オリュンピア:切り札
鳴り止まぬ大歓声の中、『第一回』オリュンピアは盛大な幕引きと相成った。舞台を降りるまでしゃんと背筋を伸ばし、しっかりと優勝者の役目を果たした。太平の世に生まれた新たな英雄は歴史に名を刻んだのだ。
世界を股にかけ活躍し、最後の冒険であるこのエル・トゥーレの地にも伝説を残したことで彼の旅は完成する。天地を知る真なる王。これからの時代、その先頭を走り人々を導く王の器に光が満ちる。
その意味を大衆が知ることはないが――
オリュンピア閉幕後の晩餐会。各国から集った貴人が一堂に会す絢爛豪華な会場の隅で顔をしかめながら酒を飲むフェンリス。その横では同じように酒を飲みかわすスコールとハティもいた。しかめっ面の理由は――体の不調だけではない。
「何故だ、何故準優勝の俺に女が寄り付かねえのにその下のあいつにぞろぞろと」
醜い嫉妬の視線の先には、きちっとした正装に身を包むリオネルの姿があった。確かに、彼は黙っていれば整った顔立ちに大きく均整の取れた体躯、何故か様になっている立ち姿にクールなまなざしとモテる要素が詰まっていた。
しかも超大国ガリアス王の剣と言う地位を得たならば、モテない理由はないだろう。だが、それらはフェンリスも同じはず。自分はヴァルホールの王子で、彼よりも強いし顔立ちだって負けていない。背は劣るも平均よりか遥か上。
「何故でしょうね。スコールたちならともかく私にまで女性が寄り付かないとは」
「俺だって結構かっこいいってお袋が言ってたぞ」
「……片手に卑猥な書物を持っている男が何を言っているのやら」
「読書家アピールだぞ」
「アピールが斜め上なんですよ!」
「えーいうるせえ! モテないお前らが一緒だから駄目なんだよ!」
わいのわいのと騒いでいる三人組だが、モテない理由は明白。三人でがっちり固まっているから近づき辛いのだ。ちょっとそういう目で見られかねないほどべったりな三人組。女性陣も攻め入る隙を見出せない。
しかも三人が三人とも一国の要職に就く人物。固まった彼らに釣り合い、気さくに声をかけられる女性など、この場でさえかなり限られてしまうだろう。
そのことに気づかない三人も三人だが――
「にしても、さすがに出てこれないかね。何とか巻きに巻いた閉会式まではこなして見せたが、今のお前みたい以上にへろへろだったもんな」
「うるせえ。俺は全然へっちゃらだっての」
「足、時折ぷるぷる震えてますよ」
「……え、マジ?」
平気なふりをしているフェンリスであったが、閉会式に参列した後、すぐさま誰かが呼びつけていたエル・トゥーレが誇る医師団によって緊急の治療を受けていた。彼ら曰く当日にこのような会に出席するなど正気の沙汰ではない。断固取りやめるべしと言っていたが、フェンリスが固持し今こうして恨めし気にモテる連中を遠巻きに眺めていた。
「……まあ冗談はさておいて、あいつは来るだろ、何としてでも」
「言い切る理由は?」
「あいつがアルフレッド・レイ・アルカディアだからだ」
理由にならない理由。フェンリスは本能で理解していたのだ。彼にとっては此処からが本番なのだと。この本番を迎えるために入念な、万全盤石を敷いてこの地に現れた。ならば必ず来る。あれはそう言う男で、何よりも此処に立てない男の覚悟が己の牙を砕いたとは思いたくない。
あの戦いは、百万の言葉を尽くすよりも雄弁に――
「ほらな」
二人を繋いでいた。
「おお、本日の主役の登場だ」
「どうも皆さん御機嫌よう」
颯爽と現れたアルフレッド・レイ・アルカディア。もはや仮面など必要はない。この場の主役は彼で、現れたのであれば全てが彼の思うが儘。それが主役と言う役柄であり、物語の、脚本の中心に据えられるのだ。
歩みには一抹の不安も無い。退場の際、引き摺っていたようにも見えたが、しっかりと歩けている以上それほど深手ではないのかもしれない。皆が、そう思った。幾人か、彼を理解し、彼の性質を、戦いを理解する者だけは、普通であると言うその姿に畏怖を、敬意を、怖気を、哀しみを、覚える。
「どうなってんだい? だって、あれ、動けるような状態じゃなかっただろ。足だけじゃなくて、足は、論外だ。動かせるわけが、ないだろうに」
「外側から布か何かでがちがちに固めて、曲がりやすくしているだけだ。曲げていない。膝に意思が通っていない。死んだ足を、生きている風に見せているだけ」
「足だけではありませんよ。身体中至る所で音が乱れています。他の音で無理やりそれらしく聞かせているだけ。調律の狂った部分を使わずにメロディーを紡ぐ。本当に貴方は決めた道を突き進むのですね。そこに貴方の幸福はないと知りながら」
ラウル、国綱、オルフェの三人組は三者三様の感情を浮かべていた。
よどみなく歩む。笑顔の下にどれほどの苦痛や苦難があるのだろうか。それを解する者は少なく、だからこそ救いが無い。報われることも無い。
「……来ただろ? お仲間も、一緒ときた」
「何かすんげえ偉そうな女の子がいるんだけど」
「武人の貴方が見るべき所はそこですか。私なら両隣の二人に注目しますがね」
「んー、それは街中でも会場でも見てるしなあ」
「強いのはわかってんだ。問題なのはあのレベルの二人を引き連れている嬢ちゃんってスコールは言いたいんだろ。まああの位置取りだ。あいつの、切り札ってとこだろうぜ」
アルフレッドのすぐ後ろに位置する彼女を守護する形で彼らは陣形を組んでいた。おそらく同郷であろう二人の武人だけではなく、アルフレッドの部下と見做されている全員が、アルフレッドではなく彼女を中心とした立ち位置に配役されている。そこに意味がないはずもなし。
「目指す場所は、当然、『そこ』だよなァ」
アルフレッドは笑顔で一人の男の前に足を運び。優雅に一礼する。
会場の奥、貴賓中の貴賓が集う場所。
その中でも最奥、つまり最も上座に立つ男。
「見事な戦いぶりであったぞ、アルフレッド」
「お褒め頂き光栄です。ウィリアム陛下」
白の王、ウィリアム・フォン・アルカディア。
「そう畏まるな。親子であろう。積もる話もあるが、親子の会話を公の場でする必要もあるまい。そうさな、共に国へ帰り、余の部屋で語り合おう。研鑽の旅、その成果は存分に見たが、余は過程にこそ興味がある。よかろう?」
いきなりの核心。そう、アルフレッドは表向きには追い出されたわけでも廃嫡されたわけでもない。だが、噂として、ほぼ公然の話として、彼は廃嫡され国を追われた。巷ではほとんどそう言う筋書きとして認識されていた。
それをこの場で、各国の首脳陣が集うこの場で、否定した。
公式の話としてアルフレッドの旅を研鑽の、修行の旅に出して、それを経て成長した彼を迎え入れよう。王の威厳を保ちつつ、この場の主役をも取り込まんとする一手。さらりとアルフレッドは正式に王子として返り咲くことになる。
数多くの逸話を残した旅すらも王の筋書きとして正しかったと認めた。
アルカディアの王族を追われた話が、アルカディアの王族として旅に出た話にすり替えたのだ。こうなれば、良くも悪くもアルカディアは揺れるだろう。クラウディアらの勢力が黙って迎え入れるわけも無いだろうが。
「申し訳ございません陛下。まだ、私は祖国の土を踏むわけには参りません」
「……何?」
その申し出を、拒絶したアルフレッド。会場の空気が凍る。如何に主役とは言え、立場が、己に与えられた分というものがある。ここは素直に応じる局面、互いの顔を立てる絶好の一手をみすみす潰すことになれば、王の面子も立たない。
「やるべきことがございます」
「国へ戻り王族としての責務を果たすこと以上など無いと思うが?」
「王族としての責務を果たす。まさにそのためまだ帰るわけにはいかないのです」
「……ほう」
アルフレッドの眼を見て、ウィリアムは興味深げに続けよと促した。自分の敷いた道ではなく、自らの道で至ろうと言うのだ。ならば、聞くしかあるまい。
今日の主役は、彼なのだから。
『こちらへ』
『うむ』
恭しく手を差し出したアルフレッドの手、その上に手を置き、自らが上であると体現した上で、彼女は白の王の前に立った。
まるで対等、否、上位者であるかのような立ち居振る舞い。
「彼女の名はタウセレト・ラー・エスケンデレイヤ。こちらの言葉で訳すと、こうなりますが、あちらではいずれ『ラー・オ』、固有の名を捨て、ただ王とだけ呼ばれるようになります。それが彼女の役割です」
「エスケンデレイヤ、ふむ、聞いたことがないな」
「お二方はご存じのはずですよ。ガリアスとヴァルホールは秘密裏にあちら、暗黒大陸への進出を窺っていましたから。ならば、避けては通れない国のはずです」
アルフレッドが目配せした先にはガリアスとヴァルホールの頭脳である二人の女性が顔をゆがめていた。
「……ああ、嫌と言うほど知っているとも。我が祖父、偉大なる革新王ガイウスの悲願であった暗黒大陸進出における最終目標、覇国エスケンデレイヤ。二代に渡ってようやく周辺国との交易が軌道に乗り始めた矢先に、これだ」
「覇国?」
「あくまで少数での測量ですので概算ですが、国土面積はアルカディアとガリアスを足してもなお足りず、南へ足を向ければ広大で肥沃な大地もございます。ガリアスに後れを取るまいとこちらも色々と手を打って調べさせていたのですが」
ガリアス、ヴァルホール共に国の頭脳である二人の女性が渋面を作っていた。接触すら出来なかった、一度ガイウスが一気に謁見まで持ち込んだこともあったらしいが、有望株の若き将の命がかの国の戦士たちに散らされたと聞き及び、文化の違いを痛感、外側からゆっくりと攻め入ることを決めていた。
ヴァルホールも足掛かりすら掴めていなかった大国である。
「……でかいな」
周囲が絶句するスケール。
「そして彼女は、王と呼ばれるらしいね。それは言葉通りと取って良いのかな?」
「もちろんですリディアーヌ様。エスケンデレイヤでは王を騙る者は天罰を受けるとされております。具体的には十人の戦士長による私刑ですが」
「……詳しいのだね」
「もちろん。女性を口説きに行ったんです。意思疎通が出来なければ意味がありませんし、文化を知らねば趣味嗜好も分からない。テイラー商会では商談を異性を口説くことと同列に位置付けている、人もいます。私も、その一人です」
「……聞いていた話と随分違うね」
「私の女性問題をレディに話すわけにもいきませんから」
アルフレッドはにこやかに微笑む。嫌味なほどに。
「色々ありまして、私と彼女は夫婦の契りをかわしております。どちらかと言えば、政における契約に近いものですが……エスケンデレイヤにおける私の地位は国守、彼女の代弁者であり、エスケンデレイヤの実務を担う役割です。彼ら二人はその下に仕える十人の戦士長、いわば将軍ですね。覇国エスケンデレイヤにおける十指の戦士と言えば、凄さも伝わるかと思いますが」
ディムヤートとロゼッタが周囲に一礼する。強者の圧を出しながら。
「なるほど。大役だな。つまりその国に戻らねばならぬから、捨てた故郷には戻れぬと、余にはそう聞こえるのだが?」
「まさか。国守の地位はいずれこちらのディムヤートに継がせます。役割、立場、法を整備した後での譲渡に成りますが……しばらくは兼務、になるでしょうか」
「……初めて聞きましたが」
「初めて言ったからね。励めよ、戦士ディムヤート」
「……御意」
あまりにも飛躍し過ぎた話に、ウィリアムでさえ目眩がしそうになる。ガイウスが届かなかった、未だガリアスが、ヴァルホールが触れることすら出来ていない山を、彼らは動かしたのだと言う。それはもはや、一個人どころか一国の枠にすら納まっていない。
「話を戻しましょう。私は彼女たちに協力を仰ぎ、まさに王の責務を果たさんと考えております。アルカディアを覆う暗雲。それを掃いたいと考えているのです」
「暗雲……まさか、いや、そうか、なるほど」
ウィリアムの中で何かが繋がったのか、一人驚愕と共に得心する。
「二季連続の大飢饉、かの地の食料を分け与えることで、少しでも緩和できればと考えております。もちろん、海を渡る以上、協力は必要です。ですが、私たちローレンシアはこの大会を経て一つになる喜びを噛み締めました。きっと、手を貸して頂けるでしょう」
アルフレッドが笑顔を向ける相手は、渋面をさらに歪めて今にも叫び出しそうな二人の女性であった。ガリアスとヴァルホール、二つの国は飢饉に苦しむアルカディアを包囲していた要であり、冷徹な包囲網を敷いていた張本人たちである。
元々土地も人も急激に拡大したことで慢性的な食糧不足になっていたアルカディアであったが、持ち前の武力と資金、別の国力でそれを補っていただけに過ぎない。急ぎ過ぎた弊害。だからこそ、いずれそうなるのは目に見えていた。
あの二国に限らない。ネーデルクスも、どの国も、手を貸せるのは余剰分のみ。そしてそれが出来るのは余裕のある国で、彼らにとって一位のアルカディアは引き摺り下ろしたい相手。ならば、彼らの対応は正しく、対処できない穴を持っていたアルカディアが悪い。
だが、その中心であったその二国は、彼の申し出を断ることが出来ない。エスケンデレイヤの大きさを、間接的にとは言えそこと交易を結ぶことの出来る価値を、理解出来るからこそ、彼女たちは顔を歪めながらも手を握り合うしか選択肢がなくなっていた。
「ヴァイクの手も借ります。皆さんの助力も求めます。私たちはこれから広い視野に立って物事を進めなければいけません。そのためのエル・トゥーレ、そのための太平の時代。助け合い。皆で得をしましょう。皆が笑える世界を目指して」
よくわかっていない者たちが勢いに呑まれて拍手を送る。
彼らにぺこぺこと頭を下げるアルフレッドは善良で純朴な、心優しい青年にしか見えない。だが、わかる者にはわかる。
「えげつないですね。彼、この場全員の王を脅しましたよ。エスケンデレイヤと言う未知の大国、そのカードを切って、自分の言う通りに踊れ、さもなくば、置いていくぞと言っています。暗黒大陸の大きな足掛かり、これを逃すわけにはいきませんから」
「こんだけのもん隠し持ってたんなら大会で無理する必要あったか?」
「あったんだろ。エスケンデレイヤってカードに負けないアルフレッドってカードに箔をつけるために、名を上げる必要があったんだ。たぶんだけど」
「……たぶん、当たりなんでしょうね」
「アルフレッド博士だな、フェンリス」
「黙れ阿呆ども!」
騒いでいる一角は捨て置くも、どこもかしこも大騒ぎであった。暗黒大陸へガリアスやヴァルホールが足を伸ばしていた事実、それに先んじて個人であるアルフレッドが王をかすめ取った。
こうなってしまえばこの場にいる全員が踊るしかない。
「これがお前の切り札か」
「はい。父上のお眼鏡に適いましたでしょうか」
「……見事、と言わざるを得んな」
「ありがとうございます」
全ての脚本を超え、一気にアルフレッドと言う個人が先頭に躍り出た。この場にいる者たちの顔を見ればわかる。理解していない羊は阿呆のように笑い、理解している羊たちは渋面を浮かべたり苦笑したり、様々な表情をしている。
だが、全てを見下ろしているのは一人だけ。
「お前の脚本ではこの先、どうなっている?」
「一年以内にケリを」
「……くく、やってみろ。出来るものなら、な」
「やってみせます」
二人の間で行われた短い会話。それは二人の脚本化がかわした約束であり、互いが目指すべき物語の終着点の確認。物語は最終局面に入ろうとしていた。
これは悲劇から生まれた物語を、喜劇の王が引き継ぐお話。
闇の底から生まれた者たちが幾代も重ね光を目指す物語。
継承の時は来た。
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