カルマの塔:人を映す鏡

 すでに数えることも無くアルフレッドが提案したやり方が習慣と成った王家の晩餐。今宵も何か不穏なことが起きることも無く、終わりを迎えようとしていた。工夫を凝らしたデザートを食し満足げな子供たち。

(笑っておるが、随分浮かない様子ではないか。勝つ自信はあるのであろう? ならば指せばよい。愚民を、国を、割って泥沼に沈める手を)

 アルフレッドが抵抗すると仮定した上で、最も被害が少ないのは彼がアルカディアを敵に回し完勝するという筋書きである。そもそもどんな手順であれ戦いは避けられない。おそらく、それなりの兵力、準備は整っているのだろう。また、状況を鑑みて増強している最中であるかもしれない。

 彼が躊躇しているのは、およそ想定しうる限りここで戦いを始めるのが最悪手に近いからである。政争で優位に立ち、味方を増やし、内々でケリをつけるのが理想。少しでも力を蓄え、相手に圧力を与え、揺さぶりをかけ、勢力を削り、戦いはその後での話であった。

(勝つには戦うしかあるまい。なかなか良い見世物に成りそうよのお。血みどろの闘争の後で、まだ英雄であれるか、くっく、実に見物よな)

 一切表に出すことはないが、愉快げに嘲笑うクラウディアは間違いなく状況を楽しんでいた。人の愚かさ故、大きく変わった筋書き。おそらく、アルフレッドだけではなく『あの男』にとっても想定外。

 ならば、それほど痛快極まることも無いだろう。

 だからこそ彼女が止めることはない。唯一、正攻法で愚かなるモノたちを止めることの出来るクラウディア・フォン・アルカディアという女にとって、すでに目的が達せられることはなく、漫然と終焉に至るくらいであれば、全ての崩壊こそ最後の望み。それこそが唯一無二の渇望。

 最高の脚本は、『あの男』の前で今の最愛を殺し、その上で全ての崩壊を見せつけること。すべてを根こそぎ奪い取った後、『あの男』が己を、どういう目で見るのか、それを想像するだけで背筋がゾクゾクしてしまう。

 期せずその機会がやってきた。ならばどうして彼女が動くだろうか。

「ねえねえコルネリウス。久しぶりにストラチェスやろうよ」

「……君はいつも思いついたことをすぐ口に出す」

「当たり前でしょー。思ったことは言わないと伝わらないからね」

「まあ構わないよ。久しぶりに指そうか。バルドゥルはどうする?」

「二人の対局を見ているよ。僕じゃ太刀打ちできないから」

「えーそんなことないのにぃ」

 その会話を横で聞いていたアルフレッドは三人の王子たちに目を移した。

「じゃあ後で談話室ね。バルドゥルも来てよ」

「わかった」

「うん、剣の稽古が終わったらすぐに行くね」

 子供たちの、まさに児戯を見ているゆとりなどないが、今宵は予定が無いのも事実。特に何か見るべきものがあるわけでもなく、本当にふと思い立っただけだが、少し時間を置いてからアルフレッドも見学してみようかなと考えた。

 方々手を尽くすも、残されたカードは最強の札ただ一枚だけ。ゆえに、考えることはいつそれを切るか、それだけである。そして、その時はそう先延ばしには出来ない。あまり負けが込むと、国内での助力が得辛くなる。まだ、オリュンピア優勝や食料供給の功績、それらが輝いている内に動かねば勝機はない。


     ○


 興味本位で見学をしに来たアルフレッドはコルネリウスとエマヌエル、二人が織りなす戦いの盤面を見て、少なくない驚きを見せる。

 まだ幼い彼らが指しているとは思えぬほど数多の思考が絡み合った盤面。非常に細かく、形勢はまだどちらにも転びうる。想像でしかないが、堅守速攻が持ち味の初期陣形と自由度の高い捌いてなんぼ初期陣形の衝突。

 コルネリウスは序盤、最小の手数で相手の陣形に合わせた守備を固め、攻めには逆に手数をかけ、手厚い前線を形成。ほぼ駒損することなくひも付きの兵士の駒を、相手の陣内に打ち込むことが出来た。これが楔として攻めの起点となる。

 劣勢かと思いきやエマヌエルものびのびと指し回し、意外と盤面は崩れない。捌きのセンスという意味では、彼はコルネリウスよりも上。自陣に侵入を許しながらも、悠々と王を、将を動かし、ふわりと相手の攻めをいなす。

「ここかな」

 にこりと微笑むエマヌエルが指した手は、ゆるゆるの布陣、その隙間から戦車と双璧を成す大駒、魔術師を動かす手であった。騎士の駒を切って、駒損してでもその位置に運びたかったのだろう。

 敵陣を斜め方向にずばっとにらみを利かせることが出来る位置へ。

「……なるほど。らしい手だ」

「エマヌエル殺法だよ。マリアンネおばさんのぱくりだけどね」

「この魔術師は、ああ、危険だ」

 コルネリウスはこの先を読み切った上で、こちらも駒損をしてでも魔術師を潰した。兵士ふた駒、そして――

「……そこまでやるのぉ」

 魔術師と戦車の交換。一般的には魔術師よりも戦車の方が価値が高いとされるが、あの位置にある魔術師は駒損をする価値があるとコルネリウスは判断し、攻めの手を休めてでも確実に潰してしまう。

「悪いが、勝負事は全て勝つ気で臨んでいる」

 そこからは怒涛の攻め。重厚かつ多重なる攻めは、かわしても、受けても、途切れることなく敵陣を圧し潰して行く。攻め手が止まらない。其処で繋げるのか、と感心するほどコルネリウスは攻めを休めず、相手の陣をどんどん破壊していき――

「んむッ!」

 エマヌエルも集中して相手の攻めを捌き続ける。

「君に自由は与えない」

 しかし、コルネリウスは攻め手を厚くし、エマヌエルが自由に駒を捌くスペースを埋めた。騎士を捌こうにも着地点には敵の駒が狙いを定めており、当然王を生かすでも無ければそこに捌くことは出来ない。

「……んー、舞えないなあ」

 勝利のため。面白さのため。二つの矜持の激突は。

「こうさーん」

「……見切りが早いぞ」

「でも負ける気しないでしょ? 僕は勝てる気がしないもん」

「まあ、ね」

 驚くほどレベルの高いストラチェスであった。まだ幼い二人が作った盤面には到底思えない高い次元での攻防。勝利のために手堅く、かつ最短手数での勝利が目標であるコルネリウスと、とにかく面白さ絶対主義であるエマヌエルではまだ少しだけさがあるように見受けられた。

 ただし彼が勝ちに徹すれば――

(大したものだ。この歳でこれだけ指せるなら胸を張って良い。さすが三貴子と呼ばれるだけあって素晴らしい才能だね)

 勝負はほぼ決している。優勢、いや、限りなく勝勢に近い状態。

 でも――

「すごいよ二人とも。ちょっと、俺も指したくなっちゃった」

「では僕が相手をしましょう。今、盤面を崩しますので」

「ん、それは良いよ。俺は、エマヌエルの方で指す」

「続きをすると? この盤面で?」

「うん。信じられないかい?」

「活路はありませんよ」

「それは、結果が決めることだ」

 アルフレッドは継続の一手を指す。王を前進させる、意図不明の手。

「……良いでしょう。相手にとって不足なし、です」

 コルネリウスはそれに対し、全力で押し潰さんと駒を進める。


     ○


 それは緻密で、繊細で、何よりも泥臭い指し手であった。

「いつまでも逃れられるとッ!」

 コルネリウスは手厚い包囲をさらに厚くし、王の進撃を圧し潰そうとする。片やアルフレッドは兵士を切り、騎士を切り、果ては戦車までも安い駒と交換しながら、じりじりと王を前に運んでいた。

 あと一歩、ほんのわずかで、捕まえられない。

「まだまだ序の口さ」

 やっと捉えたと思えば、躊躇いなく一歩下がり別のルートからの侵攻を試みる。何度も、何度も、繰り返し重ねられる驚異のクソ粘り。何度となくエマヌエルやバルドゥル、遅いようなので様子を見に来た三王妃たちも捉えたと思う局面があれど、するりと抜ける。

 ドロドロの盤面。すでにエマヌエルが敗北を認めた盤面から百手近く経過していた。その粘り腰と諦めの悪さも驚きに値するが、何よりもアルフレッドは此処まで自らの手番をほぼノータイムで指し続けている。これだけ細かい局面で、まるで全てを見通しているかのような早指しは人間技ではない。

「ぐぅゥ!」

 コルネリウスも決して指すのが遅い方ではない。むしろ早い方であるが、対面が早すぎるため対照的に遅く見えてしまう。こうなれば急いた手を指してしまうものだが、さすがは神童、疲弊してなおきっちりと指し回している。

 互いに間違えない。ゆえにこそ地力が出てしまう。

「あっ」

 コルネリウスの手厚い包囲、その綻びが見えてくる。最初からここまで、それこそ最低百手近く読み切らねばこの道のりは見えてこない。正着の果てに、抜け出る道があったのであれば、それは必然なのだ。

「……まだ!」

 逃がさぬとばかりに強い手で応手するコルネリウス。包囲にさらなる手を追加し、必ず王を詰ませて見せると言う意志が込められた手。ここで初めてアルフレッドの手が止まった。その様子を見て、笑みを浮かべるコルネリウスであったが――

「……素晴らしい集中力だった」

「……だった?」

「うん、それは悪手だよ。これで挽回の手が消えた」

「……挽回? 兄上、何をおっしゃっていますか。優勢なのは――」

「逃がさない選択を取った時点で最善の手順じゃない。間違えなければ逃げ切れる盤面なら、君は逃がさないのではなく、逃がした後の事を考えるべきだったんだ」

 アルフレッドはそう言った後、躊躇いなく手を重ねた。数手重ねれば素人でも王が包囲を抜けたと理解できた。それは同時に、伸び切った混迷の戦線からの離脱、コルネリウスの陣地への侵入を意味していた。

 王自らが敵陣に攻め入る形、つまりは入王≪いりおう≫である。

「多くの駒は前への戦力よりも後ろへの戦力の方が劣る。そもそも戻れない駒がほとんどだ。だからこそそれが出来る駒は貴重で、強い」

 さらに一手、王を進めるアルフレッド。コルネリウスは歯噛みする。圧倒的に駒を独占し、自軍には多数の兵がいる。にもかかわらず、この局面で働ける駒はほとんどいなかった。皆、王不在の敵陣で、包囲する相手を失い置いてけぼりになっていたのだ。後方への対応が可能な駒もあるが、それは味方の包囲が壁となって戻すには手数がかかり過ぎる。

 そして、先ほど放った手もそうだが、逃がさぬように手をかけ過ぎた。

「…………」

「…………」

 この結末は必然なれど、最後にアルフレッドが見せた攻めは切れ味鋭い居合いのそれ。最小の手数とは言え囲ってある王を、おそらく最短の手数で斬り捨てて見せたのだ。それほど多くない持ち駒を余らせるほど最小限で詰み切った。

「負けました」

「ありがとうございました。素晴らしかったよ、コルネリウス。君のおかげで最善のルートが浮き彫りになった。普通は、間違える。練達の指し手であっても、あそこまで細かい局面は間違えて仕方がないところ、君は間違えなかった。本当に素晴らしかったよ」

「…………」

 母親の見ている前で醜態をさらしてしまったことに恥じ入るコルネリウスは無言であった。大人げなかったかなと苦笑するアルフレッド。

 しかし、その後すぐにその苦笑は硬直することになる。

 たった一人の発言によって。

「すごかったねえバルドゥル」

「う、うん。すごかった!」

 興奮するバルドゥルを尻目に、エマヌエルはにこにこといつも通り笑っていた。何度見ても泥臭く、血生臭く、そして美しい盤面。例え活路があると分かっていても、こんな手順を自分は取れない。

 長く、果てなく、嵐の中を王自らが先頭に立って進む。

 傷だらけの王。多くの将兵を失った軍。それでも、勝ち切った。長い手を躊躇うことなく、迷うことなく、即断即決で。これは遊戯、所詮は御遊び。現実とは違う。だが、おそらく彼にとっては同じこと。今、躊躇っているのは、自らが傷つくことを恐れているのではない。

 それがわかった。彼は指せる。明日にでも動き出すかもしれない。

 ならば――

「ねえねえアルフレッドお兄さま」

「ん? なんだいエマヌエル」

「僕ねえ、今のを見てね、決めた!」

 今がその時。まるで世間話のようなノリで――

「僕、アルフレッドお兄様が王様になるお手伝いをするね」

 エマヌエルは言った。

「……え?」

 アルフレッドでさえ硬直し、聞き違いかと思う発言。コルネリウスは信じられないような者を見る目でエマヌエルを凝視し、バルドゥルは状況が把握できていない。そして、三王妃は、『全員』が愕然とした表情で小さな少年を見つめていた。

「エマヌエルッ!」

 叫んだのは母親であるエルネスタ。この王宮で迂闊なことを発言してしまうことの恐ろしさは、この場にいる全員が共通理解していると思っていた。ふわふわした我が子でも、その線引きを犯したことはない。

 それなのに今、何故こんな緊迫した状況下で――

「子の教育が成っておらんぞ、第三王妃」

 クラウディアの眼は、獲物を見つけた時のモノを超え、冷徹、冷酷な色を浮かべていた。発言をすぐにでも撤回させよ、彼女の眼はそう告げている。確かにエルネスタは彼女にとってそれなりに評価する敵ではあるが、敵失した第三王妃を潰せぬほど第一王妃は、真なる王の血は甘くない。

 今ならば聞き流してやる。ただし、『今後』出しゃばるなとも視線でくぎを刺す。一度出した発言は消せない。ちょっとしたことでも枷と成る。

 この王宮はそう言う場所なのだ。

「エマヌエル。皆さまに訂正なさい。今の発言は気の迷いであったと」

 エルネスタの言葉に、エマヌエルはやはりふわふわと微笑みながら――

「もー、母上のばかー! クラウディア義母上が焦ってるってことは、これが一番都合が悪い手だからでしょー。僕ねえ、コルネリウスで良いかなあって思ってたんだよね。優秀だし、力もあるし、ラファエルさんくらいならすぐに抜くだろうし……でも、たぶんコルネリウスじゃ勝てない。優秀さとかじゃなくて、動機かな? 覚悟が違う。広さが違う。深さが違う。うん、何度考えても、これが最善手だよ。今が、ベルンバッハの売り時。わかるよね、母上」

 その眼の奥は、笑っていなかった。

「エマヌエルッ! 貴様、何故!?」

 コルネリウスがエマヌエルの襟を掴んだ。それでも彼はにこにこ微笑む。

「ストラチェスは遊びだけど、人を映す鏡だから。やる気のない僕じゃ無理、やる気はあっても動機の薄い君でも勝てない」

 エマヌエルの笑みが歪む。

「だって君、義母上に褒められたいだけだもん」

「……俺に踏み込んだな?」

「だったらどーするー?」

 ようやくエマヌエルの笑みの意味をコルネリウスは理解した。彼は、いつも同じ笑みを浮かべていたのだ。いつもと同じように、全てを愚か者と見下しながら。猿山の猿を眺めるよう皆の奇行を嗤っていた。

「やめるんだ二人とも」

 コルネリウスの手首を掴んだバルドゥル。単純な武力であれば三人の中ではバルドゥルが一番勝る。さしものコルネリウスも手を放すしかなかった。

「僕は引っ込めないよ。ベルンバッハは薄氷の上にいる。陛下の寵愛があって初めて特別な存在なんだ。僕はね、あの居心地のいい空間を壊したくないんだよ。そのためには、何をしてでも勝ち馬に乗らなきゃいけない。かつて、大祖父、ヴラド・フォン・ベルンバッハが陛下を見出し、取り立てたように。僕も間違えない。自分の、自分たちの売り時を」

 そこには覚悟があった。彼は王になる気はないが、ベルンバッハと言う家を守ることにかけては並々ならぬ執念を、妄執を秘めていた。まるで、あの哀れな怪物が憑りついているかのような、そんな瞳をしていた。

「僕は、ベルンバッハは、『今の』アルフレッドお兄様にとってすごく役立つと思うんだけど、どうかな? 必要、ない?」

 アルフレッドは一瞬、首筋に冷たい何かが流れるのを感じた。彼もまた王宮が、ベルンバッハが育んだ怪物。強過ぎる薬は毒と成り得る。それでも今は、毒と分かっていても飲み干さねばならない。

「ベルンバッハにはお世話になっているからね。近々ご挨拶に伺うとするよ」

「やったー。それなら今度、大叔母様の誕生パーティをするから招待するね!」

「テレージアさんかぁ。だったら気合を入れた衣装で行かなきゃね」

「身内だけのパーティだから適当なので大丈夫だよー。マリアンネおばさまなんていつも面白衣装で参加するんだよ。ほんと面白いんだから」

「あっはっは、マリアンネさんらしいね」

 周囲の動揺をよそに、二人は和気あいあいと語り合う。その異質さが、異様さが、たまらなく気持ち悪いのだ。誰にとっても。

 アルフレッドは気持ち悪い思いの中、普段通りに振舞っていた。この天真爛漫な少年も一皮抜けば怪物の一人。忘れていたのだ、彼もまたベルンバッハの怪物と、白騎士の血を継ぐ者であり、誰に似たとしても普通ではないのだと。

 自分の想定を超えた事態に、気持ち悪さが溢れてくる。人の愚かさに足をすくわれ、今度は人の賢しさに救われた。対価は安くないだろうが、流れる血を考えれば一考する必要すらない。

 今のベルンバッハの力は、この国においてそれだけの価値があるのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る