カルマの塔:駆け抜けてきた時

 アルフレッドは悲しげな笑みを浮かべながら血のように赤い空を眺めていた。使いたくない手札を切った。それが最短だから。

 だからこその自己嫌悪。

「今の貴方でも揺らぐことがあるのですね」

 背後からの声に相好を崩すアルフレッド。

「ああ、そうだね。我ながら酷いことを言ったよ。過去を掘り返して、蒸し返して、自分に協力しろって脅したんだから」

「それでも進むと?」

「そのために切りたくもない手札を切ったからね」

 アルフレッドが振り返るとそこには苦笑するオルフェと壁に寄りかかっているラウルの二人がいた。彼らは協力者、これより始まる戦いに備えてあらかじめ声をかけていた者たちである。

「ベルンバッハは餌だ。彼らに食いついてきた暗殺者を殺して、敵の力をそぎ落とすための撒き餌。彼らの全部を骨の髄まで利用し尽くすよ」

 悲しみながらも最善を進む姿。

「非情だねえ」

「ああ。時間は有限だから。旬は逃すなってね」

 アルフレッドは改めて王の仮面を被りながら歩き出す。

 二人の協力者も引き連れて――


     〇


 闇夜に煌めく無数の白刃。

 閃光が幾重にも交差し、そのたびに鮮血が舞う。

『死角すら私にとっては射程範囲内です』

 白刃が円を描き、物陰に隠れていた暗殺者を仕留める。

『さあ、狩りを続けましょうか』

 大国の戦士長が闇夜を駆ける。


     〇


「おいおーい、雑魚ばっかじゃねえか」

「お前は呼んどらんじゃろうが。わしが声掛けたんは糸目の方じゃ」

「馬鹿野郎! あれでも陸の総大将だぞ、忙しいんだよ!」

「お前は王子じゃろうが」

「テメエらのボスのせいで暇なんだよ。ボスに言っとけ。さっさと出港させろってなぁ。暇で暇で仕方がねえよ」

 黒き狼が呼ばれてもないのに暴れ回る。

 ベルンバッハの当主家を守護する最強の駒。呼んでいないのに現れた最強格。敵対勢力にとっては悪夢のような出来事であった。


     〇


「き、さま、暗殺者の矜持はどこに――」

 音もなく暗殺者の首が跳ね飛ぶ。

「いやはや、首になりましてこちらで再雇用と相成りました」

 燕尾服の男は営業スマイルを浮かべながら――

「しがない暗殺者ですが、よろしくお願いいたします」

 夜闇を血で沈める。


     〇


 不可視の一撃が闇夜を裂いて飛来する。

「どこだ!?」

「弓手などどこにも――」

 誰も想像すらできないだろう。白騎士がマークした最大射程よりさらに遠間から精確無比な矢が射られているなどと。

「お忙しいリオネルさんの代わりに僕、登場。ゴネて正解だったね。やっぱり実戦は面白いよ。力は開放する場所がないとさ」

 翡翠の髪、その下から覗くは狩人の眼。

「さあ、ガリアス純正新型複合弓ケラウノス改の実戦投入だ。技術は後追いの方が強い。どんな分野でも、ね。アルカディアはすぐさま、ガリアスの後塵を拝することになるよ。いや、僕らがそうするのさ」

 最高の才能と適切な努力、そして新たなる武器を手にガリアスが誇るもう一人の天才、オリオン・ド・キテリオルが制圧する。

 不可視にして不可避、彼方より雷が降り注ぐ。


     〇


 勝つために犠牲を強いたこともあった。

 シナリオを前に進めるために多くの罪を重ねた。

 必要な犠牲、必要な手順、その度に高まる現王への不平不満。

 アルカスに渦巻く、感情を今、たった一人の男が完全に制御していた。

 表も裏も、若き英雄の掌の上である。


     〇


「まずい」

 暖冬とは言え冬時期の早朝ともなれば、ほとんどの商店は店仕舞いされたまま。何故か営業しているこの屋台がおかしい。味も悪い。だが、量はある。

「よくもまあ長続きするものだな、この味で」

「……そう言う客人もよくよく通いつめたもので。物好きでしたな」

「くっく、物好きするようなモノを客に出すな」

 赤い髪の男は道化の仮面をつけて席を立つ。シチューの皿が置かれたカウンターにはお代がきっちりと並べられていた。

「おかわりは必要ないか?」

「要らん。もともと小食でな。もう保つ必要もなくなった」

「左様で」

「邪魔したな大将。精々潰れぬように祈っている」

「ならばこちらは客人の道行きに幸あらんことを祈っておこう」

「大きなお世話だ」

「それはお互いさまで」

「違いない」

 不思議な店であった。成長に必要な栄養価、飛躍に必要な力は此処で蓄えた。安価で量があり、ただかなりまずい。

 良薬口に苦しを当てはめるのは大きな間違いであった気もするが、それでもこうして貧弱な身体が此処まで来れたのは、この店があってこそ。

「御達者で」

「ああ、達者でな」

 客は静かにこの店を巣立っていった。

 もう二度と、この店の敷居をまたぐことはないだろう。


     ○


 再開発の結果、あの頃の景色は影も形も残っていない。そもそもその前から此処には一つの更地があっただけ。それよりさらに前、原因不明の火事が起きる前、この道の角にはアルカス中から本好きが集まる輸入書店があった。

 世界各地から多くの本が集い、原本や訳本が取り揃えられていた。博識な店主が翻訳した本は多くの知識人に愛され、その跡継ぎになると見込まれていた青年もまた類まれなるセンスと勉強量で存在感こそ欠けるが良い店主になると当時の店主からも太鼓判を押されていた。火事によって全てが焼け落ちてしまったが。

「…………」

 男は十秒ほど『その景色』を見つめていた。じっと、噛み締めるように。

 そして静かにその場を後にする。


     ○


「郊外で交渉事がある。駄賃だ、受け取れ」

 赤い髪の男は門番に銀貨を一枚放り投げる。門番は『いつも』のイリーガルな業者だと判断し門を小さく開放した。男は門から出た後に「すぐ戻る」と追加の銀貨を投げ渡しその場から消えた。門番はいつも通りほくほく顔で職務を遂行する。

 道中、路傍に咲く小さな花を一輪摘み取り、男は郊外の森に入った。簡素な二つの墓、誰のものかもわからぬ場所には、すでに同じ花が一輪添えられていた。男と同じようにセンスの無い先客がいたのだろう。それを見て男はくすりと微笑んだ。

「さあ、お前たちの幸せを踏み躙った魔王がまもなく滅びる。刃か、病か、どちらにせよお前たちにとっては良い見世物だろう。無様な散り様を見れば少しは留飲も下がるのではないか? いや、それほど安くはないか、わかっているともさ」

 男の分も花を添え、その場から立ち去らんと――

「それとも、俺のことなど忘れてすでに二人の道行きを謳歌しているか? それならそれで良い。そうすべきだ。俺にその資格はないが君たちにはその資格がある」

 そうこぼすも、男は首を振ってその思考を否定する。例え、そうであったとしてもそう考えるのは逃げなのだ。奪った人間が奪われた者の幸せを祈る、これほどエゴに満ち溢れた考えはないだろう。奪った者は幸せを祈ることすら許されない。

 永劫の憎悪、消えぬ刻印。魂の髄まで刻まれていると知れ。

 もはやこの世に無いからこそ、都合の良い考えは捨てるべきなのだ。


     ○


 赤い髪の男は上位層が集う商業区に来ていた。まだ開店にはかなり時間があるも、少しずつにぎわい始め、活気が芽生える気配があった。男は目的の店へ足を向ける。途中、すでに跡形もなくなった亡き妻の店、ローザリンデのあった場所を過ぎる際、ほんの一瞬だけ視線がそちらへ吸い寄せられた。

 あの店には、『二人』の思い出があったから。

 しかし、男の目的地はそこではない。

「開店前にすまない。予約していたカイルと言う者だ」

 店の名はバルシュミーデ。当時は新進気鋭の菓子店として名を馳せていた店も、今では老舗としてこの区画に堂々と君臨している。あの頃、ことあるごとにこの店のお菓子を模倣し、アレンジしたものを食べさせられていた。

 本物はついぞ口にする機会はなかったが。

「カイル様ですね。お待ちください。こちらに成ります」

「ありがとう。今度は開店時間に来るよ」

「お待ちしております」

 男は梱包された袋から煌くような外観のお菓子を一つ取り出す。

 わざわざ予約してまで手に入れた菓子を全部あげるのも癪なので、ちょいとばかりのつまみ食いである。

「……あいつが俺に食わせないわけだ」

 本物は違った。その美味しさを秘匿していた事実に、男は相好を崩してしまう。

 本当にあの女は愛嬌の塊だ、と。


     ○


 お菓子の土産を持参し、赤い髪の男がゆるりと訪れたのは貴族の墓が立ち並ぶ場所。賑やかな王都アルカスで最も静かな区画と言っていい。多少日が昇ったとはいえまだまだ早い時間なのは変わらない。

 しかも冬時期、誰もいるはずがない。ないのだが――

「あら、お久しぶりですね陛下」

「貴女には敵わないな。御無沙汰しております、テレージア様」

 そこにいた初老の女性、テレージア・フォン・ベルンバッハを見て赤い髪の男はその仮面と、かつらを外す。その下には怜悧な瞳と白亜の髪がたなびいていた。

 正体はウィリアム・フォン・アルカディア。この国の王である。

「今日の御用件は?」

「そろそろ腹を空かせた頃かと思い、菓子の土産をば」

「まあまあ、一番この子が喜ぶモノね」

「そうだと良いのですが」

「貴方が持ってくるなら雑草でも喜びますとも」

「女性は?」

「……良い性格に成りましたね」

「冗談です」

 ウィリアムは墓前にお菓子を綺麗に並べる。

「美味いぞ。味見済みだ」

「あの子、その店のお菓子、貴方には絶対食べさせなかったでしょう?」

「特に興味も無かったので気にも留めていませんでしたが、今日その理由を知りました」

「改めてかわいい子だと思わなかった?」

「……愛嬌だけはアルカディアで一等賞を上げますよ」

「ふふ、小一時間ほど喜んだあと、だけってところに気づいてすねるところまで想像してしまったわ。あれから、もう何年も、何十年も経っていると言うのに」

「ええ、本当に。良くも悪くも、時は立ち止まらない」

 ウィリアムもテレージアも、ほんのひと時、遠い昔の思いを馳せていた。彼らを結ぶたった一人の女性の記憶と共に。

「上手く曲げましたね。さすがはテレージア様。風のうわさで愚王と聞き及び笑ってしまいました。嗚呼、まさに今の俺はそう呼ばれるに相応しい、と」

「本当なら英雄と称えられるべき貴方を、ごめんなさい」

「構いません。事実ですから。公共事業はともかく、人口増加に対する手を捻り出せなかったのは、そもそもの落ち度。周りも勝ち過ぎるとしっかり絞ってきて、くっく、リディアーヌなどオリュンピアで再会した際、高笑いしてガリアスの軍門に下るなら食糧を分けてあげるなどとたわけた物言いをしていたものです」

「あら、また女の人の話? この子が嫉妬してしまうわ」

「……見境なしですね」

「それが女と言うものよ。まだまだそこは修行不足ね」

「俺には永遠に理解出来そうにありません」

 しばし心地よい沈黙が続く。

「レイとあれが名乗った時点で、バレているとは思っていましたが、あそこであのカードを切るとは思っていませんでした。テレージア様の機転なくば、自らの立場すら危ぶめたと言うのに」

「大丈夫、辿り着いたのは私とヴィルヘルミーナだけ。あの時の、貴方を見ていなければ理解出来るはずもない。いえ、想像すら出来ないでしょう? 貴方が、あの人の、アルレットさんの弟なんてことは」

「だと良いのですが。無駄に聡いのが二人、いるでしょう?」

「マリアンネなら大丈夫。あの子は、本当の意味で賢いし優しい。何よりも臆病だから。エマヌエルに関しては、まあ少し警戒したけれど、其処は貴方の大事な宝物がくぎを刺していたわよ。好奇心が身を滅ぼすこともあるよ、って。怖い顔でね」

「……ふ、今更杞憂ですか。あれはとっくに俺の上にいます。戦場でならまだ付け入る隙はありますが、それ以外では元のスペックが違い過ぎてとても」

「あの白騎士がお手上げする日が来ようとは、奇跡も形無しね」

「戦場でなら、あと一、二戦は勝ちますがね」

「男の矜持?」

「戦士の矜持ですかね」

「まあ格好いい」

「ごほん。とにかく、状況はこの上なく貴女たちに風が吹いている。今、破裂寸前のアルカスを制御し、破局の勢いを利用して勝ち切る。もうしばらく負担をかけることに成ります。まあ、あれ次第ですが、それほど時間はかからないでしょう」

「大丈夫よ。あの子はしっかり私たちを守り抜いてくれた。あの後、表舞台で巻き起こった裁判合戦では貴方に後れを取ったけれど、裏での暗殺合戦はあの子に軍配が上がった。もう貴方にも『彼女』にも手駒はないと踏んでいるのだけれど、違うかしら?」

「さあ、どうでしょうか。俺に言えるのは、油断成されぬように、とのことです。あの女は蛇、俺は王、どんな隠し玉を持っているのか分からない。警戒するに越したことはありません。もう、俺が貴女たちを守るわけにはいきませんから」

「……そうね。大丈夫、油断はしていないわ。久しぶりに貴方に会えて、少しだけ気が緩んでしまったけれど、大丈夫、私は、私たちは、大丈夫だから」

「であれば俺が心配する筋合いではないですね。敵同士、ですから」

「そうね。貴方の隣にいると、つい、忘れてしまいそうになるわ」

 ウィリアムは静かに踵を返す。

 彼女たちのそばは自分には居心地が良過ぎるのだ。

「この後のご予定は?」

「もう一つ寄るところがありまして」

「女性?」

「まあ、そうなりますか。もう一人の方です」

「……そう。それは、必要ね。この子も私も、嫉妬してしまうけれど」

「お許しを。私は、二人いるのです。捨てた自分と奪った自分、二人が」

「なら、其処から解放された貴方は、どんな自分になるのかしらね」

「……死してなお解放はあり得ません。俺の業は俺のモノ。あの男の業もまた、あの男だけのモノです。あれが何と言ったか想像はつきますが、気にする必要はない。貴女に罪はない。ベルンバッハはすでに安寧を勝ち取っている。それだけはお忘れなきよう」

「卑怯ね、貴方は。ともに分かち合うことすら、拒絶する」

「それが王です。では、さようならテレージア・フォン・ベルンバッハ。全てに気づきながら、それらを抱え今まで一人耐え続けていた強さに感謝を。あとは全て俺が背負います。ヴィクトーリアの愛は背負えずとも、あの男の業くらいは背負って見せる」

「……私はッ!」

 ウィリアムが去って行く背中を見てテレージアは言葉を絞り出すことが出来なかった。彼は自分が強いと言った。そんなことはないのだ。むしろ逆、弱かったから。全てに蓋をした。業も、想いも、何もかもに蓋をして生きてきただけ。

 そんな自分に何が言えると言うのか。いばらの道に勇気をもって飛び込んだエルネスタでさえ脇役でしかないと言うのに。ただ黙っていただけの自分に役など回ってこない。いつだって役を掴む者は、自ら動いた者なのだから。

「……また来るわねヴィクトーリア」

 大好きな妹に、そして同時に彼女の爛漫さに嫉妬していた者の一人として、また会いに来る。何度でも、何度でも。

 テレージアもまた歩き出す。

「お待ちしておりました」

「血の匂いがしますね」

「大したことはございません。些事です」

「なら良いわ。馬車、出して頂戴」

「承知致しました」

 燕尾服の男が馬車の中にテレージアを招く。

「商会へ。貴方も今週分、給金をもらっていないでしょう?」

「下賤の身を気にかけて頂けるとは、光栄の極みですね」

「今、貴方に離れてもらうわけにはいかないの。勝ち切るまでは、鎖で繋がせてもらうわね、殺し屋さん」

「お金をくれる方につくのがプロなので。もちろん、前の依頼人のことは何も言えませんが。そういうところも信頼に関わって――」

「良いから出して」

「おっと、これは申し訳ない」

 テレージアを乗せた馬車が走る。

 向かう先はアルフレッドの部下たちが集う拠点である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る