カルマの塔:小さな開戦

 救国の英雄。ひと昔前、その言葉は白騎士ウィリアム・リウィウスを表す言葉であった。オストベルグを、ネーデルクスを、ガリアスを破ったアルカディア最強の将。そしてのちに覇王と成った男が起こした奇跡は数知れず。

 しかし、人と言う生き物は忘れっぽく、新しいモノに弱い性質を持つ。加えて昨今重なった天災と一般層から見た執政への疑問符。諸々の状況が合わさって人々は上書きされつつあった。

 救われたことを半ば忘れ、今だけで物事を測り始めた矢先――

 新しい英雄が現れた。

 アルフレッド・レイ・アルカディア。偉大なる王の息子であり、アレクシスという仮面を被り世界各地で様々な逸話を残した生ける伝説。

 曰く、無敗の剣闘士。曰く、ドーン・エンドを滅ぼした男。曰く、ゼナ・シド・カンペアドールと非公式に戦い勝利したこと。曰く、ネーデルクスで巻き起こった怪事件に携わっていたこと。曰く――

 表沙汰になっている話、噂話程度のもの、真っ赤なデマ。入り混じりつつ彼の伝説は肥大化し、仮面の騎士はローレンシア全体で周知された。

 そして、かのオリュンピアでの優勝。これで世界は知ったのだ。黄金騎士アレクシスがアルフレッド・フォン・アルカディアであったことを。祖国を出奔した彼が仮の名を騙り世界中で多くの逸話を残し、失われしルシタニアの『レイ』を受け継いだ最後の男として、謎の騎士の伝説に終止符を打った。正体を現し、その実力を世界に知らしめることで。

 その上で彼は大きな奇跡をも起こした。

 ローレンシアのほとんどが知らぬ暗黒大陸、そこで覇国と呼ばれるエスケンデレイヤの国守の座をかけて暴虐の国守アスワン・ナセルを討ち取り、信じ難いほど巨大な王国の二番目の地位を得た。

 その繋がりを、地位を生かし彼はちょっと前までのアルカディアが喉から手が出るほど欲していた莫大な量の食糧を安価で供給してみせた。

 ガリアスを筆頭に海上輸送、陸送も各国の協力を得て、テイラー商会が完璧に物流をさばく。直接交渉ごとに関わり、交易をスムーズに手早くまとめて、同時にヴァイクの船団、ガリアス、ヴァルホール、エスタードの烈海まで巻き込んだ一大事業を形成した立役者こそ新たなる英雄アルフレッドその人である。

 彼のもたらした新しい可能性は、本来アルカディアの敵であり、食糧の供給を渋っていたガリアスらの門戸を開かせ、あまつさえ協力させるほどに大きなカードであった。世界が揺れる間もなく、それらを完遂させ、名声を揺るがぬものにした彼が――

「アルフレッド様だッ!」

「オリュンピアの覇者!」

「英雄の帰還だッ!」

 アルカディアにとうとう戻ってきた。

 オリュンピアを跨ぎ半年の期間で、大事業を成立させた男が戻ってくる。

 アルカディアが、道中立ち寄った各都市が、そしてアルカスが大きく揺れた。凄まじい歓声の中、笑顔を振りまき分け隔てなく手を振る彼の姿に、多くの者たちは理想の王を見た。古き英雄が霞むほどに。

 一昔前、救われたことなど彼らの頭からは消えていた。

 民衆は彼に奇跡を期待する。良い方向に転がる奇跡を。

 ある意味で――これほど醜い光景はないのかもしれない。


     ○


「ようアルフレッド様。大人気だな」

 長い金髪をひとふさにまとめ、少しばかり大きくなったのだろうか精悍な顔つきに成ったアルフレッドがとある部屋の一角に座っていた。

「そうなるように頑張ったからね。ランベルトは……うん、良い具合にやつれているね。パロミデスも。なかなかに厳しいみたいだね、あの二人は」

「とても参考に成る。勉強の毎日だ」

「おいパロ、イイ子ちゃんぶるなよ! お前だって毎日へろへろでこの前ボソッときついってつぶやいてたの聞いたからな」

「……俺は大丈夫だ。問題ない」

「ちっ、この猫かぶりめ。俺は言いたいことは言うぜ。あの二人は尊敬している。タイプは違うけど、マジで優秀だ。この半年、阿呆ほど模擬戦を重ねたけど、その度に見る目の差に、知識の、経験の差に驚かされてるよ。でも、だ!」

 机の上でにやにやと微笑むアルフレッドの前にずいと顔を寄せるランベルト。

「配置。逆だろどう考えても! 何で俺がバルドヴィーノさんでパロがクレスさんなんだよって話だ。そりゃあパロは元オストベルグだしそこを加味してクレスさんにつけたんだろうけど、明らかに噛み合ってねえ。俺も同じだ」

「オストベルグどうこうは考えていないよ。適性が逆なのも最初から承知しているし、あの二人からも最初の指示の時点で逆だって言われていたし」

「……では何故この配置だ?」

「逆だから。クレスとバルドヴィーノ、二人ともとても優秀だけど戦に対する考え方は真逆だ。感性と理詰め、彼らの将としての持ち味、強みは大きく異なる。でもね、じゃあ彼らが逆を知らないかって言うとそんなことはない。むしろ多くの将よりも知っているし、使いこなすこともできる。出来た上で彼らは強みで戦うんだ」

「え、と、つまり――」

「まずは適性と逆の考え方を吸収して欲しいって意図。それがストレスなのはわかっている。教える側にとってもね。それでも、まずは逆を学んでもらいたい。負荷に耐えうる若いうちに辛い方を、ね。得意はすぐに覚えるから。出来ないとやらないは天地の差だよ」

「……結構考えてんだな」

「もちろん。色々と考えているさ」

 アルフレッドの言い分を聞いて二人は留飲を下げた。彼の言っていることはおそらく正しいのだ。今受けているストレスは、戦場で苦手なタイプと当たった際に覚えるものと同種で、命がけの局面でいきなり直面する前に練習の段階で慣らしていくのは必要。

 知らねば対策の打ちようもないし、知っているだけでは足りないこともある。

「ああ、そう言えばオティーリアと結婚したらしいね。おめでとう」

「おうよ。家同士知らない間柄じゃないし、親父もおふくろもまあ喜んだのなんの。絶対に変な女を捕まえて家に災いを呼び込むに違いないって家人が噂してたんだと」

「オティーリアがいなければ十中八九そうなっていた」

「うるせえよ。お前はさっさとイーリスにアタックかけろって」

「……アルフレッドの前でそれは」

「おやおや、歯切れが悪いねパロミデス。俺のことなんて気にせず自分の思う通りにすべきだ。俺は、個人的には君が彼女を幸せにしてくれると嬉しい。俺には出来ないことだからね」

「良いのか?」

「思うが儘に、だ。ギュンターの名に恥じぬ突貫を期待している」

「玉砕の報告でも良いぞ」

「……俺は砕けん。諦めぬ限り勝機はある」

「お前だから許されるのかもしれないけど、一歩間違ったらストーカーだぞそれ」

 ひとしきり馬鹿話に花を咲かせた後、ランベルトが真面目な顔になってアルフレッドに視線を向けた。ここからが本題と言ったところ。

「フェンリスに誘われた外洋からの東方遠征、延期をお前に自ら頼み込んで時を作ったんだ。一年待って欲しいってな。あと半年、俺たちは何をすればいい?」

「しっかりと鍛えてくれたらそれでいいよ。腹芸は俺の領分だし、武人なら強く在ってくれ。ただ俺のそばにいてくれるだけで、それが俺の力になる」

「……そんだけで良いのかよ」

「あ、今日から週に二回ほど、座学で勉強会するから。文武問わず、若手の有望株を集めて、各界のスペシャリストを招致し学ぶ時間だ。それには出て欲しい」

「むしろ面白そうだから頼まれなくても行くけどな」

「何人かに声をかけてみよう」

 なかなか面白い試みだが、いささか悠長な気がしないでもない。

「なんだかな。もっとガーンと動くもんかと思っていたぜ」

「それじゃあ潰されて終わりだよ。この王宮を一歩でも出れば、アルカスの外であれば、それなりの力は持ち合わせているけど、この中において俺はまだまだ力不足。王宮には王宮の理があるし、そう簡単じゃない。正論や理屈が権力で握り潰される世界だ」

「ならどうする?」

 アルフレッドはすっと立ち上がる。右手にはこじゃれた杖が握られていた。

「当たり前のことを当たり前のようにする。踊るのは常に相手側、相手を動かすんだ。こちらは道理に沿ったことをして、相手を動かし、徐々に締め上げる」

「策在りって顔してんな」

「とりあえず今日陛下への謁見があるからね。メインは帰還の報告と食糧供給の進捗だけど、そこで一手打ち込んでみよう。その手がどう発展するかは、お楽しみってやつさ」

「うへえ、怖い顔してんなあ」

「心外だね。こんなに純粋無垢な青年を捕まえて酷い言い草だよ」

「……好青年は締め上げるなどと言わん」

「そんなこと言ったかな?」

 さわやかに微笑むアルフレッド。その笑顔のまばゆさに彼らはげんなりとしてしまう。最強の対人スキルであり、知らぬ者にとっては好印象を与える武器であるが、知れば知るほどにその『笑顔』は畏怖の対象になってしまう。

「とにかくよろしくね。皆で良い春を迎えよう。新しい時代と共に」

 季節は冬、暖冬なのかほどほど北に位置するアルカスでさえ雪が降らず、おかげで寒い中でも練兵を休める必要がない。クレスとバルドヴィーノは嬉々としてそう語っていた。周囲がどんな顔をしていたかは語るまでもないだろうが――


     ○


 つつがなくアルフレッドは報告を終える。あまりにも素早く、茶々入れすら間に合わぬ速度で成された偉業に、王宮を跋扈する魔物たちでさえただただ静聴に徹するしかない。素早く、それでいて一切の綻びすらない隙の無さ、アルフレッドという男の老獪さが透けて見えてくる。この報告を聞き終えた時点で、幾人かは心の中で白旗をあげたとわかるのはまだ先の話であるが――

「……見事な手際だ。タウセレト殿には改めて謝辞を送ろう」

「陛下の心遣いに水を差すようで申し訳ないのですが、彼女に謝辞は不要です。そう言ったやり取りで喜ぶ文化がないので。強い戦士でも引き合わせる方がよほど喜ばれるかと」

「ふむ、文化の違いは余のあずかり知らぬところ。しばらくは王子に任せるべきなのだろうな。よい報告であった。引き続き両国の関係構築に尽力せよ」

「御意」

 報告を終えたことで多少ざわつきを見せ始めるアルカディア貴族、その重鎮たち。彼らにとって『終わったこと』でしかない報告にさしたる興味はなかった。問題はその後、アルフレッドが下げた頭を再び上げ、陛下が再びお声かけをする、その駆け引きにこそ彼らは興味を示す。

 そう、それは――

「此度の件、まさに大儀であった。各国をも動かした手腕、独力でそれらを出し抜いた行動力と不屈の闘志、何よりもすべてを組み上げた頭脳は比類なきもの。加えて若手のみの参加とは言え、最強を、オリュンピア優勝を持ち帰ったことも考慮すると、さて、余は対価に何を授ければよいか、誰ぞ余に教えて欲しいほどである」

 対価、つまりは論功行賞、平たく言えば成果に対する褒美。彼が軍属であれば百人隊長や師団長など位を上げることもできる。貴族として独り立ちしている者ならば、男爵、伯爵など領地も含めて授けることもできる。

 しかし彼は王子であり、軍属でもない。全てにおいて内的な実績を持たぬ以上、あまり大きな地位を与えることは出来ないし、それでは成果と褒美が釣り合わない。ゆえにこの場の大勢は興味深く下衆な視線を向けているのだ。

 果たして王は何を授け、王子は何を求めるのか、を。

「ふむ、進言はなしか。ならば、アルフレッドよ、貴様は余に何を求める? そうさな、余に出来ることであれば、何でも一つ、叶えてやろう。さあ、好きに申せ」

 会場がざわついた。

 あっさりと王が主導権を譲り渡したこともそうだが、それ以上に何でも一つ願いを叶えると言う褒美は、アルフレッドという人間を測る上でこの上なくわかりやすいモノであったが、同時に、明らかにやり過ぎな褒美であった。

「……何でも、でございますか」

「王に二言はあるまいよ」

 さしものアルフレッドとてさすがに思慮の外。完全に放り投げた形であるが、想定していた指し手のどれにも当てはまらぬ一手に、さすがは父上と心の中で称賛する。最善手ではないが面白い一手であり、その上で、無理なく自然にこちらに手番を渡すことが出来る。

 好きに指せ。この場は即興劇。それが王の脚本なのだろう。

「であれば――」

 会場が息を飲む。

 野心を取るか、実益を取るか――

(順当にいけば領地あたりですかな)

(大将位を求める可能性もある。上が抜けたせいで空席があったろう?)

(実務経験の無いモノが大将は……政治参加あたりでは?)

(エルネスタ様のルートか。後々は政争に負けても大臣、潰しも利く)

(武勲は十分、ならばそちらの方が実益には適うか)

(……もし、もしですぞ、殿下が王位を求めてきたら)

(そうなれば出過ぎた愚者として叩くまで。それを認めるのであれば王ごと挿げ替えれば良い。かつての王であれば難しかったことも、今の王であれば容易い)

 貴族たちが注視する中、アルフレッドは笑顔で続ける。

「私に王家の食卓、その裁量権を頂きたい」

「……食卓?」

「ええ、陛下や母上方、弟たちの集う食卓をより良いモノにしたいとかねてから考えておりました。やはり食事は生活の中で重要な要素ですし、大事な家族である王族の皆様に是非、世界中の美味を味わい、料理してきた私の経験を還元したいと」

「褒美は、それで良いと?」

「はい。やりたいことは自分で首を突っ込んでいきます。陛下のお手を煩わせることなどございません。陛下のお役に立ちたいがために戻ってきたのです。であるにも関わらず労苦を強いるのでは本末転倒」

「ふん、おべっかを使っても余は甘くせんぞ」

「おべっかなどと。本心でございます。陛下に、楽をして頂くために戻ってきたのですから、私は」

 一瞬、二人の視線が交差したことに誰一人気づく者はいなかった。否、たった一人だけ、この場では大人しくしていたが、王宮に巣食う魔女だけはその機微に勘付いた。何かがある。自分が分からない何かが――そして彼女はそれが許せない性質であった。

 あの男に関してわからないことがある、と言うことが。


 貴族たちが呆然とする中、アルフレッドは小さな願いを通す。あまりにも小さな一手に貴族たちは可愛いものだと酒の肴としたが、すぐさまその考えを改めることに成ることを彼らは知らなかった。知っていたのは、仕掛けた本人だけ。

「食事は楽しく安全に。より良いモノをお届けいたします」

 アルフレッドは、小さく嗤った。


     ○


 皿が、割れる。割ったのは、アルフレッド・レイ・アルカディア。

「今回に限り犯人探しをする気はありませんが、次は、ありませんよ」

 円卓に座る王族の皆へ、さわやかな笑みを浮かべるアルフレッド。

「さあ、楽しい食事を始めましょうか。些事など忘れて」

 アルフレッドはちらりと今回の首謀者に視線を向ける。面白いように踊ってくれた彼女こそ最初に切り崩す敵。この王宮にはびこる魔物どもをあらゆる手で篭絡し裏で牛耳る魔女。ゆっくりと、しかし確実に、締め上げていくのだ。

 これは、その一手。小さな、開戦の合図である。

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