オリュンピア:噛み合う超才能
「あン?」
「……アァ?」
鎧袖一触、まともに戦ってすらいなかった狼と獅子。
その二人が――出会った。
((……こいつか))
目星をつけていた、己に比肩する才能。
両者、その表情に先ほどまでの緩さはない。
○
突然の遭遇。フェンリスの駆け足が緩やかに止まる。リオネルの歩みも、止まる。両者はゆるりと対峙し、ゆっくりと、しかし一切の躊躇なく間合いを詰めた。双方に一切の引け目無し。ごくごく自然体で向かい合い、睨み合う。
上背、体格はリオネルが勝る。ただ、内包している戦力を見た目だけで判断するのは危険である。無論、ある程度でかいが強いのは、当たり前のことであるが――
「見下ろすなよ木偶の棒」
「あ? 見てねえよ小人のことなんざ」
「ぶは、クソ受ける。そこまでタッパ変わらねえだろうが」
「頭一個違えばでかい差だろーがカス」
「半個の間違いだ訂正しろ毟るぞ銀髪」
反りが合わないのは会う前から分かっていたが、こうまで合わないとは双方思っていなかった。どちらも自らのことを地上最強だと思っている。少なくとも、潜在能力、伸びしろ、二十代も中頃に成れば誰も、自分には匹敵する者はいない。
匹敵――させない。
「毟ってみろや。届くもんならな」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
フェンリスの動きは、上に意識が向いていた者にとって、まさに会心の一撃と成るであろう下段への蹴り。まるで身長が縮んだかと思うほど、自然かつ大胆不敵な下方向への体重移動。其処からの力の入った蹴りは、普通なら対処不能。
「……くだらねえ」
リオネルはその動きを一瞥し、後出しでそれを止めた。不意を突いたはずの蹴りを悠々と足の裏で止められる。フェンリスにとっては屈辱の後手。
「……高くつくぜ」
「安い言葉だなカス」
フェンリスはゆらりと後方へ距離を取る。両の手を腰にかけ、四足の獣、狼の如し前傾姿勢を取った。構えだけで、牙と爪が見える。立ち上る雰囲気に、歓声を上げていた民衆は声を失っていた。
先に剣を抜いたのはリオネル。昔の彼ならば構えず剣を持った手をだらりと下げるか、肩に担ぐか、舐めた状態からの魅せる戦いにこだわっていた。良くも悪くもそれが剣闘士リオネルのカラー。
されど今の彼は――剣闘士ではない。
「まだ、安く見えるぞカス犬」
「そーか、残念な眼だな。その辺の猫と取り換えることを――」
リオネルの構え。それは、ガリアスという最高の環境で、自らが模倣、学ぶ上で最善の使い手に倣った構えであった。
「――おススメするぜ!」
轟音。遅れて聞こえる風を切り裂く音。速さは強さ、速さは力。まるで、かの最強の生き写しのような、地上最強に似た加速。愕然としていたのは観戦している者たちだけではない。対峙するリオネルもまた、想像を超えた加速、ゼロからマックスまでの速さに眼を剥く。警戒は、正解だったのだ。
常軌を逸した加速から放たれた刃。父と同じ双剣使いであったフェンリス。前評判に偽りなし。最強の血統は伊達ではない。
「わりーが、眼には自信しかねえよ!」
だが、リオネルもまたさるもの。彼は抜かれし二つの閃光、最初に到達した方を図抜けた反射神経、超反応で回避する。
されど、ほぼ同時に二撃目が迫る。崩れた体勢、誰もが終わったと思った状況から、彼は当たり前のようにその一撃を剣で受けた。
「ハッ、意外と――」
そのまま水面を滑るように、狼の牙をそらす。
「小細工を弄するタイプか。いいね、小物っぽくて」
フェンリスはその剣を鼻で笑った。才能のぶつけ合いを期待したが、相手は早々にそれを避けて上手くしのぐ展開を選択した。
リオネルを弱気な性質と読んだフェンリス。
「馬鹿かテメエ。死にたくなけりゃあ気合入れとけ」
それが大きな誤解であったことを、次の刹那にフェンリスは知る。
逃げのための受け、不利な体勢から何とか小細工で捌いた、フェンリスにはそう見えていた。周囲も、遠巻きに見ている参加者たちも、同じ考えであっただろう。
まさかそれが、攻撃のための一手であったとは――想像も出来なかった。
受け流しながら、その剣の威力でさらに体勢が落ちる。もはや修正不可能、そう思われた体勢であったが、リオネルは平然とそこから攻撃に転じてみせた。しかも、落ちていた反動をも利用して、つまり、フェンリスの剣すら利用して、あり得ない軌道の剣が狼を襲う。その危険度に、狼は戦慄を覚えた。
異様なひねり、下段から伸びる剣はあんな体勢から放たれたとは思えないほど、力が、速度が乗っていた。受けは出来ない。フェンリスは咄嗟に判断して身体をそらして回避した。鼻先に切り傷が生まれるほど、ギリギリのタイミング。
その反応速度にリオネルは少し驚きながらも、意にも返さず攻め立てる。
激流が渦巻く。濁流があらゆるものを押し流すように、その剣は狼に雪崩れ込んでいく。その受け、水の如し。その攻め、激流が如し。
「な、るほど。つえーわ、お前」
敵の強さに、自然と笑みがこぼれる狼。激烈な破壊力を持つ剣。崩されたかと思った体勢から、フェンリスもまた異常な身体能力で無理やり持ち直した。そして、ゼロ距離で加速する。打ち合いは、本望と言わんばかりに。リオネルの顔にも同じ笑みが宿る。
おぞましき金属音がエル・トゥーレの街に響き渡る。
二つの才能が、噛み合った。
鼓膜を震わせる不快で激しい音。どんどん、二つは大きくなる。打ち付けているのは本当に剣なのか、それを放っている彼らは同じ人間なのか、分からなくなるほどに。二つの才能は抜けていた。
(ハッ! 俺と同じ速度域に留まれるとは大したもんだな、リオネル・ジラルデ)
(よく反応する。あいつらの言っていた通り、俺に匹敵するな。全てが)
速く、強く、激しい。ここまでくれば技もクソも無い。より速く、より強い方が勝つ。だが、どちらも底が見えてこない。
どんどん、加速しているにもかかわらず。
あまりにも壮絶な打ち合いに、歓声こそ上がりはしないが、見る者は心を奪われる。絶対の強者同士の戦い、これを見て心が躍らぬモノなどいるだろうか。いるとしたら、それは彼らと戦わねばならぬ者。力不足の戦士のみ。
「なんだよ、こいつら」
ランベルトは、震えていた。大国アルカディアのエースを狙った囲みを抜けて、意気揚々と五枚以上の布を集め終わってなお、強さを示さんと戦い続けてきた。そして、見てしまったのだ。本物の戦いを。
今までの、自分が滑稽に思えてくるほどの才能の衝突を。
「……ハハ、勝てるわけ、ねえじゃん」
さらに高まる二つの星。その陰で消えゆく小さな星々。
才能とは、憧れであり残酷である。
○
それと時を同じくして、ミラとゼナの戦いにも多くのギャラリーが集まっていた。路地裏での攻防はミラに軍配が上がった。それほどにミラの機動力が異常であったのだ。上下左右、地を、壁を、跳ね回って天地左右と三次元的に動けるミラと、狭い場所で槍の軌道が制限されるゼナではさすがに地の利に差があり過ぎた。
ゆえに、珍しくゼナが退いて、今、こうして天下の往来で戦いを続けていた。
「やっば、マジで良いわ。超楽しい!」
「あはは! たーのしー!」
ここでも才能が噛み合いを見せる。
柔軟性から生まれる疾さかつ見た目に反した生来のパワー。圧倒的身体アドバンテージから生まれる超パワーと見た目に反した超技巧。全力で打ち込んでも壊れるどころか倍になって返ってくる。女性離れ、と言うよりもここまで来たら人間離れしている。
性別の壁を超えた怪物二人が笑い合う。
殺し合いながら――
これだけの膂力、刃引きしてあろうと当たれば人など容易く死ぬ。彼女たちに、加減はない。寸止めをするほど冷静でもない。これほど楽しい遊び、これほど噛み合う相手を二人は知らなかった。だから今、熱情に浮かれていた。
それでも――
「「ッ!?」」
ほぼ同時に気づく。腹の底で鳴り響く、おぞましいほどの力の奔流を。
二人の熱が、一瞬で冷めるほどに。
○
「なにあの人、超イケメンなんだけど!」
「レオニー、さっきから男の人見るたびにそう言ってる」
「だから未だに婚約者の一人もいないのよ」
「……ニコラにだけは言われたくないんだけど」
「おあいにく様、私、これでもモテるから。私より稼ぎの良い男って条件がクリアできる男がいないだけ」
「ふーんだ、私にも色々理想ってのがあるの」
「じゃああの人はレオニーの理想なの?」
イーリスの問いにレオニーは難しい顔で「うーむ」と唸る。
「いっつもこれだね、レオニーは」
オティーリアに指摘されて「なはは」と笑いで誤魔化すレオニー。
「くそ、こんな、軟派な男に、負けるわけには――」
「ふっ、くだらない。輝ける者に人が群がるなど自然の摂理。私は輝いている。君は輝いていない。それだけのことさ。わかったら、さっさと印を渡したまえ。君ではどう転んでも惨めな結末しか待っていまい。傷口が広がる前に、ね」
派手な格好の男であった。金銀の飾りを身に着け、大きな羽根帽子にガーネットが散りばめられたネックレス。白い毛皮の外套も人目を引く。
「なめるなァ!」
男の乾坤一擲。それを見て派手な男は哂う。
「なめているのは、君だよ」
それを指二本でつまみ、見栄えのいい蹴りで側頭部を撃ち抜き気絶させる。
まさに大人と子供の戦力差。
黄色い歓声が男に降り注ぐ。笑顔でそれに応える男は確かにハンサムであった。
「きゃああああ! かっこいい!」
「……ミーハーね」
早速騒ぎ立てるレオニーとその他の女性陣。
レオニーの友達たちは静かなものである。
そんな中、笑顔を振りまいていた男の顔が、突如こわばった。
「……まったく、そんなに、日の射さない場所でも、貴方は輝けるのか」
男が感じ取ったのは、地の底から響く大きな流れ。
○
フェンリスとリオネルは、ほぼ同時に剣を止めた。
異変と呼ぶには、あまりに小さな兆しである。しかし、それは様々なモノを反響して、確かにエル・トゥーレ中に響きつつあった。これを、二人の人間が為している。その尋常ならざる光景を、二人は頭で描くことすら出来なかった。
知らない強さが響いてくる。
地の底で、突き上げるように、大地が脈動している。
「……あいつの技か? それにしちゃ、規模がでかすぎるだろ」
「おいリオネル・ジラルデ。俺様を前に余所見とはいい度胸だな」
「テメエも気になってんだろうが……何が、下で起きてやがる」
「知るか。確かにすげえが、速さはねえ。どんなデカい力も、当たらなけりゃ意味ねえよ」
「……速さが、わかるのか?」
「あン? んなもん多少離れていてもわかるだろ。こんだけ派手なんだしよ」
フェンリスの才覚。底が見えないのはお互い様であろうが、どちらの方が深い底を持っているのか。先に覗いた方が、負ける。
そういう意味で、方向性こそ別であるが、同じく底知れない男をリオネルは知っていた。そいつに勝つために己は強くなったのだから。
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