カルマの塔:暗殺合戦開幕

 クロードは静かな怒りを帯びながらベアトリクスに眼を向ける。

「くそが、何であいつは脇が甘いんだよ。どう考えたって狙われんじゃねえか」

「そうと決まったわけじゃないでしょ」

「理由もなしにこの状況で遅刻するか? 話を聞きゃあ勝負どころじゃねえか」

「…………」

 押し黙るマリアンネを尻目にクロードは出入り口へ向かっていく。間に合わないかもしれないが、立ち止まっているわけにもいかない。アルフレッドであればある程度は抵抗するだろう。

 タイミング次第では何か出来ることも――

「お前には何も出来んぞ、へなちょこ」

「……何もしねえ奴よりマシだ」

「私はオスヴァルトだ。軽々に手を貸すわけにはいかん」

「それを俺と王宮にカチこんだテメエが言うのかよ。結局お前は、弟分に超えられたのが悔しいだけじゃねえのか? 自分の立ち位置を直視するのが――」

「クロード!」

 マリアンネの制止で、クロードは正気を取り戻した。完全に踏み抜きかけた彼女の触れてはならぬモノ。蒼白な顔つきの彼女に、いつもの凛とした雰囲気はない。

「わりい。とりあえず俺はあいつを探しに――」

 その時、にわかに出入り口にざわつく気配があった。

 クロードら武人はすぐに気づく。使用人たちが騒いでいるのだろう。雑多な騒音が耳朶を打つ中、その奥から足音が響いてくる。

「……せめてお召し替えを」

「いいよ、御挨拶するだけだから」

「しかし」

「遅刻した上で服まで借りたんじゃ面子が、ね」

 ふう、とクロードはため息をついた。杞憂に終わった自らの憂慮。無事であればそれで良いのだ。それが一番良い。空回って苛立った自分が滑稽なだけで済む。

「やあ皆さん御機嫌よう。道で輩に絡まれましてこのような形ですがご容赦を」

 アルフレッド・レイ・アルカディアの登場にこの会場全ての人間が息を飲んだ。服はボロボロ、全身血にまみれ。凄惨な姿である。

 祝いの場に似つかわしくない格好で、普段と変わらず爽やかな笑顔を浮かべる男の異様に幾人かは畏怖を覚える。

「大丈夫か!?」

「あれ? クロードさんもいたんですね。俺のことなら大丈夫ですよ。この通りピンピンしています。格好は汚いですが」

「下手人は誰だ? 誰の差し金で――」

「差し金も何も街の輩ですよ。小奇麗な服を着ていたから狙われたんでしょう」

「そんなふざけた話、誰も信じねえだろうが」

「ふふ、ちょっと面白い手合いでしたけど」

 クロードの心配をよそにアルフレッドは平然としていた。実際に見た目ほどの損傷はない。と言うよりも無傷に近い。つまり、ほとんど返り血なのだ。

 そんな血なまぐさい男が真っ直ぐとテレージアの方へ足を向ける。


     ○


 嵐の後のような光景が広がっていた。

 多くの段取り、準備を経てこの日を迎え、潤沢な資金と入念な作戦、兵器を用意し臨んだ仕事であったが、結果はご覧の通り失敗に終わった。

「随分と愉快な仲間をお持ちだ、第一王子さまは」

 自分が鍛え上げた部隊がたった二人にあっさりと撃退され、残ったメンバーも自分を含めて相応の手傷を負っている。無論、相手にもそれなりの傷は負わせたが、割に合う合わないで言えば大損と言ったところだろう。

 別動隊もこの時点で合流していないということはイヴァン含めた商会員相手に手こずったか、下手をすると――

「……任務を失敗した暗殺者の末路は、常に決まっている」

 背後に立つのは殺意の塊。

 その指には尋常ならざる力が込められていた。

「おや、随分と懐かしい声だ。腹の傷が疼きますよ」

「ああ、『蛇』の。随分と風体が変わったものだ。よくぞあの損傷で生きていたものだな。まあ、それも今日限りだが」

「手負いの貴方に殺せますか? 私が」

「容易い」

 最強の暗殺者、白龍の貫き手に燕尾服の男はナイフで合わせていた。

「簡単には殺せませんよ、私」

「…………」

「殺すのは好きなんですが殺されるのは嫌いでして」

 軽やかな動きで距離を取る男。その過程で地面に落ちていたハットをくるりときざったらしい動きで身に着け、まるで舞台の役者のように慇懃無礼でやりすぎな一礼を行う。白龍の知るあの男であれば絶対しない『遊び』であった。

「貴様こそあの時ほどの覇気はない。必死に生にしがみ付いた男とは、な」

「お恥ずかしい限り。私はどうにも暗殺者としては二流らしい」

「その二流に先代と多くの暗殺者が殺されたのだ。油断する気はない。サロモンの最高傑作、元最強の暗殺者よ」

「最高傑作はディエースだ。私はアダン、アドンにも劣る」

 まだ白龍がウィリアムと出会う前、彼は暗殺ギルドにおける期待の新星であった。武力自体はトップであったが暗殺者としては覚えることが多く、それを叩き込んだのが先代の頭領、長くニュクスの右腕であった男であった。

 当時、最強不可避と謳われた男を殺し『蛇の牙』は若くして暗殺者の頂点に立った。そしてしばらくの時を経て白龍がアルカスに潜入中の『蛇の牙』を仕留め、闇の世界において白龍こそ最強、と今なおみられている。

 世界の裏側で繰り広げられていた闇の戦い。

 双方生きている。ならば、いまだ決着はついていないのだ。

「ふっ、とまあ無駄な労力は後に置いておきましょう。ここで共倒れではそれこそ一銅貨の得にもならない。御覧の通り暗殺は失敗です。勘定に入っていない腕利きが二名、どちらもオリュンピアで名を馳せた武人でした。一応報告までは済ませておきます。処分されそうになったら逃げますがね」

 白龍は頷きをせず睨んでいたが、言うべきことは言ったとばかりに燕尾服を着た男は去って行く。そして、部下と思しき者たちもまた同じように去って行った。残されたのは凄惨な事件現場。

 幾人かの刺殺死体と人の手によるものではない破壊痕。

「……こっちも、か。まったく、難儀な話だ」

 勘定に入っていない介入があったのは白龍も同じ。そうでなければ生きているにしろ死んでいるにしろ、おそらく今動くことはできなかっただろう。

 改めてこの戦いの痕を見つめる白龍。きっちり準備をしている相手をあっさりと乗り越え、凄腕の暗殺者たちを退かせた力は脅威。すでに十二分に育っていた。搦め手も含め、『彼女』の手札では抗し切れないほどに。

 あとは王の求める条件をいくつか達成するだけ。

「最後の戦いは……近い」

 もう少し先にこの物語の着地点が待っている。


     〇


「邪魔してくれるなよ、大和のガキ」

「面目ない、シンの拳士。これも仕事なのでね、路銀がいるのだ」

 黒星は東方の若き武人を見てため息をつく。

 白龍との闘いに割って入ってこられた挙句、鋼すら穿つあの男の貫き手を退かせた斬撃は筆舌尽くしがたいものであった。

「その刀があればうちの大将に勝てたかね?」

「あちらも業物。リウィウスであればむしろ本場はこちらだ。俺にこの刀があるように、彼にはあの剣がある。素晴らしい戦いにはなると思うが、さて」

「戦いたいなら何で味方に付く? 逆じゃねえのか?」

「あの足をこれ以上悪化させては、それこそ永劫俺は負けたまま、だ。それは、どうにも許しがたいと思うのだ。何故だろうかな」

 東方においても稀有な実力者、国綱は渇いた笑みを浮かべていた。

 負けを悔しいと思ったことがなかった。勝ち負けなどどうでもいいと思っていた。技の追求、技以外での勝ち負けに心は震えなかった。ゆえに彼は得難い相手なのだ。自分に敗北を突き付けてくれるのだから。

「俺は俺以外の手で彼をすり減らしたくないだけだ。嗚呼、理由はそれだな。それ以外にない。許せぬだろう? こんなところで才を消耗されるのは」

 国綱の自分本位っぷりに黒星もまた笑みをこぼす。

 老師と同じ、技に憑りつかれた者とはかくも自己中心的なのだ。それゆえに磨かれるものもある。自分はここまで、堕ちることはできない。

「故に手を貸す。道理だな」

「ハッ、そうかい」

 頼りになるのかならないのか、東方の助っ人が暗殺合戦に参戦する。

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