オリュンピア:王と騎士

 その日の夜、戦士たちはそれぞれの時間を過ごしていた。

「なあハティ、俺の国にもああいう奴いるか?」

「……ああ言うやつとは?」

「無駄な努力を、まだやってるやつ」

「素直じゃないですね。いますよ、何人か。リストアップしておきましょうか?」

「ああ、一応な」

 フェンリスは今日と言う日を忘れないだろう。自らが侮った相手、決して手強い敵ではなかったが、その姿勢だけはリスペクトに値した。天を羨み嫉妬し、くだらぬことを吐き連ねる凡人もいれば、天をも貫く執念を持ちながら何も言わず刻苦する者もいる。

 様々なモノがいる。

 きっとこの先、さらに多くの積み上げたモノを彼は見るだろう。

 そしてその尽くを破壊する。

 その先を、彼は知りたいと思った。

 今日、あの分不相応に歪めた悔しげな顔を見て。


 パロミデスは今日も剣を振る。勇往邁進、ランベルト同様一日も欠かしたことなどない。アルカディアに生きる者なら誰でも知っていることである。彼のストイックな姿勢こそ騎士の鏡と言うモノもいる。

 弟は、その背を見て同じように剣を振っていた。


 盲目の槍使いは静寂を奏でていた。隣にはようやく腫れの引いたラウルの姿が。ユリシーズと激突し、がっつり敗北を喫した拳士は晴れやかな表情で静かなるリュートの音色を聞いていた。しずしずと、とても優しい音が耳朶を打つ。


 ミラとゼナはエスタードの武人たちを交えて合同稽古をしていた。二人そろってエスタードが誇る精鋭をばったばったと薙ぎ倒していくだけであったが――

「そこの濃ゆいおっさん、見てないで勝負しようよ」

「お兄さん、だ。ガール」

 濃ゆい面々も加わり賑やかさが増していく。


 リオネルは「物足りないなら稽古つけてあげる」という先輩の発案により埃まみれにされていた。リュテス、ロラン、アダン、バンジャマン、他にも多くの勇士たちが入れ代わり立ち代わり相手を務める。

 そしてボロボロになったリオネルの前に立ったのは――

「構えよ。まさか、もう限界ではあるまい?」

「……ったりめえだボケ。誰にモノを言ってやがる!」

 流麗なる剣を持つ騎士。

 限界を超えた先、ガリアスの武人たちは最後の瞬間まで鍛え上げる。

 彼らにとっての未来を。


「何者だテメエ。目立たんようにしているつもりだろうがよ」

「おや、これは珍しい。貴殿はシン国出身ですかな?」

「お前は、違うな。行ったことはねえが、ああ、腰に提げてるもん見りゃわかる」

「なに、ただの武者修行の身。技を磨いているだけにござる」

「ただの武者修行で無間砂漠を越えたってのか?」

「ええ、それが何か?」

 黒星はその男に底知れぬ何かを見た。一瞬、その眼が蒼い光を湛えたようにも見え、どことなく雰囲気が、自らの師に似ていると、思ってしまった。

「ただ、この世界は、ローレンシアは、つまらない」

 男は哂った。


 アルフレッドは少女の容態を見ていた。明らかに、悪化している。記録を取りながら、決まった時間に輸血をし様子を見る。拒絶反応こそないが、状態が回復しているようにも見えなかった。答えの無い暗中模索。

「……後悔するぞ、か」

 あの眼があれば、容易く救えた命。いや、そうとは限らない。少なくとも救いの無い未来は変えようがないのだ。それは、烈日に敗北した騎士の王が証明している。選択で救えぬならば無意味。それでも可能性はあった。

 あったのだが、アルフレッドが選ばなかっただけのこと。

 選択を軽くし、いざ真の分岐路で迷うくらいならば――

「しないですよ。そのために俺は、貴方を、殺したのだから」

 選択こそ王の責務。それを軽くする呪いなどない方が良い。

 少女の苦しそうな顔を見る。それを寝ずに看病する兄の顔を見る。

 ああ、何と重い光景であろうか。今にも耐え切れずに砕けてしまいそうになる。今、手元にあの呪いがあったなら、あの甘言に乗らなかったと誰が言えるか。だからこそ、背負わねばならない。どんな結果になろうとも、選択した者として、救いも、滅びも、歓喜も、憎しみも、全て背負うのが、王。

「憎むと良い。俺は、俺のエゴで古き時代の奇跡を捨てた。君にとっては何の関係も無いこだわりで、救える命をこぼしたことになる。その罪は、消すべきでない」

 どんな結末になろうとも、眼を背けはしない。

 絶望も希望もすべて背負うと決めたから。


 そして朝が来る。戦いは次のステージへ――

「アレクシス・レイ・アルビオン対アテナ・オブ・ガルニアスの試合を始める」

 微笑む王に揺らぎはない。その笑みの下に多くの感情が蠢いていることを少女は知っていた。祖父を剣で貫きながら、滂沱の涙を流しながら微笑んだ覚悟を、この場で知る者はほとんどいない。

 あの場にいたアテナと伯母、父、そして『彼女』のみが知る。

「両者、構え!」

 あの日、王に仕えると決めた。それが自らの宿命なのだと感じた。

「本気で、参ります」

「ああ、君が積んできた全て、見せてもらうよ」

 だから、全てを出し切る。

「始め!」

 すべては王の糧、道の礎にならんがため。


     ○


 アレクシスもといアルフレッドとアテナの戦いは一回戦と似ていた。アルフレッドが受け、アテナが攻め立てる。王と挑戦者の構図。

 だが、アテナの目の輝きは引き出されているだけのそれではない。熱情に満ち満ちた視線は全身全霊で相手を穿たんと燃えていた。

 振るうはアルフレッドが去った後、アテナ自らが教えを乞うた獅子の剣。多種多様で、ともすれば規則性に欠ける雑多な剣は素人目に見てもまとまっていなかった。アテナ・オブ・ガルニアスの剣ではない。

 彼女はそれを完全にものにしていない。それもまた自明。

「……必死なのは伝わるが」

「修練不足だろう。よくぞ本戦に出れたものだ」

 未熟が浮き彫りのそれらを生来器用ではない、一本気な彼女が無理やり使い分ける。歪みが出る。不細工に映る。

 何故、誰もがそう思った。

「……おかしいですね」

「ああ、おかしいな」

 ただ、ヴァルホール勢、彼女のことをガルニアで知っている者であれば皆疑問に思う。彼女は無理をしている。無理やり出来ないことをやっている。

「どういうことですかい?」

「アテナ・オブ・ガルニアスは比較的凡人寄りではあります。しかし、剣は正道、真っ直ぐとまとまった良い剣を使いますし、今とは真逆でした」

「ああ、二人は知ってるのか」

「試行錯誤の結果、剣を崩しているのか、それとも何か意図があるのか?」

「馬鹿野郎。眼を見りゃ一目瞭然だろうが」

「フェンリス様?」

 ハティはフェンリスに視線を向ける。

「あん時は夢見がちな凡人ちゃんだったけど、俺がいなくなった後に何かがあったな。目の色がちげえ。必死さがここまで伝わってくる。あの眼をした奴は期待できる。ゼロじゃねえのは昨日、知ったからな」

 昨日までであれば歯牙にもかけなかった才能に劣る者への視線の変化。それを横目にスコールはほくそ笑む。自らへ課す要求が高すぎる男は、他者にもそれを求めるきらいがあった。今もまだ世の中から見れば高すぎるが――

 それでも変化はあった。多様性が、視野が広がった。

(この大会、本当に若手のための大会だなあ)

 自らの主、その変化は必要不可欠であった。世界の大半は凡人の集合体で、彼が認める才能を持つ者などひと握にも満たないから。

 昨日、諦めない者が彼の視界に入った。あとは諦めた者たち、夢破れて、妥協して、現実に折り合いをつけた本当の大多数を視界に入れてくれたなら――

 ただ、人には執着があり、こだわりがある。そうしない理由も彼にはあった。

 それが彼の原動力でもあるためなかなか指摘しづらい面もあるのだ。

「勝つことが目的じゃねえな。あの戦い方はありえねえ。その熱量はどこに向けられている? 何があの頭が空っぽな騎士ごっこに興じる女を変えた?」

 フェンリスはひどい戦いの裏側を知りたいと思った。

 何があの少女に炎を与えたのか。火種すらなかった少女に火を与えたのは何か、どんな出来事が変えたのか。

 その原因はきっと、あそこで平然と剣をさばき続けるあの男だから。


     ○


 私は知っている。

 アルフレッド・レイ・アルカディアという少年は本当に普通の人なのだと。人よりも優秀だけど、どうにも抜けているし、岐路ではいちいち迷うし、すぐ人にやさしくして誑し込む、のはもはや悪癖だと思う。

 穏やかな景色が好きで、牧歌的な風景にすぐに溶け込む。羊の世話は得意なのだと腕まくりをして突撃するも、無残に跳ね返されて「子供の時は毛刈りが上手いとご近所でも評判だった」と涙ながらに訴えかけていた、のは大変格好悪かった。

 料理好きだけど几帳面過ぎるし、何故か塩をケチる。

 旅の中で私は知った。

 彼は特別ではあるけれど、それでも普通なのだと。

 私たちと同じ人間で、同じように綺麗な景色を愛して、知らないモノを見つけると目を輝かせて知ろうとする。子供みたいに純粋で、繊細。

 私たちと同じように人も愛する。

 あの人と一緒でなければきっと私は勘違いしていたかもしれない。それだけ彼は女性にやさしく、意図せず欲しい言葉をくれる。

 でも、特別なのは一人だけ。

 割り込む余地などないし、そうしようとも思わない。とても普通で、この世界ではとても貴重な関係性が其処にあったから。

 綺麗だと思った。いいなあと思った。


 だけど私はあの日、知ってしまったのだ。


 彼は普通だけど、やはり特別で、その特別がゆえに彼は普通に生きられないのだと。私は外側でそれを見ていただけ。

 父のように慕っていた相手を貫き、殺さねばならない悲哀。その死を乗り越えて、死を糧に前進し続けねばならぬ絶望。望む望まずにかかわらず、彼の特別は運命を引き寄せてしまう。必要なことだった、と後に父は語った。

 誰にとって、と問うた時に父は顔を曇らせて――

『しいて言えばみんなのため、なんだろうね』

 彼自身の為ではないと言った。見知らぬ誰かのために彼は愛する人を殺し、愛する人と別離し、ただ一人頂に臨もうというのだ。

 彼が特別だった、ただそれだけの理由で。

 望んでなどいない。普通の彼はそんなこと絶対に望まない。

 人柱、生贄、誰が望んだわけでもない、ただ力を持って生まれてしまったから、彼自身そうあらねばならぬと呪いを帯びている。

 当たり前のように自らを捧げようとする。

 間違っている。その決意をはねのけてやりたかった。二人は一緒にいていいのだ。幸せになっていいのだ、と言いたかった。

 でも、私は言えない。

 私は普通で、特別でもないから。力がない。彼の代わりになど成れるはずもない。無様で、弱く、矮小、そんな私に何が言えようか。

 私には言う資格がない。担う強さがない。

 レオンヴァーンで剣を学んだ。父とも向き合った。伯母とも話し合った。

 獅子が積み上げたものを、ローレンシアでの色々なことを教えてもらい、あのころに比べたら少しはマシになったけれど、やはり全然、足りない。

 悔しいほど私は凡人だった。

 だから、ごめんなさい。私は貴方の代わりにはなれません。

 その代わり――


     ○


 燃え盛る炎。アテナの咆哮が会場に響き渡る。

 アルフレッドに攻めさせて、受けた剣の拙さよ。手元で回転させて取りこぼした姿は滑稽に映っただろう。それほどに未完成。

 自分はユリシーズ・オブ・レオンヴァーンのような天才ではない。獅子の剣を継承するために生涯をささげる時間はない。

 凡人の自分では完成させることなど端から無理。

 ゆえに、アテナは集めるだけ集めて不細工でも構わないから『点』を彼に見せつけることだけを目的とした。そのためにローレンシアに来たのだ。

 全ては彼の道、その支えとなるために。

 ほんのわずかでも、一助となるために。

 『彼』が王に全てを捧げるのならば、私は『彼』に全てを捧げよう。努力も、研鑽も、時間も、アテナ・オブ・ガルニアスの全てが、『彼』アルフレッド・レイ・アルカディアのモノ。愛よりも深き同情というものも、あるのだ。


     ○


「勝者、アレクシス・レイ・アルビオン!」

 勝者を称える声も、敗者をいたわる言葉も、降り注ぐことはなかった。皆が、絶句していたのだ。アテナ・オブ・ガルニアスの死力を。何もかも、搾りかすになるまで出し尽くし、凄絶な表情で膝を屈すその姿に。

 何を言えばいいのか、わからない。

「ありがとうアテナ。君の研鑽、確かに受け取ったよ」

 アルフレッドは部下の献身を優しく抱きいたわる。

「も、うしわけございません。今の私では、これが、限界、でした」

「充分だ。ガルニアの技、レオンヴァーンの剣、無駄には、しない」

 そのままアルフレッドは抱き上げて退場していく。

 大衆は理解出来ぬまま――王とその騎士は一度舞台を降りた。

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