オリュンピア:今日だけは
エル・トゥーレに王宮と言うモノは存在しない。王政ではないので当然と言えば当然だが、貴賓を招く箱もの自体は今後必要になると新造されていた。
とはいえ元は聖堂のあった場所。元の趣は残しつつ貴賓、国賓を招いても恥ずかしくない高級感のある内装になっていた。
「久しいなリディ。楽しんでいるか?」
「おかげさまで胃に穴が開きそうだよ」
「何のことだ?」
「未だに未練を残している女性がね、ちらちらと睨んでくるのさ」
「……ケアした方が良いか?」
「君の御夫人方がお許しくださるなら」
「なら心配いらないな」
そう言ってウィリアムは件の人物の元へ足を運ぶ。その姿を見てリディアーヌは苦笑した。やはり、彼は女心と言うモノをわかっていない。
どれだけ大人ぶろうとも、仮面を被ろうとも、女はどこまで行っても女で、男もまたしかりなはずなのだが――
「ほら見ろ、一瞬、『皆』が君のことを見たぞ。まったく、酷い男だよ君は」
ウィリアムがエレオノーラを踊りに誘う。差し出した手を取る瞬間、複雑な表情の後、少し素で微笑んだ姿はやはり美しい。絵になる二人であった。
「しかし、周囲の話題は彼一色、か。確かに、面白い成長をしていたが」
武人ではないリディアーヌには王の器に映ったが、武人たちの意見は異なるようで、あまり評価は芳しくない。身長はそれなりに伸びたが、規格外のゼナは差し置いてもリオネルやフェンリスなどとは骨格レベルで差が見られた。
「ったく、アレクシスアレクシスうるせえ。あんなもんカスだカス。どう見たって雑魚が頑張って強くなりましたって典型じゃねえか。あほくせえ」
会場内がさっと静まり返った。
その中心でフェンリスは不機嫌に飯を食べていた。
「……フェンリス」
隣のハティにたしなめられたが、フェンリスの口は止まらない。良く見ると食事量に隠れているが、相当『飲んで』いる。
それでも普段なら呑まれることはないが――
「草の根活動で皆の人気者。マジで笑うぜ、仮面被って正義の味方ごっこだもんなァ。自分のやるべきこともしねーで、のうのうとお気楽に旅してんだ。そりゃあ気分もいいさ」
「海賊ごっこしていた貴方が言うんじゃない。場を弁えなさい」
「俺ァやるべきことをやっただけだ! あのままなめられてろってのか、海賊どもに! 海運の国が聞いて呆れるぜ!」
「いい加減に――」
「でけえ国の王子だからってよ、なめ腐ってんだよあの野郎は!」
一瞬の静寂。知っている者は知っている事実。不自然な反応をしたものは皆、何かを知っているのだ。今の文脈から受け取れる何かを。
「ユリシーズと俺にケツ拭いてもらったバブちゃんがイキってんなァ」
突如、フェンリスの背後に人影が現れた。フェンリスは振り返ろうとするも、首が動かない。ほんの少しすら。その力と声は、フェンリスにとって最も嫌悪する存在が放つもの。幼少期から続く敗北の歴史が脳裏をよぎる。
「テメエ、どの面さげて来やがった!」
「俺様王様だもん。来て悪いかよ七光り君」
「くそ親父が!」
こういった場に、ほとんど姿を現さなかった男が現れた。
ヴォルフ・ガンク・ストライダー。地上最強の生物と評される戦士にして王。彼の登場に此処に居る者たちも反応が出来ない。
「久しぶりだな。二度と見ることはないと思っていたぞ犬の王」
「猿山の大将が似合っているぜ、白髪の王様」
言葉は鋭いが、二人の表情はむしろ穏やかなもので、だからこそフェンリスは苛立ってしまう。その顔は、負けを認めた顔に見えたから。少なくとも頂点を喰ってやろうという気概は見えない。負け犬の貌。
「大体知ってんだろ、此処に居る位の奴は……勇者の名を騙る男の正体をよぉ」
「さてな。少なくとも俺は知らんよ。興味もない」
「はは、ひでー野郎だ。人の親とは思えねえ」
会話の応酬がフェンリスには、馴れ合いに映る。虫唾が、走った。
「何対等ぶってんだよ負け犬。それでもテメエ――」
「うるせえ」
ヴォルフの圧、隣に立つ二人が咄嗟に割って入るほど、それは一瞬だが凄まじい雰囲気であった。気圧されるとはこう言うモノなのだと、理解させられてしまう。
「テメエがうるせえ!」
ただ、一人を除いて――
「ほお」
ウィリアムは微笑む。あの頂点に張り合える闘志、剥き出しのそれは間違いなく一級品であった。狼の子は狼、しっかり受け継がれている。
「……年々生意気になってな。俺の言うことを聞かねえんだ」
「貴様の素行を見て尊敬する奴はいないさ、放蕩王。そうだろ、フェンリス」
思わぬ方向から同意を求められ、一気に沈静化するフェンリス。穏やかな瞳であった。剣を持てば、自分でも勝てるのではないかと思うほどに。実際に勝てるかもしれない。だが、一つわかった。
実際に見る、父に勝った男は――巨大であった。
「……はい、ウィリアム陛下」
「だそうだヴォルフ。少しは息子の模範になってやれ」
「ひでーな。いや、まあ、その通りだけどよお。それ言ったらテメエだって父親面出来んのかって話だろーが。つーか、もう良いだろ。どうせ、お前の息子も此処に居る連中に対してドッキリ仕掛ける気なんてねえんだし、アレクシスの中身がアルフレッドちゃんだって公にしてもよ。めんどくせーじゃん」
「ほう、そうだったのか。何処に消えたと思っていたら、そんなところにいたとは知らなかった。初耳だよヴォルフ」
「俺ァ都合三度、あのガキを見た。一度はかの有名なドーン・エンド討伐時に。二度目は黒き森、シュバルツバルトで。最後は、ついさっきだ」
「縁があるようだな」
「ああ、縁がある。つえーぞ、あのガキ。テメエに負けた俺が言うのも何だが、たぶん、お前よりも優秀だぜ。身体は、誰よりもボロッボロだけどな」
「……なるほど。それは良いことを聞いた」
ヴォルフの言葉に、ウィリアムは一つの理解を得た。
「お前よりも、か?」
ウィリアムの返しにヴォルフはにやりと笑う。意図が通じた、やはり彼もまた己と近い景色を見ている。必要か必要でなかったか。それだけの違いでしかない。
「ああ、そういうこった」
扉の先、人にはまだ先がある。
今ので通じなければそれはまだ早いと言うこと。ヴォルフはちらりとフェンリスを見て、疑問符すら浮かんでいない状態に微笑む。それで正しいのだ。あれが間違っているだけ。あそこまで徹して、先を見据えながら、逆算して扉の向こうに行けるのは、真の異常者であろう。
だが、だからこそ――
(気づけよフェンリス。気づかねえと、負けるぜ)
今の充実したフェンリスに、もし万が一勝つ奇跡が起きたなら、それは双方にとって良いことではないだろう。それでも、道理を覆すには奇跡が要る。ウィリアムがストラクレスを討ったように、ヴォルフがエル・シドを討ったように、人を惹きつける奇跡が、要るのだ。それが頂点に立つ者の条件なのだから。
○
「何で当たり前みたいに人の娘の家で料理してんだお前さんは」
「お久しぶりですお義父さん」
「殺すぞ」
「嫌だなあ、冗談じゃないですか。あ、料理出来てますんで食べてください」
「おう、相変わらずで結構。あとで身体診てやるよ」
「よろしくお願いします」
ユランとイェレナの帰宅を笑顔で迎えるアルフレッド。仮面を外し、ペルソナも外し、かつての弱さを知られている二人だからこそ、こうして自然体で応対することが出来る。
「……家、教えてない」
「細かいことだよイェレナ」
「いや、細かくねえよ。普通に怖いわ」
「嫌だなあユランさん。俺だって大人になったんですよ。草の者の一人や二人使って当り前じゃないですか」
「……おい、この変質者つまみ出せ」
「もー、料理冷めちゃいますよ」
「なあなあにしようとしている。でも料理があるので許します」
「俺ァ許さねえけどな」
そんなこんなで夕食――
「相変わらず薄味好きだな」
「うまうま」
「あー、放浪してた時の味を思い出すわ。貧乏の味だこれ」
「でしょう? 隠し味は愛情ですよ。まさにおふくろの味。でもこれは父上の味。でも俺、父上に殺されかけてたんですよねえ、あっはっは」
「いや、お家騒動の話されても困るわ」
「ですよねえ。今日久しぶりに会ったけど、相変わらず、見せないのが上手いなあって思いました。何がとは言わないけれど」
「聞けよ、話。まあいいや、ところでアル。一個だけ教えろ?」
「何でしょう?」
「しれっと同席しているこの黒ずくめのおっさんは何だ?」
ユランが指さしたところには四人目の男がいた。そして四人目の癖に誰よりも量を食べている。不審者かつ健啖家であった。
「おっさんにおっさん言われるほど老けてねえし」
「草の者です。優秀ですよ。針も使えるし。ねえ黒星」
「針は専門外の児戯だし、暗殺等々も生活のためだ。俺ァ拳士に戻ったんだよ」
黒星と呼ばれた男は欠伸をしながらシチューをずずっと飲み干す。
「んじゃ、組手の時に呼べ。終わったら対価を払う」
「うん、それじゃあまた。あ、『皆』にもよろしく伝えておいて」
「皆って程、エル・トゥーレには来てねえよ。たぶん赤髪の爺さんに至っては夜明けの場所で剣でも打ってるだろ。他も似たようなもんだ」
「……冷たいよね。人が一世一代の奇跡を起こそうってのに」
「起きて当り前だと思ってんだろ。アルフレッド・レイ・アルカディアに不可能なんてないってな。ま、さしもの天才もあの化け物相手にふた月行方不明になった時は死んだと思ってたけど。紅い嬢ちゃんずっとおろおろしてたぜ。商人の坊ちゃんもな。そんなもんだ、心配して来てるのは。安売りし過ぎたんだよお前は」
そう言い残して黒星はすっと陰に飲まれるようにこの場から消える。
「……お前は、此処を何だと思っているんだ?」
「俺の大事な人の家ですよ?」
「イェレナ、嬉しそうな面するな。こいつは誰にでもそう言っている詐欺師だぞ」
「お義父さん、誤解です」
「お義父さんって言うなゴラァ!」
「うまうま」
四人から三人へ、夕食はさらなる混迷を極める。
○
「ほー、東方じゃ針を治療に使うのか」
「ちょっとかじった程度だがな。稽古の後とか自分らでやったら便利だなって覚えただけで。こっちに来てからは独学だし」
うつぶせに横たわり気持ちよさそうに目を瞑るアルフレッド。その全身はローレンシアの者にとって悲鳴を上げたくなるほど針まみれであった。ただし、この親子は別で、治療の様子を興味深そうに眺めている。おそらくアルフレッドが「イタイイタイ!」と騒ぎ立てても彼ら二人はじっくり観察していただろう。
それほどに違うのだ。二つの断絶した世界の医療というモノは。
「ツボってのか? まあ身体には経絡があって五行がどうこうって言ってもわかんねえだろ? 俺も正直よくわからずに効くやつだけ覚えてたし」
「よく覚えていたら質問攻めにしていたところだぜ」
「覚えてなくても教えて。知ってること全部」
「……医者ってのは皆こうなのか?」
「どうだろうね。でも、俺は好きだよ。彼らの貪欲なところ」
「類は友を呼ぶってか」
「そーいうこと。わかってるね、黒星は」
「俺はお前の友達になった覚えはねえよ」
「俺もだ」
「私は友達」
「そうだね、うん、そうだ」
アルフレッドは眠たそうに欠伸を一つ。
「あー、少し疲れちゃったなあ。別に、大したことしてないんだけど」
「あいよ、んじゃ抜くぜ」
血がにじむことも無く、慣れた手つきでひょいひょい針を抜いていく黒星。
「眠いの?」
「うん、眠い」
「わかった」
針を抜き終わると、もそもそとアルフレッドはイェレナの方へ転がっていく。イェレナは楽な姿勢で座っており、その膝の上に頭をコロンと乗せたアルフレッドは躊躇いなく目を瞑る。
「ごめんね、君の方が疲れているのに」
「大丈夫。私、体力には自信があるから」
「本当に駄目だなあ。いつも、俺は君に甘えてばかりだ。うん、明日は、明日から、頑張る、か、ら――」
イェレナの膝枕の上で眠りについた。黒星が少し、驚いてしまうほど無警戒の王様。抜けているようで、全てが計算づく。そんな男が隙だらけになっているのだ。
「……しばらく見ないうちに、ひでえ身体になったもんだ。拾った時が可愛く見えるぜ。壮絶過ぎて、軽口叩くのもしんどいなあ」
「あっちの医家でも止めるだろうな、こんな体で戦うなんて! ってな」
「外見も酷いが、中身はもっとだ。いったい、何をどうしたらこうなる」
「……奇跡が必要だったのさ。大小関係なく、人を惹きつけるための奇跡が。こいつの親父と同じように、数多くの奇跡を積んで、初めて人は上に立つ。味方が少なければ、積むべき奇跡は沢山必要だ。こいつは最短を駆け抜けるつもりなのさ。しかも、生まれに極力頼ることなく、上に立とうとしている。最短で」
「最後の一言が無ければ、こいつは十年後にでも花開いただろうな。誰よりも高く。何処までも遠くへ」
「ああ。それを今、まだ二十代になったばかりのガキがやろうってんだ。最後の奇跡を、ここでぶちかまして、こいつは天に立つ」
「立ってどうする?」
「知るか。聞いたことねえし、聞けねえよ。俺にはそれの片棒を背負う覚悟はない。一緒にいるのはあくまで利害関係だ。俺の技を磨くために、近いレベルの奴と組手をする必要がある。だから、そばにいるだけだ。こいつに集まった連中とは毛色が違う。つーか、お前の娘なら知ってるんじゃねえか? あの様子、ちょっと普通じゃねえぞ」
「……父親でも踏み込めんことはある」
ユランは二人の様子を見つめていた。自分以外に心を開かなかった少女は、今、たった一人の青年に対してのみ全てを開いている。青年もまた、少女にのみ全てを、弱い部分を見せている。自分に見せていたブラフとは違う、本当の弱さを。
「あんなにもか弱いんだな、俺らの王様は」
「あの膝の上を離れたら、また無敵の王様に戻るんだろ。ひでえ人生じゃねえか」
「ああ、本当にな」
だからこそ、本当は弱い王様とそれを支える少女は道を分かれることになった。どれだけ二人が望もうとも、たとえそれが何物よりも深い愛情に成ったとしても、王が弱くてはいけないのだ。たった一人に対してであっても。
何よりも王は――例外を作ってはならない。
万人に対して平等に接する必要があるのだ。羊飼いが、一匹の羊を特別扱いして良いはずもない。それが他の羊に露見してはならない。露見を恐れるならば、最初から離れていればいい。
王を、頂点を目指すのであれば、まずは特別を無くすことが必須である。
くしくも、アルフレッドは父と同じ結論に至った。父と同じ、弱さを持つ者として、強く振舞う者として、弱さの元は絶たねばならない。
ウィリアムは殺し、アルフレッドは離れた。それだけのこと。
王はつかの間の休息を得る。
日が昇れば――戦いが待っていることを知るがゆえに。きっと、彼らは今こう思っている。この時が、一生続けば良いのに、と。
されど時は巡る。そして、二人には野望があった。
ゆえに立つのだ。道が別たれたとしても。
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