オリュンピア:風化する物語

 イェレナ、その名前だけで人を探すのがこんなにも容易いとは思わなかった。

 ばったりと出くわす三人。エル・トゥーレが誇る新設の医療棟。真新しい建築物を前に思うのはイェレナと言う少女はその独特なファッションセンスと外観により、名前はともかくそれなりに存在は周知されていたということ。

 まあ、あれほど奇妙な格好をしていたら誰でも引っ掛かりを覚えはするだろう。

「……朝、別れ際に御機嫌ようと言ってから随分早い再会だったわね」

「……驚きですわ」

「……えーと、皆で行く?」

 イーリスの提案に無言で従うニコラとシャルロット。別れてから各々探し歩いてさほど迷うことなく此処に辿り着いた。今頃、大きな通りでは最終日の熾烈な戦いが行われているだろう。そんな喧騒から離れた場所にこの建物はあった。

「綺麗な施設ね。お金かけてるわ」

 ニコラは何でも金勘定する癖がある。

「あの、イェレナって人はいますか?」

 そしてイーリスは動き出すと驚くほど行動的であった。あっさりと医療助手であろうスタッフを捕まえて聞き込みを開始する。開始した直後より反応はあるもあまり芳しくはなかった。基本的に『忙しいので対応不可』、この一点張りである。

「お医者さんって忙しいんだねー」

「いくら払えば会ってくれるかしら」

「……何でもお金でと言うのはあまり好ましくありませんわ」

「今までお金で解決できなかった問題はないの」

「駄目だよニコラ。そーいうところで友達無くすんだから!」

「私は真実を言っているの。今の世界は金、経済で動いているから」

 ぷうと頬を膨らませるイーリスに対し鉄面皮を貫くニコラ。普段なら退くニコラであったが、金回りのことに関してのみ彼女は絶対に退こうとしない。お金と言う概念に心酔し、お金そのものには価値を感じない。

 まさに生粋のテイラーであった。

「金は血。経済が血脈。循環こそが商の基礎」

 三人の背後から声がかかった。

「相変わらずテイラーで安心したよ。商人と言う役回りはそうでなくっちゃ」

 振り向くとそこには仮面の騎士が、仮面越しでもわかるような困った顔で苦笑していた。

「まさか三人一緒とは思わなかったけど。とりあえず場所を移そうか。彼女に限らずここの医者はやるべきことが多い。これ以上荒らされても困るからね」

 有無を言わせぬ迫力。

 この領域は彼女たちが理解するよりも遥かに大きな役割を持っている。少なくともアルフレッドはそう思っていた。だからこそ、ほんの一言二言で消耗する一分一秒とて無駄にしてはならない。無駄にする要因は取り除かねばならない。

「さあ行こうか」

 突如現れたアルフレッドの後に続き、彼女たちも医療棟から去って行く。この静かなる建造物の中で、どのような戦いが繰り広げられているか、彼女たちが見ることはなかった。


     ○


「――今日は大変だろうね。よほどの実力者以外はリスクを避けて身を隠している頃合いだろうし、そも絶対数が減っている以上、布持ちを探すのは至難の業だ。まあいくらでもやりようはあるだろうが」

「あら、貴方もリスクを避けていたの?」

「ん? 別にそんなつもりはないよ。そもそも――」

「ようやく見つけたぞ布持ちィ!」

「――俺がそのよほどの実力者だから」

 襲い掛かってきた戦士を文字通り一蹴して格の違いを見せつけるアルフレッド。見せつける相手はもちろん今転がっている敵ではない。

「言ってなかったけど、俺、強いよ」

 仮面の騎士はその表情を垣間見せることも無く、刻限が迫り後先考えぬ者たちが押し寄せてくる。それら全てを鎧袖一触、圧倒的格の差で、気づけばまた一帯に静けさが横たわっていた。そんな中を真っ直ぐ進む。

 エトナの片隅にぽつんと浮かぶ小さな高台。

 そこには二つの墓と数多くの石が並べられていた。

「さあ着いた。ここは、アポロニアさんが英雄王と聖女、二人のために拵えた墓だ。そして、此処でも多くの人が死んだ。自死、英雄が、心の支えが、柱を失うことに耐えかねた人々が寄り添うように、何人も逝ったそうだ。今では忌むべき過去として放逐されている地。いや、まだ、心が死んだままの者たちはいるか」

「私は貴方とそんな話をしに来たんじゃない」

「ニコラ、人には役割があるんだ。君にも、俺にも。これはね、導くことに失敗した者たちの軌跡でもある。どれほど偉大な人物であれ、山のような功績を抱えた人物でも、次に繋げられなければ意味がない。それが結果だ」

 アルフレッドはにこやかに彼女たちへ笑顔を向けた。

「愛は美しいよ。尊いし、キラキラとして綺麗だ。俺個人としては聖ローレンスの物語は好きだよ。美しいとすら思う。表も、裏ですら。でもね、それじゃあ周りは何も変わらない。無為なる死が降り積もるだけだ。俺はそれが許せない」

 それは王の笑顔であった。

「少し話がそれたね。何が言いたいかと言えば、うん、俺も自分の役割を見つけたんだ。望む、望まぬと関わらずに、俺よりも上手くその役割を演じられる人間がいないから。たぶん、俺が演じるしかない」

 知らぬ者にとって、それは誰もが羨む役割。

「貴方は、何を演じるというの?」

 知る者にとって、それは最悪の役割。

「俺は、王に成るよ」

 王という役割。

「世界を回って野心でも芽生えましたの?」

「逆さシャルロット。野心なんて芽生えようがない。世界は知れば知るほど不完全で、不条理で、悲しみに満ちている。それを背負う んだ、誰がやりたいって思う? だからこそ、俺がやらなきゃいけないんだ。妥協して、あきらめて、理想すら口に出せない者を玉座に据えるくらいなら、俺が成る。それだけさ」

 痛みがあった。悲しみがあった。救えた命もあった。救えなかった命もあった。路傍に横たわる、骨と皮だけの少女が親の死肉を貪る光景も見た。伝染病によって何の助けも出来ぬまま死にゆく少女を手折ったこともあった。飢えがあった。病があった。強き者、弱き者がいた。

「貴方になら、それが出来ると?」

「わからない。それでも選ばなきゃいけないだろ? 時は限られている。今この瞬間も、死んでいる者がいて、それと同じくらい生まれる子がいる。だから俺は選んだ。王に成って、このくそったれな世界を少しでも変えてやるって。時間はないんだ。そして、行かなきゃいけない」

「待ってアル。何か、何か私にも手伝えることはない?」

「ありがとうイーリス。役割はある。用意するつもりだ。でも、君たちが求める答えはない。残念だけど」

 アルフレッドは、王は、孤高であるべき。

「俺は一人だ。王は、孤独であるべきだから。例外は、ない」

 真っ直ぐと、その視線は彼女たちの誰にも向けられていなかった。

「問答は終わりだ。ありがとう三人とも。そして、さようなら」

 一切の躊躇いなく、アルフレッドは三人の横を通り抜けていった。物理的な距離はとても近いのに、精神的な距離は果てしなく遠ざかった。もう、背中が見えないほどに。隣に立つビジョンが見えない。

「ま、待って。まだ――」

 イーリスの声でさえ、届かない。

「失礼いたします」

 三人の前にアテナが現れた。マントを大きく広げて、三人の視界を奪う。

「しばしお待ちください。今、露払いを致しますので」

 何のことかわからない三人。ただ、不穏な空気が漂っていることは何となく感じられた。だが、同時に覗いてはならないと、本能が警告する。

 そしてアルフレッドの前には――

「やあ各国の暗部の皆さん勢ぞろいで……観光では、なさそうですね」

「…………」

 無言で武器を構える暗殺者たち。

「物騒だなぁ。まあ、いいか。今日はあまり機嫌がよくないんだけど、それでもやるかい?」

 アルフレッドが言い終わる前に一人の暗殺者が千本を投擲する。それはかなりの速さで、普通の人間なら目視することすら難しい速度で飛来する。しかし、この男は王に成る男である。あっさりと数本まとめてキャッチ、それを流れるような動作で暗殺者に投げ返すアルフレッド。

「……ッ!」

 また一つ命が減った。

「残念だ。とても、残念だよ」

 そう言いながらマントをはためかせ、拳を握り締める。

 大会の片隅、人目のない場所で戦いが始まった。

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