カルマの塔:最終章、開幕

 ウィリアムは自らが建造した塔の前に立つ。トゥラーンを凌ぐ世界最大の建造物。その足元には塔の出入り口を守護するように陣が敷かれていた。その中心に座す男は集中しているのか顔を上げない。

 代わりに、隣に立つ男がウィリアムに顔を向けた。

「戦況は?」

「南門、西門、東門、三方に軍を展開し突破を図っているようだね。正門たる南門はアルフレッド率いる本隊が、西門はバルドヴィーノ、東はクレス、だそうだ」

「この暗闇でよく軍容を掴んでいるな」

「総大将が優秀だからねえ」

 ウィリアムと会話しているのは元王位継承権第二位、ウィリアムと覇を争った男にして白騎士を見出した男、元第二王子エアハルト・フォン・アルカディア。今は継承権を捨て、エル・トゥーレにアルカディアの代表として赴任していた。

「ところで、陛下の服、血まみれだけど、何かあったかい?」

「大したことはない。些事だ」

「そうか。うん、まあ何となく、彼女はそうするだろうとは思っていたよ」

「……賓客は?」

「何階だったかな? 新たな玉座が据え付けられている広間、あそこに集まってもらった。上等な酒と美味なる食事、この私がセットしたんだ。文句は言わせんよ」

「十階だな」

「別名世界一高い大広間ってね。機能性が皆無なのは玉に瑕、おっと」

 口を滑らせてしまったとばかりに口を噤むエアハルト。

「かまわん。事実だ。それは俺が一番よく知っている」

「……そうだね。じゃあみんな、後はよろしく。私は陛下を案内してこよう」

 エアハルトが先導する形でウィリアムは塔の中へ足を向ける。最新技術の粋を結集して建造されたこの塔は、まさに世界最大の建造物と呼ぶにふさわしかった。

 だが、この高さが意味を持つことなど果たしてあるのか、造った本人ですら疑問符が付きまとう。

 公共事業と愚かな王を演じるために造った愚者の塔、それがこれである。

「私はね、今更だから言えるのだが、王権を失って、見ず知らずの土地に飛ばされて、初めて生きることが楽しいと思えるようになった。充実した毎日だ。自由で、時に失敗して、時に成功する。責任がないわけではないが、石橋を懸命に叩いていた頃よりも、楽しい」

「それは良い。貴方の成果はアルカディアにとって利益をもたらすのだから」

「王権とは、王の血とは、枷だ。あの王冠は願いを叶える魔法のアイテムではなく、奴隷を縛る鎖や枷と何も変わらない。あれを目指し、あれに取りつかれ、潰れるか、老いて死ぬか、それだけの生涯。王とは空虚なものだ。王族もまた同義」

「辛らつだな」

「私は負けて自由を得た。少し、罪悪感はあるよ。逃げて一抜けた兄はともかく、妹たちは王の血に人生を曲げられた。いや、私が曲げた、か」

「それは少し驕りが過ぎると言うもの。彼女たちの進路を決めたのは、俺だ」

「いいや、私の都合で近づけ、遠ざけ、コントロールした。そうでなくとも、あの二人は、王宮の外を知らず、この血に縛られながら、選択肢を手にすることも無かった。捨てた後で気づく、この血に大した意味はなく、自由な身分と言うのは心地よいのだと」

「……それは貴方が優秀だからです。この世界は、弱者にそれほど甘くない」

「そうかもしれない。でも、知れば、枷が無ければ、きっとあの二人は今とは違う道を選んだと思うんだ。私がそうだから。そうしたらきっと、君はもっと困った顔をしていたはず。ふと、そんなことを思う。彼女たちに対する罪悪感と、君に対する罪悪感、きっと、両方なんだろうね。申し訳ないと思っているよ。君に押し付けたことも」

「私が貴方から奪った。貴方は憎むべきだ。それだけで良い」

「ははは、そう思わぬのはきっと、今が充実しているから、なのだろうね」

 階段を登り切り、エアハルトは扉の前で振り返る。

「私が言うのも筋違いだけれど、君は多くを背負い過ぎる。もっと気楽に構えればいい。競争で負けた者、蹴落とされた者、利用された者、世の中はそんなことだらけだ。誰もが加害者で、誰もが被害者、ならば、気に病むことなど何もない」

「……それを決めるのは私ではありません」

「そうかな? 私はそうは思わないけれど。背負った気になるのも、欺瞞、エゴじゃあないかね? 嗚呼、すまない。逃げた私が言うセリフじゃなかったね」

「…………」

「私は胸を張って良いと思うよ。どんな手を使っても登り切れる者など一握り。頂点の椅子は一つで、君はそこに至った。それは誇るべきことだ。私はそう思う」

 エアハルトは扉を開く。そして頭を下げながら、恭しくその手で指し示す。

「いつか君が自由になった時、また話そう。今度は、腹の探り合いは無しで、ね」

 ウィリアムは苦笑して頷いた。

「それでは陛下。御機嫌よう」

 広間に到着した王を見て、貴族たちは歓声を上げる。我らが王、偉大なる王、さすがの戦巧者、英雄再来、雨あられと降り注ぐ賛美の言葉に、胸焼けしそうになりながらウィリアムは彼らに会釈する。そして口を開いた。

「ようこそ皆さま。我が最大の作品、世界最大にして最高の塔、我が業の集大成、その一部として参じて頂き、また、わたくしの演出する舞台に上がって頂きましたこと、誠に感謝いたします。つきましては――」

 ウィリアムは自らが王に至った日を思い浮かべていた。あの惨状と同じ絵が此処にある。絢爛豪華な世界の影、欲望が産み落とした残骸。ここの支配者は己であり、無駄にあふれたこの空間は自らの威光ゆえ。

 だからこそウィリアムは嗤う。


     ○


「用意していた攻城兵器のほとんどがグレゴール殿の急襲で」

「打ち壊されたにしろ残っているにしろ、取りに行くには彼と再度戦わねばならない。ありえないな。なら、『策』が決まるのを期待すべきだが――」

 散開しつつ拠点を捨て、再度結集した本隊はアルカスの正門である南の門を攻めていた。都市の再開発により、利便性の向上と共に戦術的強度は低下した。しかし、攻城兵器も無く落とせるほど柔な門ではないし、単純に大きくなった分人の手でどうこう出来るような規模の建造物でもない。

「門に動きは!?」

「ありません。未だ動きなし、です」

「……合図は見えているはず。ならば、考え得る可能性は一つ」

 アルフレッドは歯噛みする。先の夜襲から此処まで、主導権を握られっぱなし。手を打とうにも現状を捌くので手一杯と言う有様。加えて実戦経験の少なさが全体の動きをこれほど制限することになろうとは――短期決戦であれば綻ばぬと思っていた部分まで、全てこの夜襲で剥がれかけている。

(クレスたちに期待するしかないか。少なくとも、彼らを背負った状態で都市を攻めるのは厳しい。用意した手がほとんど水泡と化したのも痛い)

 父の本気が垣間見える。このタイミングで思いもよらぬ妙手。甘く見ていたわけではないが、普通に戦わせてすらくれない立ち回りは、さすが白騎士と称えるしかない。実戦経験の差、揺らいだ集団の弱さも痛いほど理解させられた。

「背後のグレゴール殿が転進。こちらへ向かってきます!」

「ぐ、本当に楽をさせてくれない。全隊一時停止! 反転し、迎え撃つ!」

「全隊停止! 即時反転せよ!」

「……これ以上進んで、挟み撃ちに遭うよりもマシだ」

 アルフレッドは剣を抜いて皆を鼓舞しながら、戦場と言うモノに思いを馳せていた。父が、多くの英傑たちが、心血を注いだ舞台。上がってみて嫌でも理解する。ここではまだ己は若輩で、強者でも無ければ巧者ですらない。

(卓上とは違う。わかっていたつもりだけど)

 一度離れた主導権をどう取り戻すか、必死に模索するアルフレッド。その眼前に再度現れるグレゴールと言う巨大な槍をどう捌くか、ありとあらゆる状況を同時に思考する。得意種目であるが、上手い手と言うのは中々出てこない。

(策が潰されようと、仕込みが全て失われたわけではない。頼むよ二人とも。今は、君たち二人の戦いにかかっている。こちらは、何とか持たせて見せよう)

 アルフレッドの咆哮と共に多くの矢がグレゴールの騎馬隊に降り注いだ。

 それで勢いが死なぬどころか強まる様がまさに軍隊、群れとしての差である。


     ○


「殿下は個として完全に近い。オリュンピアで見せた才気、同じ条件で勝るは陛下でも至難。当然、私も勝てん。それほどに完成されている」

 その男は漆黒の鎧を身にまとい、

「だが、殿下の取り巻きはそうでもない。戦争を経験していない若手が中心、であれば付け入る隙などいくらでもある。揺さぶるべきは殿下以外。貴方には通じずとも、他の者には通ずる策など万とある」

 夜色のマントをはためかせ、

「さあ、戦争を始めましょう。わたくし如きにお相手が務まるか甚だ不安ですが、是非に胸をお借りしたい。正義の王子対悪し騎士、開幕です!」

 暗闇の仮面を装着する騎士。元アルカディア王国大将、『黒騎士』アンゼルム・フォン・クルーガーがこの大舞台にて要の役を掴んでいた。

 歪んだ笑みが漆黒に浮かぶ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る