カルマの塔:罪と罰

 フンゴルフ公爵の死は瞬く間にアルカス中、否、アルカディア中に広まった。くすぶり続けていた火の粉が、とうとう何かに燃え移り、おぞましい炎が昇り立つ。誰の手にしろ大貴族エスマルヒの当主を討ったとあればその代償は計り知れぬ。

 権力者たる貴族の怒りが今、頂点に達していた。

「下手人はいずこか!?」

「逃走したらしいが、アルカスに駐留する軍もすべて下手人探しに注力しておる。必ずや見つかるであろう。一族郎党皆殺しにしてくれるわ!」

「アルフレッド殿下の手の者では?」

「それであれば……話は早くて助かるのだがな」

 怒り、猜疑心、そしてこの状況すら好機に変えんとする恥知らずな欲望。あらゆる妄執が王宮に渦巻いていた。下手人の大元ではないかと目されるアルフレッドはこの局面を静観し、不動の姿勢を貫いていたが――

 そして、犯人捜しはすぐに終わった。

 フンゴルフ・フォン・エスマルヒを殺害したのは数名の市民グループであった。アルカディア全土に点在するエスマルヒ及びその親類が治める領地の民で、二年連続の飢饉に際しフンゴルフの、エスマルヒの面子のためだけに無理な税を課され、結果親族を失った復讐者たち。天涯孤独の男五名が主犯であり、それ以外の繋がりは見受けられなかった。

 五名ともすでに覚悟を決めており、連行される際も抵抗せず堂々と胸を張って歩いていた。それは敗者の姿ではなく、戦いに勝利した勝者のようであった。

 だからこそ――ただ殺すことなど貴族は認めない。

「絞首刑など生ぬるい。生きたまま八つ裂きにしてくれる!」

「公開せぬ理由はないな。我ら高貴なる血に逆らった愚者をさらし者にせねば」

「今一度示さねばならぬ。誰が飼い主で、隷属すべき愚民は誰かを。より凄惨に、よりおぞましく、大衆に示すべし。我らとの差を」

 貴族会では毎日のように実質的な発言権を持つ大貴族たちが唾を飛ばしながら怒りをぶつけあう。どう血祭りにあげてやるか、どう威厳を示すか、示しを付ける必要があるのだ。貴族が貴族であるために。

「しかし縁者がいないのは問題だ。示しをつけるべきが、本人たちだけではどう裁いても割に合わない。少しでも帳尻を合わせるために何かアイデアはないものか」

 貴族たちは頭を悩ませる。凄惨な処刑法はいくらでも思いつくが、大貴族エスマルヒを卑劣にも殺した者たちを見せしめとするには生贄が足りな過ぎる。足りぬ以上、何かを加えねばならない。

 そのアイデアがなかなか出てこないので煮詰まっていた。

「直接の関係はないとはいえ、世情の空気感を作っていたのはアルフレッド殿下でありましょう。であれば、責任を取って頂くのも一興なのではないでしょうか?」

「関係なしに罰を与えると? 王族相手にいささか過激ではありませんかな」

「罰ではなく、例えば……役割を、処刑人をやって頂くのは如何でしょうか」

 貴族たちに激震が走った。気に食わない若造、王族であるがゆえに軽んじるわけにもいかぬところで、今まで散々煮え湯を飲まされてきた。しかし、この状況は貴族にとって悪くないもの。今度の大義はこちらにあるのだ。

 空気感を作った者を罰することは出来ないが、役割を与えることなら出来る。

 市民たちに広がる英雄アルフレッドの印象を塗り替え、上に命じられたなら隣人すら斬殺する姿を見せつけたなら、空気をも塗り替えることが可能となる。彼もまたこちらの陣営として嫌悪の対象と成れば、自ずと御する方法も芽生えてくる。

「陛下が承知なさるか?」

「我ら全員の嘆願なれば無下には出来まい」

「そうでしょうな。ここにいる重鎮、国家の運営を司る我らの言葉、軽んじれば玉座も揺らぐ。我らが担いでこその王、そうでしょう皆々様方」

 ある貴族の発言に喝采が降り注ぐ。これが彼らの真意、王を軽んじている証左。彼らは結局心の隅で王の血が入っていない王を認めていないし、彼を繋ぎとしか考えていなかった。正当な王は折を見て立てればいい。

 それも、貴族の力で。

 そうやって彼らは国を操ってきたのだ。

 そしてこれを機に、主導権を取り戻すと息巻く。


     ○


「……王命、か」

「いくらなんでも酷過ぎるだろッ!? 俺らに何の関係も無いのに、こんな仕事やらされるいわれはねえ! 破り捨てちまえよそんなもん!」

「馬鹿がランベルト! 王命だぞ。それこそ大事に成る」

「もう大事じゃねえか!」

「それ以上だと言っている!」

 先ほど届いたばかりの王命を中心にアルフレッドの陣営が集まっていた。その輪から外れたところに、役目を終え観戦モードに移行しているフェンリスらがいたが、彼らが霞むほどその輪の中は過熱していた。オリオンだけ「笑える」と一言残してガールハントに赴いていたのでこの場にはいない。

 あまりにも理不尽な王命を見て――

「国守様に処刑人を……この国の王は私たちを少し、軽んじておられるのではありませんか? 姫様が知れば、お怒りに成るだけでは済まされませんが」

「貴族が主導したことだよ。陛下も断れなかったのだろう」

「それでは王の意味がない。絶対者の専横の方が、まだわかりやすい」

 エスケンデレイヤの戦士長ロゼッタは憤りを隠さない。彼女にとってアルフレッドはアルカディア王国の王子ではなく、エスケンデレイヤの国守であり救世主。なればこそ此度のやり口は看過し切れぬものがあった。

「やるのかよ?」

 クレスが言葉短く問う。

「一晩、考えさせてくれないか。やるしかないのはわかっているが」

 アルフレッドの表情には苦悩が浮かんでいた。それを見てクレスは「承知した」と会話を切り上げる。やるべきことは明確なれど、それをやればどうなるかなど火を見るよりも明らか。見せしめに加担した正義など誰が担いでくれようか。

「すまない皆、今日は解散にしよう。明日までには、必ず結論を出すよ」

 やるせない思いを胸に全員がはけていく。

 残ったのは、フェンリスとオルフェのみ。

「……今日は帰ってくれないか?」

「なあ、一個だけ聞いて良いか?」

「駄目」

「……おっけ。その駄目で充分だ」

 フェンリスは立ち上がる。

「処刑ショー、楽しみにしてるぜ」

「人が死ぬんだよフェンリス、そんな言い方はないじゃないか」

「っは、よく言うぜ」

 去って行くフェンリス。オルフェもまたあとに続く。

「おい見えない方の糸目……心音、揺れたか?」

 囁くようにフェンリスはオルフェに問う。

 オルフェは困ったような顔で首を振った。

「だろうな。あいつは、そんなタマじゃねえよ」

 外に出たフェンリスは風を感じ、嗤う。

「破局ってやつの風だ。ピンチはチャンスってな」

 一人残されたアルフレッドは全ての気配が断絶したのを確認して、読みかけの本を取り出して読書を再開する。まるでいつもの、日常であるかのように平然と、趣味の世界へ埋没していった。特に考えることなど何もないとでも言わんばかりに。

 それはつまり――


     ○


 アルカス最大の娯楽施設である闘技場を貸し切り、五名の罪人、その処刑場としたのは中々に悪趣味であった。貴族たちは高みから『娯楽』を眺め、会場にひしめき合う人々はことの成り行きを見守っていた。

 王族が執行人として処刑を執り行うなど前代未聞。噂などなくとも、誰が見ても明らかな若き英雄に汚名を擦り付けんとする差配に、憤りを隠さない者は多い。貴族の中においてすらあまりに不敬、不愉快と席を外す者もいる始末。無論、そこに大貴族が頂点と成って引っ張る主流層はいないが――

「あまりにも、あまりにもです。母上、これは、この仕打ちは、許せません」

 第三王子バルドゥルは第二王妃であり実母であるテレーザに意思を示した。政治の恐ろしさ、王宮の惨さを知るがゆえに、彼が明確な意思を口に乗せることは少ない。それでもなお、彼の中の正義が、これは間違っていると叫んでいた。

「……平時、文官が専横するは道理です。ですが、貴方の言う通り、彼らは踏み込み過ぎた。彼らは自ら斬られる理由を作ってしまった。忍耐の許容を超えたなら、あとは剣を抜くしかないでしょう。それが武人と言うもの」

「不動が動く意味を、驕り高ぶった者に示してみせます」

 アルカディアの名将、不動のバルディアスの血を継ぐ者として、やるべきことはやる。彼らが守るのはアルカディアと言う国であり、その上に蔓延る貴族ではないのだから。

「本当に王族が執行人なのか?」

「殿下が彼らを斬ったとしても、俺は殿下を支持するぞ」

「でも、結局殿下だって王様にも大貴族にも逆らえないってことだよな」

「仕方ないさ。殿下だって人の子なんだ。現実はそこまで甘くないよ」

 民衆の視線は様々なれど、昨今高まっていた王子への熱い視線は鳴りを潜めている。皆、彼ならもしかすると現実を、現状を変えてくれるかもしれない、そんな淡い期待を抱いていたのだ。

 そしてそれは――この状況によって薄れていく。

「パパ! ちょっと、落ち着いてよ!」

「あいつ、あの野郎、子供に、何させてやがる!?」

「そりゃあ私もそう思うけど、でも止まって! 目立ってるって!」

「落ち着けスヴェン王の息子」

 赤い髪の男が、怒りによって今にも会場へ飛び込んでいきそうなカイルの足を止めた。とても落ち着いた声色が耳朶を打つ。

「どちらも意味の無いことをする手合いではない。双方合意の上ならば、それは必要な手順なのだ。振り上げた憤怒を下ろすのは、全てを見終えてからでいい」

「ぬ、ぬうう」

「王に成ろうと言うのだろう? ならば、軽挙妄動は慎むことだ」

「むう、面目ないウォーレン殿」

「なに、鍛冶場で遊ばせてもらっている礼だ」

「タダで鍛冶の技教えてもらってんだからパパの丸儲けよね」

「ますます面目ない」

 アルフレッドの紹介でカイルの家に訪れていたのは、ウォーレン・リウィウスであった。実年齢よりかなり若く見えるが、カイルたちの親世代でありすでに老人。しかし、その鍛冶の技は衰えることを知らず、それなりに習熟していたカイルでさえ学んでばかりであった。

 彼もまた全てを見届けるためにアルカスに留まり、そして何かが進む気配を感じ今日この日、鍛冶場からほとんど外に出ない男が此処に来た。

 彼らも含め大勢がこの処刑場と化した闘技場へ押し寄せていた。大貴族の当主を討った男たちの姿を一目見ようと、民衆目線から見れば正義に近い彼らをアルフレッドがどう裁くのか、何を語るのか。何よりも、本当に彼が、王子である彼が罪人を断つのかを、彼らは見に来ていたのだ。

「良い見世物ではないか。諸国を渡って鍛えた腕の見せ所よ」

「はっはっは、是非是非見てみたいですな、黄金騎士の剣技を」

「愚民ども、よおく見ておくがいい。綺麗ごとを並べようとアルカディアに帰属する限り我らの支配からは逃れられず、権力に真っ向から対立できる個人など存在しないと言うことを。理解しそしてその眼に刻め。我らに逆らいし者の無様な姿を」

 下卑た笑みを浮かべながら大貴族たちは笑う。王命に、一日熟慮した上で、結局逆らえなかった出過ぎた杭である第一王子の晴れ姿を、彼らは心底楽しみにしていた。今日、王族の地位と食糧供給を盾に足掻いてきた男が終わる。

 幻想を砕いたあとは、彼らの思うように操るのみ。

「おお、まずは罪人たちか」

「みすぼらしい姿よ。まさに底辺と呼ぶにふさわしい」

「あれらに殺されたフンゴルフ殿を思うと、涙が出てくるわい」

 二つある入場口の一つから、五人の罪人たちが手枷と足枷をつけられながら弱り切った様子で歩いていた。この日に至るまで想像を絶する拷問などが行われたのだろう。捕まった際の彼らとは目の色があまりに異なっていた。

 生気の無い足取り。

「完全に心を折ってるな。ひでーことしやがる」

「視るに堪えない姿です。耳を塞ぎたくなる」

 会場の隅で眺めている狼たちは静かに事の推移を見守っていた。オリオンは昨日捕まえた女の子と一緒に沈痛な面持ちで群衆に紛れている。心にもない表情とはまさにこのことであるだろう。

 罪人たちは闘技場の中心に設営された舞台の上にあげられ衆目に晒されてしまう。胸を張っていた姿など、今の彼らからは想像もつかない。後悔と、絶望と、そして恐怖が彼らを支配していた。

 死への恐怖で、痛みへの恐怖で、覚悟が潰されてしまったのだ。

「アルフレッド殿下も来たぞ!」

 罪人たちが出てきた入場口とは逆側、アルフレッドがゆっくりと中心向かって歩を進めていた。漆黒の装束は処刑人の正装であり、本来であれば間違っても王族がまとうことのない服装である。処刑用に長く装飾過多な剣が背負われていた。

「凛々しい御姿だが、やはり彼らを斬るのか」

「おいたわしや、殿下」

 処刑の執行人がアルフレッドであることをこの場で初めて知った罪人たちは、絶望の色をさらに深めてしまう。

 彼らなりに世界を良くしようと思って実行した暗殺が、今の王権に対して最大のカウンターと成っていたアルフレッドの足を引っ張る結果となっていた。

 その事実が彼らの心をさらに砕く。

 彼らの前に立ったアルフレッドは直立不動の威勢を取る。

「執行人、アルフレッド・レイ・アルカディアである」

 彼もまた体制に与した者の一人。

「フンゴルフ・フォン・エスマルヒ公爵暗殺の下手人である五名を処断せよと王命を授かった。王の名の下に、正義の名の下に、この刃が咎人の罪を断たんことを此処に宣言する」

 結局、王の命には、権力の前には個人など無力。

 体制に与した、権力に屈した姿に少なからず失望を抱く者もいた。

 貴族たちが笑みを深める。勝った、彼らはそう思った。

「その刃の何処に正義があると言うのですか、殿下」

 罪人が咎めるような声でアルフレッドに声をかけた。連行していた者が言葉を発した男を咎めようと動くも、それはアルフレッドによって妨げられる。

「法の下で立証された罪を裁く。この剣は紛れも無く正義だ、ベンノ・アイスラー」

「しかし、その剣では裁けぬモノもある。違いますか?」

「現状、その批判は正しい。それは法の不備であり、国家の不備。正さねばならない。咎めねばならぬ罪はそこかしこに転がっている。裁かねばならぬ者は山ほどいる。君は正しい。批判は至極真っ当だ。だが、それは君たちの犯した罪を見逃して良い理由にはならない。どれだけ苦しくとも、法の下で戦う道を選ぶべきだった」

 風向きが変わる。貴族たちが眉をひそめる。

「私は奴隷だった。あの男の主催する闇闘技場の剣闘士だ。人権などない、死ぬか殺すか、何人も殺した、生きるために。そんな男の言葉など誰が聞く? 法廷に辿り着けぬ私は、どこで戦えばよかったのだ?」

「私と共に戦うべきだった」

「……ッ!?」

 アルフレッドの発言に、とうとう貴族たちの顔から笑みが消えた。発言の端々に雲行きの怪しさが漂っていたが、先ほどの発言はその輪郭を明らかにした。彼は決して膝を屈していない。己を曲げずに、この場を収めんとしている。

「法の下で不平等などあってはならない。貴族だろうが市民だろうが、奴隷だろうが王族だろうが、平等に裁かれるべきだ。それが為されていない現状は、立法者の怠慢でありこの国の歪み。その歪みを打ち倒すためにこそ、君たちには戦って欲しかった。そのためであれば私はいくらでも力を貸したとも」

 明確な権力に対する敵意。王への批判。

 大衆は息を飲んだ。

「私は君たちを断つ。だが、それは憎しみからでも、ましてや権力からの命令によってでもない。法が定めた人殺しの罪、ただそれだけを裁くために私はここにいる。許せとは言わん。君たちの想いは理解しているつもりだ。だが、規範は守られねばならない。上に立つ者が守らずして、何が法か。意に添わぬとしても、定まっている以上、罪は罪、そこには罰が必要だ」

 アルフレッドの身体から黄金の炎が舞い散る。そんな幻覚が見えた。

「君たちの罪は、フンゴルフと言う人間を殺したこと、それだけだ。彼がどんな人物であろうと、法は変わらない。私が断つべきモノも、変わりはしない」

 それが建前でしかないことをアルカス、アルカディア、否、王政であるローレンシアの民全てが知っていた。だが、彼はそれが建前ではなく通さねばならぬモノだと言っていた。貴族だろうが奴隷だろうが、同じだと彼は言ってくれた。

「他に何かあるかな?」

 ならば――

「ありません殿下」

 せめて毅然と、胸を張って裁かれよう。彼の刃であれば、平等なる剣であれば、裁かれても構わない。規範と共に、法の下に彼の正義があるのなら、それに裁かれる覚悟は最初からしていた。平等の下での死ならば怖くない。

「なれば、ベンノ・アイスラー、前へ」

「はい!」

 足が震える。怖くないと言えば、やはりウソになるだろう。死は恐ろしい。

 だが、不平等に、理不尽にいたぶられた果ての死と比べれば何と心安らかなことであろう。彼を断つ男は、少なくとも彼は、自分を同じ人間として裁いてくれるのだから。

 異様な光景であった。

 罪人が自ら、誰に押さえられるわけでも無く首を差し出し、静かに裁きの時を待つ。こんな光景を、長年処刑人を務めていた一族でさえ見たことが無かった。

「何か言い残すことは?」

「未来の、新しいアルカディアに栄光あれ」

「その想い、確かに受け取った」

 そして――美しい剣閃が煌く。

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