オリュンピア:いざ戦いの海へ

「……むにゃ」

「五分前から寝たふり」

「……やあおはようイェレナ。昨日は楽しかったね」

 悪びれることなくイェレナの膝の上で目を開けるアルフレッド。しかし、起きているにもかかわらず動き出そうとする気配はない。むしろ、膝の上から動かないぞと言う鉄の意志すら、その幸せいっぱいの後頭部から感じられていた。

「すごく楽しかった。色んな人がいて」

「アルカディアの皆にヴァルホールの三馬鹿。ゼナは終始君にべったりだった」

「仲良しだから。オルフェと怪我してた二人組も仲良かった」

「あれは仲が良いと言うか……男は置いといて女性陣は良いね。コルセアやアテナも皆と仲良くなってよかったよ」

「……それもちょっと違う気がする」

「そう? そう言えばマリアンネさんと結構話してたよね」

「アルの昔の話をたくさん聞いた。すごく参考に成った。クロードさんも話したがってたけどゼノさんと喧嘩してて少ししか聞けなかった。アル、モテモテ」

「あはは、あの二人にモテてもなあ。それに子供の頃かあ、あんまり格好良くないんだよなぁ。まんまるだったし」

「今はシュッとしてるけどボロボロ」

「あっはっは、違いない」

 少し、沈黙の帳が下りる。

「皆で歌ったよね。やっぱり君の声は綺麗で最高だった」

「アルも楽器はうまかった。何処で覚えたの?」

「秘密。でも本当はもっと上手く弾けるんだよ。クラヴィは全身で弾くから綺麗な音色を出すんだ。身体が万全ならなあ。もちろん、感動するほど上手いかと言うとそうでもないけどさ」

「一度聞いてみたい。アルの本気」

「大したものじゃないよ。剣だってそうだけど、俺が勝てたのは彼らが発展途上だからだ。人生を懸けて取り組む人たちには、いずれ必ず抜かれてしまう。これは、必ず、だ。音楽も同じ、本気で取り組んだ人には、絶対に勝てない」

「音楽は勝たなくても良いと思う」

「せっかくやるなら勝ちたいじゃないか」

「男と女の違い」

「そう言われると何も言えないね」

 オルフェのリュート、アルフレッドのクラヴィ(鍵盤楽器)、二つの旋律に乗せて紡ぎ出された曲自体は見事であったが、肝心の歌が整然としておらず、まとまりも無く、特にフェンリスなんて最悪だったが(なおアルフレッドはもっと音痴)、それでも美しいと感じた。温かさがあった。

 閉じられた箱庭でなら、こんな景色もある。

「君が好きだ」

「私も好き」

 あっさりと、ごく自然に重ねられた言葉に、アルフレッドは柔らかな笑みを浮かべた。本当に彼女のそばは居心地がよくて、膝の上なんて天国である。

「俺はね、どうしようもなくエゴイストなんだ」

「知ってる。そこそこ人でなし」

「あはは、辛辣だなぁ。でも正解。だからさ、君を不幸にすることも平気で言えてしまう。俺の、エゴ、我儘で、君の人生を台無しにしてしまう」

 アルフレッドはぐっと堪えようと思っていた。口には出すまいと固く誓っていた。だってそれは、いくらなんでも求め過ぎで、明らかに逸脱している。オルフェが聞けばどちらかにしろと憤慨するかもしれない。

 それでも――この膝のぬくもりを失うのは――

「待っていて欲しい。俺が舞台を降りるその時まで。やるべきことを終えて、道化で無くなった俺と、一緒になってくれないか」

「約束はできない。私もそこそこモテる」

 えへんと胸を張るイェレナ。

「それは困るなあ。なら、奪い返すとするよ。君を俺から奪った相手から。どんな手段を使っても、どれだけの年月がかかろうとも、必ず、僕は君を迎えに行く」

「じゃあ仕方ないね」

「うん。本気の僕は、それこそ何でもやるからね」

 離れ難き幸せの温かさ。

 この先に待つ零度を、知れば知るほどに尻込みしてしまう。

「私はアルと同じくらい頑張る。体力には自信あり」

「休みも取らなきゃ駄目だよ。無理をして病気に成ったんじゃ本末転倒だ」

「アルにだけは言われたくない」

「俺はその辺りも計算して無茶しているから」

「嘘つき。しばらくは出来るだけ動いちゃ駄目だよ」

「うん、わかった。もうしばらくは戦わないから。ゆっくり休むよ」

 だが、旅立たねばならない。

「今からエスケンデレイヤに行くの?」

「そうだね。ニコラたちを連れて食糧供給の段取りを取る必要があるから。ただでもらうわけじゃないし、船の手配もある。アルカディアに戻っている暇はないよ」

「大変そう」

「大変でも上手くいくよ。需要と供給があって、いくつもの利害が一致している。多少下手を打っても揺らがない状況だし、俺は下手を打たないから」

「傲慢」

「強がらなきゃすぐにでもこの膝へ戻りたくなっちゃうからね」

「駄目。私たちは、忘れられないから、忘れちゃダメだと思うから、立ち止まれない。妥協できない。止まるのも甘えるのも、幸せに成るのも、苦しいだけ」

「わかっているよ。大丈夫、わかっているから」

 アルフレッドは何でもない、そう言い聞かせながら立ち上がった。もう二度と、彼女のぬくもりを、彼女の温かさを、少しだけ薬っぽい彼女の匂いも、享受出来ないことを理解しながら。それでも彼は立ち上がる。

「君の厳しさに救われた」

「甘えちゃダメ。油断していると置いていくから。私は病気を倒す女」

「俺は世界を変える男さ」

 二人は、二人の間だけで大言を吐いた。笑いあう。二人の間だけで伝わる冗談めかしつつも本気の宣言。人生全てをかけた戦いの海へ二人は漕ぎ出すのだ。

「必ず迎えにいくよ」

「待ってる」

 一歩、また一歩、遠ざかる。

「…………」

「…………」

 扉が二人を分かつ瞬間、同時に二人は口ずさむ。

「「さようなら」」

 今生、この二人が再会を果たすことは、無い。


     ○


「行くんだな大将」

「黒星か。君はどうする? 技を磨くなら、違う選択肢もあると思うけど」

「乗り掛かった舟だからな。精々拝見させてもらうぜ、足掻く様をな」

「俺の下にいる内は、優秀な駒である君を存分に指し回すつもりだから、覚悟しておくように」

「あいよ王様」

 アルフレッドの半歩後ろで黒星も歩みを刻む。

「まずはエスケンデレイヤ。此処からはスピード勝負だ。どれだけ早く段取りが組めるか、本国の連中に干渉する暇は絶対に与えない。ここでの功績は、全て俺が喰らわねば、最善手ではなくなってしまう。それじゃあ無理をした意味がない」

「休んでいる暇はないってか?」

「身体は休めるさ、嫌でも。頭は、今まで休ませた分ぶん回すよ」

「はっはっは、ようやく本領発揮だな」

「そうだね」

 目指す場所を一気に引き寄せるために切った『切り札』。これを安く済ませたのでは苦労の意味がない。最大効果を発揮させる。そのために調整すべきことはいくらでもあった。移動の馬車の中でもニコラたちと詰めることは数えるのも億劫になるほどある。

「さあ、往こうか、皆」

 門を潜ると、そこにはアルフレッドの手足となる者たちが待っていた。

「「「仰せのままに」」」

 彼らと共にアルフレッドの道はさらに加速する。

 すべては世界を変えるために。世界中で笑顔の花を咲かせるために。

 そのためならばどんなことであろうとも――

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