オリュンピア:最後の夜
「よく食べるわねえ。それが二倍の絵面……見ているだけでお腹いっぱい」
「あんたは食が細いんだって、それじゃあ大きくなれないよニコラ」
「そーだよ。いっぱい食べなきゃゼナちゃんみたいに大きくなれないよ。ほら、ぼいん!」
ゼナが巨大な双丘を弾ませ、視線が一斉に――
「……え、エスタードの淑女ってあんなにはしたないの?」
「あ、あんま明け透けでもな。やっぱ慎ましさってのも大事だと思うんだよパロミデス君」
「ん、ああ。大事だな、慎ましさ」
「でも、見てたよね、ぼいん」
「「…………」」
オティーリアの切れ味鋭い突っ込みに、ランベルトとパロミデスは形勢悪しと即撤退を決め込んだ。凝視していたパロムは隅で彼女に泣きながら叩かれている。
「結局胸か」
「レオニーは良いよ。十分あるもん」
ずんと落ち込む無い胸淑女同盟。気にしていないのは花より団子とばかりに飯を胃に流し込むミラとゼナだけのもの。内一人はそもそも圧倒的強者のバストを持つので気にするわけがないのだが――たまにウェストを気にしているところはゼノキケ監視隊が目撃したらしい。あくまで噂だが。
「で、そんなに食べてどうするつもり?」
「明日は観に行く!」
「そうそう!」
「無理でしょ。二人して立てないのに」
「「私(ゼナ)は立てるけど?」」
虚勢を同時に張る二人。あまり得意でない系統の女性が増えたことに、改めてため息をつくニコラ。彼女の苦悩も何のその、意地を張り合って満腹のその先へ向かう二人の姿に、何度目か分からないため息を重ねた。
「ってかアルは?」
「お仲間と一緒でしょ、新しい方の」
「棘あるねえ。嫉妬してんの?」
「おあいにく様。私、テイラーだから。利用価値、あるの」
「……胸張って言うことかよ」
「で、貴女はどうするの? 価値を生かすも殺すも、貴女次第でしょ」
「パパ次第。そこは、私が口を挟む領分じゃないから」
にししと笑うミラに、ニコラは先ほどまでとは違ったため息をつく。己と彼女の違いはこういうところに現れる。表向きは粗暴でがさつでも、一線に近づくと繊細で優しい素の彼女が垣間見える。
その度に思うのだ、ああ、この子にも勝てないのだと。
イーリスにもミラにも、負けてばかりの自分。でも、だからこそ、利用されると言う選択肢が取れる。彼にとっての特別に成れないから、傍にいることが出来る。卑屈で、矮小で、それでも、それだけが――
○
「試合前ですのに、夜遊びとは随分余裕ですのね」
「おや、ずいぶん気の利いた偶然だね。こんな夜更けに君のような女神に会えるなんて、俺は最高にツイている。おかげで明日は勝てそうだ」
「お医者様の彼女に会いに行ってらしたの?」
「んー、まあ彼女にも会っていたけど、メインはもう一人の少女、さ」
「……浮気性ですのね」
「男の子だからね」
夜、人気のない場所で張っていたシャルロット。まるでアルフレッドがここを通るのがわかっていたかのような登場に、アルフレッドは苦笑を禁じ得ない。もっと早く接触してくると思っていたが、まさか彼女を使うとは――
「リディアーヌ様?」
「……今日は上手く指し過ぎましたわね」
「参ったね。リディアーヌ様に警戒されちゃったかぁ」
「そうしたのでしょう? 穏便に済ませるならもっとやりようはありましたもの」
「買いかぶりだよ。で、周囲に物騒な連中を配置して、あの御方は何を考えているんだい?」
「そちらこそ配置していますわね」
「こっちは少数だから。他国を排除してまで、この空間を作りたかった意図はわかりやすいけれど、このタイミングってのは解せないな。もっと早い段階で良かったんじゃない?」
「わたくしが知ることではないですわね」
「だろうね。さて、俺も今まで手伝いをしていて、それなりに疲れているから休みたい。リディアーヌ様が動くことは計算の内だけど、この時間から足を割く気はないよ」
「それを決めるのは、強い方ですわよ」
「そうでもないさ」
アルフレッドはシャルロットの肩を抱き、耳元で囁く。突然の動きに周囲はざわつくも、闇夜で警戒し合っている状況では双方とも迂闊に動き出せない。
「ッ!?」
「明日、俺が勝って全部を引っ繰り返す。彼女には全部伝えればいい。俺の狙い、俺の立ち位置、ローレンシアをかき混ぜる一手。俺の会心の一打。もう準備は終わっている。この大会が始まる前から俺を止める手はなかった。勝つのは俺だよ」
「アルカディアの現状すら利用しますのね」
「それに対して冷徹な包囲網を敷いている君たちには言われたくないな。まあ、仕方がない。アルカディアは勝ち過ぎた。急ぎ過ぎた。この二年は、支払うべき対価だった」
「冷静ですのね」
「余力はまだかすかにある。救う手立ても用意出来た。焦る必要なんてある?」
「人が死んでいますのよ」
「世界中で死んでいるさ。だから許せないんだ。この世界は、度し難いのさ、シャルロット。俺は父と同じ道を行くよ。父よりも、効率的に、最短最善の王道を往く。時間がないんだ。少しでも、前へ進ませないと。その土壌を作らないと、人は馬鹿だから、すぐに踏み外しちゃうだろ? 羊を百万、千万統御する中で、数十、数百で流す涙は、もう、ないんだよ。全部、出してきた。余分なモノは」
「……わたくしも羊?」
「優秀な、ね。そもそも、羊飼いは一人だけでいい。タクトは俺が振る。優秀な羊たちがそこからくみ取って、群れを動かしてくれればいいんだ」
「末端の羊には考えることさえ許さない、と申しますの?」
「違うよシャルロット。彼らは、考えたくないんだ。末端が末端たる所以さ。這い上がる構造は必要だけど、考えない羊に過分な権利は与えない。いつか、そうすべき時が来るけれど、それはずっと先の話だ。思考せず責も負わず、欲だけは一人前。それが大多数の人間、人間と言う獣の性質だ。未完成の状態で、其処まで救おうとするのは、それこそ滅びの始まりだよ。考えなくなった貴族を見れば、わかるだろ?」
「…………」
シャルロットは何も言い返せない。底辺を知る中で、彼らもまた人であり同じ存在であると理解できた。だが、同時に彼女は知ったのだ。同じ人間であるからこそ、背負うモノと背負わぬモノでは何もかもが違うのだと。
同じにしてはならない。少なくとも今は、その段階に人はいない。
「話がずれちゃったね。彼女が知りたいことは全部伝えたはずだ。俺は、宿舎で休むよ。君も報告して早く寝ると良い。寝不足は美容の天敵だからね。うん、間近で見るとやっぱり君は素敵だ。美しいモノは、見ていると幸せな気分になる」
「……からかわないでくださいまし」
「からかってなんかないさ。ああ、そうだ、世間話のついでに一つ。教室、上手くいっているみたいで良かった。君なら出来ると信じていたよ」
「……おかげさまで何とかやっていけていますわ」
「だからこそ、リディアーヌ様の思惑に乗せられ過ぎちゃいけない。彼女は、君と言う駒を用いた最善手を模索している。もし、彼女が、俺に対して君を指すと決めたなら、君は必ず不幸になる。いや、幸せに成れないと言った方が良いだろう」
ほんのりと朱に染まった頬が、さっと色を失う。
「羊飼いは羊に恋をしない、しちゃいけない。特別扱いは、必ずどこかでヒビを産む。小さくともそこから巨大な地盤が崩れることだってあるはずだ。と言うよりも、人間関係の破綻なんて、大体はつまらない、小さなヒビが大元さ。ミクロもマクロも、同じこと」
「わたくしを愛すことはない、と。袖にされていますのね、わたくしは」
「君に限らず、だ。コルセアには夫婦になると決めた際、伝えてある。もう一人は、まだ伝えてないけれど、彼女たちの価値観ならたぶん、理解してくれる」
「だからお医者様の彼女とは距離を置いた。本当の特別は、彼女でしたのね」
「……そうだ。彼女だけは、どうしても特別扱いしない自信がなかった」
「わたくしは、別、と」
「そうでもないから別離を薦めているんだ。リディアーヌ様と距離を置けとは言わない。そうだな、リオネル辺りで手を打つのはどうだろう? 彼、たぶん最初から君に固執して」
「……とても残酷なことを言っていると、自覚、ありますの?」
「あるよ。でも、人生ってたぶん、長いと思う。一時の熱情よりも、妥協してでも長く小さな幸せが続いた方が良い、そういう道もあるはずだ。俺は、君を幸せに出来ない。だけど、リディアーヌ様にその手を指されたら、俺は君の利用価値を使うことに躊躇いはないんだ。最善を、最短を往くと決めたから。人ひとり、時間は有限だから」
ほんの少し、二人の間に沈黙が流れた。アルフレッドは申し訳なさそうに微笑んだ後、一歩、二歩と足を踏み出す。さようなら、美しい人。その顔には別離への悲しみが浮かんでいて、でも、たぶん彼は振り返らない。
だから――
「わたくしの道は、わたくしが決めますわ。リディアーヌ・ド・ウルテリオルも、アルフレッド・フォン・アルカディアも、関係ない。わたくしが、わたくしのしたいようにする」
麗人は力ずくで振り返らせた。
「……君は、愚かだね」
「紳士と淑女の道は分かり合えぬ定めですの」
シャルロットはスカートの端を掴み恭しく一礼をする。
「御機嫌よう我が愛しき人。またお会いできる日を、心待ちにしておりますわ」
「……参ったな。じゃあ俺は、一縷の望みをかけて、再会できないことを祈るよ」
「その祈りは届きませんわね」
何処までも美しく、我が道を貫く貴族の中の貴族。その姿はやはり美しく、それ以上にその在り様こそが、何よりも素晴らしい。
再会は互いにとって不幸だと男は言った。しかし、女はそう思わない。そもそも女が男の理屈に付き合う義理も無い。女には女の戦いがある。愛が与えられぬなら、愛を掴み取れば良い。かつて、彼の父が二人の執念に膝を屈した様に、彼もまた膝を屈する日が来るかもしれない。それは、不幸を呼ぶかもしれないが、女にとってはそれが勝利。
いわんや、彼女にとって戦わずして負けるなど、在り様として許されないのだ。
アルフレッドが去ったあと、シャルロットは静かにほほ笑んだ。
一番にはなれずとも、隣に立つ力は手に入れつつある。きっとリディアーヌは自分をそう使うだろう。それが最善手だから。ガリアスに多くのコネクションを持つ自分をアルカディアに売り込む。表向きは友好の象徴。
裏は、どうなるだろうか――
考え込むそばに巨躯の影が映りこむ。
「あら、王の剣様がわざわざわたくし如きの護衛にいらしてましたのね」
「つくづく馬鹿な女だな、テメエは」
「女は少しくらい馬鹿な方がモテますの。愛嬌があると言ってくださいまし」
「……ハン」
双方の武力が交戦せず撤退していく。一方は確認を、一方は目的を達成することが出来た。ただ、それを達成したところで、知ったところで、手を出せる局面はとうに過ぎ去っている。手を出すべきだったのは、彼がヴァイクと手を組む前。いや、ガルニアで真の覚悟を手にする前、ドーン・エンドの前、嗚呼、つまりは――
〇
アルフレッドは足をさする。与えてもらった空白。果たして彼女たちを相手に自分は明日を繋げることができただろうか。
「ギリギリだな」
「黒星か。ユランさんにきっちり固定してもらったから、何とかなるよ」
「痛みは?」
「今はちゃんとある」
「国綱の時は、なかったんだろ? 今更お前が痛みで失着するはずがねえからな」
「……明日さえ乗り切ればいいだけさ」
「まあ、見ててやるよ。せいぜい足掻くがいいさ」
「あはは、しっかり笑ってくれよ」
「ふん」
黒星は気に食わないのか不機嫌な表情で闇に溶ける。残されたアルフレッドはゆっくりと夜のエトナを歩む。明日のためにできることはした。
すべては準備できている。
あとは明日、勝つだけで良いのだ。
〇
「……手に入らないと知ったとき、彼を、生かしておくべきじゃなかった」
ガリアスにいた時に、始末しておくべきだった。白騎士の息子、その認識が大いに間違っていたのだ。彼は、その才は、機転、天運、全てが彼女の想像を大きく超えていた。うかつにも彼女は、白騎士という器と見比べて彼を測ろうとした。だから一部しか見えていなかったのだ。彼自身を見ようとしていなかったから。
どこかでガリアスが手に入れる道もあるのではないかと泳がせてしまった。何度間違えれば気が済むのだろう。大物ぶって、先達の如く導いて――
まだ超大国である余裕が抜けきっていなかった。
「上手く立ち回って見せるさ。地の利は、こちらにあるのだから」
あらゆるものが彼を王にしようと動いているように見えた。世界が、時代が、情勢が、天地すら、彼の道を彩っている。白の王は強い王だが、まだ王としては手の届く場所にいた。だが、彼は、果たして其処に留まってくれるのだろうか。
〇
朝が来る。運命の朝が。
最後のピースを埋めるために、道化は静かに笑顔の仮面を被った。
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