カルマの塔:小火
すでに幾度目かもわからぬ敗北。法廷で悠然と微笑みながら白の王と談笑するのはフンゴルフ・フォン・エスマルヒ公爵であった。
叩けばいくらでも埃が出てくる身でありながら、通算三回法廷に引きずり出すもすべて白の王の一声で白に染まる。
そこに明確な証拠が、明白な証言がありながら、それでもなお王の権力の前には無意味とばかりに捻り潰されてしまう。悠々と法廷の外に出て行くフンゴルフはアルフレッドに一瞥も寄越さず去って行く。
証言台に立ってもらった一人の貴族は力なく肩を落とした。
○
「力及ばず、申し訳ございません」
「いえ、殿下は正しい行いをしております。息子が心酔するのもわかる気がするのです。だからこそ証言台に立った。悔いはございません」
言葉短く、一人の男が去って行く。これから彼を襲うであろう報復人事を思えば、気丈であるのも大変であろうが、それでも足並み崩さず背筋を正して歩けるのは、彼が生まれながらの貴族であり、高貴であることの意味を知っているから。
「フンゴルフは動くでしょうか?」
イヴァンの問いにアルフレッドは頷く。
「息子の件ですでに閑職へ追いやられているが、今度はそれだけじゃ済まないだろうね。あの男なら確実に、目に見える形で何かをする。必ず、だ」
「ではいつも通り、それとなく市井に情報を流しておきます」
「ああ、頼むよ。ふう、良い風向きだね」
「市民の中では横暴な王に立ち向かう正義の王子、この構図が定着しつつあります。破局には決定打が欠けますが、今回の件でますます民と王の距離離れていくはずです。見た目よりも遥かに盤石な態勢かと」
「正義、か。今の俺には程遠い言葉だよ」
「対立の構図を仕込むために偽善を成す。しかし、法と権力が正しい形で機能していれば、ただの善行で終わった話です。王が定めた法を王が覆すのでは本末転倒。違いますか?」
「その通り、だ」
正義の味方として認知されるために、あえて勝てない相手に喧嘩を売る。王が出てくる前、クラウディア陣営の貴族を切り崩していた勝利があって、実績があって初めて裁きの場に引きずり出せたが、公爵クラスにはそこが限界。
王の一言で全てが覆った。
アルフレッドたちに出来るのは彼らを法廷に引きずり出す理由を作り、王と大貴族の癒着を市井に広めていくだけ。それにより市民感情を悪化させ、王権を覆す『破局』の時を待っていたのだ。
負けの積み重ねは狙いの内。
「もうすぐ冬も終わる。新しい季節だ。暗いのは、ここまでにしたいね」
アルフレッドはため息をついて――皆からの調査資料に基づき次のターゲットの粗を探す。また、負けるために確たる証拠を掴む。
負けと分かって勝ちに行く。
勝てる勝負を引っ繰り返されるから、彼らの悪が際立つのだ。
○
「またエスマルヒだとよ」
「あの家何度目だ? 確か分家の若いのが処刑されてただろ」
「アルフレッド殿下がいなけりゃ世に出ない悪事ばっか。貴族様様だぜ。何て名前だったか忘れたけど、奴隷を殺し合わせていた貴族もいただろ確か」
「あーいたなあ。闇闘技場とか銘打ってやってたやつだろ? 恐ろしい話だねえ。そいつらを根こそぎアルフレッド様が裁きの場に突き出して法で裁いたってんだ。まさに正義の味方、本来なら権力側だってのに、俺たちの味方でいてくれるすげえ御方さ」
「何でもその闇闘技場の大元がエスマルヒだったらしいぞ」
「本当かよ!? 本家本元が関わってたってのか!?」
「しぃ! 声がでかいって」
街中で囁かれる噂。飛び交うそれを完全に妨げる術はない。市民の血税を削って王の一声で配置された見回り隊が目を光らせようと、人の口に戸を立てることは出来ない。むしろ聞かれたくない、広まって欲しくないという意図が透けて見える手に、市民でさえ誰が正義で誰が悪か、考える間もなくそれが理解できていた。
「英雄も地に堕ちたモノだねえ」
「昔の白騎士は、格好良かったのになあ」
誰もが焦がれ、称賛していた英雄はすでにいない。
「今じゃああの塔に引きこもって毎夜、大貴族たちと晩餐会を開いているらしいぞ。貴族共の接待漬けで頭がおかしくなっちまったのさ」
「あんな塔……誰のために作ったのやら」
「近々王宮の機能もすべてあの塔に移すとか」
「別に何でも良いさ。お上がやりたい放題なのは今に始まったことじゃないし」
「あーあ、アルフレッド殿下が王様になってくれねえかなぁ」
「そりゃあいいや。そうしたらきっとよくなる」
「今も鉄の意志で悪を暴くために奔走されているらしい。不屈の闘志と権力に媚びない姿勢は、他の貴族共も見習ってほしいね」
「そりゃあ無理だろ。連中に出来るのは上へのごますりだけさ」
「ちげえねえや」
様々なところから飛び交う言葉、その連鎖は一つの形を形成していく。情報をどう流すか、その操作、内容で世論を望む方へ形成することは可能。アルフレッドの狙いはそこにあった。
切り取り、編纂、あまり手を加えすぎると歪に成るが――
○
「いやはや、本日は陛下自ら御足労頂きありがとうございます」
「フンゴルフ公爵、頭を上げられよ。貴殿に限らず、この世界には動かしてはならぬこともあろう。通常の尺度で測るべきでないことも、往々にして存在する」
「おっしゃる通りでございます。ささ、わたくしめに注がせて頂きたい。偉大なる陛下の器を空にしたとあってはエスマルヒの名折れにございます」
「そうかしこまるな。おお、素晴らしい香り。上等なモノとみるが如何に」
「さすがは陛下。御慧眼ですな。こちらはエスタードの南で取れた葡萄を――」
ウィリアム、白の王の庇護を求めて今日も大貴族や古き家柄の貴族が集う。豪勢な食事は中途半端に手を付けられるも、多くが残ったまま破棄され、美酒はざるにでも流しているかのようにさっと消えていく。
この一日だけで、飲食代だけでいったいどれほどの税が使われているのだろうか。彼らはそれを考えることすらしない。生まれながらに奪ってきた。生まれついて奪う側だった。だから彼らは疑問に思わない。
食糧が不足している今、この状況がどれほど異常な景色であるか、を。
「しかし、やはり陛下はお強い。跳ねっ返りの御子息を上手くしつけておられる」
「あれが迷惑をかけておるようだな」
「迷惑などと。ただじゃれつかれているだけですな」
「あっはっは、その通り。あれはまだ子供、貴族と言う者を知らぬ。貴殿のような本物から学んでくれれば良いのだが……少し増長しているところが、な」
王の眼から温かみが薄れた様子を見て、フンゴルフはほくそ笑んだ。生意気にも自分に噛みついてきた増長した子犬。
彼の『娯楽』を奪った罪はいずれ贖ってもらう必要がある。
「陛下を頼って正解でしたな」
「貴殿ほどの大人物に頼られるとは、余も少しは王が板についてきたかな」
笑いあう王と大貴族。権力者同士の笑み。
「皆、陛下にこそついて行くと初めから決めておりますとも」
「貴殿にそう言ってもらえると自信がつく。今後とも頼むぞ、フンゴルフ公爵」
「はは!」
初めから決めていると言った男は、つい先日までクラウディアの勢力に与し、王の血を継いでいないウィリアムを軽んじていた男である。
政治的配慮、と言えば聞こえはいいが、要はクラウディアでは次々とあの手この手で攻め立ててくるアルフレッドには勝てない。だから王の力を借りたいと集い集った権力に群がる蚊の群れ。
権力を吸って、その力を我がものとして振るうことを得手としている。
彼らこそ削がねばならぬ、この国の無駄。
「……白龍」
「ここに」
フンゴルフが去った後、ウィリアムは囁くような声で、ほとんど唇を動かすことなく背後のタペストリー、その裏に潜む男に声をかけた。
「動かせ」
「承知」
意図不明なやり取り。だが、この男は意味の無いことはしないし、言わない。
○
王宮の一室が荒れていた。美しい調度品の数々は砕け、美麗な絵はずたずたに引き裂かれ、鏡は全て砕け散っている。息子であるコルネリウスは赤くはれた頬をさすりながら本を読む。
その部屋の中心で静かに怒るクラウディアを刺激しないように。
「……どこで、どこで妾は――」
うわ言のようにつぶやくその姿、在りし日の美しさは、少しずつ陰りを見せていた。それが彼女にとって何よりも許せない事実であったのだ。
自分にはそれしかないから――
○
そんな暗雲漂うアルカスで一つの事件が起きる。
「フンゴルフ・フォン・エスマルヒ、覚悟ォ!」
「……ッ!?」
フンゴルフ公爵が暗殺されたのだ。
火が、ちらつき始めた。
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