カルマの塔:滑稽なる喜劇
「先の件、どう思うラファエル?」
「どう、とは殿下の件でしょうか」
「もちろん」
「であれば意図はわかりかねます。あまり値を高くし過ぎるのも考え物ですが、少なくとも殿下が為したことに『あれ』が釣り合うとは思えません」
「そうだな。どう考えても釣り合わない」
「だからこそ何か意図があると?」
「余ならばそう考える」
「……注視してみます」
そう言って執務室から去って行くラファエル。ウィリアムはその背を見送った後、手元にあった駒を弄り始める。
昔、考え事をする時についた手癖。手元になければすることもないのだが、軍将棋の盤が机の上に在れば自然とこうなってしまう。
(早速の一手。ラファエルに気取られていないのであれば、まずは正着と言ったところか。穏やかな意図? 温い手? 馬鹿をぬかせ。これは、性急な一手だ。この王宮で最も血生臭いところに駒を進め、死中に活を得るための)
この王宮において最も死が満ちた空間。其処を狙った一手。
(さて、『あれ』は動くか? いや、愚問だな。『あれ』だからこそ動く。万全を期せば期すほどに、それを崩したくなるのが『あれ』の性質)
どう捌くか、まずは高みの見物と言ったところ。
「体調はどうだ?」
「今は良いさ白龍。明日はわからん。だが、此処で俺が折れたなら、ここまでの段取り全てがあれにとってマイナスに働く。今、俺が倒れるわけにはいかん。ならば立つさ、死んでも、俺は立ち続ける。安心しろ、最後に踊るくらいは残しておく」
「そうか」
自らの影が鳴りを潜め、静寂が満ちる執務室。そこで駒を玩び、少し楽し気に思考する男は、まるで在りし日の姿を取り戻しつつあるようであった。
思考が深まる。相手の手から何かを読み取ろうと。
そして、にんまりと微笑んだ。綺麗な笑みとは程遠い歪んだ笑み。外行きの、白の王としての仮面ではなく、彼本来の笑い方。
(脚本を一気に早めたか。生意気だぞ、アルフレッド)
向ける相手は――己が息子。
○
アルフレッドの前では二人の男がストラチェスに興じていた。バルドヴィーノとクレス、どちらも彼にとってかけがえのない部下であり、戦場においては極めて優秀な将である。だが、二人とも政治に関しては一切の興味を持たない。持たないことを己に義務付けている節すら見受けられる。
「……あんまり興味なさそうだね」
「文官きらーい」
「文武の境界線は侵すべきでない」
そう言って切り捨てる二人の盤面は、常にバルドヴィーノ優位であった。おそらく百戦しても最後には必ずバルドヴィーノが勝つ。意思の無い駒、まったく同じ戦力、これが平等な遊戯である以上、彼が負けることはないだろう。
それをクレスに指摘すると――
『難しいから面白いって感じ?』
と、わかっていてなお挑戦し続けると言った。
「ふむ」
「ガハハ、会心の一手だ」
「続かねば意味はない」
「見とけよー」
そんな二人がこうして様子見を兼ねてアルフレッドの部屋に来たのは、何かを察してのことであろう。警護と言うほど重々しいわけではないが、彼らなりに動き出したことを肌で感じたのかもしれない。
加えてアルフレッドは――万全ではないのだ。
(きちんと汲み取って頂けただろうか。魔女に、そして父上に。上澄みの挑戦状、その下にある狙い。そこまでは魔女とて読み取れまい。良くて上澄み、それすら気づかぬのであれば、まさに無意味な手と成る。そこは、彼女を信じるしかない)
愚鈍な、平凡な相手であれば受け取ってすらもらえない挑発。だが、彼女は魔女。この国に巣食う怪物の中で最も異質で歪んだ性質を持ちそれを満たしながらも、未だ健在。今回はその狂気と矜持、バランス感覚が狙い。
「まだまだ粗い」
「……昨日の模擬戦では俺が勝ったけどな」
「……部下が俺の要求を満たしていないだけだ」
「それは俺も同じこと」
睨み合う二人。意外と気の合う二人なのかしょっちゅうこうしてじゃれ合っている。微笑ましい光景だなあとアルフレッドはほっこり微笑んでいた最中――
彼らの表情が急変し、まったく同時にある方向へ眼を向ける。
「「…………」」
先ほどまでのにらみ合いなど戯れなのは、彼ら二人の本気をアルフレッドが知っているから。かすかに、わずかに零れた殺気をくみ取り、その方向へ威嚇の殺意をぶつける。動くな、殺すぞ、と。言葉よりも雄弁な、鋭く怜悧な殺意。
「下見って感じか」
「あくまで様子見、隙あらば命まで、と言ったところだろう」
「そんなに心配しなくても大丈夫なのに」
「雑魚相手に消耗するのも阿呆らしいだろ? 政には興味ないけど、お前を守るのが俺の仕事だ。ひいてはそれがオストベルグのために成る」
「そうだね。君はそのために、彼らのために俺の下へ来た」
「約束を違えない限り、俺はお前の味方だ。この血の責務を果たし、罪を雪ぐその日まで」
「ならば名乗ったらどうだ? エィヴィング、と」
「……いずれ、な。今は困るだろ?」
「申し訳ないけど、今は、ね。俺が王に成ったら好きにすると良い」
「まあ気が向いたら。今の名前も気に入ってんだ。じじいの加齢臭がするから」
「……オェ」
「おい表出ろバルドヴィーノ」
「……不思議な挑発だな。単独戦闘で俺に勝てる気でいるのか?」
「上等だボケ」
そう言って去って行く二人。『相手』に意図は伝えた。警戒のレベルも、人材の差も、優れた相手であればあるほどに痛感したはず。常にそばにいるわけではないが、お前たちの機微に気づかぬほど愚鈍ではない。
かすかな痕跡でも見出し、先んじる、と。
「今日を凌ぐ分には十分過ぎる。さて、貴女の玩具は簡単には壊れない。ならば、搦め手を使うしかないでしょう? 嵌めたくて、壊したくて、貴女はうずうずしている。そして貴女にはそれを行う力も、悪意も、手駒もある。ならば指すべきだ。欲望に忠実なのが、貴女、クラウディア・フォン・アルカディアなのだから。俺はそれを……利用する」
アルフレッドは爽やかな笑みを浮かべて駒を玩ぶ。昔、父の真似で始めた手癖。正直今となっては思考するのに全く必要ではないのだが、それでも懐かしむ気持ちはある。これは父が用意した脚本。全ての御膳立ては整っていた。
天災すら利用した優れた脚本を、どう演じ切るか。時間制限があるかもしれない以上、悠長な手を指す気はない。最速最短、そして最善の結果を。
○
特に所用無き時は、王族は皆こうして円卓を囲み食事を行う。無論、強制ではなく所用なくとも欠席が咎められることはないが、決まり事をおろそかにする『王族』という生き物はあまりいない。このような些事でさえ政の上では陥れる種と成り得るのだから。
「よくぞ皆さまお出でくださいました。ささ、御着席ください」
この円卓、食卓にはいくつか暗黙のルールがある。
まずは席順、王であるウィリアムが最も上座に座すのは当然として、その後にも明言されていないが序列がある。王の次に続くは第一王妃クラウディアとその息子コルネリウス。次が第二王妃テレーザと息子のバルドゥル。最後に第三王妃エルネスタと息子のエマヌエルが座す。
序列は暗黙ながら彼女たちが乱したことはない。今宵も同じ席順に座る。
唯一の例外は――そこに第一王子アルフレッドが加わると言うこと。
「ふむ、まさか最も序列の低い席を選ぼうとはな」
「座る場所で食事の味は変わりませんから」
クラウディアの毒舌を聞き流し、全員が着席したのを見計らって立ち上がった。
「皆様お揃いですね。では、先にご案内させて頂きました通り不肖、わたくしアルフレッドがこの食卓での指揮をとらせて頂きます。とは言え、私はあまり仰々しい食事は嫌いでして、儀礼的なものをすぱっと切り捨て美味しく楽しく食事をして頂ければと思っております。食事マナーなど国ごとに違いますし、こだわり過ぎてもつまらないでしょう」
「さんせー!」
「エマヌエル!」
「……ごめんなさい」
キラキラと眼を輝かせているのはエルネスタとウィリアムの子、第四王子エマヌエルであった。気を張った食事が好きではないのだろう。昔から堅苦しい席が苦手だった記憶がアルフレッドにもある。
「こちらも先にご案内させて頂きました通り、今までは王族の皆さま全員各皿に盛りつけたものをサーブしておりましたが、これからは中央に置かれた料理からお好きに手を出して頂きたい。ご自身で取られても良いですし、従者に取らせても良し、です」
露骨な毒対策。これに少しだけ反応したのは第三王子のバルドゥルであった。こちらも評判通り、『不動』の系譜として武人足らんと振舞うも、少し優し過ぎるのだろう。毒見の者が死ぬ姿に心を痛めていたところに、この対策である。
気が緩まるのも仕方がない。
「何ぞ意図があるように見えるが」
「邪推ですよ義母上。私はあくまで楽しい食事を目指しているだけです」
「くっく、まあ良い。妾は否定せぬ。始めようではないか、楽しい食事を」
蛇のような笑み。それを見てアルフレッドは微笑み返す。
やはり、何かをした。
事前通告した内容は食事形式の変更、コースではなく己が手で取っていく形。あとはこまごました儀礼の簡略化程度のもの。つまりメインは料理への毒対策。
例え仕込まれていたとしても手を伸ばさなかった者が犯人と名乗っているようなもの。誰がどの料理に、どのタイミングで手を伸ばすか分からない以上、仕込みにはリスクが必要。
賢い者ならばリスクは取らない。そして彼女は賢いのだ。だからこそ――
(やはり動いた。貴女なら穴を見つけると思っていました。その上で、貴女なら必ず動く。見つけてやったぞざまあみろ、と。ついでに私の名も大きく汚すことが出来る。買って出た役割で早速死者を出せば、しかも露骨な毒対策の上で。間抜けこの上ない)
穴を見つけて、其処を穿つ。
「義母上の了承も得ましたので、早速始めたいと思いますが、その前に――」
だが、もしその穴が作られたものであったら。
「一つ、サプライズを」
穿ったつもりが、深みにはまることに成りかねない。
「席替え、しましょうか」
魔女の眼が、大きく見開かれた。
「くじ引きで!」
にこやかに笑うアルフレッドはまるで道化のようであった。滑稽な喜劇の進行役。ただし、彼は進行役なのだ。踊るのは、演じるのは、食卓に居並ぶ演者たち。
この劇の向かう先は果たして――
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