が、誰よりも先んじて、出会い、奪う。覚悟せよ、貴様が何処に生まれ落ち、王であろうが、奴隷であろうが、異人であろうが関係ない」

 がり、まるで噛みつくような接吻の後、クラウディアは倒れ伏す。明らかに致死量を超えた失血、おそらく彼女が立ち上がることはないだろう。

「妾がぬしを――次は、間違え――ぬ」

 ウィリアムの唇から赤い血が流れる。彼女と同じ赤色の血が。地に堕ち、交わり、一つとなった。天と地、本来交わることのない同じ色。

「最後まで楽に死なせてくれぬな。俺が度し難いのか、世界が度し難いのか、それとも両方か。愚かな女だよ、お前たちは。もっと執着すべき男など、巷に溢れているだろうに」

 白銀の髪をひと撫でし、ウィリアムは血を払い剣を納める。

 人通りのない王宮の通路を進むと、壮絶な貌を浮かべウィリアムを睨む息子の姿があった。憎悪、嫉妬、愛憎入り混じるその眼には、狂気と共に知性があった。彼はきっと、良い復讐者に成る。ウィリアムの意図を汲みとり、王の手と成り足と成り、そして敵と成るに違いない。壁は要る。敵も要る。

 狂気は時に力を生む。

(憎めよコルネリウス。そして気づけ、俺が真に望まぬことを。その時お前はあれの協力者と成る。あれを縛り付ける鎖として、機能する。王道にとって、それが最善だ。それにお前は苦しむのだろうな。すまぬ、息子よ)

 ウィリアムは王宮を出た。もはや戻ることのない場所を。

 ずっと前、幼き頃の憧れはすでに擦れて消えた。中身を知ればここが楽園ではないと理解出来る。天地にさほど差はなかった。

 同じ人間がひしめき合っているのだ。其処に何の差があろうか。掃除が行き届いているか否か、それだけのこと。くだらない。

「もし次があるのなら、きっと俺は愚かだから、また目指すのだろうな、此処を」

 それでも人は天を目指す。其処に何があろうとなかろうと。

 ウィリアムは歩き出した。終着の地に向けて――


     ○


 ガリアスの王妃、エレオノーラは静かに夜空に浮かぶ月を眺めていた。

 あの日のことを思い出していた。初めてあの人に出会ったあの日を。自分が彼に興味を持ったのは武勇伝を耳にして、それで興味を持った。あの夜は確かに特別だったが、アレクシスの冒険などの本で語り合った日々の方が強烈に残っている。

 あの日、あの夜、惹かれていたのは姉の方――

『ウィリアム、様』

 あの姉からあんな声が出るのかと驚いた記憶がある。そう、兄の伝手を使って先回りしたのは自分の方だった。

 そして、今、自分は彼から遠く離れたところにいる。

「罰が当たったのかもしれませんね。だって、あのお姉さまが興味を持つ男性なんて、気にならない方がおかしいもの。ねえ、お姉さま、今度は、違う人を好きに成りましょう。もし同じに成ったら、正々堂々戦いましょう。私も、今度は戦いますから」

 何となく予感がしたのだろう。仲の良い姉妹だったから。

 彼女はきっと、自分には出来ない生き方をしたのだと。あの姉らしく、そしてらしからぬ生き方、誇りに殉じ、誇りを捨て、戦い、散った。

「御機嫌よう、私の憧れだった人」

 あの人も、月が似合う美しい女性だった。

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