オリュンピア:積み上げし者

 フェンリスだけではない。会場全てが驚嘆した。

「…………」

 ここまでずっと平静を保ってきたアルフレッドでさえ、あの異様な光景に息を飲む。自分はあれを出させることが出来なかった。あの、クロード・フォン・リウィウスの神髄、ネーデルクスの槍使いに伝わる型の中で最難と称される龍ノ型。

 さらにその中でも幻とされていた天の位を取り続ける技が――これである。

「ウォォォォォオオ!」

 相手の攻撃を利用して宙に浮き頭を押さえ続ける。相手がそれを嫌えば上から叩け、迎撃や受けを利用して嫌った方向へ身体を浮かせる。

 自らの力でのみそれを成すには尋常ならざる力が必要。そもそもそれだけの力があるなら普通に振り被って上から叩いた方が早い。一対一ならともかく多対多の戦場では無意味に目立つためあまり体得しようとする者すらいない技であったが――

「ハ、ハハ、こりゃ、意外としんどいぜ!」

 上を取られ続け、攻撃はどうやっても下から上げるしかない。経験の無い状況であり、普段使わない力ばかりを要求され続ける状況は、フェンリスにとっても楽とは言えなかった。笑いが零れる。一瞬過った失望分、歓喜があふれる。

「この際だ、とことんやろうぜ!」

「グォォォォオオ!」

 返答とばかりに叫ぶランベルト。その必死な表情はこの状況の継続が困難であると告げていた。それでも、彼は出来る限り死力を尽くして続けるだろう。

 活路を――見出すまで。


     ○


「クロォォォォオオド!」

 激昂のシルヴィ。唖然とした表情で驚くディオン。そこからそそくさと逃げるクロード。しかし回り込まれてしまう。鼻息荒く憤怒するシルヴィを前にクロードは視線をそらせることしか出来ない。

「ネーデルクスの、誇り高き技を、あろうことかアルカディアに売るとは何と言う恩知らずですか! 貴方には失望しました! しかも、槍使いならまだしも、剣使いなんて、呆れてものも言えません! さあ首をお出しなさい。断ち切ってあげましょう!」

「良いじゃねえか減るもんじゃなし!」

「そりゃ減りはしないけど……でも龍ノ型かぁ」

「ネーデルクスであれが実戦で出来る者など皆無。素晴らしい技です。ですが、剣です。剣ではダメ! 何故槍を教えないのですかクロォォォドォ!」

「結局テメエの沸点はそこじゃねえか槍馬鹿!」

「槍対槍でも成立し辛い技。何しろ相手にもある程度の力量が求められるし、そもそも両者が高いレベルで拮抗していないとやはり成立しない。それを剣で、しかも実戦で成立させるなんてちょっと驚きだ。正直、彼のレベルを見くびっていたよ」

「……いや、俺との練習であの状況が成立したことは一度もねえよ。剣じゃ硬過ぎるのと遊びが無くてな。マルサスさんくらい別格ならともかく、俺たちじゃ全然足りなかった。力を弄る余裕がないってのもあったな」

「では何故成立しているのですか! それにそんなことなら槍を使わせればよかったでしょうに。あの突き、とても槍向きです。だからこそ、もったいない」

 シルヴィは冷静なまなざしで貴重極まる攻防を眺める。

「本人のこだわりだ。あいつ、剣のゼーバルトだぞ」

「……ゼーバルト? あの古豪の、ああ、そう言うことですか。ならば、何も言いますまい。で、もう一つの質問は?」

「何で偉そうなんだよ。ったく、前提として、やらせたことはねえが槍を使えば、あいつも出来る。才能もあったし努力も積んだ。でも、剣で成したってことはやっぱあいつ以外の要因があるんだよ。言いたかねえが、やっぱ別格だあいつ」

「……相手の力で。なるほどね」

 ディオンは得心がいったと言う風に頷いた。シルヴィもまた「ああ」と哀し気に頷き、そのまま押し黙る。

 いつの世も、才能という壁は残酷で、無慈悲なのだから。


     ○


 ランベルトは、初めから理解していた。上下の攻防に慣れた自分との経験の差で勝とうと思ったが、そもそも技が成立するとまでは思っていなかったのだ。上から打ち込んで、跳ね返されて、良く分かった。

 フェンリス・ガンク・ストライダーは全てにおいて突き抜けていると。技を成立させた力、技に頼らねばならなかった速さ、そして、すでに上下の攻防に適応しつつあるバトルセンス、全てが超一流。

 自分にとって利のある位、天を取ってなお勝てない。

「ハッハ! 緩めねえぞオイ。もっと、もっとだ!」

 彼は本能で理解していた。この技は、相手の緩みで崩れた時が好機なのだ。天から緩みを穿つ。成立した時点で有利、地に堕ちる時まで有利は続く。だから、この歪な光景が生まれてしまう。宙に舞うランベルトとあらゆる体勢から打ち上げ続けるフェンリスと言う構図。あまりにも、歪。

 優位を背負い敗勢。不利を負わされなお勝勢。

(くそっ、しかも、パワーが上がってやがる!)

 浮きが大きくなってきた。技を成立させる分にはありがたいが、相手に余裕が生まれる分、実は危険な状況なのだ。そうでなくても張り付かなければ逃げを打たれ、技が終わる。

(……まあ、こいつは逃げねえか)

 ランベルトは静かに理解した。天にも、活路無し、と。

 さらに、浮く。フェンリスが一歩、引くだけで技が終わる。それを彼もまた理解しているのだろう。どうする、続けるか、という眼を向けていた。ある意味で試すような視線、技に縋って敗れるも悪くないが――

(借り物を、これ以上傷つけちゃ、駄目だよな)

 次の衝突で、あえてランベルトは今までと真逆、離れるように打ち込んだ。

「……そうか」

 少し寂しそうな目をするフェンリス。着地したランベルトは疲労のあまり崩れ落ちそうになってしまう。技を仕掛けた方が、有利な体勢で打ち合い、限界を迎えた。相手は「ふう」と一息吐いて平常。何から何まで、差がある。

(結構、俺にしちゃあ頑張った方だろ。あの黒狼の息子とこんだけ打ち合ったんだぜ? こっから他の奴に圧勝してく度に、俺の名も相対的に上がってくじゃん。すげえ美味しいポジションゲット。あとは、少しでも格好がつくように締めて――)

 自分の考えとは裏腹に、目じりに浮かぶ雫。何から何まで足りなかった。勝てる要素なんて初めからなかった。悔しがるほど、近い差じゃない。悔しがっていい強さにも達していない。こんな涙、見られたら恥だ。拭って、立ち上がろう。

 そして綺麗に負け――

「ほんと、馬鹿だな、俺」

 ランベルトは立ち上がった。全部、見ていた人がいる。なら、今更格好つけて何になる。いつだって悔しかった。名門とは名ばかりの一族に生まれた。戦場で役に立たない剣術などと影で言われていたことも知っている。

 でも、戦の時代も終わった。戦士にとって一対一がより意味を持つ時代。同世代に負け無しの自分は一族にとって期待の星だった。だが、パロミデスが現れ二番に、アルフレッドが現れ三番に、ミラが現れ四番に、落ちるたびに、少しずつ自らに向けられるまなざしが減っていった。期待は、ない。家の復権も、ない。

 何も、ない。

 そんな自分が嫌いだった。変えたくて仕方がなかった。変わらない現実が嫌で、変えられない現実にすり寄っていく自分が、大嫌いだった。期待されていた頃は父や兄弟とも稽古していたが、それを失ってからは視線が怖くて自主練ばかり。現実を直視する勇気も無く、悔しさと苛立ちに震えながら剣を振るった。

 しかし今、泣きながら、吐きながら、汚い自分は全て見られてしまったのだ。

 だから――

「もう、何もねえよ。用意してきた全部、負けた。空っぽだ。吐き気もねえ。何で立ち上がったのか、自分でもわからねえ」

「……おう」

「全部吐いた。残ったのは、これだけだ」

 フェンリスは四足動物の如く前傾姿勢を取った。それが自分の最速最強を出せる姿勢で、確実に相手を打ち倒すための構えなのだ。父と同じ狼の剣。

 二つの爪牙が、『敵』を見据えていた。

 迎え撃つは堅牢なる城塞。鉄壁の半身。

「……ランベルト、お前というやつは」

 客席で一人、涙を流す男がいた。

 それ以外、全てが息を飲み一人の剣士を見つめていた。


     ○


「圧が、此処まで来るじゃ。何があった?」

「……何かが出来る時って言うのは予兆なんてないものさ。超えられなかった壁を、ある日突然ひょいと超えてしまうことがある。でもね、その多くは苦しい積み重ねの果てにあるんだよ。神は残酷だから、人によって差を作るし、その時期を教えてくれない。どれだけ積み上げたら超えられるのか、誰もわからないんだ」

「超えたんか? あの男は」

「さあ、どうだろうね。だけど、遅咲きの人間ってのは強いよ。だって、そこまで追い抜かれ続けながら、それでもやめなかった人間なんだから。普通はやめる、諦める。それは、往々にして正しい。才能の有無は確かにある。人によって絶望的なほどの差は、ある。でも、だからこそ、それをねじ伏せた人間は、美しい」

 アルフレッドは、久方ぶりに心からの笑みを浮かべた。


     ○


 いつもの構え。

『身体は敵に対して常に半身。腰はどっしりと、重さを残す。膝は軟らかく、お前たちの好物のスフレを思い出せ。ふわふわだ。ランベルト、涎を垂らすな! ごほん、剣は相手に向けよ。これは剣であり盾、我らの命だ。命を、握りしめよ。これで、完成。これが』

 ゼーバルトの剣。長き戦乱の中、合理化した戦場に取り残された時代遅れの剣。一騎打ち専用。それすらオスヴァルトに遥か劣る。だが、父は言っていた。戦場に向いていないのは事実。しかし、オスヴァルトに負けるは個人の落ち度。

 剣技は悪くないのだと。

 ああ、きっと父も同じ悔しさを味わってきたのだろう。

 でも、自分たちは不器用だから、結局これしか残らない。縋るのも、抱いて溺れるのも、これだけなのだ。だから、構えた。きっと、死ぬ時も、こうする。

「俺は、弱い。でも、負けたく、ねえ!」

 ランベルトの姿を見て、フェンリスは溢れる歓喜を力に変える。今、目の前には鉄壁の城塞があった。隙間なく、堅固。

 言葉の弱さとは裏腹に、貌には覇気が満ち満ちていた。

 強者の圧。才能をも凌駕する堅牢なる壁。幾重、積み上げてきたのだろうか。気の遠くなる時間を、少しずつ、少しずつ積み上げてきた。石を、手で、たった一人。凄まじい偉業である。これを見抜けなかった自分に、心底呆れ果てるフェンリス。

(ああ、くそ、名前、覚えてねえや)

 フェンリスは、全力で、駆けた。

 まるで空気の膜を突き抜けたかのような加速。音すら置き去りにして、名も知らぬ城塞を打ち砕かんと爪牙に力を込めた。

(聞いとけば、良かったぜ)

 城塞から放たれた一筋の咆哮。まるで白騎士が用意した魔術、黒い雷の如き速さと威力を持って奔る。見事、とフェンリスは心の中で叫んだ。

 そして――

「勝負あり! 勝者――」

 城塞が崩れ落ちた。

「フェンリス・ガンク・ストライダー!」

 突きを掻い潜り、ランベルトの喉元に添えられた剣。あまりにも速い攻防に、ほとんどの者が理解まで時間を要した。悔しげに顔を歪めるランベルト。同じように苦々しい顔つきでフェンリスは剣を納めた。

「おい凡人。テメエ、なんて名前だ?」

「……凡人って、ったく、対戦相手の名前くらい覚えておいてくれよ。アルカディアのランベルト・フォン・ゼーバルトだ」

「……覚えた。おい、もしアルカディアに飽きたら、俺のとこ来いよ」

「はい?」

 ぼんやりと立ち尽くすランベルトを置いて、勝者であるフェンリスは先に舞台を降りた。それから間もなく、万雷の拍手と歓声が舞台へ降り注ぐ。

「よかったぞランベルト!」

「フェンリスつええ!」

 対象は、二分する。なぜそうなったのか、ランベルトはよくわかっていないが。


     ○


 ランベルトは良く分からないままアルカディア勢にもみくちゃにされ、その中にはオティーリアもいた気がするが、皆の前では話すことも無くひとしきり騒いだ後、ぽつりと空白の時間が出来た。

 また、人が押し寄せてきたら立ち消えるであろうささやかな静寂。

「……くそ、やっぱ負けたかぁ」

 本音を出すのは、いつも一人の時。

「…………」

「そーやって、いつも見てた?」

 ランベルトは視線を向けずに物陰に問う。

「ッ!?」

 びくりと人影が揺れた。

「まあ良いよ。逆に楽になったわ。皆さ、すげえすげえって言ってくれるのはありがたいんだけど、やっぱ悔しいんだ。誰が見たってさ、俺に勝ちの目はなかったけど、それでも、やっぱ悔しい。わかる、この気持ち?」

「ううん、わからない」

 オティーリアは首を横に振った。見られたのがここで知った風な回答をする子じゃなくて本当に良かった。わかるはずがないのだ。凡人が、積み上げると言う苦行を。ただの凡人が知るはずもない。ただ、そうやって笑いながらわからないと言ってくれるのは、少し救われる。

「だよなあ」

 ランベルトは、張っていた気持ちを落ち着かせた。この子の前では格好をつける意味がないとわかったから、楽だ。

「ランベルト」

 知った声がランベルトの背後から聞こえた。だが、その声が此処で聞こえるはずがないのだ。何故なら自分はあの家と絶縁してクロードに師事した。それで、少しでも成果を出せたなら良いが、結果はオリュンピア一回戦敗退。内容はどうあれ、家名に何かを与えることはないだろう。

 そんな自分に、期待を向けていない相手に――

「よくやった。最後の突きは、最高だったぞ」

 あの人がこんな言葉をかけてくれるはずがない。

「お前は、ゼーバルトの、いや、俺の誇りだ」

 そう言って去って行く言葉の主に、ランベルトは顔を向けることが出来なかった。これは、さすがに見られたくない。あまりにもダサ過ぎる。いくら父親であっても、覚悟を決めても、見せられない顔も、ある。

「ありがとう、ございます、父上」

 顔をくしゃくしゃに歪めながら、泣く姿など、誰に見せられようか。

 顔を背けてくれる目の前の少女に感謝し、ランベルトは様々な想いを胸に泣き崩れた。

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