オリュンピア:万能の王対戦士の王

「……聞きしに勝る、か」

「戦場のじじいとも違う、なんだ、この、ざわざわする感じは」

 バルドヴィーノとクレスは過去の異人たちと比べても異質な、それでいて見劣りしない怪物を見て戦慄を禁じ得なかった。

 戦場であの強さが発揮できるかは別として、純粋な一対一で果たして過去燦然と輝いた星々のいくつが、渡り合えるだろうか。

 比較材料が見つからない。異質が過ぎる。

「素晴らしい」

 イヴァンは喜びに満ち溢れていた。話だけは聞いていたアスワン・ナセルを、シュバルツバルトの魔獣を下したとされる彼の領域、境地。想像を絶していた。自らの矮小な秤では何一つ比べることすら出来ない。その喜びに彼は打ち震える。

「だ、大丈夫なのでしょうか」

「大丈夫なわけないじゃろうが。さっさと決めてしまえ。時間が、のうなる前に」

 アテナは心配そうに、コルセアは顔を歪めながら彼の無事を祈る。

 この後のことを想像すれば、諸手を挙げて喜ぶことなど出来ようはずもない。

『気を揉ませよって……しかし、二度目であっても、美しいな。我が父を、あの怪物を滅ぼした虹の光。さすがは我が番、誰よりも輝いておる!』

『同じ戦士としては、複雑な思いもありますが』

『未だ見えぬな、国守様に追随する道すらも』

 エスケンデレイヤの者たちはようやくお披露目と成った自らの代表、国守アルフレッドの飛翔に安堵の色を浮かべていた。彼らとて敗北をして欲しいわけではない。恩義を感じている。彼とは末永く共に歩みたい。それは紛れもない本音。

 しかし、それは彼が国守としての力を示す限りの話。

『さあ、勝って見せよ。そして貴様らの世界を引っ繰り返してやるのだろう?』

 勝ってこそ、強くあってこそ、エスケンデレイヤの民はついてくる。

 ゆえに此処での勝利無くして彼の王道はない。


     ○


「もう御仕舞いか?」

 先ほど自分がかけた言葉を、今度は自分にかけられた。ただ、今は屈辱よりも理解不能は状況に頭を割く方が先決。だが、肝心の頭が回らない。痛みが、全身を駆け巡る。これだけ動いて、理解すら追いつかないのは、真の窮地と言えるだろう。

「ハッ、まだまだよ」

 今度は、自分が強がる番であった。


     ○


 息を吐くたびに、血の味がする。目眩が、頭が痛い。関節は熱を持ち、ちょっと揺らすだけで激痛が走る。やはり、多用して良い力ではなかった。

 弱気の虫が心の隅々にまで駆け巡る。勝ちの目が見えない。このまま続けて、あの男を崩せる気がしない。だってこんなにも、剣が違うのだ。

 フェンリスが間髪入れずに攻め立てる。やはり自分の方が圧倒的に速い。だが、彼もまた速く、早い。基礎スペックが上がり、領域が近づくとこれほど同じ速度域で違うのかと痛感させられる。これでも自分の方が圧倒的に速いと言うのに、異常な精度の先読み、まるでショートカットでもしているかのような技の出。それをしながらこちらの剣を遅延させる技も同時に出してくる。

 さっきまでなら大回りして、それでも自分の方が早かった。速さで全てを追い越すことが出来た。今は、わずかに縮まった速度差と、相手の基礎スペック向上により相手側の手札が増えたことが相まって、歪な均衡状態が続く。

(今、俺は圧してるよな?)

 圧倒的速度による暴力的な攻め。アルフレッドは退きながら捌くしかない。明らかに押しているのはフェンリスで、押されているのはアルフレッド。

 ただ、彼の表情は常に穏やかな笑みで彩られ、押されているにもかかわらず、崩れる気配が一向にない。

(俺の攻めは、効いてるんだよな?)

 引きながらの受け。見た目は力の無い剣に見えるし、実際に半分はフェンリスの剣の軌道をそらすためだけの受けの剣である。しかし、もう半分は引きながらに威力を持った攻めの剣であったのだ。

 この配分が、本当にこの男の厄介さを引き立たせる。

 突如手に返ってくる強い反動。油断していれば揺らぎかねないその威力に、警戒を割かねばならないが、半分は受け流しの剣で思いっきり打ち込むと次の手で隙が生まれる。しびれを切らし勝負手をいくつか打ち込んだが、ことごとくを空かされ、逆に窮地を生んでしまった。

 そもそも何故、引きながらに威力のある剣を打てるのか、それがわからない。相手が何故、こんな手前の段階でこちらの動きが読めるのかがわからない。彼の剣から生み出される技がわからない。今だって――

「にゃろう!?」

「急いたね」

 剣をぶつけ合ったはずなのに、自分は宙に浮いているのだ。いったい何をどうすれば剣の打ち合いで、投げ技のようなことが出来るのか。柔らかく、包み込むように放り投げられた。あの剣は彼とは別の意思を持つ生き物なのかもしれない。

 そう思わねば――思いたくなるほど、技に差があった。

「ふふ」

「笑ってんじゃねえッ!」

 何よりも、フェンリスを焦らせるのは彼の笑みである。この試合だけを見ても充分痛めつけた上で、同じ領域に至っている。彼と己の境地に差があるのは承知の上で、消耗は少なくとも同じはずなのだ。否、基礎スペックの差で元が頑丈な分、フェンリスの方が上という可能性すらあり得た。であれば必然、彼もまた苦しくなければいけない。

 今の己のように。

(何が違う!? 俺とあいつで、何が。楽な入り方とかあるのか? そうじゃねえとあんだけ余裕な面出来るはずがねえ。戦意で、凶暴な面で誤魔化してるが、今すぐにでも全部投げ出してえくらい痛ェんだ。お前と俺、違うとしたらそこだ。だったら、今の俺が勝てる道理はねえ。違うってんなら、もう、限界が――)

 限界を超えた力への揺り返し。身体からの悲鳴が全身に木霊する。もうやめてくれ、諦めてくれ、楽に成ろう、とにかく安め、ありとあらゆる甘言が脳裏を過る。

 考えれば考えるほどにドツボ――勝てる方法が見えない。そもそも自分がどうやって勝ってきたのか、自分の剣はどういうモノであったか、心が折れかけたことで見失いつつあった。積み上げてきたモノに、登ってきた道に、自分にどれだけの価値があるのだろう。

 果たして自分は正しい道を歩んできただろうか。

 惑いは迷いを呼び、迷いはさらなる惑いを呼ぶ。悪循環、距離が空いたほんの短い間であったが、彼らの時間感覚の中では相当長い間堂々巡りを続けてしまった。

「隙あり、だ」

 敵は、その隙を逃してくれるほど甘い男ではなかった。

 鋭い突き、男の同郷である突きのスペシャリストの剣を、さらにブラッシュアップしたような突きが奔る。咄嗟に受けるも後退を余儀なくされ、攻めれば最強に近いフェンリスであるが、受けに回れば身体能力以外特筆した技能は持たない。

(まずいッ!?)

 その予感は的中。当然のようにこちらの加速を封じる立ち回りからの、受けで弾いた方とは逆側の剣をアルフレッド自らの剣で抑え、刹那、ゼロ距離で防御の手段無く彼の片手を自由にしてしまった。

 普通なら互いに何も出来ない距離感であるが――

 ここは彼の領域。剣すら立ち入れぬ極小の間合い。

「ご、がァ」

 突き立つは、拳。発勁を帯びた拳打。

 まるで最初からこうすると決めていたかのようによどみなく、容赦なく、アルフレッドはフェンリスを吹き飛ばした。舞台の外まで飛ばすほどの力を生むことは出来なかったが、螺旋も込めた拳は、彼の折れかけた心を折るには充分な破壊力で、アルフレッドの手に確かな手ごたえを残した。

(やべえ、勝て、ねえ)

 フェンリスは宙に舞いながら、天を仰ぐ。憎たらしいほど快晴、あの男の青色と同じ色。今日の空は自分には似合わない。

 あの男こそふさわしい。世界がそう言っているように思えて、何故だろうか、どうしようもなく、あの背中が見たくなった。

 大嫌いで、心底憎らしく、父として何一つ尊敬に値しない男であったが、

(くそったれ――)

 戦士としては、

(テメエが、そんな顔してんじゃねえよ)

 誰よりも輝いて見えた。傭兵仲間たちから伝え聞いた武勇伝の数々は、信じられないほど煌いていて、百戦錬磨の傭兵たちが誇らしそうに語る姿に、息子である自分まで誇らしげな気持ちに成った。

 業腹だが、今でも、心の底ではそう思っている。

 彼は戦士たちの誇りで、自分にとっても誇らしい父であった。

 戦士としては、だが。

(笑ってろよ、いつもみたいに。笑い飛ばせよ、あんたらしく。クソでもミソでも、テメエは傭兵王なんだ。あいつら、大馬鹿野郎どもの親玉なんだ。だから、そんな普通の父親みたいに、心配そうな顔してんじゃねえよ。似合わねえからさ)

 フェンリスが許せないのは、彼が諦めたことである。武勇伝のまま、戦士たちの王として戦い続けて欲しかった。それが出来なかった父を非難したいし、それを許さなかった世界を憎いとすら思う。

 行き場を失った戦士たちの末路、いくつも見てきた。

(あー、クソ)

 彼らが戦うことでサンバルトはヴァルホールと名を変えて生き残った。ヴォルフと言う看板があったから、あの乱世を国力に乏しい旧サンバルトは乗り越えることが出来たのだ。今だってそう。彼が看板として、たとえ不在であっても君臨しているから容易く手を出せないし、世界で対等に渡り合うこともできる。

 彼らがいたから、戦士がいたから、今がある。その今でさえ、戦士抜きで何が出来ると言うのか。交渉一つ、貴様らが馬鹿にする負け犬の名を使わねば優位に進めないと言うのに、何故お前たちは馬鹿にする。戦士たちを。

 命を賭ける覚悟も無い、戦えない連中ばかりが彼らを非難する。

 そんな屈辱が許せなかった。彼らを切り捨てなければ生きていけない祖国の弱さを恨んだ。何よりも、その時点では何一つ支えられない、己の弱さを憎んだ。

「……人に言うなら、まず自分がしてみろって話だわな」

 フェンリスは笑った。ふらふらと立ち上がりながら、折れかけた心を繋いで、強がって笑う。父に笑えと望むなら、自分も笑って見せる。言うだけの有象無象に成り下がりたくない。自分は、実践してみせる。戦って見せる。

 そしてその背についてこれた者たちだけ愛そう。

「くそ親父は否定した。諦めた。その先に道はないってな。時代の流れに圧し潰された。俺は、それを否定する。なァ、まだ終わってねえんだよ、俺たちはッ!」

 思いがけずに己が道を彼は見出した。戦士の道、強者の道。彼の父が挫折し、世界が否定した道。それでもなお、彼はその道を往くと決めた。父や母が、そうしないために自分を教育してきた、今になってようやくわかった。悪影響と考えた父が自分と距離を置いていたのも、母たちが『勉強』を強いてきたのも、全ては新しい世界に順応させるため。

 それが彼らの愛であった。

 だが、フェンリスはそれすら否定する。得た知識は活用する。新たな時代によって生まれた人材も活躍してもらう。ただ、戦うことはやめない。戦い続ける道を探す。戦士の国であることをやめない。戦える者のみが上に立つ。

 それは腕っぷしに限らない。

 世界が複雑化するのならば戦士も多様化すればいい。それらを取りまとめる看板たる己がオールドタイプの戦士として最強であれば。

 戦士の、強き者の王と成ろう。

 フェンリスは考えることをやめた。今の自分に出来ることは、さらに速くなって小細工をぶち抜くことだけ。足りないのは思慮ではない。覚悟と、速さだ。

「戦士は終わらねえ! 世界が続く限り、其処に戦いがあるッ! 姿形は変わっても、戦場は無くならねえ! 次はテメエらが怯えろッ! 時代の流れを、今度は俺たちが引き寄せる。勝つぜ、俺は! 強がりでも何でも、勝つって言えなくなったら、終わりだからな!」

 フェンリスは今までにない加速を見せた。度し難いほどの愚かさ。だからこそ、見える背もある。加速加速加速加速加速。人類最速最強の疾走。錯覚かもしれないが、父を、ずっと見続けていた背中を、とうとう超えた気がした。

「……良いだろう。では、俺の手でもう一度終わらせてやる。戦争が世界に寄与する時代はしばらく来ない。来させない。俺が王として君臨する限り!」

 迎え撃つは世界中を見て回り、多彩な経験を喰らい尽くしてなお底知れぬ虹の怪物。万能の王が戦士の王を阻む。

「君臨してから言えや! 放蕩野郎ッ!」

「確定した未来を語って何が悪い?」

 先ほどまでと同じ絵図。かと思いきや――

「お天道様ばっか見てると、足元すくわれるぜ」

「ッ!?」

 速さと力。無理やり、こじ開けた活路。

「ようやく見えたぜ、鉄の強がり、仮面の下が、なァ」

 強烈な一撃で、後ずさるアルフレッドの顔から一瞬、笑みが消えた。

「……高くつくぞ」

 スペック差で無理やり削った選択肢。相手の余裕を剥ぎ取り、計算づくの後退ではない後ずさりを生んだ剣。だが、代償は大きい。あまりにも、大き過ぎる。

「君も笑うか」

「テメエと同じだ」

 互いに満身創痍。とっくに限界を超えていた。

 アルフレッドは過去に二度、この境地で未来を切り売っている。すでに、切り売ることが出来る未来は残り僅か。初めから満身創痍。

 今は、もはや気力で立つのみ。

 フェンリスは二日連続で限界を超えていた。しかも今、片足だけ浸かっていた領域に、両足どぼんと突っ込んだのだ。消耗の速度は先ほどまでも比ではない。

 一秒が遠い。

 事此処に至り彼らの戦いは技比べでも身体能力の競い合いでもなくなっていた。

「す、すげえ」

 死力を尽くせ。これは、心を折る戦いである。

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