オリュンピア:堅守の三枚目
ランベルトを追って、途中見失いながらもようやく追いついた少女は、人気のない通路で膝を折りながら吐しゃ物を撒き散らす男の背中を見た。
「……あ、ああ、オティーリアか。わりーなこんなダサい姿。今、片づけるから」
「手伝います」
「いいよ、きたねーし」
ランベルトの制止も聞かず、スカートの裾を破りその布でふき取り始める。
「おい、そんな」
「お酒臭くないね」
「ん、ああ、昨日は、飲む気にもならなくて。何とかメシは詰め込んだんだけど、やっぱ、駄目だったわ。俺、本チャンによえーんだよ。いつも、こうなる。吐きそうになって、何とか我慢すんだけど、最近、駄目でさ」
「……駄目じゃないよ」
「いや、ダメダメでしょ。ダサ過ぎだし」
ランベルトは情けなさで笑ってしまう。女の子に気を遣わせてしまうほど今の自分は酷い有様なのだと自嘲する。どうしようもないのだ。弱い自分が悪い。
「ランベルト君は頑張ってるから」
「あれ、俺そんな頑張ってたっけ? いやー、それを言うならパロでしょ。俺そんなキャラじゃないし、どっちかっていうと努力しない系で――」
「私の家、ランベルト君のお隣で、部屋からお庭が見えるの。朝と夜、いつも練習してた」
「いっ!? そ、そう言えば、そうだったっけ? あれーおかしいなあ」
「記憶ないのも仕方ないよ。私、地味だし。ランベルト君みたいに、何か打ち込んだことも無いから。でも、ずっと見てたんだ。パロミデス君が初めてアルカスに来た日、アルフレッド君がやって来た日、ミラちゃんが来た日、大会で、パロミデス君に負けた日も。……気持ち悪いよね、私」
「……マジかぁ」
恥ずかしさのあまり頭を抱えるランベルト。チャラチャラした三枚目を気取っていた彼にとって努力は見せるモノではなかった。それに、知られぬことで言い訳にもなる。努力していないから負けても仕方がないのだと。
なら、やめればいい。何度頭に過ったことだろう。
「お家出て行った後も、きっとランベルト君は続けている。雨の日も、雪の日も、学校をお熱出して休んだ日も、絶対にやめなかったから」
「……でも、今度ばかりは駄目かもしれないぜ? マジで、すげーんだ。見ちまったから、世界最高の才能がさ、ぶつかってんの。もうその時点で勝てっこないって感じなのに。さらに、強くなっていく。どんどんさ、離れてくんだ、景色が」
「辛かったらやめても良いと思う。苦しかったら、逃げても良いと思う。私はそうしてきたし、普通はみんなそうしてる。私はそんな貴方を、格好悪いとは思わない」
「…………」
「でもね、逃げ続けたから、私には何もない。逃げなかったから、ランベルト君は格好いい。逃げたら、全部なくなっちゃうから」
「続けた先に、何もないとわかっても?」
少しだけ、押し黙るオティーリア。でも、勇気を出して、頬を赤らめながら――
「私が格好いいと思っているじゃ、駄目?」
本音を、ぶつけた。
「……うん」
ひらりとかわされた渾身の一言。がくりと肩を落とす少女。
「……ひ、ひどい」
ランベルトは「ごめんごめん」とオティーリアから眼を背けた。今、顔を合わせるのはまずい。一応、自分はちゃらちゃらした三枚目を気取っている。それが、地味な女の子の一言で、こんな有様では面目が立たないだろう。
「まあ、あれだ。うん、話してると、ちょっと楽になったわ」
「そ、そっか、なら……よかった」
背中に、確かに感じる視線。
「一応、頑張ってみるわ。また折れるかもしれないけど」
「私は、いつも通り応援してるね。……邪魔かもしれないけど」
「邪魔じゃねえよ。ありがとな、ほんと、助かった。応援、頼むぜオティーリア」
「……うん!」
ランベルトは、ハニカミながら歩き出す。いつの間にか、緊張感、挫折感、色々ない交ぜになった気持ち悪さが消えていた。ずっと一人で頑張ってきた。いつからだろうか、努力を見せるのが怖くなったのは。努力の成果を測られるのが怖くて、でも、やめるのも怖かった。だから、ずっと一人。
そう思っていたのに、まさか隣人の女の子に見られているとは思わなかった。
一人じゃない。誰かが見てくれている。そう思うと、少しだけ勇気が湧いた。
「どーせ負けるけど。でも、やっぱ格好悪いとこは、見せたくねえよな」
今までと同じ言葉。なのに、何故こんなにも響きが違うのか。
「うっし!」
胃の中は空っぽ。身体が妙に軽いのはそのせいだろうか。
誰かのまなざし、それが、ヘタレた自分を押してくれる。
そのまなざしに恥ずかしい姿は見せられない。
○
誰が見ても、差は歴然であった。
現れた狼に委縮する獲物。どう血祭りにあげられるか、この試合における観客の注目点はそこだけであった。発破をかけていたはずのレオニーでも、素人目に見てもわかってしまう。立っているだけで威圧してくるこの雰囲気は、真に選ばれた者のみが持つモノ。
優秀なだけの凡人では立ちはだかることすら許さない。
だが――
「高くつくぜ」
フェンリスは改めて対戦相手の観察をする。
(半身で突き主体。突きの速度自体はなかなかのもんだが――)
まぐれか、実力か。相手を測るには情報が足りない。ならばどうするか、二人の母が口を酸っぱくして言っていた。自らの――
(足で稼げってね!)
ぐん、と一気に加速するフェンリス。先ほどは一撃で決めようとしていたが、今回は同じ速度でも観察が主体。無論、反応できなければ倒すだけであるが。
(お、やっぱこの速さは対応してくんのか。ギリッギリって顔だけど)
フェンリスの突貫、そのタイミングにぴしゃりと突きが放たれる。かなりの速度、先ほどはかすってしまったが、二度はない。
あっさりそれを回避し、逆に攻めを打つために回避から攻撃に転じ――
(……へえ、なるほど。突きも速いが、引き手はもっとはええな)
ようとするもその前に迎撃の一撃が放たれた。この回転速度は、フェンリスにとって多少驚きを与える。徹底した合理化、突きに懸ける執念。突くのが速いだけの奴はカモ。かわして潜り込めばいい。
だが、引き手も速く、隙の無い相手は、厄介。
「こ、のォォ!」
あえて相手の射程圏内ギリギリで回避行動を続けるフェンリス。観察のためと言うのもあるが、それ以上になかなか踏み込む隙が無い。
(敵に対して常に半身。流れの中でもそれは崩さない、か。堅いな)
ランベルトにとっては限界ギリギリの攻防。擦り減って仕方がないだろうが、それでも乱れる気配もない。相当、積んでいるのだ。
修練を。
(凡人の割りには、やる!)
一切期待していなかった相手が、期待に足る相手かもしれない。
それが、ほんの少しだけフェンリスを高揚させる。
○
「調子良い時のあいつじゃん」
屋台で買ってきたのか鳥の足をほおばるミラ。隣ではもっと大きな肉に齧り付くゼナもいたが、あまり対戦に興味はないのか食べることに集中していた。
「ほんと、すごいじゃん! 相手めちゃくちゃ強いんでしょ!?」
レオニーらが歓声をあげる。会場全体も少しずつ判官びいきでもないが、ランベルトの実力に賛辞を贈る声もちらほらと出てきた。
「そりゃ強いよ。ランベルトの三倍は強いんじゃない?」
「……で、でも結構頑張ってるような――」
「頑張ってるけど総合力はどでかい差があるよ。まあでも、あれに徹されると厄介なんだよねえ。半身で、攻めるスペースが限られるのと、剣が盾にもなるし。狙いどころが狭過ぎてさ、スピードが活かせないの」
「ランベルトの性分は堅守だ。調子に乗って攻めなければ、崩すのは難しい」
「いつもは調子いい時すぐ調子に乗るんだけど……ま、本気ってことか」
必死の形相でフェンリスを退ける姿に、いつものお調子者の姿はない。歯を食いしばって、地味に、堅実に、何よりも速く、狼を彼の攻撃圏内に入れさせない。
「いいぞ! ランベルト! それでこそゼーバルトの子だ!」
どこからともなく叫び声が聞こえたが、集中して観戦している皆の耳には入らなかった。それほどに皆、かたずをのんで光景に見入る。
緒戦、思わぬ善戦に観客は沸く。
○
フェンリスにとってこれは苦戦ではない。明らかに格落ちの相手、勝ち方さえこだわらなければすぐにでも勝てる。だが、同時にもう少し見てみたいという思いが浮かんでいた。今まで目の端にすら捉えていなかった凡人。弱いくせに陰口だけは達者。気づけば立ち止まり上に向けて唾を吐く連中。
そう思っていた。
だからこそ、立ち止まっていない凡人というのは、興味深い。
「……アゲるぜ」
フェンリスはさらに加速する。そして、先ほどまでは懐に飛び込むために回避を優先していたが、その目的は二の次へ。狙いは防御、間合いを詰めさせぬ受けの突き。これを狙って、払う。精々五分、六分程度の力。
「ぐ、ぬう!」
大きく力負けするも下がりながら身体を入れ替えて、何とか体勢を立て直すランベルト。フェンリスは続けざまに幾度も打ち込む。こじ開けるように、力ずくで、ランベルトの技を崩さんと二つの剣を振り回す。
「や、べえ!」
速さと力。掛け合わせたことで脅威度は跳ね上がった。今のところ何とか捌いているが、それも時間の問題。集中し、守戦に徹してなお、彼我の差は埋まらない。
(んなこと、やる前からわかってるっつーの!)
フェンリスは手を抜かず、むしろ少しずつ力を増していく。何処まで耐えきれるのか、どこで折れるのか、揺れ動く価値観。まずは底を見る。その上で立てるかどうか、それが知りたいのだ。
立てるのであれば、フェンリスは今までの考えを改める必要がある。
「オラァ! この程度か凡人ン!」
ランベルトの剣が跳ね上がる。生まれた絶好の隙。
「テメエの器は、此処止まりだな!」
見たいのは、負けた後の眼。もう底は見えた。これ以上の速さに彼はついてこれない。これ以上の力に彼は耐えきれない。凡人にしては良くやった方。立ち止まらず研鑽を積んできたのだろう。
それが、無為とわかってなお、彼は立てるのか否か――
「勝手に、決めんなッ!」
苦境に立つランベルトが選んだのは、天。
「ハァ?」
フェンリスは一気に萎えた。破れかぶれで飛び掛かる、これでは猿の方がまだ賢い。戦場なら死ぬし、こんなものは蛮勇とすら言えないだろう。
「阿呆くせえ。さっさと死んどけ」
所詮は凡人。期待したのが間違っていた。ある意味想像を超えてきたランベルトの奇襲。フェンリスは苛立ちごと思いっきり天へと剣を打ち上げる。
「まだ俺は、出し切ってねえ!」
ランベルトは叫ぶ。今もきっと見てくれているまなざし。一人ならとっくに諦めていた戦力差。それでも、せめて出し切るまでは負けられない。無理でも無茶でも、可能性があるなら選ぶ。
どれだけ無様で、どれほど高望みであっても、負けるまでは負けない。
その覚悟があるから此処に居る。
○
「よし! 『入った』ぞ!」
クロードは拳を思いっきり握りしめた。地に活路がなくば、天へ求めよ。
「位を取った!」
自らに教えを乞うた男。彼の望む百に対して十も教えられたかは分からない。それでも彼は全力でクロードを、ネーデルクスを吸収した。
だからこそ、今がある。
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