オリュンピア:才能の断崖

 オルフェ戦でも見せた蒼い雰囲気、彼自身の根本を表す空色に黒き狼が牙を突き立てる。真っ直ぐに、何の仕掛けも無く己が剣を拾いに、その先のアルフレッドを目指して疾駆する。宣言通りの行動。

 ならば――

「仕込みは無駄だけど、全部捨てたとは」

 アルフレッドは、いけしゃあしゃあと小型の弓を構えてフェンリスが剣を狙う瞬間を狙っていた。さわやかな笑顔、純粋無垢な表情のくせに、やっていることはルールの隙を突いた合法ギリギリの戦い方なのだから世の中信じられなくなる。

「言ってねえな、確かに」

「言ったろ? 勝ち方にはこだわらないって」

 慣れた手つきで、よどみなく矢を番え、放つ。この間、僅か一秒にも満たない。狙いなどほとんどつけることなく、ただ番えて放った。

 それだけでさえ熟練の弓兵が眼を剥くほどの速度、その上、威力、精度ともに一流なのだから弓兵も裸足で逃げ出すだろう。

「ハッ、弓も出来ますよってか。ますます気に食わねえ!」

 剣を拾うか拾わないか、絶妙なタイミングで飛来する矢。如何に先端を潰していても、鉄の飛礫が推進力を伴って近づいてくるのだ。

 当たって良い威力には見えない。

「……おもしれえ」

 フェンリスは、真っ直ぐ進む道を選択した。拾わないでかわすと言う選択肢を、一顧だにもしなかったのだ。進む、進む、飛来する矢が迫る中、躊躇いは、ない。

 誰もが狼は矢に当たったと思った。拾う選択を悪手だと考えた。

「さすがに、やる」

 拾った瞬間、身体をねじりながら、速度を殺さずにうねるようにかわす。信じがたい胆力と機動力、信じていたのは一部の武人たちと、対戦相手本人。

「うおッ!?」

 すでに射られていた二射目。驚くのは、二発目ではない。そこに続いた三射目である。二射目を抜いて撃ったのか、三射目を思いっきり撃ったのか、とにかくフェンリスに到達する瞬間には二つの矢が速度差によってぶつかる絶妙のタイミングとなっていた。

「何とッ!?」

 気づいた武人たちは総毛立つ。あっさりと放たれた矢、初撃も充分戦慄に値するものであったが、この後詰は神業としか言いようがない。

「ハッ、無茶な体勢で、今度はかわせねえだろってか? かわさねえよ!」

 狼の手に、牙が戻った。ならば――

「俺が最強だッ!」

 ただ、砕くだけでいい。二発の威力が重なった瞬間、神業によって生まれた威力すら破壊する二つの剣。その交差。美しいクロスが、蒼き神業を打ち砕いた。

「二つで二倍ってのは、俺の領域だぜお坊ちゃんッ!」

 疾走。それに対し二発、どちらも打ち落とされる。その時点でアルフレッドは弓での迎撃を諦めた。残っていた矢束もろとも、突っ込んでくるフェンリスへの目くらましとして投げつける。児戯、とばかりに振り払うこともせず突っ切って――

「ようこそ、俺の領域へ」

 目くらましの中、距離を詰めていたアルフレッド。ゼロ距離で接敵する両者であったが、剣を手にしていたはずのアルフレッドは何故か無手で突貫していた。肩口で片方の手を封じ、もう片方は手首を掴み封じた。

 そして、アルフレッドは奥襟を取って、投げを敢行。

「ハハッ! 何が何だか、分かんねえなオイ!」

「そのまま死んでくれると嬉しい」

「そうは、いかねえだろって!」

 宙に舞うフェンリスは力づくで拘束を離脱、そのまま体勢を崩しながら蹴りをアルフレッドに叩き込み、「くっ」と捌きが間に合わなかったことでもろに喰らってしまうアルフレッド。フェンリスは頭から落下するも、「ぬん!」と片手で支え、あっさりと着地する。

「ほら、次だ次ィ!」

 あの速度域に目くらましを使ってようやく捉えた投げが不発。次は掴ませてくれないだろうとアルフレッドは剣を握った。やるべきことは沢山ある。

 やれることは――

「そら、こっちだぜ!」

 ぎゅんと加速して限りなく背後に近い側面に回り込まれる。信じがたい加速であった。それに反応したアルフレッドはやはり非凡なのだろう。だが、加速充分の狼の牙は並みを受けを粉砕し、圧し潰してしまう。

「受けは、得意なんだ」

 だが、その一撃は、破壊力を披露することなく受けられる。

「へえ。面構え通りだな」

 フェンリスは攻めの手応えの薄さに少し驚き、にやりと笑った。父や傭兵たちから耳にタコができるほど聞かされていた、白騎士の剣。北方での幽閉生活ののち、ガリアスとの一戦で舞い戻ってきた白騎士が携えてきた闇の剣。

 光を飲み込み、闇に沈める。長所を消し、出所を消し、相手の剣技を否定し、飲み込む。彼特有の人体理解から成るその剣は、ただの武人では理解できないゆえ、先の先、機先を得る。多くが膝を屈するしかなかった剣技。

 それが、目の前にある。

「なァるほど。おあつらえ向きだな、おい!」

 夢にまで見た剣が目の前に、同じ地平にある。父が届かなかった、剣を交えることすら出来なかった剣が其処に在る。これは、大きな機会であった。

「ありがとよ、俺に、証明の機会をくれてッ!」

 明らかに、その剣を見た後、フェンリスの熱量が上がった。

「……ッ!?」

 駆け出す狼。その顔には獰猛な笑みが張り付いていた。


     ○


「さすがは全の彼岸体得者。驚くほど正確無比。無駄も無い。思考は、すべてを読み切って先んじている」

「身体の中身を知るがゆえ、誰よりも素早く機微を掴み、相手の動きの端々からも次の動作を読み切っています。まさに完璧な受け――」

「だった、だなぁ。唯一の誤算は――」

 国綱、オルフェ、ラウルの仲良し負け犬三人組は哀しげな眼で舞台を見下ろす。

「「「相手が強過ぎた」」」

 その視線の先には、膝を屈する黄金の騎士の姿があった。


     ○


 自分は完璧な準備をした。限界まで己の身体を鍛え上げ、世界中からかき集めたあらゆる知識を、技術を、経験を注ぎ込んだ。

 もう、武人としてこれ以上はない。どうやってもこの先、革新的な何かを見つけるまでは、さらに成長するであろう彼らには追いつけない。

 それは、分かっていたことであった。分かり切っていたはずだった。

 だが、どうしてだろうか、何故、これほど歯がゆく、胸が灼けるのであろうか。わかっていてもなお心は摩耗する。

「あのクソ親父の言った通りだったな。攻めて、攻めて、攻め潰す。速く、強く、ぶち込みまくれば破れるってよ。その通り過ぎて、ちと拍子抜けだ」

 ふざけた攻略法である。

 あらゆる知識を総動員して、父はこの剣を編み出したのだろう。その努力、執念、犠牲、積み重ねを、あの狼は暴力でのみ吹き飛ばして見せた。あまりにも理不尽、あまりにも、救いの無いお話。どれだけ進んだ技術を前にしても、ただ一個の力の前には屈するしかない。より強い才能の前には、執念など吹けば飛ぶ。

「で、まだ何かあるか? ねえなら、やっぱ拍子抜けだぜ。リオネルと比べんのも酷な話だけどよ、わからん殺ししてきただけで、お前、そんなに強くねえわ」

 立ちはだかる男の強さ、輝きを前に、完璧というメッキが、剥がれ始める。


     ○


「ちょ、わかってたけど、強過ぎじゃんあいつ」

 ミラは、絶望的な差を前に今にも負けそうなアルフレッドを見て顔を歪めていた。ゼナも同じような表情。彼女たちの知っているフェンリスよりも数段強くなっていた。だが、それを聞いてランベルトが彼女たちに視線を向ける。

「いや、でも、あれだったら『お前ら』の方が強いだろ。それに、言いたくねえけど、フェンリスの奴、まだ全部を出してねえよ。リオネルを倒した時の、本当の化けもんじゃない。あれだと、素でリオネルの方が、強いぜ」

「ああ、だが、アルフレッドも全部を見せたわけじゃない。あの東方の剣士との一戦で見せた一瞬の輝き。あいつもまた、限界を超える術を持っている」

「そ、そうよ! まだ負けてない!」

「でもミラちゃん。フェンリスも、同じこと、出来るんでしょ。今の話だと」

「そ、それは」

 ミラは心配そうな目でアルフレッドを見つめた。もう、とっくに限界で、何とかここまで持たせた。

 彼は、彼女たちの思うよりもずっと才能に欠けていたのだ。ずっと、ありとあらゆる方法で足りないモノを補って来て、それが見えていなかっただけ。


     ○


「負けたら解散?」

「そうなるだろうな」

「あの御方が負けるものか!」

「……しかし、あの人、フェンリスは、強過ぎます」

「単純なスペック差、苦手なんじゃろうな、ああいう小細工無しで強い奴は」

 クレスやバルドヴィーノたちが見守る中、また立ち上がってすでに結果の見えた攻防を続ける主の姿に、アテナなど目じりに涙すら浮かべている。

『何をしておる?』

『小手調べ、でしょうか。無論、すでに姫様の見立て通り、単純な戦力では大きな開きもあり、細工や技で覆せるレベル差ではございませんが』

『であればすべきことは一つであろう。よもや、臆しておるのではないか? 確かに、あの後の光景を知る以上、並大抵の覚悟では入れぬ領域。それは理解しておる。だが、今ここで、使えずして何の意味がある? まさか、国守であれば二位でもよいなどと考えておるのではないか? ディムヤート、答えよ!』

『臆する御方ではないかと思われますが……私にもこの状況は』

『敗北者に与える座はないぞ、わが国には』

 エスケンデレイヤの者たちは強さを貴ぶ。それゆえに暴虐の国守アスワン・ナセルが君臨出来ていたのだ。強さを示せぬものには、たとえ恩人であっても容赦は出来ない。彼女らの想いは関係ない。そう言う国柄で、そう言う立場なのだ。


     ○


「そりゃあよ、ああも成るさ。全員が勘違いしてんだ。勝てば天国、負ければ地獄? それならやる気も出るさ。全身全霊、やってやろう! って、成る。でもよ、逆なんだぜ。勝てば地獄、負ければ、諦めたなら、天国が待ってんだ」

 黒星は知る。長く旅をしてきた。白の王の思惑も、それをくみ取って道を継ごうとしている黄金の器も、見て、聞いて、問うて、全部知る機会があった。彼の苦悩を、唯一の例外と死者を除けばおそらく自分が一番よく知っている。最愛の人から離れねばならない。その別れ際に自分はいた。祖父のように慕っていた人を殺し、最愛の人からも距離を取り、孤独の道を歩む。

 自分は傍観者、利害が一致するから協力したりしているが、その線を踏み越えたことはない。踏み越えたら、夢を諦めてでもあのひ弱な、繊細な少年を守りたくなってしまうから。仮面の下で、背負うべき責任、その重さに震える、臆する少年を知っているから。

「誰があんな冷たい場所で生きたいと思う? ほんと、何も知らねえ馬鹿ばかりだ。白の王が、もうどうしようもなく弱っていることも、実の息子に受け継がせたくない一心で、ずっと後継者を探してたことも。器も、優秀な、自分に代わる人材を求めて、心の底から求めて世界を旅して、ついぞ見つからなかった絶望も、何もかもッ!」

 黒星は、彼の言う羊たちを眺めて顔を歪める。

 彼は世界が憎いと言った。不完全な世界を作った神が憎いと言った。決して、不完全で、愚かで、間抜けな羊たちを憎いとは言わなかった。だが、黒星はそれほど寛容でも、優しくも無い。彼は、心底嫌いであった。

 強き者たちの苦悩を知らぬ弱者を。

 強き者たちを羨むばかりで、決して手を伸ばさず、あまつさえ何も見えていない視点から偉そうに物事を語ろうとする傲慢さも。嫉妬心から強者を隙あらばひきずり降ろしてやろうとする浅ましさも。

 すべて、嫌悪していた。

「諦めちまえよ。フェンリスは強かった。お前は弱かった。それで良いじゃないか。たった一人の背中で、何でもかんでも背負わなくても良い。あの子と、支え合って、四つの足で生きていく道もある。そっちの方が、絶対良いさ。なあ、アルフレッド」

 誰にも否定させない。誰にも彼に押し付ける権利なんてない。

 選ぶのはいつだって本人の権利。

「誰にも文句は言わせない。言う奴は乗り掛かった舟だ、俺がぶっ潰してやるよ」

 だから、もう、無理をするな。黒星は心の底からそう思う。

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