オリュンピア:白黒決着
短くも凄絶な戦い。
向上した身体能力と卓越した技術、それらを重ね最適最善最良を指し続ける圧倒的精神力。思考を幾重にも分割し、痛みと言う妨害信号を隔離しつつ身体の調子を測るセンサーとしては使用しているので、痛みを感じていないわけではない。
同時に数十、数百の手順を算出し、その中で最適解を導き出す。この刹那で戦況が揺れる戦いの中、それを出来る人間は間違いなく彼、アルフレッド・レイ・アルカディアのみであろう。手順が、相手の戦力が、様々な要因が変わるたびに都度更新、最適解へ進む。
ようやく見えた詰みへの道筋。このまま指し切る。
圧倒的速力とパワーをフル活用し、相手の技が及ばぬ範囲まで『過剰』に動き回り、檻の外からスペック差で押し潰す作戦とも呼べぬ戦い方。だが、その実、敵にとってこれが最も厄介な戦い方であり、彼は本能でそこに辿り着いたのだ。
思考は要らない。全部燃やして圧し潰す。
誰も彼もが息を飲み、声を出すことを忘れた長い、永い、一分間。彼らは駆け抜けた。どちらも方向性は違えど、最善を尽くし全てを出し切り――
(これで必至)
アルフレッドの剣がフェンリスの攻めに耐え切れず宙へ舞う。
「くたばれオラァ!」
狼は勝ったと確信しただろう。それゆえの強振。
長きに渡り組み上げた手順。それらがこの勝負手を誘い――
「ふゥ!」
刹那、アルフレッドは光を見た。国綱が見せた白刃取り、それを片手で、親指と人差し指で為す。フェンリスは目を剥く。が、その程度で止められる威力ではないと狼は力を緩めない。それを見てアルフレッドは笑みを深めた。
止める気などなかった。力を操作できる点があれば十二分。この一点、それだけでここまで戦い抜いてきた自分ならどうとでも出来る。
ここが勝負所と虹が強まる。凄まじい力を微力で征する。これぞ技の極み。指二本が生み出した一点から力をコントロールし、そこから投げに移る。国綱でさえ考えもしない敵の剣を軸とした投げ。襟でも、腰でもなく、密着すらせずに力のコントロールだけで相手を投げ飛ばす。
もはや現段階における東方の理すらアルフレッドは超える。
「くそがッ!」
狼の判断も早かった。投げられると判断した瞬間、利き手の剣から手を離したのだ。思いっきりが良い判断。されどそれによって狼は一つの牙を失った。
「まだだ!」
だが、狼はもう一振り牙を残す。
(これで王手)
狼渾身の下段からの切り上げを、足を一歩引いて半身と成りかわす。最小の手で、最良の結果を、紙一重の回避が、決定的な局面を作り出した。
そして計算通り頭上から剣が落下し、その落下点から一歩踏み込み――
(これで、詰みだ!)
あとは、指せる手を失った相手に刃を添えるだけ。
フェンリスは自身の敗北を悟りながら、それでも出来ることをした。つまり、恥も外聞も捨て全速での後退。間に合わぬと知りながらも、それでも彼はそうした。一歩、踏み込まれただけで潰れる足掻きだが、今の彼にはそれしかない。
詰みがあると知った上で一手逃げる。盤上であれば、無意味な行為。逃げた本人でさえこれが無意味であることを知っていた。それでも足掻かずにはいられなかった、それだけのこと。
それだけのことだったが――
「……あ?」
「…………」
アルフレッドは、詰みを逃してしまった。微笑む彼からは意図を測ることは出来ない。しかし、決定的な場面を逃す男ではないし、それを見出せないはずがないのだ。そもそも彼はそれに向けて攻防を組み上げていたわけで。
(足、か)
最後の最後で、足回りに何らかのトラブルが発生した。だから踏み込むことが出来ず、後退したフェンリスを逃がしてしまったのだ。
フェンリスの推測は大当たりで、爽やかな微笑みの下でアルフレッドは苦い笑みを浮かべる。勝てるはずだった。あの手順が最短だった。ゆえに、いくつかの機能不全には目を瞑っていたし、代替部分での運動で誤魔化した。そこも、随分前から感覚が途切れ途切れになっていた箇所、今も痛みは感じない。
感じないことが、一番まずいのだが。
(左ひざだね。他も、手順の組み直しが適う状態には程遠い。少し、あと一手分、俺は自分の身体を過大評価してしまった。参ったな、これは、参った)
動かない左ひざ。足回りを失えば、あの狼を捌き切ることなど不可能。あちらもそれなりに不良個所は抱え始めているだろうが、すぐさま不良が不能にまで陥ってくれるとは限らない。手が尽きた。
少なくとも、綺麗に勝つ手は、もうない。
虹が、くすむ。先ほどまで燦然と輝いていた様々な色が、消え入る。
「……容赦しねーぞ」
フェンリスとていつ彼と同じ状況に陥るか分からない。実際、現在進行形で身体中のほぼすべてが不調を訴えているし、いくつかはその訴えすら消えそうであった。限界は目の前、たまたま、先にあちらが壊れただけで、情けをかける余裕などあるはずもない。
だが、フェンリスが諦めなかったように、彼もまた諦めなかった。
思考、その間一秒にも満たない間で、彼が弾き出した答えは――
「おお!」
上段に、剣を背負うように構えて迎え撃つ姿勢であった。彼は、少なくともただ見ているだけの観衆には気づかれぬほどの機微しか残さず、最後の賭けに打って出たのだ。一撃勝負を仕掛ける。パワーで勝るフェンリスを相手に。
ド派手なパフォーマンスだと皆が思っただろう。戦士たちでさえほぼ全てが違和感に気づくことなく、膠着した状態を打破するための策程度にしか思っていない。一瞬前にフェンリスが詰まされかけたことなど、理解できている数を計るには両の指で充分。
彼の身からオーラが消える。
しんと静まり返り、フェンリスの出方を窺っていた。
(大回りして後ろを突く。もちろん対応してくるだろうが、何回か繰り返せば、あっちの足が間に合わねえ。勝てる手だ。俺でもわかる、これが、最善手)
フェンリスは静かに深呼吸した。
(でもよ、俺がその『何回』かを耐えきれるとは限らねえ。それに、俺が考えて出せる程度の手、当然あっちも思考済み。最低限の対策はあっての、あれだ。ならよ、俺が最善を崩す手もあるんじゃねえか? 一撃勝負、上等じゃねえか!)
選択は、フェンリスもまたそれに乗ると言うモノ。
観客からは大歓声が降り注ぐ。
「……俺なら選ばない選択肢だ」
「俺も甘ぇな。だが、何となくだが、しっかりと、今ここで、白黒つけてえのさ。俺の立ち位置を。お前との本当の距離を。別に、ここは始まりでしかねえ。今日の勝負が俺とお前の優劣を決める場でもねえ。アルカディア対ヴァルホール。差はでかいが、埋めるためには……運量競っても仕方がねえだろうが!」
フェンリスは低く、低く構えた。最後の爆発、その瞬間まで鳴りを潜める真紅の雰囲気。最大戦力を、完全燃焼を、相手にぶつけたい。
「良いだろう。白黒、決着を付けようフェンリスッ!」
アルフレッドは彼のプライドを刺激する手しか浮かばなかった。もちろん、いくつかか細いながらも勝利への手順はあった。最大戦力を込めた起死回生のカウンター。それがアルフレッドの狙いであった。
この勝負が成立するとは思っていなかった。
アルフレッドの足掻き。しかも、それは不発で、彼の誇りを揺らすことなく、彼は彼の理屈でこの勝負を受けてきた。
彼もまた先を見据えている。自分と同じように。昨日までは今日のことしか考えていなかっただろうに、この大会で彼は化けた。
厄介な敵である。制御適うかどうか――
ただ、今は勝負の時。
受けてくる以上、アルフレッドもまた最大戦力を整える。自分が打てる手の中で最速は居合いだが、最強はこの上段からの打ち込み。技の名はない。かの騎士王は「ただの袈裟切りであるガハハ」と笑っていた。
かの騎士王は理屈抜きで、魂を込めて打ち込み太陽を一歩退かせた。アルフレッドはそこに理屈を、さらに魂をも乗せて打ち込む。今までの全てを、これまでの旅を、人生を懸けて、この勝負に勝って見せる。
親子二代に渡る因縁を彼らに当てはめるのは違うだろうが、それでも思わずにはいられない。まだ終わっていなかったのだと。
白と黒は世代を超え、もう一度戦う運命なのだと。
静かな一瞬が過ぎた。歓声が落ち着き、皆が固唾を飲んで見守る中――
紅い雰囲気が爆発した。
いつだって最速で駆け抜けてきた。今もそう。充血した眼は真紅を帯び、疾走にさらなる紅を添える。赤き閃光、人知を超えた超加速。この一瞬、彼は間違いなく人類最速であった。誰よりも速く、誰よりも遠くへ――
アルフレッドもまた最後の力、全てをこの一撃に懸けた。炸裂する虹の輝き。目眩がするほど美しく、強い輝きは黄金の色味をさらに増し、魂の熱量、その高さを表していた。彼もまた人知を超える。世界中からかき集めた知識と経験、そこに限界を超えた非才なる己が身体能力を乗せて――
刹那で詰まる間合い。
世界が息を飲む。
「アァァァルフレッドォォォォォオオッ!」
「フェェンリィィィスッ!」
地の底から唸りを上げて突き上げんとする狼の牙。
天頂から断ち切らんとする騎士の剣。
アルフレッドは全ての智を結集し、全力最大の震脚を大地に打ち込んだ。それも、機能不全に陥っていた左足で、である。動かぬ膝を、より動かなくするために膝より上を使って無理やり動かしたのだ。左足が石畳を突き破り、大地に接続される。膝から血が噴き出るも構わない。
感覚を失ったはずの膝から、断末魔の信号が届くも気にも留めない。
石畳が爆ぜる。噴き上がる砕片が、まるで彼らの戦いを彩るかのように美しい景色を、領域を形成した。
それほどの力の行き場、当然それは上へ、伸び上がっていく。
(両手で振るなんざ何年ぶりだよ。ハハ、見せてやる。二倍強い双剣使いが、一本に注ぐとどうなるかってなァ! 目ん玉ひん剥け! 俺が――)
低く、低く、低空から飛翔せよと圧がかかる。それを無理やり押さえ込み、さらなる加速で最速への到達を待つ。もっと、もっと、もっと速く成れる。
最高潮に達した時に、最高の間合いが来た。ここで、天を衝く。
「俺が最強だッ!」
二人の脳裏に浮かぶのは、己が守るべき者たち。そして今までの記憶。走馬燈が駆け巡る。その度に覚悟が強固になっていく。戦う意志が、跳ね上がる。
地の底から、天を穿たんと狼の牙が襲来する。
全ての力を結集して、騎士の剣は振り下ろされる。
技も、想いも、過去現在未来、全てを賭した最大の賭け。自分は望み過ぎたのかと思う日もあった。最短を望むなら戦うべきであったが、叶わぬ道であるならば避けるのが最善。ここは自分の領域ではない。
望み過ぎればすべてを失う、それもわかっていた。
それでもなお、正常な思考の裏で叫ぶのだ。進め、と。
世界を正すには人の一生はあまりにも短く、世界はあまりに未成熟。ならば、回り道をする暇も、立ち止まる暇も、あり得ない。進むのだ、一歩でも多くを。刻むのだ、後に続く者たちが目指すべき導を。
さあ、世界と戦う時が来た。
衝突は、閃光と成って観る者の五感を貫いた。
音を超えた何かが、世界に広がっていく。胸が熱くなる、何かが。
たった一撃、勝負は一瞬で決した。
「……寸止めの余裕もあったのかよ」
「いや、もう、力が残っていなかっただけだよ」
遠く、高く、舞い上がる半身の剣。それは狼の牙であり、天を衝きながらも、折れてしまっていた。つまり――
狼の肩口に力なく、されど確かに添えられる剣は騎士のもの。
「…………」
審判であるエアハルトもまたこの光景に言葉を失っていたが、それでも気を取り直して告げる。この戦いの勝者を、この大会の覇者の名を――
「勝負ありッ! 勝者、アレクシス――」
途中まで言って、エアハルトは自ら首を振った。
曲げてでも通すべきこともある。
「勝者、アルフレッド・レイ・アルカディアッ!」
炸裂する歓声に応えるようにアルフレッドは天へと手を掲げた。精一杯の強がり。舞台の上で弱さは見せない。世界よ笑え、これが貴様らを討つ、道化の姿だ。
敵である狼はそれを見て笑う。今にも崩れ落ちそうな足を、意志の力で支えながら舞台を降りていく。彼が見せぬと言うのなら、自分もまた見せまい。負けても、負けたからこそ強く在る。
勝負は、まだ始まったばかりなのだから。
今日の白黒はついた。だが、明日はまだ分からない。
「フェンリスッ!」
自分には彼らがいる。優秀な仲間たちが。共に目指そう、頂点を。
「わりーな、負けちまった」
だから笑おう。この負けを、明日に繋げるために。
「次は、勝とうぜ。俺たちで」
戦士の王と成る男は、精一杯強がりながら笑った。
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