カルマの塔:大切なもの

「――以上が殿下討伐の嘆願書に家名を連ねた者たちだ」

「ありがとうございます。まさか、かの大公家ヴァルトフォーゲルが彼らと袂を分かつとは思っていませんでした」

 アルフレッドの前に立つのはハーロルト・フォン・ヴァルトフォーゲル、大公家を束ねる貴族の中の貴族であった。そんな男がこうしてアルフレッドの下に、この状況下で足を運んでいるのだから中々に興味深い。

「品性を欠いた貴族に何の意味がある? 我がヴァルトフォーゲルと彼らの矜持にいささか齟齬があった。それだけのこと」

「なるほど。貴方は真の貴族だ」

「世辞は要らん。私は殿下、貴方を認めていない。エスケンデレイヤにしろオリュンピアにしろ、力で勝ち取った功績は認めるが、それらは戦士の功であって、支配者に求められるモノとは性質が異なる。貴方はまだ何も成していない。ゆえに私は貴方の味方ではない」

「では、貴方に認められるよう精進致します」

「……ふ、嫌味を受け入れるくらいの度量はある、か」

 何かがツボに入ったのか、ハーロルトは静かに微笑んだ。政の場においても、会食の場においてすら相好を崩すことのない男だったのだが――

「それでは失礼する、アルフレッド殿下」

「今後ともよろしくお願い致します、ハーロルト殿」

 微笑んだのもつかの間の事、そのまま威圧感のある無表情でハーロルトはこの場を後にしていった。アルフレッドはにこにこと微笑んでいるが、他は緊張していたのか特にパロミデスやランベルトなどは大きく息を吐いていた。

「どうしたの、ふにゃふにゃした顔をして」

「王族と血を分かつ大公家の当主だぜ。緊張しない方がおかしいだろ」

「……え、と、俺も一応王族なんだけど」

「それは別の話だ。変な汗をかいてしまった」

 ランベルトとパロミデスの反応に苦笑しながら、アルフレッドは彼が持ってきた土産である情報に目を通す。ほぼ予想通りの陣容。悪手に応じた者と応じなかった者、このリストはすなわち選別と成る。

 ここから先、重用すべき人材をふるいにかける上で。

「結局、ヴァルトフォーゲルの助力は得られませんでしたね」

 イヴァンの発言にアルフレッドは笑みを深めた。

「あの人なりの思いやり、だよ。ヴァルトフォーゲルが手を貸せば、一気にこの戦いは政治色を強めてしまう。権力対反権力ではなく、権力同士という絵図に置き換わる。それだけ強いんだ、大公家は。だからこそ手を貸すことをしなかった。もちろんリスク回避の側面はあるけどね。加えて俺は認めてもらえていないし」

「多くを成したアルフレッド様に対して少し礼を欠く発言に思えましたが」

「それは仕方がない。俺の功績は個人のスタンドプレーの域を超えていない。父上のそれとは性質が違うし、それすらも彼が求めるモノとは異なる気がするよ。たぶん、彼らの立場にならねば見えぬモノもある。その点だけは、エスマルヒでさえ俺の上をいく」

「そのようなこと」

「今の時点では、ね。すぐに追い抜くさ」

 上に立たねば見えぬモノはある。立ち位置を変えれば景色は変わるし受け取り方も違ってくるだろう。古き貴族と言うモノを侮ってはいけない。彼らは彼らの地平のスペシャリストなのだ。全てを断ち切って国家の舵取りが出来ると思うほど、アルフレッドは傲慢ではなかった。

 そう言う意味でも、このリストは非常に意味深いモノと成る。

「アールー、ちょっきんの時間だよー」

「はーい」

 ひょっこり現れたイーリスの謎の発言。

「ちょっきん?」

「散髪のことだ。幾度か耳にしたことがある。確かあれは八年前だったか――」

「……お前、その時からストーカー気質だったのかよ」

「人聞きが悪いぞランベルト。俺はただ――」

 ドン引きのランベルトに対してずれた抗弁をするパロミデスをよそに、アルフレッドは呼ばれた方に向かう。

 面倒くさかったことと時間がなかったこと、特に切る用事も無かったため伸ばしっぱなしであったが、演出にも使ったし、あの出来事の後に髪を切ったと言うちょっとした演出のためにも、ようやく重い腰を上げたアルフレッド。

 妙なところで面倒くさがりなのは昔からのことである。

「じゃーん、ミラとニコラ、可愛いでしょ!」

「……ふーむ、控えめに言ってめっちゃ美人だね」

「んだよその言い方」

「じろじろ見ないで」

 恥ずかしがる二人の反応を意に介すことなくじろじろ眺めるアルフレッド。とにかく彼は美しいモノが好きなのだ。

「今度、コルセアとアテナの分もお願いしようかな」

「良いけど、そう言えば二人は?」

「内緒。よーし、思いっきりお願いするね。格好良くしてください」

「このイーリスちゃんにまっかせなさい!」

 さらっと二人の所在はかわし、お待ちかねの散髪タイムである。実はアルフレッド、腰が重いわりに散髪と言う行為自体はかなり好ましく思っていた。

 人に頭を触られることが好きなのだ。特に気を許している相手から弄られるのは至福のひと時と言っていい。

 昔、あの平穏溢れる北方で、その役目は父である『あの男』であったから。

 しばし、二人の間で昔のような、穏やかな時が流れる。

「こうやって髪を切ってもらうのも久しぶりだね」

「一番最初はあっちに遊びに行ったときだったよね。陛下に良い所見せたくて出来もしないのにアルの髪を切ったら」

「案の定ぼろぼろで俺泣いたっけ」

「もう号泣。さすがのお母様も平謝りしてたもん」

「あっはっは、覚えてる覚えてる。母上にはもう誠心誠意って感じなんだけど、父上相手だと露骨に嫌な顔しながら心のこもってない謝罪をしてたね」

「そうだった? あれから練習して今じゃプロ顔負け……何だけど良い歳して貴族の令嬢がすることじゃないって怒られてからはやり辛くなったなあ」

「かくあるべし、なんて本当は何の意味もないことだけど、人はそう簡単には変わらないから。自分の価値観を共有したいものでしょ、人って。それってある意味で押し付けと同じなんだよ。何事も行き過ぎると不健全って話」

「……むつかしい」

「無駄に理屈っぽいのが俺の良くないところだなあ」

「私は馬鹿だからついて行けないけど、ニコラはそういうところが良いって言ってたよ。うらやましいなあ」

「彼女も理屈っぽいからね」

「ふふん、アルはわかってないね乙女心を。あれは作り物なの、アルと話しを合わせたいから勉強して……あ、これ言っちゃダメな奴だった」

「……聞かなかったことにするよ。変に意識しそうだし」

「ごめぇん」

 さらさらと金の髪が養生した床面に落ちていく。キラキラと、春の訪れを予感させる朗らかな陽気が、乱反射してとても幻想的な空気感を生み出していた。

 もう戻らないはずの子供時代が、手を伸ばせば届きそうな、そんな気分。

「二回目は、アルのお母様が亡くなって、再会したら、だったよね」

「そうだね。今に負けないくらい髪の毛が伸びていた気がするよ」

「これは手入れしてるけど、あの時は手入れしてなかったからボサボサだったよ。本当にひどかったんだから。誰!? ってなったもん」

「ばあやが手入れしてくれようとしていたんだけど、あの時は子供で、母上や父上がそうしてくれない理由が分からなかったから、ずっと待っていたんだ。いつも通り父上が髪を切ってくれるのを。いつも通り母上が手ぐしで整えてくれるのを。そうしたら君が来た」

「初めて喧嘩したよね」

「パーかと思ったらグーだもん。びっくりしたなあ」

「逆にそっちはパーだった。女々しさ全開だね」

「あはは。で、二人して泣きながら、君に髪を切ってもらったっけ」

「そう。あの時は我ながら会心の出来だった」

「父上よりも上手かったよ。うん、あの時だね、前に進まなきゃって思ったのは」

「ええー、人のせいにしないでよ」

「本当のことだから。父上は忙しくて、母上は帰ってこない。自分はアルカスにいて、君がそばにいる。君だけじゃない。ニコラやクロード兄、マリアンネさんに、ベアトリクスさん。ヒルダ伯母様。色んな人に支えられて、僕がいた」

 失ったモノがあった。でも、周りを見渡すと、たくさんの人に囲まれていた。しょぼくれていたら、あの時のイーリスみたいに悲しませてしまうかもしれない。それは嫌だなあとあの時のアルフレッドは思ったのだ。

 立ち上がって、僕は大丈夫だと。

 そう言いたかったから、少しだけ頑張ろうと思った。

「君に救われた。感謝している」

「そう思うならもうちょっとそばにいてくれても良いと思うけど」

「そう思うから離れるんだよ。僕はね、もう、誰かを幸せにすることが出来ないんだ。大切な人を幸せにしたいって願いは、特別扱いだ。特別扱いは例外を作ると言うこと。例外は、いずれ必ずルールの綻びを生む。王というルールが綻ぶ時は、新しいルールが台頭してきた時であるべきだ。それ以外は、許されない」

「また理屈っぽくなってる」

「それが僕の行き着いた先で、それが俺だから。そして、絆だ」

「誰との?」

「僕の、そして俺の、世界で一番好きな人」

「イェレナって子?」

「彼女は女の子で一番」

 その言葉を聞いて「そっか」と小さくつぶやくイーリス。彼女は知っていた。ずっと昔から、誰よりも彼はその人を好きだった。優しい母親よりも、きっと彼にとって初恋であろう自分よりも、何者よりも愛し尊敬し、そして――

「私、パロミデスとのこと、少し真面目に考えてみるね」

「うん。それが良い。彼はまじめで一途だ。ちょっと行き過ぎちゃっているところはあるけど、全部君への愛が原因だし、何よりも不器用なところが良い」

「馬鹿にしてぇ」

「小器用よりも不器用な方が良い。そっちの方が伝わるんだ想いってのいうのは」

「お、実感こもってるね」

「父上がそうだったから。本当に、手探りって感じだったんだ。子供の眼から見てもね」

「……うん、そうだね。私も、そう思う」

 きっと、彼女だけが少しだけ同じ想いを共有出来るはず。彼女は昔、あの人に憧れの念を抱いていたから。初恋と言うにはあまりに幼いが、それでも幼いながらに観察し、他の人よりも近くにいたから――

「はい出来上がり。男前になったね」

「ありがとうイーリス」

 アルフレッドは万感の感謝を込めてイーリスを抱きしめた。溢れんばかりの親愛の情を注ぐかのように。イーリスはまだそこまで割り切れていない。彼女の初恋はウィリアムであったかもしれないが、その次は間違いなく彼で、まだ、その想いは消えていないのだから。それでも意図は伝わる。

 幸せになって欲しいと。

 残酷なお別れの抱擁。

「じゃあ、行ってくるよ」

「いってらっしゃい」

「うん、いってきます」

 きっとこの先彼女は幸せになる。アルカディアで一番、そうなってもらわないと困るのだ。そのために、彼女と距離を置くのだから。

 せめて――

「……随分長かったな」

「髪が長かったからね」

「……そうか」

「そうだよ」

 彼には――

「あ、パロミデスだ。どうしたの?」

「……散歩だ」

「こんな場所で?」

「うるさいアルフレッド。俺が何処で散歩しようと俺の勝手だろう!」

「慌てちゃって。それじゃあお邪魔虫は消えますかね」

 全身全霊を懸けて彼女を守ってもらう。自分は特別扱いできないから、彼に全てを託す。無責任な話だが、その分大元である国家は自分が守る。二人の居場所は自分が守ろう。

 だから守れ、精一杯、全力で、自分が出来ない仕事を果たしてもらう。

(本当に俺は傲慢で、エゴイストだね)

 その代わり、己は不幸を享受しよう。彼らの代わりに。

 それが、欲張りな己が背負う業なのだから。


     ○


「どうして!?」

「どうしても、だよ。確かに私は見栄っ張りで浪費家だ。それでも、一族に害を及ぼしたことはないし、これから先もそうならないように努めるつもりだ。今回の件はね、非常にリスキーな賭けなんだよ。陛下か、殿下か、そんなにシンプルな話じゃない」

「……御父様」

「レオニー。今回はね、表舞台に出ないのが吉、だ。静観する選択肢があるなら、それを取るべきなんだよ。陛下に与すれば民衆の支持を失う可能性があるだろう? それは長期的に見れば損失だ。逆に殿下に与したら? 陛下が勝った場合立つ瀬が無くなる。殿下が勝ったとしても、その後上手く政を回し、王として立てるかと言えば、それもまた未知数」

 ゆえに多くの貴族はどちらにも与せず静観を選んでいた。無論、すでにどちらかにどっぷり浸かっている者は選びようがないが、この家は、レオニーの父であるレオナルト辺境伯は選ぶことが出来るようどちらにも染まり切っていない。

 これが処世術、片一方が折れても死なぬための生き方。

「我が一族は静観する。得もしないが損もしない、自らの領地へ引きこもる選択を取った時点で、私はそう決めている」

「……なら、私は――」

「そしてレオニー、我が愛する娘よ。お前も、今回は静観することになる」

 レオニーは父を睨みつける。

「私の人生よ。私が選ぶわ」

 強く、その眼は眩しいほどに真っ直ぐと輝いていた。

 レオナルトがとうに失った輝き。

「うーむ、初恋が此処までこじれるとは……パパ心配」

 レオニーの顔が真っ赤に染まる。

「だが、選ぶのはまた今度。今、お前に選択肢はないよ。すでに私にもそれは無いのだから。お金の支援? 物資の供給? ノン、それらは届かない。届く前に終わっている」

「……そんな、だってまだ」

「殿下にとって長期戦はあり得ない。短期決戦、即座に勝負を決めるだろう。私も短いが従軍経験がある。兵法もそれなりに修めた。半可通だと自覚はあるが、それでもその程度は自明の理さ。ならば――」

 レオナルトの従軍経験、その指揮を執っていた男の名は――

「白騎士なら必ず、そう、必ずだ。必ず、相手の策を待たない。ただ耐えて長期戦を窺い、勝利するなどと言う普通、普遍、平凡な手を、何故彼が指すと思う!? 彼は戦場の王だ。確かにアルフレッド様は聡い。武芸の技も素晴らしいだろう。だが、戦場でなら、彼らの領域でなら、勝つのは白騎士だ! 私はそれを知っている。だから、お前をあの学校に入れた。仲間内の反感も恐れず、私は彼が勝つと知っていたから!」

 レオナルトのこれほど何かに取りつかれたかのような姿を、娘であるレオニーでさえ見たことがなかった。様々な美術品、骨とう品、ガラクタ、大きなもの、小さなもの、収集し続けた彼とは違う。圧倒的な熱情。

「急戦はね、仕掛けた方が勝とうとも捌いた方が勝とうとも、どちらにしろ切り結んだが最後、一気に終局まで向かうモノだ。きっと、もう戦は始まっている。ならば間に合わない。今から馬を走らせて間に合う手を、君の恋した天才が指すと思うかい? それを切り返した戦場の王、あの時代を征した怪物が悠長に受けると思うかい?」

 レオナルトは十二分にアルフレッドを評価している。相手が白騎士でさえなければ家財全てを賭して応援しても良いと思っている。それが娘の想いに繋がる可能性もあるならば、やはり迷うことはない。

 それでも、相手は白騎士――

「決着はすぐだ。そして、私たちの未来も決まる」

 レオナルトには確信があった。どちらも優秀、ゆえに彼らは時間をかけない。泥沼の内戦が長引くほどに周辺国家が付け入る隙を広げることになる。貴重な時間が、資源が、失われていく愚を彼らはきっと犯さない。

 ならば、やはり勝負は――短い。

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