オリュンピア:超大国の悲願
リオネル・ジラルデに降り注ぐ視線。色が見えない、感情を押し殺したような無機質な視線であった。これから何が起きるのか、何をするために集まったのか、悟らせぬようにするための無。
「……敗戦だ。何か、言い訳はあるかい?」
リオネルの脳裏に浮かんだ十、二十の言い訳。いくらでも浮かんでくるのだ。本調子じゃなかった。寝つきが悪かった。気分がすぐれなかった。相性が悪かった。そのどれもがあまりにもくだらなく、口に出す気にもならぬモノばかり。
そんなモノが浮かぶほど、己は弱っているのだとリオネルは自嘲する。
「ない。完敗だ」
それを捻り出すまでに、短い時間であったが大きな苦悩があった。
「ガリアスは君に投資した。君は勝つ義務があった。私たちが求めていたものがわからないほど、君は愚かではないだろう。その責任は、どう果たす?」
一位、優勝、ガリアスに期待され、己が持ち帰るはずだった世代最強の看板。結果は三位、決して低い順位ではない。それでも、求められた結果ではない。一位と三位では持つ意味が違い過ぎる。だから――
「…………」
答えられない。結果を出せなかったから。
ただの番犬でしかない己にどうやって責任が取れると言うのか。
答えようがないのだ。
「何故負けた?」
何故負けたのか。わからない。優勢なのは自分であったし、強かったのも自分。底の底まで辿り着いて、それでもなお強かったのが己であったはず。
なのに――負けた。
「…………」
「言葉に出せねば伝わらないよ、何事も」
リディアーヌは残酷なまでに、冷徹な声で敗者の弁を引き出そうとしてくる。何を言っても言い訳に成る。どう言い繕っても格好が悪い。
それでも、言えと彼女は言う。
「……わからない」
「わからない?」
「……俺の方が、強かった! どれだけ、考えても、わからない! でも、負けたんだ。言い訳の余地もなく、負けた。何故負けたのか、どうやったら勝てるのか、何も分からない。でも、だけど、俺は、俺はッ」
絞り出すは――
「もう一度、チャンスをくれ! 次は、必ず勝つ! 勝ち方は、まだわからない。でも、必ず、次の機会までには必ず見つけてみせる。誰にも、もう二度と負けない。だからッ!」
恥も外聞もかなぐり捨てた、機会への懇願。無を張り付けていた者たちが驚くほど、それは必死で、無様で、ダサかった。頭を地にこすりつけ、それでも彼は乞う。次をくれ、と。次があれば勝って見せる。勝ち方は――わからないけれど。
普通ならお話にもならない。次へのビジョンも見えないのに、勝って見せるなどと、もう少しまともな弁を用意すべき。だが――
「勝ち方が、わからないんじゃお話にならないね」
リオネルは、びくりと震える。
「と、言いたいところだけど、正直私にも分からないんだ。此処に居る全員が、君の勝利を信じ、確信し、そして、敗北に眼を剥いた。あれが何なのか、この場で答えられる者はいない。超大国と言いつつ、我々はいつだって質の差に苦慮してきた。今だってそう。ここから先の領域はわからない。そもそも、今の君が立つ領域すら、我々には未踏だ」
おそるおそる顔を上げるリオネル。
「勝てると言ったね。よくぞ言った。あれだけ盛大に、思いっきり、負けた直後によくぞ強がった! それで良い。君が敗北を受け入れていたならば、我々も手を引くつもりだった。だが、歯を食いしばり、まだ戦える、勝つつもりがあるならば、我々は再び君に期待しよう。君が勝つことを期待して、我々は君に与えよう」
リディアーヌの横から、一人の男が進み出る。ガリアスにとっては余所者であったが、優れた剣技、卓越した戦場での戦いっぷりから、ガイウス自らがスカウトし、王の剣と言う新設の地位を与えた。その意味が、ようやくここで成る。
「将は敗戦の責を負う。時には首を捧げねば納まらぬこともあるだろう。その時は甘んじて捧げればいい。だが、それは最も将にとって楽な回答だ。将にとって死ぬことは救済で、生きることこそ地獄。いずれ、分かる時が来る。その時、お前は一人前の将に成るのだ」
ランスロ。湖の騎士と謳われた忠義の騎士。それを曲げてでも、ガイウスに仕えた。乞われた願いがとても美しかったから。生きる意味を失い、漂うだけの人生にとって、これほど意味のあることはないと思ったから。
「勝利も敗北も全て背負って戦え。滅ぼすこと、守ること、祖国のために全てを注げ。ガリアスは、お前に特別を与えてきた。負けたお前に、それでも足掻こうとするお前に、さらに与えんとしている。それを決して軽いと思うな。これは私の手にある内は軽く大した意味はなかったが、お前の手に渡った時、大きな意味を持つ」
ランスロが掲げるは、名人と謳われた先々代のリウィウスが打ち鍛えし剣、オートクレールであった。ガルニアではそれなりに名のある剣であるが、ローレンシアにとっては無名、ただのよく斬れる剣でしかない。
愛用の剣を手渡す、それ自体大きな意味を持つが、彼の言っている意味はそこにあらず。本当に渡すものは一つ、それは――
「王の剣。これからお前が座す地位の名だ」
彼が座っていた、与えられていた場所。
リオネルは虚を突かれた想いであった。ただの番犬、鎖で繋がれている内は、愛玩され手慰みに稽古相手として利用されていただけ。それを利用して、あの男との再戦を果たすためだけに、あの男に勝つために彼らを利用しようとした。双方、合意の上で、利用価値がある内だけの関係。
それだけだと、思っていたのに。
「な、んだ、これは?」
「お前が繋げ、次の時代へ。私たちの時代は、とうに終わっている」
困惑するリオネルに、ランスロは剣を手渡した。重く、熱く、この男が握っていたとは思えないほど、否、この男の本性こそがこの熱情なのだ。騎士ランスロ、熱情に焼け爛れながら烈日に挑み、生還した全てが此処に在った。今まで、叩き込まれていた己の身体にも、同じモノが流れている。
この気持ちを、何と言い表せばよいのだろうか――
「共に考えよう、勝ち方を。なに、この場に偉そうに立っている私たちは、皆あの男に、アルカディアに負けた者ばかり。だが、それでは終わらん。終わらせん。良いか、私たちは勝つぞ。あの男に、アルカディアに、ローレンシア全ての国に、勝って、今度こそ胸を張って言おう。我らこそが超大国ガリアスであると!」
リディアーヌの咆哮に、ガリアスの将兵は叫びと足踏みで答える。その勢い、熱量は、得も言われぬ雰囲気を帯びて、その中心にいるのは、リオネル・ジラルデ。
「次は勝て。その次も勝て。王の剣であるリオネル・ジラルデへの命は、それだけだ。それが困難であることは知っている。相手は、幼少の頃から怪物どもに育てられた怪物たち。お前が出遅れているのは仕方がないこと。だが、才覚では引けを取らぬ。才能ではお前が勝る。怪物何するものぞ、我らは何度でも言おう。リオネル・ジラルデこそ最強であると」
リオネル、リオネル、リオネル、分不相応だと思っていた。ずっと、見上げていた白亜の塔。そこに至れり選ばれし者たち。自分は選ばれず、地を這う虫けら。明日すら夢見ることの許されぬ環境。『今』だけを考えて生きてきた。
明日を、考えても良いのだと、言ってくれた。明日を、与えると彼らは言った。
その代わりに――
「必ず、ご期待に応えてみせます」
勝つ。
ガリアスを背負い、立つ。
「必ずッ!」
リオネルは、震えていた。先ほどまでの卑屈な、弱さから出てくるものではなく、ようやく踏み出した背負うモノとしての、あるべき場所に至ったことへの歓喜から。認められていたことへの、自覚から。声援が身に沁みる。今まで目に入ってすらいなかった者たちの顔がくっきりと眼に入る。刻まれる。
これが、お前の背負うモノたちだ、と。
(クソ重ェ)
その剣の重さを、自覚する。
○
『突然であるが、余はあと幾ばくかで死ぬ』
『……かの革新王ともあろうものが、随分弱気なのですな』
『いや、騎士王が持つモノと同じようなモノに告げられたのだ。わかるな、その意味が』
私は、言葉が出なかった。彼がそれを知ることと、自らの死を知ってなお揺らぐ気配も見せぬこの怪物の胆力に。巨星とは別であるが、彼もまた彼ら以上に特別な存在であったのだろう。王、その一点で彼は他を隔絶している。
『騎士王の右腕、湖の騎士の力を借り受けたい。その経験を、力を、我らの一部として、いずれ生まれいずる才能に、受け継いでもらいたい。無茶は承知の上、湖の騎士に騎士王から轡を変えよと願っているのだから。だが、ただ揺蕩う身であるならば、少しで良い。後世へ、何かを残すべきではないか? でなければ、もったいないかろう!』
結局、あの男にとっては『もったいない』ことが許せなかったのだろう。ただ揺蕩う身であるならば利用させよと、かの革新王は言っていた。何と言う身勝手な言い分であろうか、一笑に付すには十二分な申し出。
だが、結局はその申し出を受けた。私も、どこかでそう思っていたのだろう。我らが王の夢破れ、王妃を失い、私とゴーヴァンは最愛も同時に失った。ただ揺蕩うだけ、死んでも構わぬと浮世に揺られ、流れ着いた場所で、意味を得た。
己程度のものを受け継いだところで、何かが変わるとは思えない。だが、あの革新王は無意味なことなど何もないと言って笑った。小さな積み重ね、それが世界に革新をもたらすのだと。そう言われて、少し、救われた気がした。
私たちの戦いは無駄ではなかったのだと。
○
リオネルの眼を見て、想う。
「私の道にもようやく意味が出来ましたよ。ゴーヴァン、陛下、我らが戦乙女」
新たに生まれたガリアスの星を見て、その男が流す覚悟の、歓喜の涙を見て、ランスロもまた泣く。
今までの全てを想い、過ぎ去った時を、時代を想い、泣いた。
○
「……言い方は悪いけど、茶番だね」
「何じゃ棘があるのお」
「だから前置きしただろ。ガリアスがリオネルを手放すわけはない。冷静になって考えればわかることだ。あの才能、誰だって惜しいし、有効に活用したい。あの儀式は、そのためのモノで、王の頭脳は自分の駒の負けをきっちり糧にしたわけだ」
皮肉の利いた笑みをコルセアに向けるアルフレッド。仮面の下からでもわかる感動的な場面を台無しにしてしまう己が思考、それに対する自嘲が多分に含まれた笑みは、普段より数段と不自然さが際立つ。
「では、初めから負けるつもりであったのですか?」
二人から一歩下がったところでアテナが問う。
立ち位置は一応彼女なりの気遣いであったが、コルセアは並ばれようと気にしないし、アルフレッドはもっと気にしないので意味はない。
「ん、そういうわけじゃないよ。勝つパターン、負けるパターン、何通りも用意していたんだろう。まあ、彼女たちにとってはリオネルを成長させるのが目的で、ある意味で理想的な負け方だったのかもしれないね。彼は単純だから、きっと、この日を忘れない」
「強うなるじゃろうな。ありゃあ頭領の眼じゃ」
「うん。意識一つで姿勢が変わる。姿勢が変われば吸収が変わる。知識なんてものは詰め込めばいい。今、彼に最も足りないモノはほとんどがそれに類するもの。誰にも与えられないモノは、彼自身最初から備えている。彼がガリアスの柱に成る日は遠くないよ。そもそも、今戦えば『結果』が引っ繰り返る可能性だってある」
己のためだけでは扉は開かれない。誰かのために、己を殺すことになっても手にしたいモノがあって初めて扉は開かれる。自分のためだけでは絶対に割に合わない。未来とは、可能性とはそう言うモノで、だからこそ価値があり、ゆえにこそ切り売りすれば――力と成る。
邪道であるし、推奨すべき道ではないが。
「でも、歴史に『もし』はない」
アルフレッドは静かにその場を去った。
「…………」
フェンリスもまた敗者よりもダメージを負った体を引きずりながらその場を後にした。彼の立ち位置はこれではっきりした。次も勝てるとは限らない。
だが、今は己が勝った。明日に繋げた。
「先のことは後回しだ。今は、明日のことだけでいい」
傷だらけの獣は、ここからの全てを回復に費やす。一分一秒、万全を目指して。
結果こそすべて。勝つか負けるか、天地の差。それを知るがゆえに――
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