オリュンピア:殺し間

「見てはなりません。相手は、草の者とは言え他国の人間。それらと戦う以上、目撃者は少ない方がいい。いえ、いない方が良いのです」

 アテナのマントで遮られた視界の先で、何か鉄の塊がぶつかったような音がした。そのあとに気持ちの悪いひしゃげた音と水が噴き上がるような音が重なる。想像するだけでおぞましい音の数々。

「我らが王にとって、貴女方は例外に限りなく近いのでしょう。だからこそ、リスクを負ってでも貴女方と会う道を選んだ」

「私たちと会うことで、彼に何のリスクがあるというの」

「今の状況がリスクそのものです。大通りや、発見困難な場所、または厄介な人物と共に在る以外、安全な場所はございません」

「なんでアルフレッドは狙われていますの? 何か、それこそ犯罪でも犯さなければ、こんな連中に絡まれることなんてありえませんわ」

「……正義を行うことで別の正義と対立することは珍しくないでしょう。そうでなくとも、人が人を殺すのに優秀である以上の理由が必要ですか? 敵国にとって利になる者、自身の国に害を及ぼす恐れがある者、同じ国であっても敵対勢力であれば、やはり殺す価値はある。その者の価値が高ければ高いほどに」

 戦いの音が少しずつ遠ざかる。

「アルは何をしたの? なんでそんなに――」

「様々なことを。そして、一個人の範疇で持ってはならない『力』を得たのです。彼らの知っている範囲だけでも、許容できぬほどの力を。その上で、この大会での優勝という名声まで得ては、手が付けられない。我らが王は、大衆に対して通りの良い奇跡を求めてこの戦いに臨んでおります。しかし、これはあくまでおまけ。すでに王は王たる奇跡を起こしている。それをも知られたならば、こんなものでは済まないでしょうが」

 アテナは彼女たちの方へ視線を合わせた。

「私が責任をもって貴女方をお送りいたします。いずれ、王が何をしたのかは白日の下にさらされるでしょう。それまで、しばしお待ちください。詮索は控え、接触は無きようお願い致します。それが、あの人のためです」

 マント一枚。それの何と遠いことか。

 今の自分たちでは手が――届かない。


     ○


 アルフレッドは流れるような動きで敵を粉砕していた。無手で、正確に敵の急所を、柔らかい部位を破壊して命を絶つ。自らの負担を軽減しつつ、敵対勢力には力を見せつける。

 軽く打ち込んでいるように見えるが、力の流れを完全にコントロールしていることで、最小の力で最大の効果を発揮していた。

 腹を穿ち、臓腑を破壊し、命を絶つ。人体破壊には必要十二分。

「素晴らしい。暗殺者の才がある」

 暗殺者からの皮肉に一礼を返す余裕まであった。

 しかし――

「だが、それゆえにここが殺し間となる」

 アルフレッドの頭上から幾重にも降り注ぐ矢と千本。窮地であったがアルフレッドの笑顔に揺らぎはない。すべての着弾点が見えているかのように回避し、そのまま地を滑りながら完璧にかわし切った。

「見事」

 そこから間髪入れず暗殺者の手刀が喉元に迫る。

「お褒め頂き光栄だね」

 腰に添えた手から、放たれた剣の柄が暗殺者の手首に当たり手刀の軌道を逸らす。見事な回避行動からの器用な対処法。暗殺者が舌を巻くのはそのセンスではない。恐ろしいほどに静かな心音から垣間見える冷静さである。

「…………」

「一手凌げども、単独での突破は不可能。絶体絶命の窮地になぜ笑う、そんな疑問が、困惑が透けて見えるよ。互いに顔は見えないけれどね」

 囲まれている状況。不特定多数、姿の見えない敵。いかに彼が冷静さを保っていても、個人の力には限界がある。武器も、地の利も、すべてが彼にとって不利。

 それなのに彼は――なぜ笑う。

「君たちがどこで間違えたのか、教えてあげようか」

「……揺さぶりは無意味だ」

「いやいや、揺さぶりじゃないよ。誰か一人くらいは解答を持って逝ってほしい。それだけの話さ」

「……何を馬鹿なことを」

「矢、降ってこないね」

「……ッ!?」

「君たちは協調こそしているが、本来は敵同士でもあるはず。君を盾にしている状況は、矢を撃たない理由にならない。通常なら君ごと殺すはずだ」

 とても、静かな場所であった。人通りもなく、物音ひとつしないデッドスポット。何かが起きれば物音の一つや二つあるはず。否、それは普通の尺度であり、自分たちはそれを立てずに動き回ることもできる。

 つまり同じスキルを持った者であれば、それ以上の者であれば、音の欠片もなく何かを成すことは可能。そして、次の動きがないとすれば――

「君たちは、最初から負けていた」

「散開しろ!」

 上を取っていた連中は消息不明だが、下で網を張っていた者たちは生きている。男は彼らに伝えたのだ。この作戦が、失敗したことを。

「無駄だよ」

 アルフレッドの笑みは、揺らがない。


     ○


 黒星は音も無く暗殺者を仕留めていた。昔取った杵柄、彼らもそれなりの腕であったが、暗殺者としても黒星の方が格上であった。

「ふわぁ、眠いな。俺、夜型なんだよ」

 足元に横たわる暗殺者の中には、昔の同僚も混じっていた。それを殺しても平然としている黒星は、やはり闇の住人であったのだろう。


 黒星がいる建物の道を挟んだ対面では、血だまりの中で悠然とたたずむ男がいた。派手な衣装、大きな羽帽子、およそこの場に似つかわしくない格好であるが、その雰囲気はどこか影の匂いを漂わせる。

「イヴァンとクレスめ。人使いが荒い」

 黒星はおそらく必要最低限の働きしかしない。あくまで彼は協力者であり部下ではないのだ。つまり、彼らがあえて残した穴を埋めるのは自分しかいない。わかっていてそれを作っているのだから性質が悪い。

「行くか」

 羽帽子を目深に被り、アルフレッドのいる方と逆の窓から跳躍する。


 真後ろへ逃げ出した暗殺者たちを待ち構えていたのは、イヴァン・ブルシークと彼の商会員たちであった。

 戦いなどしたことない彼らであったが、イヴァンの用意した小型のクロスボウ、連射機能付き、支えとなる足つきであれば操作も容易く彼らにも扱える。

「撃て」

 躊躇いなく放たれた矢。威力こそ低いが、逃げるための足は完全に止まった。

「…………」

 暗殺者の一人は死んだ一人を盾にして矢を受けながら前進する道を選んだ。確かに、この道を進むのであればそれしかなかったであろう。弓手は素人、接近してしまえばどうとでもなる。

「選択は無意味だ」

 イヴァンさえいなければ――

 彼の槍が死体ごと暗殺者を貫いた。喉笛を穿つ一撃、そのままねじり切るように死体越しの首を刎ねる。

「詰んだ盤面を選択で覆すことは出来ないのだから」

 クロスボウ、そしてイヴァンの槍。広い道であれば活路もあったが、この状況ではどうしようもない。前にも後ろにも進めぬ状況。

 イヴァンは静かに再度斉射するように指示を出す。


 道を阻むは黒い壁。黒き鋼を率いるは翡翠の男。

「一人も逃すなとの命令だ。許せとは言わんよ」

 クレスが剣を抜いた瞬間、背後の黒鉄の壁も剣を抜く。対面しただけで圧し潰されそうな雰囲気に、敵対者の戦意は完全に挫けた。

 折れた相手にも全力を尽くす。それが武人の礼儀であり、彼らオストベルグの戦士にとっての流儀であった。


「宝も持たんもんを殺すのはつまらんじゃ」

「そうは言ってもお嬢、旦那様のお願いじゃぞ」

「海賊が陸で剣振り回してもろくなことにならんのは大兄ィが証明しとる。わしゃあ陸が好かん。はようあいつと海に戻りたいもんじゃ」

「……たぶん、旦那様は陸に残ると思うんじゃが」

「わかっとる! 希望を言っただけじゃ!」

「お嬢、敵じゃ」

「それもわかっとる! 野郎ども構えェ。文無し相手を襲うのもつまらんが、これも仕事じゃ。きっちり殺して褒美は後で請求すりゃあええ」

 筋骨隆々の男衆の中にあって、その女性は見劣りしない体躯を持っていた。雪のように真っ白な肌、その儚さを打ち消すほどの烈気に満ちた表情。

 逃げてきた暗殺者たちの命は、一つ残らず海賊たちに奪われた。


     ○


「――なぜ、ここまで準備ができた」

「君たちは自分たちがこの場を殺し間に選んだと思っている。それが間違いなんだよ。だってそうだろう? 今日、あの高台へ向かうと決めたのは俺だ。そこへ、目立つ女性を連れて行ったのも俺の選択。それを発見した君たちは人目のつかないこの路地を急遽、殺し間に設定した。もうわかっただろ う?」

「……初めから、ここが俺たちに対する殺し間であったと言うことか」

「そう、君たちは先手を取って罠を張ったつもりだったが、先手を取ったのは君たちではなく常に俺だった。初日、君たちの大半が俺の居場所をつかめなかった。二日目、俺はクロードさんと交戦していた。途中でオルフェと入れ替わったけど、そのあとは見失っていたはず。三日目、最終日、ようやく隙を見せた目標に君たちは喰らいついてしまった。焦りから、冷静さを少し欠いた」

「あの少女たちと出会ったのも思惑通りだったと?」

「いいや、そこは柔軟に対応しただけ。彼女たちがいなければ、アテナがその代わりを務めていただけ。そして同じ場所で、同じような小話をして、同じようにこの状況は成立したはず」

 三日間、踊らされていた事実に暗殺者は苦い笑みを浮かべる。端から勝ち目などなかったのだ。敵には隙を偽装する余裕すらあったのだから。

「我ら全員を殺して事実を隠蔽するつもりだろうが、我ら全員が帰還せねば結局その危険度は周知されることになる。貴様らは、これから先、より多くの敵を抱えて生きていくことになるのだ」

「まさにその通りだ。危険度の周知こそ今回の目的だからね。正直、俺が持つ『力』はまだ小さい。これを、少しでも大きく見せたいんだ。だから、君たちを利用させてもらった。一人でも漏らせば実情が伝わるが、全員殺せばその事実以上のことは漏れず、結果から推測するしかない。人は、 未知を恐れるよね。わからないモノは必要以上に大きく見えるでしょ。それが狙い」

 アルフレッドは、いきなり動き出し暗殺者の懐に入り込んだ。反射的に攻撃を繰り出す暗殺者の腕をかいくぐり、ほぼゼロ距離にもぐりこむ。

「俺たちの値段を高くつけさせる。脅威度が高過ぎれば、手出しするのも躊躇するだろう? 少なくともこの大会中ぐらいは、さ」

 いつの間にか震脚によって地に穿たれた穴が生まれていた。そこで生まれた力は上方向へ流れる途中に方向を修正、突き出した拳にすべてが収束していく。

「さようなら、名も知れぬ者よ」

 破壊。みぞおち付近に突き立った拳は、表皮を、肉を、内臓を破壊し、向こう側にまで破壊の威力は到達した。上半身と下半身が千切れるほどの破壊。この細腕で、戦士としては華奢な肉体でこれを成すのだ。

「ばけ、もの、め!」

 多くの命を奪い、勝利したアルフレッドの顔には、やはり笑みが張り付いていた。揺らがず、ぶれず。その心音は、驚くほどに静かであった。


     ○


 派手な格好の伊達男、バルドヴィーノは屋根の上を、狭い路地を、縦横無尽に疾駆する。派手な外見に似合わず、音の無い動きには影が付きまとう。一人、また一人と逃げる暗殺者や某国の特殊部隊などを切り捨てていく。

 そして、最後の一人を行き止まりに追い詰めた。

「……サンス様。まさか貴方が祖国に弓を引かれるとは思いませんでした」

「チュスか。久しいな」

 バルドヴィーノは顔見知りである相手にも躊躇なく剣を向けた。

「俺がエスタードに仕えたことなど一度も無い。かつての主はジェド様だ。あの御方亡き後、義理立てしたこともあったが、結局あの国は、エルビラは、時代の流れに身を委ねる道を選んだ。ならば、やはり俺が忠を尽くす道理も意義も無い」

「アルフレッド・フォン・アルカディア。やはり彼は、今の太平を、平穏を破壊する気でしたか。流れを変えるということは、そういうことでしょう」

「戦乱か太平か、二極で語るお前たちと議論の余地はない。時流におもねるだけでは、見えぬものもある。エルビラの次までそうするかは知らぬがな」

「ジェド・カンペアドールの右腕、影のロス家。やはり貴方も主と同じように」

「貴様如きがあの御方の何を知る!」

 影が、男の前に現れ、そして離れた。

「時代に選ばれる者、時代に流される者、時代を征する者、最近、ようやくわかったのだ。あの御方に、何が欠けていたのかを。だがな、そのおかげでエスタードは半世紀、絶対の太陽を抱くことが出来たのもまた事実。その恩恵を受けた貴様らが、何を口出しできようか」

 物言わぬ首が転がり落ちた。それを振り返ることも無くサンス・ロス、バルドヴィーノと名乗る男は曲がり角に姿を消した。


     ○


 夕暮れが迫る中、新設された闘技場には世界各国の貴賓が押し寄せていた。貴賓席が埋まれば一般にも開放されるが、まだその段階ではない。日が落ちるまでが予選で、日が落ちた後に印を携えこの会場まで来て予選突破。

 位の高いモノから順に、優先的に席へ案内している最中。

「エル・シド様。キケからですが、まだ何も情報が届いていないとのこと。おそらく、全滅ですなあ」

「……でしょうね。周りも妙にそわそわしているようですし、本当に全滅、なのでしょう。恐ろしい話です」

 自分たち以外にも、表立って表す者はいないが、観察し続ければ同じように周囲を窺う者たちがいた。いくつかの陣営が、同じターゲットを狙っている情報は入っており、彼らがどうなったのか知りたいと思うのは不思議ではないし、かすかな機微に表れるのも仕方がない。

 おくびにも出さないキツネやタヌキも紛れていそうだが――

「私が戦力を測り違えておりました。申し訳ございません」

「謝罪など。そも、その戦力を測るための一石。ただ、相手が上手だったので底を知ることが出来なかった。それだけのことでしょう」

 ゼノもエルビラもこの結果についてはある程度予想していた。差し向けぬことで変な勘繰りを受けぬために人を割いただけのこと。

 ただし、全て漏れず、という結果は想定を上回っていたが。

「また、時代が動きますよ、ゼノ」

「……はっ」

「覚悟は、しておくように」

「……承知」

 エルビラは一つの選択を心に決めた。初めから決まっていたことである。それが早くなったか、遅くなったか、それだけである。

 ゼノにとっては少し憂鬱ではあったが。


     ○


「リディ、私に内緒で刺客を放ったでしょう」

「……まさかあ。私はただの頭脳でございます。勝手に動くなどとてもとても」

「そして失敗した」

「……結構凄腕だったのだけどねえ」

 周囲の様子から察するに、どこも失敗したのだろう。問題はその失敗の仕方、おそらくは全て、ネズミの一匹すら逃さず処理された。

 加えて――

「死体の回収は?」

「残念ながら、そちらすら先手を打たれました。イヴァン・ブルシーク、あの駒を軽んじていました。このエル・トゥーレであれば、未だにそれなりの影響力は持つようで。上手く自警団を使われ、どこも証拠を隠滅する前にきれいさっぱりと」

「……貴女らしくない大失敗ね」

「驚くほどに。いやはや、血筋だよエレオノーラ。正直、私は今震えているよ。彼が、一番恐ろしかったのは、普段隙を見せないのに、時折隙を見せて、それでハメる。あのやり口が厄介だった。それがあるから隙すら警戒して疑心暗鬼。こちらが勝手に揺らぐ。そこを突いて、やられる。なお、わからなくなる」

 近くで家族と笑い合う白の王。ついぞリディアーヌは彼の底を覗くことが出来なかった。今もあの笑顔の下で、いったい何を考えているのか、まるで見当もつかない。あの笑顔が本物か、偽物か、区別が――つかないのだ。

「会場に現れた時から予感はあったけど、やはり、化けていたか」

 日が落ちる。これより現れる勝者たちの中にいるであろう青年を待つ。


     ○


 自警団の中でも暗部に属する集団が大量に持ってきた献体を眺めながらユランはキセルをふかしていた。顔はあとで見せて欲しいと頼まれているが、それ以外は好きにして良いとのこと。

 若い医者に解剖の実践をさせてやれるのはありがたい話であるが――

「出所がこえーよ、ったく」

 自警団が持ってきた以上、この国において合法かつ公認の献体ということになるのだろうが、どこまでアルフレッドが根回ししているのか不透明であり、末端だけのやりくりであれば厄介ごとが来る可能性がある。

「ユランさん! バラして良いですか!?」

「勉強、したいです」

「イェレナさんに負けてらんないっすよ」

「……あー、まあ良いか。どうせ死んでるし、有効活用しなきゃもったいない」

 結局、知的好奇心の前には多少の厄介ごとなど無意味なのであった。

 エル・トゥーレに集まるような若者は特に。

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