カルマの塔:道中
冬時期の貴族街ともなればかなり大きな道でさえ閑散としたものになる。外に出るのは必要最低限で、仕事関係で混み合う朝と帰宅ないし交際によって混み合う夜を除けば、今馬車が走っている道のように人通りはほとんどない。
そんな時間に走る馬車の中で、くつろいでいるのはアルフレッドであった。各方面から提出された報告書に目を通し、次なる手を考えている。一時とて無駄には出来ない、彼のしぐさからはそう言う執念が垣間見えた。
「殿下、あと十分ほどで到着いたします」
「うん。ところで道は空いてる?」
「ええ、御者としては非常に快適ですね」
「そっか。それは良かった」
書類に目を通しながら適当に話を合わせるアルフレッド。
「ところで殿下、何故この時期に警護をお付けに成らなかったのですか?」
「ん? ちょっとした外出だからね」
「ほほう、ちょっとした外出、ですか。だからクレス様やバルドヴィーノ様も予定通り練兵へ赴かれたのですね。これだけ騒がしい状況下で、随分気楽に構えていらっしゃる」
「気を張るほどじゃない。ところで俺も一つ聞いて良いかな?」
「何か?」
「いつもの御者は元気にしてる?」
「さあ、私の与り知らぬことですので」
「そっか」
「いつからお気づきで?」
「最初から。昔から記憶力は良いんだ。今ほどじゃないけど」
「それなのに御同行頂けたわけですか。なるほど、お噂通り傲慢を絵に描いたような方だ」
「謙虚さを心がけているつもりなんだけどね」
「ならば尚更、如何ともしがたい」
馬車が急加速した。御者が思いっきり鞭を入れたのだろう。馬車内の揺れ方が尋常ではない。
書類は宙へ散らばり、アルフレッドもまたまともに座っていられない。
「お仕事ですので。ご無礼」
馬車の両サイド、窓を貫く直線的な――石。石弓から放たれたそれらは狙いすましたように凄まじい速度で衝突、細かい破片が馬車内で炸裂する。それをアルフレッドは杖とマントでダメージを最小限にとどめていた。
ただし、動きは固められてしまったが。
(……ここまでやるか)
馬の断末魔、それが耳に届く段階ではすでに正面から大粒の飛礫が接近、血濡れのそれらは幾筋もアルフレッドに向かって打ち込まれる。馬車が瓦解するほどの連射、破壊力、およそ全てがたった一人の個人に向ける火力ではない。
過剰な破壊の痕、そこから這い出てくるアルフレッドは手傷を負いながらも重い傷は見受けられない。それでも、市街地でこのような兵器を用いてくるとは、さしものアルフレッドも想定していなかった。
精々が弓や剣、槍程度かと誰もがタカをくくってしまう。
とはいえ襲撃自体は想定内であるが。
「いてて、そこまでして俺とベルンバッハを組ませたくないのか」
「依頼人の御用件は存じませんよ。あくまで私たち、しがないフリーの殺し屋ですので。ご無沙汰しております、ミスター・アレクシス」
くるりとハットを脱ぎ一礼する燕尾服の男。所作や立ち姿、雰囲気まで別人ゆえに思い至らなかったが、その男はかつてネーデルクスでマールテンの警護をしていた男であった。いつの間にかいなくなっていたが、まさかこんなところで鞍替えして立ちはだかるとは、人の縁とは実に巧妙極まるといったところ。
「仕込みの杖。ふむ、それで飛礫をそらしたわけですか。お見事お見事」
状況を冷静に見極め、それでいて動じる様子はない。周囲のお仲間も同じような雰囲気を醸し出している。プロ中のプロ。アルフレッドも旅の中で数えるほどしか遭遇していない、真の裏、闇の実力者集団。
「クラウディア様も周到なことだ。用意していたわけだ、君たちのような凄腕を」
「過大な評価です殿下。オリュンピアの覇者、世代最強を前に私たちなどゴミクズ同然。虫けら故少々小細工を弄したまでの事」
「勝ち目が無いと思うなら道を開けて欲しいな」
「まあ、ゴミにはゴミなりの戦い方と言うモノがございますので」
「……参ったね。この状況で出てこないところを見るとイヴァンたちや黒星も抑えられているか。いやはや、大枚はたいたものだ」
「何のことやら」
知っていてとぼけているのか、本当に知らないのか、それすらこの男の顔からは何も読み取ることは出来ない。
色の無い魔人、殺意無く人を殺す人の皮を被った何か。
彼らは彼らの道理で動く。黒星とは違う本物の闇の住人。
「では参りましょうか」
音も無く、気配の欠片も無く、予備動作無しで男はナイフを投擲する。
「まったく、急いでいるんだけどね」
アルフレッドもまた腰に備えていた巾着から銅貨を指ではじく。
ナイフと銅貨が空中で衝突した。
火花が舞う。
○
「オイコラ、何であんたがそっち側なんだよ」
「わからんのか、俺がこうしてお前の前に立ちはだかる意味が」
「……何も思いつかねえから聞いてるんだけどな、白龍!」
「多少腕は戻したようだが、幼稚さは消えていないな、黒星」
黒星と白龍、アルフレッド陣営とウィリアム陣営は裏で共通の脚本に沿って動いていたはずであった。
闇の駒である彼らは協力こそすれ、敵対する理由などないはずなのだ。
「ったく、意味わかんねえが、あいつも万全じゃねえんだ。さっさと押し通るぜ」
「お前が先へ進むには俺を倒さねばならない」
言外に『それ』は不可能だと白龍は述べる。
「ハッ、いつまで先輩気取りだよ。今の俺は、あんたより強いッ!」
「愚」
「煩ッ!」
剛成る発勁と柔成る発勁が人知れず衝突する。
○
「大伯母様、お誕生日おめでとうございます」
「綺麗な花束ね、ありがとうドロテー。貴女のお誕生日には何をプレゼントしましょうか」
「え、と、可愛い服が欲しいです」
「いけませんよドロテー。お姉さまもあまり甘やかし過ぎないで」
「あらあら申し訳ないわね。すっかりけちんぼおばあちゃんが板についちゃって」
「そのおばあちゃんよりもテレージアお姉さまの方が二つも年上なのよ」
「……私の方が若く見えないかしら?」
「……孫がいる私の方が幸せだから見た目なんて気にしないもん」
「ふふ、貴女も元気で良かった。家族ともどもこれからも健やかに過ごしなさい」
「……ええ、テレージアお姉さま」
あの暗黒期を怪物と共に過ごしたベルンバッハ十二姉妹の二人は静かに笑いあう。あの頃はこの先、こうして家族が笑いあえる日が来るとは思っていなかった。地獄のような日々の中で、摩耗し、逃げるように政略結婚を受け入れ家を出て行った先、これほど幸せな日々が待っていようとは彼女とて思わなかっただろう。
多くの子宝に恵まれ、長兄はしっかりと跡を継ぎ、孫は可愛らしくすくすく育っている。そんな様子を見るとテレージアは我が事のように嬉しく思うのだ。
「大伯母様、お誕生日おめでとうございまーす」
「あら、やんちゃ坊主が来たわね。息災で何より、エルネスタ様、エマヌエル様」
「お顔をお上げください。この家では、私はテレージアお姉さまの妹、十女のエルネスタです。ただ、お情けで手に入れただけの名に何の意味がありましょうか」
「……そのお情けで手に入れた立場が、今、揺らいでいるのではなくて?」
テレージアの鋭い視線にエルネスタは言葉が詰まる。
しかし、その間にエマヌエルがすっと入り込み、少し申し訳なさそうな顔で伯母であるテレージアに抱き着いた。
「勝手なことしてごめんなさい。でも、アルフレッドお兄様は凄い人だからきっと大丈夫だよ。心配しなくても平気。この家は、絶対に揺らがないから」
「……貴方は賢い子だけれど、時折危うさが垣間見えるわね。誰に似たのかしら」
「おじいちゃんかなあ?」
その発言にテレージア以外の姉妹全てがピクリと反応する。
「いいえ、御父様とは似ていないわ。貴方は聡く、強いから」
「……それは――」
エマヌエルが聞き返そうとすると大きな音が鳴った。
そして現れたのは――
「タダ飯が食えると聞いてやってきました。クロードです。あ、お誕生日おめでとうございます。で、メシは――」
ベアトリクスの美しい飛び蹴りとマリアンネのビンタが同時に炸裂した。のけぞるクロードであったがそこは大将であり三貴士でもある武人。むくりと起き上がり平然と飯を探し始める。いつもより数段馬鹿っぽいのは何故なのだろうか。
「わ、私は呼んでないからね! 呼んだのはベアとメアリーだけだもん」
マリアンネ必至の抗弁。それほどにこの馬鹿を呼んだのが自分だとみられるのが嫌だったのだ。そしてそれは、呼んだ本人も同じこと。
「あら、ガブリエーレ、どこに行こうとしてるの?」
びくりとするテレージアの妹である十一女。犯人は彼女であった。理由は婚期を焦ったこと。最大の誤算は、クレスやバルドヴィーノを交えた練兵、模擬戦に先んじて参加し疲弊の極みにあったクロードが素で現れてしまったことである。
「くっそがァ! あいつら鬼だ鬼。マジで勝てねえ。一度も勝てねえ。どうなってんだよ」
「ふははへなちょこめが!」
「そういうテメエも一度だって勝ったことねえだろうが!」
「ふ、ふはは……だって強過ぎるもんあいつら」
ずんと落ち込む武官二人。突如現れた新入りを可愛がってやろうと幾度か模擬戦に参加するも、手も足も出ずに敗走させられ、哀しいほどの差を突き付けられていた。個人の武力はともかく、将としての実力は彼らの大敗であったのだ。
「酒だ酒! じゃんじゃん持ってこい!」
「馬鹿クロード! いい加減にして!」
妹分であるメアリーの殴打でようやく大人しくなったクロード。隅でしょんぼりしているベアトリクスと同じ痛みを背負っていた。
「うわー、大将クロード様と仲が良いんだねマリアンネおば様」
「仲良くない! こんな馬鹿は知りません」
「でも喧嘩するほど仲が良いって――」
「言わないの。あとエマヌエルも離れて。近づいたら馬鹿が移っちゃう」
「えー」
「えー、じゃない」
大事な甥っ子を馬鹿に近づけまいと近づいてきたエマヌエルを遠ざけるマリアンネ。その様子を見てくすくす微笑むテレージアと怒り心頭のヴィルヘルミーナ、それを抑える現当主ベルンバッハ侯爵は困ったような顔をしていた。
「アルフレッドお兄様遅いなあ。何かあったのかな?」
エマヌエルの発言に、和やかな空気は一変、緊迫した空気になる。
「んあ、アルフレッドがどうかしたのか?」
「殿下かせめて様をつけろへなちょこ」
「いや、でもよ、アルフレッドって、ベルンバッハからすると、あれ? なんかあったのか? 俺の認識間違い?」
「私が教えてあげるから黙ってて」
「つーかあいつ、クレスさんもバルドヴィーノさんも無しに一人で出歩いてんのか? どうにも危なっかしいな」
「……今のアルフレッドに勝てる武人などそうは――」
「馬鹿か? 武力で勝敗が決まるなら俺もお前もあの二人にこんな負けてねえだろうが。集団には集団のやり方があるっての」
「お、お前に馬鹿って言われたく、だが、確かにその通りだ」
「ちーときな臭ェな。おいマリアンネ、経緯を教えろ。俺にもわかるように」
「難しい注文するな馬鹿」
不穏な気配に、経緯を聞くにつれクロードの表情が見る見ると――
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